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第16話 旅立ち
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彼女といろんなところに行った。
クリスマスには旧校舎の教室の机をどけて、教室の中央に蝋燭を立ててみた。
冴子さんはケーキが食べれないし、ジュースも飲めない。
現代のジュースに興味津々な冴子さんの前で一人、ジュースを飲むのは少し心が痛んだ。
また、真っ暗な教室の中央に蝋燭を立てるとそれはまるで百物語でも読むような、祝い事とは思えないような状況に二人して笑った。
年末から年始にかけては僕も家族がらみの行事が忙しく、彼女に会う時間がなかった。
その分、学校が始まると彼女と毎日過ごした。
遊園地や、水族館にも出かけた。
最近、彼らにお金もとられる心配もないので、いろんな処に行くお金もあったのだ。そうした散財はのちに失敗だったと気づかされるが。
彼女と行くとどこでも楽しい。
別に行くところはどこだっていいのだ。
それは、彼女と二人でどこかに行くということに意味がある。
しかし、隣を歩く彼女を見て、不意に不安が去来する。
それは、僕にもいつか彼女が血みどろの女に見える日がくるかもしれないということ。
「え、血みどろだと嫌?」
冴子さんは僕の不安の種を聞き、急に僕に詰めてくる。
それも悲哀の情など全くない真顔だ。
これは揶揄っているだけだと気づくと僕もその話にのることにする。
「嫌じゃないけれども、血みどろの人を抱きしめるのはちょっと。」
「いや、それでも抱きしめなさいよ。」
「それは、ちょっと。だって、それって事故後の姿だよね?じゃあ足とか変な方向に向いたりしてるかもしれないんだよね?」
「いや、それでもキスしなさいよ」
「いや、それはちょっと。」
「なんでよ?」
「じゃあ、今のうちにキスしておこう。」
といった惚気た雰囲気になったこともあった。
「本当はどんな姿でもいいよ。見えていれば。」
「うん。」
「でも、見えなくなるなら、声だけでもいいから。聞かせてね。」
「うん。分かった。」
そう言うと、彼女の姿を心に焼き付けて、こちらに手繰り寄せて、キスをする。
それは、永遠ではないと分かっている。
それでも、息も忘れて彼女に愛を提示する。
それが、今の僕と彼女のすべてだから。
それは遊園地にきたときのことだ。
「お化け屋敷ってなんだか、興味深いわね。入ってみましょう。」
中は特に変わったところのない、どこにでもあるお化け屋敷であった。
冴子さんはそのお化け屋敷を出たあと、ポツリとつぶやいた。
「ああいう驚かし方があったのね。私も、ああすればよかった。」
その言葉が何故か引っかかった。
それはもう、人を驚かす必要が無いと聞こえたからだ。
その言葉から、彼女はもう過去ではなく未来を考えていると思った。
その言葉から終わりを示唆されたような気がした。
僕はその後も彼女と遊園地を回った。ジェットコースターや観覧車。定番の乗り物は全部乗った。彼女が満足そうに笑うさまを僕は何故か切ない気持ちで見てしまう。
帰り際、彼女が「また、来たいね」と言った。でも、その言葉は約束ではなく願望に聞こえた。
僕は彼女に聞き返さず、「そうだね」と意味のない同意をして、二人で電車に揺られて帰った。
望んでおきながら、それが叶うことを恐れるのはあまりに傲慢だ。
彼女の幸せを願っておきながら、自分の幸せを考えてしまうのは傲慢なのか?
