上 下
38 / 43

第38話

しおりを挟む
あの日の事柄が禍根を残し、あいつが仕返しにくることは容易に想像できる。
しかしながら、あいつに対する憎しみが晴れたとは言えない。

自分という人間は、友を殴られ、家族を奪われれば何発殴ろうとも心のしこりは取れない人間らしい。

当たり前だがそうなのだ。

それは世間一般の感覚に近いようだが、どこか空虚な心は憂鬱になる。まぁ、世間一般の人間が皆、自分と同じような境遇ならば、世間がおかしいのだが。

数日後に漆原も隣の病院に行ったそうだ。それは最近、名前を覚えた片山君を締め上げれば、すぐに吐いた。

事の真相を桔梗に言えば、複雑な心境なのか、苦悶の表情で話を聞いており、そうして、深く頷いて、まず俺の身を案じた。そうして、俺の安否が確認できると、その日はお開きとなった。

未だ、桔梗は殺人犯が漆原だと知らない。

それを彼女に言ったところで困惑するだけだろう。知らぬが仏である。

 

 

 

橘が退院する日は春の陽気に包まれていて、桜が咲き誇り、世界が一新されたような気持ちになったが、そんなことはなく、俺の話を聞いた橘は沈んだ表情で桜を見ていた。

「俺がまた余計な気をまわしたからか………」

橘は悲痛な表情でそんなことを呟く。

「また?」

「昔………友達が他クラスにいて。それでイジメにあっていたんだ。俺はその虐めてる奴らを注意したんだが、逆上したそいつらとひと悶着あって。それで、最終的にそいつらの矛先は俺じゃなくてその友達のところに向いた。今までよりも、いじめは酷くなって、俺が守ってやれない状況で、凄惨な事件が起きた。俺は………また同じようなことをしたんだな」

それは自分を殴り倒した漆原を想った言葉であり、この状況を憂いて言った彼の本音であろう。

「そうか………同じようなことね………はは」

俺はそう呟いて、彼の言葉を反芻し、乾いた笑いが生まれた。

「いや。美月が悪いと言ってるんじゃない。俺は結局、その程度の男なんだと思っただけだ」

橘も俺につられて、少し笑ったが、最後には寂しそうに俯いた。

俺は何を言えばいいのか、彼よりも長く生きているくせに言葉は見つからなかった。

 

 

 

4月が終わろうかと、季節が揺れ動き、俺は高校三年生になり、受験期へと入った。

漆原が退学になったことは、やはり片山君から聞いた。

そうして、逆に退学になったことはあいつが時間を持て余している状況であり、危機感を持っていた。

あの時から漆原がいつ殺しに来るか分からない状況に嫌気が指す。

いつあいつがとち狂って桔梗を殺しに来るか分からない。思えば、あいつは俺に勝てないことを分かっていた。

だから今回も片山やらとつるんで自分を自衛していたし、未来でも俺のいない隙に桔梗を狙った。姑息で狭量な奴らしい、卑屈な手段である。

そんな人間がいるならば、いっそのことこの手で先に殺してしまおうかとも思うが、それでは意味がない。

それではミイラ取りがミイラになる。

どうにも打開の策は思い浮かばない。

なら、もう逃げるしかない。ああ。もう逃げるくらいですべての方がつくなら安いもんだ。

俺は桔梗を放課後、呼び出し、大学に進学すると同時にこの町を出ることを話した。

「………やっぱり美月君もそう思いますか?」

「ああ。こんな町に愛着もないしな。あの通り魔がいつ殺しに来るか分かったものじゃない。過去と今では異なる道を進んでいるわけだしな」

「でも、橘くんとか小西君。友達もいますよね?」

「ああ。それも新しい街で新しい友達も出来るだろ」

俺は吐き捨てるように言う。それに、彼女は一瞬、眉を顰めた。しかし、それも俺の所為ではない。この不可思議な状況が生み出した単なる気の迷いだ。

「そうですね………」

桔梗の顔に翳がかかる。彼女が提案したことに俺が素直に乗ることに、何か懸念すべき点でもあるのだろうか?

「なんだ?」

「え?」

「いや。なんか嫌そうじゃないか?」

「嫌ってわけじゃないんです。………でも、今の美月君はどこか投げやりな気持ちになってるから」

言いづらそうに言葉を呟いて、軽く咳ばらいをする。

何を言ってるんだろう?

