旧校舎の闇子さん

プーヤン

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第11話 微睡みの中で

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彼女の深層は実に単純な構造をしていた。

それはあの時、感じたことだ。

彼女に憑依されたとき、僕の頭に流れ込んできた。

交わう彼女の記憶と、僕の記憶。

らせん状に回転して、混ざり合って、離れて初めて実感するのは単なる悲哀の情でだけではない。

映るのは校庭で部活動に勤しむ部員の顔に汗が滴る瞬間。校門から楽しそうに談笑しながら帰路に就く学生の笑い声。空に中和して溶け込むような吹奏楽部の音。またその音から外れた音を出し、慌てて合奏に合わせるそそっかしい迷子の音。

そして、男女睦まじく愛し合う生徒。

桜の下で期待した眼を爛々と輝かせる新入生や、夏の日照りを鬱陶しいそうにねめつけている男子生徒。秋の紅葉に文化祭の旗が揺らめいて、体育祭を嫌がりながらもいざ始めると楽しむ生徒。冬の寒さに手がかじかみ、自分の桃色の頬に赤らんだ手をあて寒さを紛らわす女子生徒。

季節の始まりから終わり。

また繰り返す、日常。

それは、本人たちにとっては特に取るに足らないものなのかもしれない。

毎日の繰り返しは実に単調で、面白みのない日常の一ページだというのかもしれない。

しかし、それを少女の瞳は羨望の眼差しで見続ける。

一つも見落とさぬようにしっかりと脳裏に焼き付けているのか、その記憶は淡々と塗り付けていくパレットの一面に重ねる色の世界。

その、様相は時に悲しく、楽しく、狂おしいほどの愛に満ち溢れた世界。

そのすべてを少女は欲しくて欲しくてたまらなくなって、その場で地団駄を踏み、涙を流し食いしばるが、またそれはもう手に入らないものだと落胆する。

彼らの学生生活を見て、過去を想起し、落胆し、季節は色を変えてまた繰り返す。

それは、もう手に入らないもの。

それは、少女がいたはずの世界。

それは、少女が夢見た明日の世界。

雨が降り、すべてが消えた後の世界。

ポツリポツリと降るその雨粒に恨みつらみを吐けども、少女の教室は沈黙にして答えを提示している。

それは、もう終わった夢なのだと。

君はここにいてはいけないと。

それでも、少女は求める。

それが絶対に叶わぬ夢だとしても。

そうして、今日も少女はこの籠(かご)から外を眺めて、叶わぬ夢に思いを馳せる。

僕はその光景を見て、この切なさの何たるやと彼女の手をつかむ。

その手は透けていて、温度など感じない。

いや、そんなわけない。

だってこの手はもっといろんな感情を訴えているではないか。

切なさ、寂しさ、悲しさ、いろんな感情が同居して、耐えられない程の感情があふれ出そうとして、必死に抑えて、それでも誰かに手を差し伸べられる強さと逞しさが感じられる。

僕は彼女からいろんなことを教わったのではないか。

僕は彼女と一緒にいるのに、その思いに答えられないのか。

僕は彼女に助けられたのだから、次は自分が彼女を助ける番だ。

だから、僕は彼女の手を優しく握る。

それが、嘘でも僕は貴方に笑っていてほしいから。

僕の答えは正しくないのかもしれない。

でも、それを彼女が望むなら、僕はなんでもしよう。

それが初めて好きになった人への最高の贐(はなむけ)になるならば。

 

 

 