しかし、今日も彼女を連れてどこかに出かけるのは矛盾している。
僕はそのことを一旦忘れて、今日も彼女を迎えにいく。
それが僕の今できることだから。
今日は会いたいが会いたくなかった。
相反する気持ちが僕の中でうねりを上げて、いつしか封殺して、しょうがないと諦める。
その日が来たからだ。
前に谷さんに冴子さんのことについて調べてもらった時、教えられた日だ。
だから、今日は来てほしくなかった。
朝から憂鬱な体をひきずって学校に向かう。
それは仕方がないと無理やり自分を納得させて、今日も旧校舎に向かう。
今日は冴子さんの誕生日だ。
その日が特別だと分かったのは、この前の遊園地の時である。
単なる誕生日ではない。
その日は特別な日だ。
旧校舎に向かうと、今日はどこかに出かけようということになった。
僕らは近くの山を登ることにする。
そこは町から少し離れており、頂上からは町が一望できる。
山を登っている間、お互いに無言であった。
僕が一生懸命登っているから、冴子さんは気を使って話しかけてこなかったのかもしれない。
しかし、僕は全く違った理由から彼女に話しかけられなかった。
旧校舎にいったとき、まとめられた漫画を見て、すべてを把握したからだ。
冴子さんはもう読んだからと、漫画をいつでも持って帰れるように、教室のドア付近にまとめられて置いてあった。
それは、僕らの過去がまるで一つにまとめられて、清算されるようである。
僕と彼女の思い出が旅立つ準備をしているのだ。
そのことがぐるぐると頭の中を回り、気づくとそこは頂上だった。
考え事が優先し、疲れを忘れていた。
しかし、細かい話をするならば、ここは頂上ではない。
この山の中でここまでが人により手入れされているところであり、人はここまでしか来れないというだけである。
冴子さんならもっと高くまでいけるかもしれない。
僕は頂上から、町の景色を一望する。
もう夕刻を過ぎ、夜の帳が下りてきた。
町は光りだし、また輝きを取り戻す。
その中で二人して無言で夜景を楽しむ。
光が幕を作って、涙を通して見た景色の様にぼやけて、はじける。
空にも星が見えて、地上の星との境界線はいつしか無いも同然となる。
他に人影は見えない。
僕らを覆うこの世界には僕らしかいないような錯覚を覚える。
「どうして、今日ここに連れてきたの?」
冴子さんはようやく口を開いた。それはただこの夜景に見とれていたわけではないのだろう。
「今日は冴子さんの誕生日でしょ?」
「知ってたんだ。」
「うん。だから…………」
僕はカバンから、小包を取り出し、彼女に渡す。
「ごめん。そんなに高価なものは買えなかった。でも……………………綺麗だと思ったから。お誕生日おめでとう。」
でも、今度はもっと良いやつをプレゼントしようとは言えなかった。
それは、約束してはいけないことだ。分かっている。口に出してはいけない。
彼女はその小包を開けると、中の小さな指輪を取り出した。
彼女はニコリと笑みを浮かべて、嬉しそうにその指輪を人差し指にはめた。
僕は空笑いを彼女に向ける。それが、すべてを物語っていた。
「ありがとう。嬉しい。亮介、こんな気の利いたことできるんだ。」
すぐにいじわるそうに笑う彼女に、僕も負けじとやり返す。
「冴子さんはもっと高いものじゃないと嫌とか駄々こねそうだと思ったけど」
「誰よそれ?こういうのは気持ちでしょ?亮介が私のために選んでくれたなら素直に嬉しいわよ。」
「そう?ならよかった。」
「そう。よかったの。嬉しかったの。」
そうして、彼女と二人して頂上のベンチに腰かけて景色を独占する。
「私、嬉しかったの。全部。」
「全部?」
「うん。全部。放課後に誰もいない学校で遊んだのも。家の周りに遊びに行ったのも。遊園地も水族館も。」
「僕もだよ。」
「それは、亮介だったからだよ。亮介が一緒だったからだよ。」
「僕も冴子さんと一緒にいれて楽しかったよ。」
やめろ。
その話を止めろ。
そう叫ぶ僕の心をなんとか押しとどめ、彼女の言葉を紡ぐ。
「でも、もう十分だよ。もう…………」
やめろ。
やめろ。
終わってしまう。
もう終わってしまう。
こんなにあっけなく終わってしまうのか?
