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第10話 作戦③
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放送事件は思ったよりも早く収束した。
放送部は約半月に渡り放送を休止になり、彼らはあの音声のことで職員室に呼び出され、5限目終わりになってやっと帰ってきた。
彼らは虫の居所が悪いらしく、椅子を蹴り上げ、周囲の嫌な視線にまた苛立ちを募らせた。
また、金城は今にも飛びかからんばかりの勢いでこちらを睨みつけてくる。
そして、すれ違い様、僕に放課後、来るように言ってきた。
相当に怒気のこもったその声に僕は腹のそこから震えが来たが、冴子さんの顔を思い出すと少し落ち着いた。
しかし、その視線は僕から外れ次に別の人間に移る。
僕は放課後など来なければいいと思いながらも待った。
冴子さんにも彼らのところにはもう行かなくてもいいとも言われた。
これだけ多くの人間が知れば、彼らももう派手には動けない。ここから逃げ続けてもいいと。
しかし、逃げられない弊害が生まれた。
それは、谷さんだ。
谷さんは何も関係ない。
こういった作戦にでるまで、第三者のことなど全く考えていなかったのだ。
しかし、あの放送についてまず怪しまれるのは担当部員である谷さんだということを失念していた。
谷さんはあの放送の後、すぐに職員室に呼ばれ、金城たちと教師陣による事情聴取を受けた。
冴子さんは責任を感じ、その一部始終を見ていたそうで、その時、教師陣からあの動画に関与しているのかと問われ、何故か谷さんは認めたのである。
あの音声は自分が撮り、自分が流したと言ったそうだ。
冴子さんもパニックになっていたが、僕もこんな状況になるとは思いもしなかった。
なんでそんなことを言ったのか。
あれは冴子さんが流した音声なのに。
彼女が何を考えて、そんなことを言ったのか全くわからない。
彼女は無罪であり、無関係だ。
このことを知った金城は谷さんに対しても苛立ちを募らせ、もしかすると彼女に危害を加える可能性もある。
僕は放課後、彼に会って誤解を解かなければならない。
これは完璧に僕の落ち度だ。
冴子さんの案に全て任せて、考える事を放棄していた。
そうして、全てが無駄だった時にどこかで自分の責任を無くそうとしていた。
仮に谷さんが虚言を言わなかったとしても、担当部員に迷惑はかかっていた。
これは、この作戦を行った僕の贖罪でもある。
僕はこうして震える手をさすり放課後、いつもの場所へと向かった。
そこには谷さんと、金城たちがいた。
何故、ここに谷さんがいるのか。
考えるまでもなく、金城に呼び出されていたのだろう。
完璧に谷さんが僕に味方して、二人で今回の件について図ったと思われているのまろう。
そして、谷さんは金城たちとなにやら言い争っていた。
「もう、橘くんをいじめるのはやめください。それを約束してくれるならあの動画も消します。」
「おいおい。女だからってあんま調子乗んなよ。昼のことについてはどうすんだ?お前、俺らに物を言える立場かよ。おい!」
金城の怒号が飛ぶ。
それに反応して、谷さんの肩がびくっと震えた。
それは怖いだろう。あんな男たちに囲まれたら。僕だって震えている。
なんで来てしまったんだろう谷さんは。
逃げたらいいのに。なんで…………。
「あんまり、でかい声だすなよ洋ちゃん。俺ら明日も呼び出し受けてんだしよ。まあ、でもこの女が橘とつるんでこんなことしてたなんてな。これはどう落とし前つけるんだ?」
「そうだな。まあ、顔もまぁまぁ可愛いし、一回で許してやるよ。これから付き合え。橘も呼んでることだし、目の前でってのも燃えるだろ?」
「馬鹿な事を言わないでください!あの動画は私が持っています。お願いしますから橘君から手を引いてください。」
谷さんは震えながらも涙目に訴える。
対する僕はただここで怯えながら、あそこに出られずにおどおどと様子を伺っている。
このままでいいはずがない。
でも怖い。
たまらなく怖い。
何が誤解を解くだ。怖くて全く体が動かない。
彼らの怒鳴り声を聞くと体が拒否反応を示し、震えと吐き気がする。
蹴られていない腹が痛む。
僕は未だ動き出せず固唾を飲んで見守る。
そんな自分に腹が立ち、情けなさで泣きたくなる。
「じゃあさ。橘の馬鹿から手を引くから、お前が俺らと遊ぶか?それでもいいぜ。俺らは。なあ?」
「そうだな。こんな女。橘にはもったいねえしな。ほら、なら今からやるか?もう誰も残ってないだろうしな。」
そういうと、金城は谷さんの手首を強引につかみ、抑え込もうとする。
その時、彼女の眼鏡が落ちて割れた。
だがしかし、金城は全く気にせず、その腕を離そうとはしない。
谷さんはもう言葉を発することもできず、ただ金城の猛攻を耐え忍ぶ。
その光景は見るに堪えないもので、胸が痛む。
彼女の悲痛な顔とその非力さに目を逸らしてしまいそうになる。いとも簡単に倒れこむ二人の人間。
それを笑いながら見る人間たちのなんと醜くいことか。なにより、この状況で、僕は代わりの人間ができたことに少しの安堵感が心に生まれた。
こんな自分が一番醜い。汚らわしくも、意地汚い本性がどろどろと蠢き、露呈する。
僕は泣きそうな顔に震えた体をひきずってでもあそこに行くべきじゃないのか?
