戸籍係の憂鬱

渡波みずき

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 子どもたちの夕食と合わせて、自分たちのぶんも注文し終える。子ども用にと、ぬりえセットを貸してもらって、優花もたっくんもいそいそと取りかかる。わたしは、このタイミングでいったんドリンクバーに立つことにした。

 疲れてはいるけれど、食事前だ。甘いものよりは、すっきりとしたお茶類が飲みたい。豊富な茶葉をためつすがめつし、ひとつを選んで戻ると、たっくんママはまた、自分の戸籍を見て、眉を寄せていた。

「この筆頭者っていうのが、今度はあたしになるんだよね? で、旦那がいなくなって、二番目に拓真が載るってこと?」
「うん、でも、自動的には書かれないから、たっくんについては、入籍の手続きを取る必要があるの。そっちは離婚が戸籍に書かれてからの話だから、おいおい説明するよ」
「──ねえ、拓真のとこにさ、養父養母って欄があるんだけど、なんであたし養母なの? 母じゃね? これ、書き間違い?」

 えっ、と驚いて、わたしはたっくんママから戸籍謄本を受け取った。父欄は空欄で、母欄にはたっくんママの名が記され、たしかに養父母の欄がある。養父はいまの旦那さん、養母はたっくんママだ。

 たっくんママは、実子のたっくんと養子縁組をしている。これは、記載の間違いでもなんでもない。たっくんが非嫡出子だからだ。

 わたしは、下唇をなめた。状況を理解しているのは、わたしだけだ。当の本人はわかっていない。このひとの養子縁組を手続きした職員は、きちんと制度を説明しなかったのか。……いや、したのだろう。でも、窓口で、口頭で聞いただけで、この複雑な制度を理解しろというのは、さすがに酷だ。

「これはね、法律で決まったかたちなの。間違いじゃないよ。民法で、未成年と養子縁組するひとは、必ず夫婦揃って縁組しなさいって書いてあるのよ」
「え、じゃあ、再婚して、連れ子を養子縁組してもらうひとは、みんな養母になるの?」
「例外があって、前の結婚で産まれた子がする養子縁組なら、再婚相手とだけ縁組するの」

 たっくんママは黙った。店内に流れる静かなインストゥルメンタルと、子どもたちがぬりえに興じる音だけが際立って響く。

「子ども産むときに結婚してるかどうかって、そんなに重要?」
「戸籍法や民法は、古い法律だからね。いずれ、なくなる決まりだと思うわ。けど、いまはまだ、そう書いてあるから、従わなきゃいけないんだもの。……とりあえず、たっくんをあなたの戸籍に入れるには、まず、旦那さんと養子離縁をしないといけないわね」
「離縁ね。わかった。また、用紙を取りにいけばいいの?」

 怒ったような口調だった。仕事柄、慣れ親しんでいるタイプの怒りだ。窓口に来るひとはみんな、自分の思いどおりにことが運ばないと、面倒くさい、わかりにくいと怒る。それと同じに見えた。

 わたしは戸籍謄本を返して、ことばを選ぶために間を取ろうとして、うなずいた。

「養子離縁にも証人が必要だし、いっしょに出さないと、離婚後の最新の戸籍謄本も必要になっちゃうから、まとめて一度に提出するのがいいと思う」
「そしたら、養母じゃなくなる?」
「なくならない」

 思わず勢いで即答してしまった。たっくんママはさすがに気を悪くしたらしく眉をよせ、ぐいっと飲み物を口に含んだ。

「離縁するのは、旦那さんとだけよ。あなたとも離縁したら、たっくんひとりだけの戸籍ができあがっちゃうもの」
「……何それ。意味わかんない」

 わたしも、だ。意味がわからない。だが、そんなことはおくびにも出さずに、自分の発言の正しさを胸のうちで確認する。

 離縁したら復籍するのが鉄則だ。まず、旧姓に戻る。非嫡出子を産むとき、親の戸籍に入っている女性は、自分が筆頭者の戸籍を作る。ここが、たっくんの戻るべき戸籍。でも、たっくんママは結婚して旦那さんの戸籍に移っているし、たっくん自身も養子縁組で同じ戸籍に移動しているから、すでにたっくんママが筆頭者の戸籍はだれもいない戸籍となり、除籍されている。除かれた戸籍には、復籍できない。だから、たっくんのために、新しく戸籍を作る。たった五つのたっくんが筆頭者の戸籍を。