そう、疑問に思った。どう考えようとも、あいつの狂気から逃げるならばそれが一番いいし、俺も桔梗も頭は良い方だし、余裕で他県の大学にいくことも出来る。

そうして、そこで新しい生活を始めるだけだ。

今と大して変わらない。

「だから?………じゃあ、逆にあの殺人鬼から逃げる方法があるのか?」

「…いえ。分からないです。確かに具体的な対策が練れる事案とも思えないです」

「じゃあ。なんだ?何が不満だ?」

俺の語気が強まるたびに彼女の睫毛は揺れていた。俺はそれを見ながら、早く同意しろと感情が先走っていた。

あんな姑息な人間から逃げ続ける卑屈な日々に嫌気が指し、何を置いても彼女との平穏を願っている。それが伝わらない怒りと、自分への不甲斐なさ。

最善手だと思っていた手が、発案者から言外に否定されているような気がして、気が滅入る。鬱陶しさすら感じる。

あの彼女に対してである。

しかし、俺の理性は消え去った。橘も桔梗も俺に何を求めているのか?と憤懣やるかたないとすべてを無下にしてしまう。

「美月君。私は美月君のことが好きですよ?」

彼女のか細い声が鼓膜を揺さぶる。

急な話題の転換に当惑する。こいつは何を言っているのか?という疑問は、なんとも言えぬ熱を帯びて、そうして消沈した。

空を見上げ、昔のように息を吐く。

白く濾した空気を吐くのだ。そう透明であるが、どこか濁ってしまった色だ。

俺が手を伸ばし、彼女の肩に手をやり、顔を近づける。

キスは何度もした。しかし、今日は熱を帯びなかった。何故だろう?
空気中に霧散する感情はどこか卑しく、嫌らしい。

「なぁ、これは問答するようなものでもないだろ?一緒の大学に行きたいだろ?」

彼女は乾いた唇を噛んで、こちらを見ていた。

まるで殺人鬼を見るような目でこちらを見ていた。それが非常に腹立たしく、しかしそんな感情もどうせすぐに治まる。

どうでもいい。

「美月くんは………どうして。………いいえ。どうして私といたいんですか?」

またよく分からぬ質問に、こちらは苛立ちが募る。

「桔梗は何が言いたいんだ!?」

「いえ………でも。多分。あの日の朝もこういう感じだったのかもしれませんね」

「どういう意味だ?」

俺はそこで彼女が泣いていることに初めて気がついた。彼女が何を求めていたのか。馬鹿な俺はまた間違えて、またどこか虚しさだけが胸を衝く。

そうして、彼女のその言葉が引き金になり、どこか面倒だ。この状況から逃げたいと心が身体から離れていくような感覚に陥る。

「美月くん。少し距離を置きませんか?」

「え?」

「今の私たちでは多分、最寄りの駅も越えられませんよ」

桔梗はそんな安っぽい言葉を残し、俺のもとを去った。

俺は一人、残って徐々に気が晴れていくのを感じていた。

 
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~

恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」 そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。 私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。 葵は私のことを本当はどう思ってるの? 私は葵のことをどう思ってるの? 意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。 こうなったら確かめなくちゃ! 葵の気持ちも、自分の気持ちも! だけど甘い誘惑が多すぎて―― ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

全力でおせっかいさせていただきます。―私はツンで美形な先輩の食事係―

入海月子
青春
佐伯優は高校1年生。カメラが趣味。ある日、高校の屋上で出会った超美形の先輩、久住遥斗にモデルになってもらうかわりに、彼の昼食を用意する約束をした。 遥斗はなぜか学校に住みついていて、衣食は女生徒からもらったものでまかなっていた。その報酬とは遥斗に抱いてもらえるというもの。 本当なの?遥斗が気になって仕方ない優は――。 優が薄幸の遥斗を笑顔にしようと頑張る話です。

僕が美少女になったせいで幼馴染が百合に目覚めた

楠富 つかさ
恋愛
ある朝、目覚めたら女の子になっていた主人公と主人公に恋をしていたが、女の子になって主人公を見て百合に目覚めたヒロインのドタバタした日常。 この作品はハーメルン様でも掲載しています。

小さなことから〜露出〜えみ〜

サイコロ
恋愛
私の露出… 毎日更新していこうと思います よろしくおねがいします 感想等お待ちしております 取り入れて欲しい内容なども 書いてくださいね よりみなさんにお近く 考えやすく

元おっさんの俺、公爵家嫡男に転生~普通にしてるだけなのに、次々と問題が降りかかってくる~

おとら@ 書籍発売中
ファンタジー
アルカディア王国の公爵家嫡男であるアレク(十六歳)はある日突然、前触れもなく前世の記憶を蘇らせる。 どうやら、それまでの自分はグータラ生活を送っていて、ろくでもない評判のようだ。 そんな中、アラフォー社畜だった前世の記憶が蘇り混乱しつつも、今の生活に慣れようとするが……。 その行動は以前とは違く見え、色々と勘違いをされる羽目に。 その結果、様々な女性に迫られることになる。 元婚約者にしてツンデレ王女、専属メイドのお調子者エルフ、決闘を仕掛けてくるクーデレ竜人姫、世話をすることなったドジっ子犬耳娘など……。 「ハーレムは嫌だァァァァ! どうしてこうなった!?」 今日も、そんな彼の悲鳴が響き渡る。

病気になって芸能界から消えたアイドル。退院し、復学先の高校には昔の仕事仲間が居たけれど、彼女は俺だと気付かない

月島日向
ライト文芸
俺、日生遼、本名、竹中祐は2年前に病に倒れた。 人気絶頂だった『Cherry’s』のリーダーをやめた。 2年間の闘病生活に一区切りし、久しぶりに高校に通うことになった。けど、誰も俺の事を元アイドルだとは思わない。薬で細くなった手足。そんな細身の体にアンバランスなムーンフェイス(薬の副作用で顔だけが大きくなる事) 。 誰も俺に気付いてはくれない。そう。 2年間、連絡をくれ続け、俺が無視してきた彼女さえも。 もう、全部どうでもよく感じた。

処理中です...