僕をかばってくれている彼女を助けるべきじゃないのか?
何故にここで怖気づいて、身を震わせているのか。
そんなに殴られるのが嫌か?
そんなに金をとられるのが嫌か?
そんなに自尊心を傷つけられるのが嫌か?
そんなに自分が大切か?
僕は死ぬといいながら、未だ自分が可愛いのか?
彼女は押し倒され、もう恐怖から声を発することも出来ないのか、過呼吸気味に息も絶え絶えに反抗している。
僕はそんな彼女の顔を見た。
それは、一瞬、冴子さんに見えた。
その顔は冴子さんが苦しんでいる顔に見えたのだ。
確かに似ている部分はあるが全く別の人間である。
しかし、僕は谷さんの顔が冴子さんとダブって見えたとき、その場を駆け出していた。
何故か、頭に切れた音が聞こえた。
自分の心を蝕んでいた恐怖が、一気に真っ白になり、そこからはただ体が動いていた。
恐怖を怒りが上回ったのかどうかは分からない。
しかし、何も考えられない程、彼が憎い。
それは、今までの殴られることや金品を取られること、自分を踏みにじられることなど比ではない程の怒りだった。
そして、谷さんに覆いかぶさる金城の顔面を思い切り蹴り上げた。
谷さんは服は乱れているが、かろうじてどこにもケガはない。
金城はまだ状況が飲み込めていないのか、何が起こったのか分からないといった顔で狼狽し、未だ立ち上がってこない。
僕も自分が何をしているか理解できていない。
それでも、体は正直に動いた。
僕は谷さんに手を差し出そうとした。
その時、後ろから後頭部を他の取り巻きに思い切り殴られた。
急な痛みが頭を襲う。
僕が地に膝をつき、痛みに耐えている間に金城が起き上がってきた。
彼は口の端が切れて血が滲んでいたが、それを舐めるとこちらを睨みつける。
そして、眉間にしわをよせ、なにやら叫びながら、僕の頬を蹴り上げた。喧嘩経験の少ない僕はその蹴りを躱せるわけもなく、また地に伏した。
そこから、また取り巻き立ちに腹を蹴られる。
僕の口から息が漏れる。
「ふざけたことしてんじゃねぇぞ!殺してやる!お前殺してやるからな!!」
金城が僕の腕を踏みつけ、馬乗りになり、顔を殴りかかってきた。
その時、僕にもう恐怖心はなく。
彼らに対する怒りしかないがどうにも体は動かずただただ殴られ、うめき声だけが漏れる。
それは、この現実の不条理に対するなんとも言い難い思い。
ここまで、きてどうすることも出来ないのか?
泣き寝入りして、ただ終わりを待つのか?
しかし、ここで寝てはいられない。いつもとは違う。
もう僕一人の問題ではなくなった。谷さんがいる。
僕がここで打ちのめされれば、彼女がやられる。
僕は奮起し、またも彼を睨みつけると、息を吸い拳に力を入れ、思い切り金城を殴りつける。
しかし、彼の猛攻は止まらない。口も目の端も切れ、血が飛び散る。
もう駄目なのか?