「3カ月経ったたら彼らは戻ってくるわよ。亮介、大丈夫?」

今日は朝から雨が降っており、旧校舎もじめっとしていて気が滅入る。

僕が来た時には、冴子さんは今日も教室の窓から外を眺めていた。

彼女は今、何を考えているのだろう。

雨模様の空を見て己の死後を嘆いているわけではないだろう。

彼女の瞳に映るものは幽霊の憎悪ではなく、憧憬に近いものなのかもしれない。

諦観の籠った眼に何を夢見ているのだろう。

冴子さんは僕が来たのが分かると、こちらに顔を向けて、この間の放送事件のことについて心配してくる。

「うん。大丈夫じゃない?別にどうってことないよ。」

冴子さんは訝し気にこちらを見ると、フフンッと口元を綻ばせてこちらを一慶する。

「亮介、ちょっと変わったわね。ちょっと格好よく見えるわね。今なら谷さんも落とせるんじゃない?」

「え?谷さん?」

想定外の質問に狼狽してしまう。なんだその発想は?全くいつも変わったことばかり聞いてくる人だ。

「そうよ。千歳ちゃん。可愛いでしょ!流石、私の姪孫。」

「まあ、可愛い人ではあるね。だけれど、別に僕は彼女とどうこうする気はないよ。」

「そ?あんなに可愛いのに。」

「だって好きな人がちゃんといるから。」

「……………………そう。」

「うん。」

雨足は強くなり、窓際に打ち付ける風と雨粒の音が彼女の声を遮る。

本当は何を言ったのだろう。

僕は彼女の言葉を問うわけでもなく、ただ相槌を打つ。

「私、雨が嫌いなの。」

唐突に冴子さんが声を発した。

それは前にも一度聞いたことがあった。

何故今一度、同じことを言うのか疑問に思いつつも、彼女の真意を測りかねる。

その声はとてもか細く、耳を澄まして次の言葉を待つ。

「私が死んだとき、雨が降っていたからなのかな。何故か嫌いなのよ。」

今度はこの前とは違う回答だった。

それは彼女が僕に心を開いてくれたからなのだろうか。

「そうなんだ。それは、雨が降っていたことが死に関係することだから?」

「多分違うわね。ただ雨の音を聞いていると、自分は幽霊であると実感させられるのよ。」

「そっか。」

彼女の声は雨音に消える。

言葉が消えて、彼女の存在を表すものはこうして消えていくのかもしれない。

「冴子さん、ずっと考えていたことがあったんだ。」

「なに?」

「この校舎出てみない?」

「それは、いつも出てるし。全然いいけど。今日は雨よ。私はいいけど、貴方は濡れてしまうわ。」

「たまにはいいさ。濡れるのも。」

旧校舎を出ると、もう遅い時間のせいか生徒はあまり残っていなかった。

僕は彼女を誘導し、校庭のベンチに腰かける。

「濡れてるでしょ?何してるの?」

「いいから、座りなよ。」

彼女は訝し気な顔をしながらも、おずおずと僕の隣に腰かける。

「いいわよ。私は濡れないから傘を寄せなくても。」

「そう?でも普通の生徒はこんなフウに傘を忘れたら人に入れてもらうよ。」

「普通の人は雨の日にベンチに腰掛けたりしないわ。」

「それもそうだね。」

僕の傘から滴り落ちた雨粒が肩に当たる。

それが冷たいが、彼女がすっぽり僕の傘に入っているのがやけに可愛く思えて、この状態のまま10分ほど話し込んでしまう。

「グラウンド見に行こうか?」

「え?なんで?ドシャ降りだし、地面もぬかるんでるでしょ?」

「まあまあ、たまにはね。僕は帰宅部だし、一人で放課後にグラウンドに行くこともないんだよ。最近はなんだかやったことのないことをやってみたくなるんだ。」

「…………そう。まあいいわ。」

 

 

 