今までのはこのためだったのかもしれない。
でも、こんなに早く。
なにも今日じゃなくても明日でもいいじゃないか。
やめろ。
それを言うな。
「もう十分楽しんだよ。もう未練はないよ。」
「……………………そっか。」
僕の口からは吐息にも劣るほどの小さい声が吐き出された。
それは予期していたことだっただろう。
なにを今更、焦っているのか。
「あ。こんなに話を溜めていたけど亮介は私の未練ってもう気づいてるよね?」
「うん。」
「そっか。そうなの。多分、私はいつも毎日窓から見るあの子たちが羨ましかった。死ぬほど羨ましかった。あ、今の幽霊ジョーク。」
「ははっ。…………そうなんだ。」
彼女は楽しそうに話すが、僕の返答に力がないことに気づくと一瞬、悲しそうに眉を下げたが、また揚々と話しだす。
彼女の気遣いが逆に真実味を増すのだ。
「いつからだろう。もう忘れたんだけど。ある日、窓から楽しそうな声が聞こえてきたの。それはもう今が楽しくて仕方がないっていう声。私がもう一生得られない楽しいことをすべて詰め込んだみたいな。私はでも、すぐに聞こえないふりをして窓から離れるの。でも、また聞こえてきてつい見てしまう。それから毎日、見てしまうの。」
冴子さんの声は静かに、この静かな夜に溶け込んだ。
「私にも彼らのように楽しくて、毎日が嬉しかったり、悲しかったりの連続で、そういう人生があったのに。急に奪われて、なくなって。でも、目の前では楽しそうに笑う声が聞こえてくるの。まるで拷問のように。彼らの日常に心が弄ばれて、なぶられて辛くて。それでも消えることも許されないの。もうどうしたらいいのか分からなくて。でも、驚かしたりしたら、人と関ることが出来て、心に余裕が生まれて、まだ平静を装えた。」
僕はただ彼女の独白に耳を傾ける。
そうして終わりの時間を過ごす。
彼女は酷く落ち着いていて、冷静に淡々と話す。
「でも、ある日。貴方に会った。貴方は死んだような顔で私にはじめなんて言ったか覚えてる?」
「綺麗だって褒めたよ。」
「そうよ。綺麗って。馬鹿な人だと思った。でも嬉しかった。同い年くらいの子に褒められたことなんてなかったから。それからいろんなところに行ったわね。」
「そうだね。僕は君に思い出を作ってあげたかった。」
「うん。気づいてたわ。」
「君の未練に気が付いて、それを解放してあげたかった。なのに。僕はまだ」
「だめ。それ以上はだめ。もう決めたの。」
そう言って、冴子さんは僕の唇に指を当てた。
僕は頷いて、話を戻す。
全く納得なんてしていないが、彼女の意思は強い。それは彼女の目を見れば分かる。
「分かってた。今日がその日なんだって。今日がお別れの日なんだって。冴子さんは分かりやすすぎるよ。」
「そうかな?ちゃんと隠せていたと思ってたんだけど。」
「うん。分かるよ。」
「そっか。もう満足だよ。ありがとう。友達になってくれて。」
僕らは夜の世界に二人で、星を見上げた。
いつ彼女が消えるのかは分からない。
それでも、ずっと空を眺めて、その時を待った。
彼女が消えるときには寂しくないように、そばにいたくて。
冬の冷たい風を浴びながら、頭の中では納得できずに今からでも彼女にやっぱり考え直したらと言いそうになる。
それでも、我慢して彼女とこれまでの過去について話しながら、最後は和やかに終わりを迎えた。
肌寒いと思い、ふと隣を見ると彼女はもういなかった。
それは、幻のようで、もう一度、目をこすって見直す。やはり、そこには僕一人だけだった。
彼女は遠い世界に旅立ったのだ。