徐々に意識が落ちていく。
微睡みの中、谷さんの泣き顔が消えていく。黒く落ちていく。
僕は黒に落ちた。
深く沈んでいく感覚が続く。
そんな中、それは一瞬の出来事だった。
視界が一度暗転した時には、目の前に金城が倒れており、他の取り巻きたちは唖然とその状況を見ていた。
僕は意識が朧げになりながらも、何故か倒れた金城に乗りかかり、彼の顔面を殴り続ける。
それも同じ箇所を寸分違わず殴り続ける。
僕に意識はない。目の前の光景は僕の意図したことではない。
しかし、僕は殴る動作を辞めない。
これでは、まるで誰かに体を操られているようではないか?
いや、これは違う。
これは、冴子さんだ。
冴子さんが僕に入ってきたのだ。
(あまりにもやられてたから見ていられなくってね。)
(そっか。ごめんね。)
(まあ、いいから。ちょっと休んでたらいいわ。後は私がやってあげる。)
冴子さんの心の声がすっと溶けていく。
僕はその声を聞き、すべてを冴子さんに明け渡した。
冴子さんは金城の顔を間髪入れずに殴っていく。
取り巻きたちは事態の悪化に戸惑っていたが、気を持ち直したのか威勢良くこちらに向かってくる。
しかし、その瞬間、冴子さんは倒れている金城の髪をひっぱり、彼の目に指を当てる。
「これ以上、近づくならこの子の目を突く。どうする?」
その言葉に一同はそこに立ち止まり、息をのむ。
明らかにこの男はいつも虐めていた男とは違う。
その所作に美しさをはらみ、言葉に重みを感じる。そして、この男は躊躇なく目を突くだろうと何故か想像できてしまう。そういった迫力がある。
「おい!やめろ。」
動揺した取り巻きの一人が叫ぶが、冴子さんはゆっくりと彼の眼に指を近づける。
「分かった。分かったから。落ち着け。」
「私は落ち着いている。とりあえず、もう金輪際、私に関わるな。それでこの話は終わりだ。」
「分かった。分かったから。」
彼らはそう言うと、こちらに降参の意をしますためか、地に膝をつく。
そして、僕の中から何かが抜け出る感覚が襲う。
それは、彼女が僕の中から出ていったことを意味していた。
僕は胡乱気な瞳で、横に倒れている彼を見る。その時、飛来したのはわずかな怒りと、この状況に対する不満である。
彼に殴られた鼻やら目の端から血が出ており、気が落ち着いてくるとその傷が痛む。しかし、僕は何も彼に出来ていない。
やったのは冴子さんだ。
僕は思ったのだ。
何もできていないではないかと。
これでは、何かが腑に落ちない。
そう思ったとき、僕はおもむろに横に寝ている金城の腹を蹴り上げ、踏みつけた。
「え…………。ちょっと。まだやるの?」
冴子さんはドン引きしたような顔でこちらを見ており、取り巻きももうやめてくれ!と叫ぶ中蹴り続けていると、いつのまにか教師陣に取り押さえられていた。
彼らも教師陣に取り押さえられ、そのまま皆、生徒指導室に連れていかれた。
どうやら、隙を見て逃げ出した谷さんが教師を呼んできたようだった。
こうして、この事件は幕を下ろした。
その後、彼らは3カ月の停学、僕と谷さんも放送などの悪用にて風紀を乱したことで1週間の停学をくらった。
帰り際、谷さんにどうして嘘の証言をしたのか言及すると、予想外の返事が返ってきた。
「私、知っていたの。橘君があの人たちにいじめられていたこと。でも怖くて見て見ぬふりをしていた。私には関係ないことなんだって。でも、橘君が図書館にきて、話してみて、そこから罪悪感が生まれた。私の知っている人がいじめられているんだって。なんで止めないの?って」
「そっか。」
「うん。でもごめんね。逆に迷惑かけちゃったね。」
「いや。それは違う。谷さんが僕のために彼らに頼んでくれたことは嬉しかった。本当は僕もすごく怖くて、震えてたし。本当にありがとう。」
「そうなんだ。ならよかったよ。」
