寺生まれのTさん(♀)はやっぱり凄い

渡波みずき

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 父方の祖母が転倒して骨折した。両親が県内にある祖父母宅へ泊まりがけでお世話に行くと言うので、休みの日に運転手を引き受けた。国道134号を北上し、目指すは半島の付け根のあたりだ。

 助手席に座った母は嬉々として話しかけてくる。つい先日、寡黙なタツコさんを乗せたばかりだったので、対照的すぎてげんなりする。近ごろ少し耳の遠くなった父は、後部座席で腕組みをして窓の外を眺めるばかりで、母の話し相手はしてくれない。

「いま、市役所に勤めてるんでしょ? そのまま正規になれればいいね!」
「なれるワケないだろ。公務員にそういうルートはないの」
「ええー、あるでしょ、コネ採用とかあるんだから」

 いったいいつの時代の話をしているのか。公務員バッシングの激しいいまの時代にコネ採用なんてした日には、週刊誌にでも内部告発されて親戚ともども退職を余儀なくされるだろう。周囲の思っている以上に、多くの役所はホワイト企業だ。俺も組織に入ってみるまで信じられなかったから、母がこんなことを口にする気持ちはわからなくもない。

 頭では理解を示せるが、相槌を打ち続けるのはストレスだった。さっさと送り届けて、また来週迎えに来るまで顔もみたくない。職場の仲間を貶されたという感覚と、いつまでも派遣で居るなという言外の圧力。母がこういうひとだから、ひとり暮らしを選んだのだったと、いまさらながらに思いだした。

 滑川なめりがわの交差点を右折して国道から外れ、鎌倉の山側に入る。若宮大路を抜けて北鎌倉の坂を下りると、突如として流れが止まった。

 カンカンカンカン……

 踏切の警告音に遮断機が降りたのかと待っていたが、いっかな動かないので、何事かと首を伸ばす。

 踏切内に電車が見えた。走行中ではない。先頭車両も、車内から見える範囲に停車している。

 ──まさか、事故?

 脳裏によぎった不安を、目から入る情報が上塗りし、かき消していく。周囲には多くの観光客がいるが、だれも騒いではいない。悲鳴もない。遮断機の内側に自動車の姿も人影もない。5分ほどして電車がゆっくりと走り出すと、やがて警告音が止んだ。遮断機が上がり、往来が再開する。日常が戻っていく。

 ──信号機で止まってたのかな。

 口に出すと母がうるさいので、考えるだけにしてブレーキから足を離す。生じた違和感は一時的で、長続きしなかった。

 なんだかんだと夕食後まで祖父母に引き止められ、帰路に着いたのは午後8時過ぎだった。行きは母の声のせいで聞こえなかったFMヨコハマは、音量も変えていないのに夜の静けさも相まって非常にクリアに耳に届く。

 行きと同じ経路をたどり、例の踏切が近づいたときだ。ジジッ……と、不意にラジオにノイズが混じった。山で陰になるせいだろうか。考えながら、踏切の手前で車を止め、窓を開けて外の音に耳を澄ませる。あたりには俺の車しかいない。のんびりと窓を閉めたところで、何かの影に気がついた。

 暗がりに白いものがひよひよと舞っている。洗濯物のタオルか、レジ袋でも風で飛んできたような、そんな感じの軽やかな動きだった。思わず目を凝らす。

 線路内にあるのだとわかったのは、すぐのことだ。それは線路をあちらへこちらへ往復している。端まで行くとふわりと翻り、戻ってくる。打ち寄せる波のような動きに、ついつい見入る。

 白い、布だ。たぶん、ワンピース。そこまで見てとって、暗がりと見えたものの一部が長い黒髪だと気づく。いや、違う。見えるようになったのだ。何度も何度も行き来しながら、それは確実にこちらへ近づいてきている。

 どうしようもなく危険を感じた。逃げようとブレーキから足を離したのに、アクセルを踏んだのに、車が動かない。マニュアルでもないのに? ニュートラルにでも入っているかと、ギアもサイドブレーキも何度も確かめる。胸が早鐘を打つ。焦る。ヤバい。降りて車を放棄する? 迷ううちに、白い人影はもうすぐそこまで来ていた。顔が見える。あちらに行くときも、こちらに来るときも、顔だけはずっとこちらを向いている。俺から目を離さない。

 もうダメだ。こんなとき、タツコさんがいてくれたら、いいのに! 泣きそうになりながら、諦めずにギアをガチャガチャ切り替えていたときだ、運転席の真横に、だれかが立った。

「破ァーーーーーッ!!」

 気合いとともに、あたり一面が真っ白になるくらいのまばゆい光が放たれる。タツコさんっ? まさか、こんなところまで駆けつけてくれたのだろうか。

 光が消えると、白い影は跡形もなくなっていた。俺は窓を開け、叫ぶように声をかける。

「タツコさん!」

 俺の声に振り返ったのは、いつもよりもだいぶ小柄で、しかもかなりお年を召した女性だった。きれいに剃り上げた頭と墨染めの僧衣姿で、コンビニ袋を提げている。

 女性は俺をまじまじと見つめ、

「あら、あなた、タツコを知っているの?」

 そういうと、にかっと目が無くなるほどの笑顔になった。


 
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