僕との思い出をもって、旅に出かけた。
僕は送り出すだけだ。
最後に見た彼女の顔は笑っていた。心残りなんてもう無いといった顔だった。なんでそんなフウに笑えるのだろうと疑問を持った。
僕はこんなにも心細くて、さみしいのに。
それでも、残ったのは後悔と、貴方への想いだけだ。
クリスマスには旧校舎の教室の机をどけて、教室の中央に蝋燭を立ててみた。
冴子さんはケーキが食べれないし、ジュースも飲めない。
現代のジュースに興味津々な冴子さんの前で一人、ジュースを飲むのは少し心が痛んだ。
また、真っ暗な教室の中央に蝋燭を立てるとそれはまるで百物語でも読むような、祝い事とは思えないような状況に二人して笑った。
年末から年始にかけては僕も家族がらみの行事が忙しく、彼女に会う時間がなかった。
その分、学校が始まると彼女と毎日過ごした。
遊園地や、水族館にも出かけた。
最近、彼らにお金もとられる心配もないので、いろんな処に行くお金もあったのだ。そうした散財はのちに失敗だったと気づかされるが。
彼女と行くとどこでも楽しい。
別に行くところはどこだっていいのだ。
それは、彼女と二人でどこかに行くということに意味がある。
しかし、隣を歩く彼女を見て、不意に不安が去来する。
それは、僕にもいつか彼女が血みどろの女に見える日がくるかもしれないということ。
「え、血みどろだと嫌?」
冴子さんは僕の不安の種を聞き、急に僕に詰めてくる。
それも悲哀の情など全くない真顔だ。
これは揶揄っているだけだと気づくと僕もその話にのることにする。
「嫌じゃないけれども、血みどろの人を抱きしめるのはちょっと。」
「いや、それでも抱きしめなさいよ。」
「それは、ちょっと。だって、それって事故後の姿だよね?じゃあ足とか変な方向に向いたりしてるかもしれないんだよね?」
「いや、それでもキスしなさいよ」
「いや、それはちょっと。」
「なんでよ?」
「じゃあ、今のうちにキスしておこう。」
といった惚気た雰囲気になったこともあった。
「本当はどんな姿でもいいよ。見えていれば。」
「うん。」
「でも、見えなくなるなら、声だけでもいいから。聞かせてね。」
「うん。分かった。」
そう言うと、彼女の姿を心に焼き付けて、こちらに手繰り寄せて、キスをする。
それは、永遠ではないと分かっている。
それでも、息も忘れて彼女に愛を提示する。
それが、今の僕と彼女のすべてだから。
それは遊園地にきたときのことだ。
「お化け屋敷ってなんだか、興味深いわね。入ってみましょう。」
中は特に変わったところのない、どこにでもあるお化け屋敷であった。
冴子さんはそのお化け屋敷を出たあと、ポツリとつぶやいた。
「ああいう驚かし方があったのね。私も、ああすればよかった。」
その言葉が何故か引っかかった。
それはもう、人を驚かす必要が無いと聞こえたからだ。
その言葉から、彼女はもう過去ではなく未来を考えていると思った。
その言葉から終わりを示唆されたような気がした。
僕はその後も彼女と遊園地を回った。ジェットコースターや観覧車。定番の乗り物は全部乗った。彼女が満足そうに笑うさまを僕は何故か切ない気持ちで見てしまう。
帰り際、彼女が「また、来たいね」と言った。でも、その言葉は約束ではなく願望に聞こえた。
僕は彼女に聞き返さず、「そうだね」と意味のない同意をして、二人で電車に揺られて帰った。
望んでおきながら、それが叶うことを恐れるのはあまりに傲慢だ。
彼女の幸せを願っておきながら、自分の幸せを考えてしまうのは傲慢なのか?