谷さんは笑っていた。
谷さんの制服はとこどこと破けていたが、目立った外傷もなかった。
しかし、相当怖かったに違いない。
本当は怖かったのに、僕のために立ち上がってくれたのだ。
僕は彼女に本当に感謝しており、今日ずっと泣き顔しか見せていなかった彼女が少し微笑むと安心した。
僕は鼻の骨にひびが入っており、目の上も腫れていたが一週間もすれば治るだろう。
一週間の療養期間、停学期間は思ったよりも短く、僕は学校に復帰後、すぐさま彼女のもとを訪れた。
「久しぶりね。けがの具合はどう?」
「まだちょっと鼻がいたむかな。まあ、一カ月もすれば治るだろうけど。」
「そっか。」
冴子さんはどこ吹く風とまた外を見ていた。
彼女のおかげですべてが終わった。
僕は今日、感謝の意を伝えに来たのだ。
「冴子さん。あのとき、ありがとう。」
「ああ。あれね。亮介が負けそうだったから、なんとかしないとって念じてたら入り込めたのよ。幽霊として一段階グレードアップしたわ。」
「はあ。なるほど。」
この人はまたおかしなことを言っているが、そういう訳の分からなさも彼女なのかなと変に納得してしまう。
「いや、それもだけど。今までのことも。」
「別にいいのよ。暇つぶしには最適だったし。」
「そっか。ならよかった。」
「そう。よかったのよ。お姉ちゃんのお孫さんに迷惑かけちゃったのは間違いだったけれども。」
「まあ、谷さん本人も納得していたし、僕も謝りにいったし全部終わったことだよ。」
「そうなのね。じゃあ、終わったことだし、また漫画でも読みましょうか。」
「そういうと思って、また漫画持ってきたよ。」
最後尾の窓は開かれており、秋の肌寒い風が教室に吹きすさぶ。
彼女の髪が風に弄ばれ、その様はさぞかし美しんだろうなと想像する。彼女の髪が日の光を浴びて艶やかに光るさまは確かに美しかったのだ。
僕は透けてしまった彼女を見て、惜しいことをしたと少し落ち込む。
透けた彼女の向こうに秋の空が広がっている。
それが少し物悲しく思えて、目をつむる。
もうあの彼女を見ることは叶わないのだと実感すると、漫画を読みながら笑う彼女を見て、まあこんな毎日も良いなと僕も笑ってしまう。
その時、傷ついた鼻が少し痛んだ。
放送部は約半月に渡り放送を休止になり、彼らはあの音声のことで職員室に呼び出され、5限目終わりになってやっと帰ってきた。
彼らは虫の居所が悪いらしく、椅子を蹴り上げ、周囲の嫌な視線にまた苛立ちを募らせた。
また、金城は今にも飛びかからんばかりの勢いでこちらを睨みつけてくる。
そして、すれ違い様、僕に放課後、来るように言ってきた。
相当に怒気のこもったその声に僕は腹のそこから震えが来たが、冴子さんの顔を思い出すと少し落ち着いた。
しかし、その視線は僕から外れ次に別の人間に移る。
僕は放課後など来なければいいと思いながらも待った。
冴子さんにも彼らのところにはもう行かなくてもいいとも言われた。
これだけ多くの人間が知れば、彼らももう派手には動けない。ここから逃げ続けてもいいと。
しかし、逃げられない弊害が生まれた。
それは、谷さんだ。
谷さんは何も関係ない。
こういった作戦にでるまで、第三者のことなど全く考えていなかったのだ。
しかし、あの放送についてまず怪しまれるのは担当部員である谷さんだということを失念していた。
谷さんはあの放送の後、すぐに職員室に呼ばれ、金城たちと教師陣による事情聴取を受けた。
冴子さんは責任を感じ、その一部始終を見ていたそうで、その時、教師陣からあの動画に関与しているのかと問われ、何故か谷さんは認めたのである。
あの音声は自分が撮り、自分が流したと言ったそうだ。
冴子さんもパニックになっていたが、僕もこんな状況になるとは思いもしなかった。
なんでそんなことを言ったのか。
