記憶喪失をした俺は何故か優等生に恋をする

プーヤン

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第33話

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ただひたすらに足を前へと動かした。

走って、走って躓きそうになっても、踏ん張り走り続けた。まだ幼い娘にそれを強いることも仕方がなかった。

私がどうなっても良いからこの子だけは助けなければならない。その一心で、走り続けた。

街灯の明かりが視界から外れていく。

呼気が激しく乱れ、娘の鳴き声が耳朶を打つ。そうして、男の足音が徐々に近づいてくるのを感じながら、闇の中をただひたすら走り続けた。

私の叫びは闇夜に吸い込まれるようで、誰も助けには来ない。

何度、彼の名を呼んだか分からない。きっとこの窮地に現れて助けてくれると心の中で何度も願っていた。

 

 

 

昔から人付き合いが苦手だった。

それは学生時代からそうで、集団生活というものに慣れることはなかったし、無理に集団に溶け込もうと努めることもなかった。

そうして、社会人になってもそれは一貫して変わらず、大人になればこれが自分という人間だと諦めていた。

本やアニメといった自分の好きなものに囲まれていれば幸せを感じた。

そんな自分が一番苦手だったのが、会社での飲み会であった。部内の空気を呼んで、一応は参加するが、自分がいてはどこか空気が重くなるし、自分に話を振られても、ちゃんとその空気に合った答えを返せない。

そんな自分がいても意味がないと、一人黙して食事をすることが最善だと考えていた。

そんな中で、彼が話しかけてきた。

彼は私の下らない話に何故か耳を傾けてくれて、そうして、普通に言葉を返してきた。重たい空気にもならず、ほどほどに肩の力を抜いて話が出来たのだ。

その後、飲み会で彼が酔い潰れた頃には、皆、早々に帰宅しており、私は彼を仕方なく家へと連れて帰った。

いつもならば、知らぬ存ぜぬを貫いていただろうが、彼を置いて帰ることに申し訳なく思ったのだ。

そうして、趣味も受け入れて貰えて、私たちは付き合い始めた。私たちはどこも似てなかった。

彼は我が強く、自分が嫌なことは嫌だとはっきり言うし、私はその真逆の性格であった。彼はもう捨てるものなど何もないと、すべてを諦観の籠った目で見ていたが、それゆえ、どこか足取りは軽く、すべてを軽く受け止める余裕を持っていた。

雲のように軽く、飄々としている彼の生き方に私は惹かれていった。

しかし、いつからか彼は私との生活を重荷に感じるようになったのか、家を空けることが増えた。

それは仕方がないことであった。彼は元来、そういう人であるし、私も知っていて結婚したのだ。

しかし、その日はどうしても彼と一緒にいたかった。結婚記念日など彼はとうに忘れているのだろうが、その日だけは私と五月と、彼で祝いたかった。

彼が外に出ていくのを止めたが、彼はそのまま怒って家を出た。しかし、私はあきらめきれず、ケーキを買っておこうと考えたのだ。

こんな夜にはもうお菓子屋さんは閉まっているだろうが、五月が苺のショートケーキが食べたいというので、私は娘とコンビニへと足を延ばした。

その帰り際であった。

不意に男が近寄ってきて、聞いてきた。

「宮藤………いや、今は上原か?」

ゆらりゆらりと酔ったように揺れながら、聞きづらいこもった声音で、こちらに問う。

それに対し、私は身の危険を感じ、何も返事をせず立ち去ろうとしたとき、何かが光った。

街灯がソレに反射した光であった。

そうして、次に赤い鮮血が目に入ると、自分の腕が切られていることに気が付いた。息を飲んで、その場に倒れそうになるも、その瞬間、五月の震えた身体が目に映った。

そうして、何とか踏ん張って、五月の手を引き、逃げ出した。

男は刃先に赤くべっとりと血の付いた包丁を手に持って、追いかけてくる。目は血走っており、この光の少ない夜でも、狂気に満ちた瞳は闇夜に浮いて見えた。

走っても、走っても出口のない闇は、走っても走っても街灯の明かりだけが過ぎていく。

そうして、五月ももう限界に達した時、意を決して、振り向いた時にはすぐそこに男は立っており、私の腹部には柄が見えた。

男は低い笑い声を上げ、ナイフを私から引き抜く。
体力もすでに限界であったのか、私の体からは力が抜けて、地へと倒れこむ。もはや首を動かす力もない。それでも何とか娘だけは助けなければならない。

私は何とか手を動かし、男の足を掴んだ。

どうかこの子だけは助けてください。

どうかと何度も叫んだ。

美月の名を何度も叫んだ。

逃げてと何度も娘に叫んだ。

何度も、何度も願って、天を見た。どうか助けてと。しかし、無情にも、丸い月は光を私に届けるのみで、何も現実は変わらない。

弱まった私の手はすぐに払い抜けられ、男が娘の頭部に刃先を突き立てようとしているところで目は覚めた。

長い長い悪夢だった。

いや。違う。現実であった。

長い長い過去の記憶は徐々に混じり合って、さらに過去へと飛んでいく。私は気が付けば彼と海の傍に座っていた。

潮風の匂いと、波の音が聞こえる。

彼も目を覚ました。

そうして、お互いに目を合わせる。

そうして、お互いの眼から涙が溢れて、彼は優しく私の頭を抱いた。私は最後まで握っていた我が子の手の温もりを思い出し、彼の手を強く握り締めた。
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