しかし、今日も彼女を連れてどこかに出かけるのは矛盾している。
僕はそのことを一旦忘れて、今日も彼女を迎えにいく。
それが僕の今できることだから。
今日は会いたいが会いたくなかった。
相反する気持ちが僕の中でうねりを上げて、いつしか封殺して、しょうがないと諦める。
その日が来たからだ。
前に谷さんに冴子さんのことについて調べてもらった時、教えられた日だ。
だから、今日は来てほしくなかった。
朝から憂鬱な体をひきずって学校に向かう。
それは仕方がないと無理やり自分を納得させて、今日も旧校舎に向かう。
今日は冴子さんの誕生日だ。
その日が特別だと分かったのは、この前の遊園地の時である。
単なる誕生日ではない。
その日は特別な日だ。
旧校舎に向かうと、今日はどこかに出かけようということになった。
僕らは近くの山を登ることにする。
そこは町から少し離れており、頂上からは町が一望できる。
山を登っている間、お互いに無言であった。
僕が一生懸命登っているから、冴子さんは気を使って話しかけてこなかったのかもしれない。
しかし、僕は全く違った理由から彼女に話しかけられなかった。
旧校舎にいったとき、まとめられた漫画を見て、すべてを把握したからだ。
冴子さんはもう読んだからと、漫画をいつでも持って帰れるように、教室のドア付近にまとめられて置いてあった。
それは、僕らの過去がまるで一つにまとめられて、清算されるようである。
僕と彼女の思い出が旅立つ準備をしているのだ。
そのことがぐるぐると頭の中を回り、気づくとそこは頂上だった。
考え事が優先し、疲れを忘れていた。
しかし、細かい話をするならば、ここは頂上ではない。
この山の中でここまでが人により手入れされているところであり、人はここまでしか来れないというだけである。
冴子さんならもっと高くまでいけるかもしれない。
僕は頂上から、町の景色を一望する。
もう夕刻を過ぎ、夜の帳が下りてきた。
町は光りだし、また輝きを取り戻す。
その中で二人して無言で夜景を楽しむ。
光が幕を作って、涙を通して見た景色の様にぼやけて、はじける。
空にも星が見えて、地上の星との境界線はいつしか無いも同然となる。
他に人影は見えない。
僕らを覆うこの世界には僕らしかいないような錯覚を覚える。
「どうして、今日ここに連れてきたの?」
冴子さんはようやく口を開いた。それはただこの夜景に見とれていたわけではないのだろう。
「今日は冴子さんの誕生日でしょ?」
「知ってたんだ。」
「うん。だから…………」
僕はカバンから、小包を取り出し、彼女に渡す。
「ごめん。そんなに高価なものは買えなかった。でも……………………綺麗だと思ったから。お誕生日おめでとう。」
でも、今度はもっと良いやつをプレゼントしようとは言えなかった。
それは、約束してはいけないことだ。分かっている。口に出してはいけない。
彼女はその小包を開けると、中の小さな指輪を取り出した。
彼女はニコリと笑みを浮かべて、嬉しそうにその指輪を人差し指にはめた。
僕は空笑いを彼女に向ける。それが、すべてを物語っていた。
「ありがとう。嬉しい。亮介、こんな気の利いたことできるんだ。」
すぐにいじわるそうに笑う彼女に、僕も負けじとやり返す。
「冴子さんはもっと高いものじゃないと嫌とか駄々こねそうだと思ったけど」
「誰よそれ?こういうのは気持ちでしょ?亮介が私のために選んでくれたなら素直に嬉しいわよ。」
「そう?ならよかった。」
「そう。よかったの。嬉しかったの。」
そうして、彼女と二人して頂上のベンチに腰かけて景色を独占する。
「私、嬉しかったの。全部。」
「全部?」
「うん。全部。放課後に誰もいない学校で遊んだのも。家の周りに遊びに行ったのも。遊園地も水族館も。」
「僕もだよ。」
「それは、亮介だったからだよ。亮介が一緒だったからだよ。」
「僕も冴子さんと一緒にいれて楽しかったよ。」
やめろ。
その話を止めろ。
そう叫ぶ僕の心をなんとか押しとどめ、彼女の言葉を紡ぐ。
「でも、もう十分だよ。もう…………」
やめろ。
やめろ。
終わってしまう。
もう終わってしまう。
こんなにあっけなく終わってしまうのか?