あれは冴子さんが流した音声なのに。
彼女が何を考えて、そんなことを言ったのか全くわからない。
彼女は無罪であり、無関係だ。
このことを知った金城は谷さんに対しても苛立ちを募らせ、もしかすると彼女に危害を加える可能性もある。
僕は放課後、彼に会って誤解を解かなければならない。
これは完璧に僕の落ち度だ。
冴子さんの案に全て任せて、考える事を放棄していた。
そうして、全てが無駄だった時にどこかで自分の責任を無くそうとしていた。
仮に谷さんが虚言を言わなかったとしても、担当部員に迷惑はかかっていた。
これは、この作戦を行った僕の贖罪でもある。
僕はこうして震える手をさすり放課後、いつもの場所へと向かった。
そこには谷さんと、金城たちがいた。
何故、ここに谷さんがいるのか。
考えるまでもなく、金城に呼び出されていたのだろう。
完璧に谷さんが僕に味方して、二人で今回の件について図ったと思われているのまろう。
そして、谷さんは金城たちとなにやら言い争っていた。
「もう、橘くんをいじめるのはやめください。それを約束してくれるならあの動画も消します。」
「おいおい。女だからってあんま調子乗んなよ。昼のことについてはどうすんだ?お前、俺らに物を言える立場かよ。おい!」
金城の怒号が飛ぶ。
それに反応して、谷さんの肩がびくっと震えた。
それは怖いだろう。あんな男たちに囲まれたら。僕だって震えている。
なんで来てしまったんだろう谷さんは。
逃げたらいいのに。なんで…………。
「あんまり、でかい声だすなよ洋ちゃん。俺ら明日も呼び出し受けてんだしよ。まあ、でもこの女が橘とつるんでこんなことしてたなんてな。これはどう落とし前つけるんだ?」
「そうだな。まあ、顔もまぁまぁ可愛いし、一回で許してやるよ。これから付き合え。橘も呼んでることだし、目の前でってのも燃えるだろ?」
「馬鹿な事を言わないでください!あの動画は私が持っています。お願いしますから橘君から手を引いてください。」
谷さんは震えながらも涙目に訴える。
対する僕はただここで怯えながら、あそこに出られずにおどおどと様子を伺っている。
このままでいいはずがない。
でも怖い。
たまらなく怖い。
何が誤解を解くだ。怖くて全く体が動かない。
彼らの怒鳴り声を聞くと体が拒否反応を示し、震えと吐き気がする。
蹴られていない腹が痛む。
僕は未だ動き出せず固唾を飲んで見守る。
そんな自分に腹が立ち、情けなさで泣きたくなる。
「じゃあさ。橘の馬鹿から手を引くから、お前が俺らと遊ぶか?それでもいいぜ。俺らは。なあ?」
「そうだな。こんな女。橘にはもったいねえしな。ほら、なら今からやるか?もう誰も残ってないだろうしな。」
そういうと、金城は谷さんの手首を強引につかみ、抑え込もうとする。
その時、彼女の眼鏡が落ちて割れた。
だがしかし、金城は全く気にせず、その腕を離そうとはしない。
谷さんはもう言葉を発することもできず、ただ金城の猛攻を耐え忍ぶ。
その光景は見るに堪えないもので、胸が痛む。
彼女の悲痛な顔とその非力さに目を逸らしてしまいそうになる。いとも簡単に倒れこむ二人の人間。
それを笑いながら見る人間たちのなんと醜くいことか。なにより、この状況で、僕は代わりの人間ができたことに少しの安堵感が心に生まれた。
こんな自分が一番醜い。汚らわしくも、意地汚い本性がどろどろと蠢き、露呈する。
僕は泣きそうな顔に震えた体をひきずってでもあそこに行くべきじゃないのか?
僕をかばってくれている彼女を助けるべきじゃないのか?
何故にここで怖気づいて、身を震わせているのか。
そんなに殴られるのが嫌か?
そんなに金をとられるのが嫌か?
そんなに自尊心を傷つけられるのが嫌か?
そんなに自分が大切か?
僕は死ぬといいながら、未だ自分が可愛いのか?