グラウンドは思ったよりもぬかるんでいて、水たまりも多く、二人ではしゃいで遊ぶには適さない。

僕らはグラウンドのちかくの階段に座って、また談笑する。

「なんでこんなとこ来たかったの?」

「別に。たまには旧校舎以外で話したかったんだ。」

「そう?これはまた成仏するように仕向けていると思っていたわ。」

「いや、そのつもりはないよ。」

「そうなの?」

「うん。僕は今、冴子さんに消えられたら一人だしね。できれば消えてもらいたくないんだ。」

「でも千歳ちゃんもいるでしょ?これからは…………」

「冴子さんは僕と一緒にいたくない?」

「それは…………友達だし。別に…………いたくない理由もないし。」

「そ?ならいいじゃない。これから僕と冴子さんでいろんな遊びをしていけば。それで僕も冴子さんも暇をつぶせてお互いに利があるでしょ?」

「まあ。別にいいけど。私は貴方は普通の友達を作るべきだと思っているんだけど。」

「余計なお世話だよ。そんなの自分で決めるさ。僕は冴子さんといたいから一緒にいるんだしね。」

「そっか。なら、もういいわよ。勝手にしなさい。」

僕は彼女にすべてをささげても足りない程のことをしてもらった。

僕の人生の終止符を僕は打たずに済んだ。

僕は彼らに恐怖する気持ちがなくなった。

それは、単なる思い込みじゃない。彼女を想えばこそ僕は強くいられる。

「冴子さん、僕はこのあいだ本当の気持ちを聞きだされたわけだし、冴子さんにも本当のことを言って欲しいんだけど。冴子さんはいつも一人で雨を見ているから寂しくて嫌いなんじゃないの?」

「そういう言い方は卑怯だわ。…………そうね。雨を一人で見ていると胸が張り裂けそうにいなる瞬間がある。自分が一人でいることは当たり前のことなのにね。」

一瞬、彼女の顔に陰りができる。

そんな酷な質問を何故に投げかけるのか。でも聞きたかった。

彼女の本心を。

「そっか。それは今も?」

「え?」

「だって今は一人で見てはいないでしょ?二人でしょ?」

「馬鹿な質問ね。今は別に平気よ。誰かと話してるって現状のおかしさについて考えることはあってもね。」

「そっか。ならよかった。僕もこうして誰かと放課後残ってグラウンドやら校庭で話すなんてしたことないしね。」

「私もよ。雨の日になんて馬鹿げたことしてるのかと思ったけど、案外こうして誰もいない学校で話すのも悪くないわね。」

「そうだね。二人ならね。」

冴子さんは観念したというようにこちらを見る。

そして、ため息混じりに僕に問いかける。

「亮介。私、今から馬鹿みたいな質問をするから。違うのなら鼻で笑ってくれていいわ。」

「ん?何?」

「貴方、私を成仏させたくないのよね?じゃあ、どうして私といるの?もしかしてこんな幽霊に恋でもしちゃった?」

冗談交じりに笑いながら問う彼女に僕は真剣な顔で答える。

「そうか…………そうだね。僕は冴子さんのことが好きだよ。」

「それは友達として?」

「いや、女の子として。」

「幽霊なのに?」

「幽霊でもだ。」

「馬鹿じゃないの?」

そう言ってはにかむ彼女の蠱惑的な瞳に一瞬見惚れてしまう。

しかし、そうなのだから仕方がない。

そして、自分は好きな人間にはこうも直情的に思いを伝える人間なのだと初めて自覚した。

本当は彼女に思い出を作ってあげたかった。

いつか逝くかもしれないなら、学校内だけでもこうして放課後に誰かと遊ぶ思い出を。

しかし、僕が彼女とこうして色んなところで遊びたかったのも本心で、自分が卒業するまで彼女との思い出を作ることだけに楽しみを感じるのかもしれない。

そうして、学生生活を締めくくるのだろう。

僕は彼女の透けた手を握る。

彼女も嫌がりはしない。

そうして、僕らは辺りが何も見えなくなるまで、無言で過ごした。

特に話すことがないわけはない。

だが、今だけはこの二人だけの放課後に酔っていたかったのかもしれない。

寂しさや、切なさを一切感じない。

一人ではないという気持ちが握った手から生まれる。

それだけでいいと思ってしまったのだ。

 

 
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