今までのはこのためだったのかもしれない。
でも、こんなに早く。
なにも今日じゃなくても明日でもいいじゃないか。
やめろ。
それを言うな。
「もう十分楽しんだよ。もう未練はないよ。」
「……………………そっか。」
僕の口からは吐息にも劣るほどの小さい声が吐き出された。
それは予期していたことだっただろう。
なにを今更、焦っているのか。
「あ。こんなに話を溜めていたけど亮介は私の未練ってもう気づいてるよね?」
「うん。」
「そっか。そうなの。多分、私はいつも毎日窓から見るあの子たちが羨ましかった。死ぬほど羨ましかった。あ、今の幽霊ジョーク。」
「ははっ。…………そうなんだ。」
彼女は楽しそうに話すが、僕の返答に力がないことに気づくと一瞬、悲しそうに眉を下げたが、また揚々と話しだす。
彼女の気遣いが逆に真実味を増すのだ。
「いつからだろう。もう忘れたんだけど。ある日、窓から楽しそうな声が聞こえてきたの。それはもう今が楽しくて仕方がないっていう声。私がもう一生得られない楽しいことをすべて詰め込んだみたいな。私はでも、すぐに聞こえないふりをして窓から離れるの。でも、また聞こえてきてつい見てしまう。それから毎日、見てしまうの。」
冴子さんの声は静かに、この静かな夜に溶け込んだ。
「私にも彼らのように楽しくて、毎日が嬉しかったり、悲しかったりの連続で、そういう人生があったのに。急に奪われて、なくなって。でも、目の前では楽しそうに笑う声が聞こえてくるの。まるで拷問のように。彼らの日常に心が弄ばれて、なぶられて辛くて。それでも消えることも許されないの。もうどうしたらいいのか分からなくて。でも、驚かしたりしたら、人と関ることが出来て、心に余裕が生まれて、まだ平静を装えた。」
僕はただ彼女の独白に耳を傾ける。
そうして終わりの時間を過ごす。
彼女は酷く落ち着いていて、冷静に淡々と話す。
「でも、ある日。貴方に会った。貴方は死んだような顔で私にはじめなんて言ったか覚えてる?」
「綺麗だって褒めたよ。」
「そうよ。綺麗って。馬鹿な人だと思った。でも嬉しかった。同い年くらいの子に褒められたことなんてなかったから。それからいろんなところに行ったわね。」
「そうだね。僕は君に思い出を作ってあげたかった。」
「うん。気づいてたわ。」
「君の未練に気が付いて、それを解放してあげたかった。なのに。僕はまだ」
「だめ。それ以上はだめ。もう決めたの。」
そう言って、冴子さんは僕の唇に指を当てた。
僕は頷いて、話を戻す。
全く納得なんてしていないが、彼女の意思は強い。それは彼女の目を見れば分かる。
「分かってた。今日がその日なんだって。今日がお別れの日なんだって。冴子さんは分かりやすすぎるよ。」
「そうかな?ちゃんと隠せていたと思ってたんだけど。」
「うん。分かるよ。」
「そっか。もう満足だよ。ありがとう。友達になってくれて。」
僕らは夜の世界に二人で、星を見上げた。
いつ彼女が消えるのかは分からない。
それでも、ずっと空を眺めて、その時を待った。
彼女が消えるときには寂しくないように、そばにいたくて。
冬の冷たい風を浴びながら、頭の中では納得できずに今からでも彼女にやっぱり考え直したらと言いそうになる。
それでも、我慢して彼女とこれまでの過去について話しながら、最後は和やかに終わりを迎えた。
肌寒いと思い、ふと隣を見ると彼女はもういなかった。
それは、幻のようで、もう一度、目をこすって見直す。やはり、そこには僕一人だけだった。
彼女は遠い世界に旅立ったのだ。
僕との思い出をもって、旅に出かけた。
僕は送り出すだけだ。
最後に見た彼女の顔は笑っていた。心残りなんてもう無いといった顔だった。なんでそんなフウに笑えるのだろうと疑問を持った。
僕はこんなにも心細くて、さみしいのに。
それでも、残ったのは後悔と、貴方への想いだけだ。
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