彼女は押し倒され、もう恐怖から声を発することも出来ないのか、過呼吸気味に息も絶え絶えに反抗している。
僕はそんな彼女の顔を見た。
それは、一瞬、冴子さんに見えた。
その顔は冴子さんが苦しんでいる顔に見えたのだ。
確かに似ている部分はあるが全く別の人間である。
しかし、僕は谷さんの顔が冴子さんとダブって見えたとき、その場を駆け出していた。
何故か、頭に切れた音が聞こえた。
自分の心を蝕んでいた恐怖が、一気に真っ白になり、そこからはただ体が動いていた。
恐怖を怒りが上回ったのかどうかは分からない。
しかし、何も考えられない程、彼が憎い。
それは、今までの殴られることや金品を取られること、自分を踏みにじられることなど比ではない程の怒りだった。
そして、谷さんに覆いかぶさる金城の顔面を思い切り蹴り上げた。
谷さんは服は乱れているが、かろうじてどこにもケガはない。
金城はまだ状況が飲み込めていないのか、何が起こったのか分からないといった顔で狼狽し、未だ立ち上がってこない。
僕も自分が何をしているか理解できていない。
それでも、体は正直に動いた。
僕は谷さんに手を差し出そうとした。
その時、後ろから後頭部を他の取り巻きに思い切り殴られた。
急な痛みが頭を襲う。
僕が地に膝をつき、痛みに耐えている間に金城が起き上がってきた。
彼は口の端が切れて血が滲んでいたが、それを舐めるとこちらを睨みつける。
そして、眉間にしわをよせ、なにやら叫びながら、僕の頬を蹴り上げた。喧嘩経験の少ない僕はその蹴りを躱せるわけもなく、また地に伏した。
そこから、また取り巻き立ちに腹を蹴られる。
僕の口から息が漏れる。
「ふざけたことしてんじゃねぇぞ!殺してやる!お前殺してやるからな!!」
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その時、僕にもう恐怖心はなく。
彼らに対する怒りしかないがどうにも体は動かずただただ殴られ、うめき声だけが漏れる。
それは、この現実の不条理に対するなんとも言い難い思い。
ここまで、きてどうすることも出来ないのか?
泣き寝入りして、ただ終わりを待つのか?
しかし、ここで寝てはいられない。いつもとは違う。
もう僕一人の問題ではなくなった。谷さんがいる。
僕がここで打ちのめされれば、彼女がやられる。
僕は奮起し、またも彼を睨みつけると、息を吸い拳に力を入れ、思い切り金城を殴りつける。
しかし、彼の猛攻は止まらない。口も目の端も切れ、血が飛び散る。
もう駄目なのか?
徐々に意識が落ちていく。
微睡みの中、谷さんの泣き顔が消えていく。黒く落ちていく。
僕は黒に落ちた。
深く沈んでいく感覚が続く。
そんな中、それは一瞬の出来事だった。
視界が一度暗転した時には、目の前に金城が倒れており、他の取り巻きたちは唖然とその状況を見ていた。
僕は意識が朧げになりながらも、何故か倒れた金城に乗りかかり、彼の顔面を殴り続ける。
それも同じ箇所を寸分違わず殴り続ける。
僕に意識はない。目の前の光景は僕の意図したことではない。
しかし、僕は殴る動作を辞めない。
これでは、まるで誰かに体を操られているようではないか?
いや、これは違う。
これは、冴子さんだ。
冴子さんが僕に入ってきたのだ。
(あまりにもやられてたから見ていられなくってね。)
(そっか。ごめんね。)
(まあ、いいから。ちょっと休んでたらいいわ。後は私がやってあげる。)
冴子さんの心の声がすっと溶けていく。
僕はその声を聞き、すべてを冴子さんに明け渡した。
冴子さんは金城の顔を間髪入れずに殴っていく。
取り巻きたちは事態の悪化に戸惑っていたが、気を持ち直したのか威勢良くこちらに向かってくる。
しかし、その瞬間、冴子さんは倒れている金城の髪をひっぱり、彼の目に指を当てる。
「これ以上、近づくならこの子の目を突く。どうする?」
その言葉に一同はそこに立ち止まり、息をのむ。
明らかにこの男はいつも虐めていた男とは違う。
その所作に美しさをはらみ、言葉に重みを感じる。そして、この男は躊躇なく目を突くだろうと何故か想像できてしまう。そういった迫力がある。
「おい!やめろ。」
動揺した取り巻きの一人が叫ぶが、冴子さんはゆっくりと彼の眼に指を近づける。
「分かった。分かったから。落ち着け。」