 そんな複雑な、頭の痛くなるような馬鹿げた動きなんて、そういうものだと飲みこむしかないではないか。世のなかの、いまの世にはぜんぜん合わない古い決まりなのだと。

 目を上げた先には、湯気の立つ料理を運んでくるフロアスタッフの姿が見えている。

「とりあえず、ごはん食べさせよう。もう少し、かみ砕いて説明することはできると思う」

 決まりにさえ、いらいらしてしまうのは、おなかが空いた子どもたちが騒ぐからだ。自分だって、何か腹に入れなければ。気持ちを一度落ち着かせるべく、わたしはテーブルのうえを片付け、料理を待ち受けることにした。



 届いたのは、予想どおり、お子様メニューだった。ここのファミレスは、子どもから運んでくれるから助かる。でも、待たされてもいいから、人肌に冷まして持ってきてくれると、もっと助かる。熱いうどんをすすりたがる子どもをあやして、交代交代でドリンクバーの世話をし、わたしとたっくんママは自分たちの食事が来る前に子どもの腹をふくらませようと、躍起になっていた。

 打ち合わせしたわけでもなし、似たような動きになるあたり、子どもがおとなしい性質だろうがやんちゃだろうが、どこの家庭でも、この食事どきのてんやわんやは等しく生じるものなのだろう。

 戸籍法や民法の抱える意味不明さを何から紐解けばいいのか、頭のなかを整理する間もない。たっくんママは、しかし、待ってはくれなかった。

「ていうかさ、どうして、結婚してるときに産まれたってだけで、旦那の子だって決められるんだろね。あたし、『托卵』してる子、結構知ってるけど」

 たっくんのこぼしたジュースをさっと紙ナプキンで拭って、なんでもないことのように問いかける彼女に面食らう。確かに職務上、そういう事例があることを知っている。お愛想笑いとともに受けとめ、ことばを探す。

「まあ、ねえ……。結婚って制度自体が、このさき産まれてくる子の父親はこのひとですって、いちいち認知とかめんどくさい手続きを踏まなくても、自動的に認めてもらうための予約制度って感じかもなあ」

 突飛なことばを選びすぎたか、たっくんママはぽかんとした顔つきになって、「予約」とだけくりかえす。わたしは、調子に乗って続けた。

「そう、予約。受付期間に間一髪だったり、前の旦那とダブルブッキングしちゃったりすることも、実は案外、あることなんだよねえ」
「ダブルブッキングは、どっちが優先なの」
「前の旦那」
「まじかー」

 たっくんママの胸にも、意味合いがようやく届いたらしい。顔つきが戻った。コーラのグラスをかたむける彼女を見つめ、わたしはまた考えに沈もうとする。でもやっぱり、たっくんママは待たない。

「男ってさ、かわいそうだよね、ホント。結婚した女の股がゆるいと、いつまでも生まれた子どもと自分との似てるトコを探し続けなきゃ、不安になっちゃうんだよ」
「ゆるくなくても、いっしょじゃない? 義理の両親だって、会うたびに『どこどこが息子に似てる』しか言わないわ」
「ははは、義実家あるある」

 ケタケタ笑って、彼女は飲み干したグラスを持てあましたように手でもてあそんだ。四角い氷がグラスの内側のふちにそって、ぐるりと滑っていく。

「女は産めば母親だけど、男のひとは違うって、よく聞くものねえ」
「自分の子を見たとたん、びびびって何か受信して、父親になってくれたらいいのに」
「だめじゃん。それじゃ、『托卵』がバレちゃう」
「たしかに!」

 今度は、わたしもいっしょになって馬鹿笑いして、笑ったせいにして目尻をぬぐった。たっくんママは、グラスを手放して、両手で顔を覆っていた。
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