「私は落ち着いている。とりあえず、もう金輪際、私に関わるな。それでこの話は終わりだ。」
「分かった。分かったから。」
彼らはそう言うと、こちらに降参の意をしますためか、地に膝をつく。
そして、僕の中から何かが抜け出る感覚が襲う。
それは、彼女が僕の中から出ていったことを意味していた。
僕は胡乱気な瞳で、横に倒れている彼を見る。その時、飛来したのはわずかな怒りと、この状況に対する不満である。
彼に殴られた鼻やら目の端から血が出ており、気が落ち着いてくるとその傷が痛む。しかし、僕は何も彼に出来ていない。
やったのは冴子さんだ。
僕は思ったのだ。
何もできていないではないかと。
これでは、何かが腑に落ちない。
そう思ったとき、僕はおもむろに横に寝ている金城の腹を蹴り上げ、踏みつけた。
「え…………。ちょっと。まだやるの?」
冴子さんはドン引きしたような顔でこちらを見ており、取り巻きももうやめてくれ!と叫ぶ中蹴り続けていると、いつのまにか教師陣に取り押さえられていた。
彼らも教師陣に取り押さえられ、そのまま皆、生徒指導室に連れていかれた。
どうやら、隙を見て逃げ出した谷さんが教師を呼んできたようだった。
こうして、この事件は幕を下ろした。
その後、彼らは3カ月の停学、僕と谷さんも放送などの悪用にて風紀を乱したことで1週間の停学をくらった。
帰り際、谷さんにどうして嘘の証言をしたのか言及すると、予想外の返事が返ってきた。
「私、知っていたの。橘君があの人たちにいじめられていたこと。でも怖くて見て見ぬふりをしていた。私には関係ないことなんだって。でも、橘君が図書館にきて、話してみて、そこから罪悪感が生まれた。私の知っている人がいじめられているんだって。なんで止めないの?って」
「そっか。」
「うん。でもごめんね。逆に迷惑かけちゃったね。」
「いや。それは違う。谷さんが僕のために彼らに頼んでくれたことは嬉しかった。本当は僕もすごく怖くて、震えてたし。本当にありがとう。」
「そうなんだ。ならよかったよ。」
谷さんは笑っていた。
谷さんの制服はとこどこと破けていたが、目立った外傷もなかった。
しかし、相当怖かったに違いない。
本当は怖かったのに、僕のために立ち上がってくれたのだ。
僕は彼女に本当に感謝しており、今日ずっと泣き顔しか見せていなかった彼女が少し微笑むと安心した。
僕は鼻の骨にひびが入っており、目の上も腫れていたが一週間もすれば治るだろう。
一週間の療養期間、停学期間は思ったよりも短く、僕は学校に復帰後、すぐさま彼女のもとを訪れた。
「久しぶりね。けがの具合はどう?」
「まだちょっと鼻がいたむかな。まあ、一カ月もすれば治るだろうけど。」
「そっか。」
冴子さんはどこ吹く風とまた外を見ていた。
彼女のおかげですべてが終わった。
僕は今日、感謝の意を伝えに来たのだ。
「冴子さん。あのとき、ありがとう。」
「ああ。あれね。亮介が負けそうだったから、なんとかしないとって念じてたら入り込めたのよ。幽霊として一段階グレードアップしたわ。」
「はあ。なるほど。」
この人はまたおかしなことを言っているが、そういう訳の分からなさも彼女なのかなと変に納得してしまう。
「いや、それもだけど。今までのことも。」
「別にいいのよ。暇つぶしには最適だったし。」
「そっか。ならよかった。」
「そう。よかったのよ。お姉ちゃんのお孫さんに迷惑かけちゃったのは間違いだったけれども。」
「まあ、谷さん本人も納得していたし、僕も謝りにいったし全部終わったことだよ。」
「そうなのね。じゃあ、終わったことだし、また漫画でも読みましょうか。」
「そういうと思って、また漫画持ってきたよ。」
最後尾の窓は開かれており、秋の肌寒い風が教室に吹きすさぶ。
彼女の髪が風に弄ばれ、その様はさぞかし美しんだろうなと想像する。彼女の髪が日の光を浴びて艶やかに光るさまは確かに美しかったのだ。
僕は透けてしまった彼女を見て、惜しいことをしたと少し落ち込む。
透けた彼女の向こうに秋の空が広がっている。
それが少し物悲しく思えて、目をつむる。
もうあの彼女を見ることは叶わないのだと実感すると、漫画を読みながら笑う彼女を見て、まあこんな毎日も良いなと僕も笑ってしまう。
その時、傷ついた鼻が少し痛んだ。
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