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帰郷と再会 一
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(……ただいま)
こころのなかでつぶやいて、俺は尾鈴村へ
むかうバスの窓に、こつんとこぶしをあてた。
窓からの山並みは、見慣れたものだ。あと五分もかからないだろう。
宮崎県児湯郡尾鈴村は、新納山の裾野にある。うつくしい円錐をした新納山には、白馬の伝説が残る。白馬は山の神の化身だ。森を白馬が通るとき、澄んだ鈴の音がするから、その地を『御鈴』と呼び、これが後世に転じて尾鈴となった。近隣の地域一帯では、新納山を信仰し、尾鈴に社を建てて、山の神を祀った。尾鈴村は、その社の祝の家系が住みついて始まった村だ。
尾鈴村には、死者が帰ってくる。
初盆の死者はかならず、それ以前の死者は本人の意思いかんだ。迎え火の焚かれる八月十三日から、夏祭りと送り火のある十五日の夕方まで、死者も生者も関係なく、尾鈴の村なかのいたるところで同窓会になる。
ものごころついたころから、それは俺にとっても、あたりまえの風景だった。だから、ある年のお盆に、前年死んだはずの祖母が庭先を歩いていたときも、ああ、今年はうちのばあちゃんも帰ってきたのか、というくらいの感慨しか抱かなかった。
伝承では、尾鈴村で死んだ人間の魂は、山の神の化身である白馬の背に乗って、この世とあの世とを行き来する。死ねば新納山へ行き、盆の時期には、村へ帰ってくる。昔は、山に墓所があったからだと思う。
『風呂屋』と呼ばれる俺の家は、かつての墓所にほど近い山辺地区にある。そのせいか、盆には山から下りてくるひとをよくみかけた。ホント言うと、死者は墓所に限らず、どこからだって涌いてでてくるのだが、自分が死んだとわかっていれば、当人だって墓所から出ていくべきだと思うのだろう。死者に直接聞いたことがないから、真相はわからない。
尾鈴村の祝の末裔でさえあれば、よその町に住まいを持っても、尾鈴に帰ってくれば、死者を見て、話しかけ、さわることができる。だが、たとえ尾鈴に長く住んでいても、地元の血を持たなければ、俺たちの見るものは何ひとつとして共有できない。
尾鈴の人間にとって、死者は身近だ。身近すぎて、死ぬことをちらとも怖がらないひとだっている。そのせいで、ここは無医村であり続けた。死ねば、お山に行くだけ、だから。
俺が、この村を変えるんだ。
決意を胸に旅立って、四年が経っていた。 医学部は六年制だ。いままではまだ余裕があったが、五年生になる来年からは忙しくなると聞く。帰省するなら、今年だと思った。
四年も、待っているはずはないよな。
居眠りをするふりをして、俺は目を閉じた。眼裏にうかぶのは、あのバス停で別れたときの皐月のことばかりだった。
日の出前の仄明るいなかで見た向こう意気の強い瞳。上気した頬。高くとおる声。紅色のくちびるは何度でも、そのことばを刻む。
──待っているから。
バスがロータリーに入った。尾鈴村は終点だ。ここで転回したあと、バスは五分ほどの停車を挟んで、山の下へと戻っていく。
乗降口が開放される。運転手がいのいちばんに降りて、歩きざま、たばこをふかしてあずまやのほうへむかった。いくら料金は前払いだからって、その対応はない。あきれながら、あとについて降車する。
バスから降りたのと同時に、待合の椅子から立ちあがるひとがあった。何の気なしにそちらに目を向けて、俺は立ちすくんだ。
俺が何も言えずにいるのを察したのか、彼女は自分から、こちらへと声をかけてきた。
「……お盆だから、帰ってくるかなって思って、待ってたの」
いったいどれくらいの時間、そこにいたのだろう。ノースリーブのブラウスから伸びる腕は、赤く日焼けしていた。
「帰ってきた壱平を捕まえるなら、どこか悩んだんだけど、こっちへ来て、正解だった」
早口にまくしたて、皐月は長いスカートの裾をゆらして歩いてきた。あとほんの数歩の距離まで近づいてくる。
「おかえり、壱平」
むかしのように手をつなごうとでも言うのか。皐月が俺へと手を伸ばす。そのてのひらのやわらかさも、指の細さも、俺はけっして味わうわけにはいかなかった。
俺は一歩うしろへさがって距離を取り、眉をよせてみせた。
「俺たち、もう別れただろ。いまさら待たれても、迷惑なんだよ」
口をついて出たのは、あの別れのときには言えなかったことばだった。四年越しの俺のことばに皐月は驚き、傷ついたような顔になった。そこへ、たたみかける。
「まさか四年も待つなんて思わなかった」
「四年?」
皐月はおうむがえしに口にしてやっと、その意味するところがわかったようだった。
「高校の卒業式で別れてから四年経ったってことね。……そっか。いま、壱平は大学四年生か」
後半はひとりごとのようにつぶやき、皐月はなつかしむように目を細めて微笑んだ。場違いにやわらかい表情に、つい毒気を抜かれてたちすくんでしまった。そんな俺のようすを見て、皐月はおどけて言った。
「──心配しなくて平気だよ、そういう意味では待ってないから。ほら、あたしもう、既婚者だもん。こんな別嬪を男どもが放っておくワケがないじゃないの」
「ほら」の声とともに、皐月は指輪を見せびらかした。渦を巻く蔦模様の彫られた指輪は、左手の薬指にしっかりとおさまっていた。
「……!」
結婚の祝福のことばって、どう言うんだっけ? 全然、思いだせなかった。
こころのなかでつぶやいて、俺は尾鈴村へ
むかうバスの窓に、こつんとこぶしをあてた。
窓からの山並みは、見慣れたものだ。あと五分もかからないだろう。
宮崎県児湯郡尾鈴村は、新納山の裾野にある。うつくしい円錐をした新納山には、白馬の伝説が残る。白馬は山の神の化身だ。森を白馬が通るとき、澄んだ鈴の音がするから、その地を『御鈴』と呼び、これが後世に転じて尾鈴となった。近隣の地域一帯では、新納山を信仰し、尾鈴に社を建てて、山の神を祀った。尾鈴村は、その社の祝の家系が住みついて始まった村だ。
尾鈴村には、死者が帰ってくる。
初盆の死者はかならず、それ以前の死者は本人の意思いかんだ。迎え火の焚かれる八月十三日から、夏祭りと送り火のある十五日の夕方まで、死者も生者も関係なく、尾鈴の村なかのいたるところで同窓会になる。
ものごころついたころから、それは俺にとっても、あたりまえの風景だった。だから、ある年のお盆に、前年死んだはずの祖母が庭先を歩いていたときも、ああ、今年はうちのばあちゃんも帰ってきたのか、というくらいの感慨しか抱かなかった。
伝承では、尾鈴村で死んだ人間の魂は、山の神の化身である白馬の背に乗って、この世とあの世とを行き来する。死ねば新納山へ行き、盆の時期には、村へ帰ってくる。昔は、山に墓所があったからだと思う。
『風呂屋』と呼ばれる俺の家は、かつての墓所にほど近い山辺地区にある。そのせいか、盆には山から下りてくるひとをよくみかけた。ホント言うと、死者は墓所に限らず、どこからだって涌いてでてくるのだが、自分が死んだとわかっていれば、当人だって墓所から出ていくべきだと思うのだろう。死者に直接聞いたことがないから、真相はわからない。
尾鈴村の祝の末裔でさえあれば、よその町に住まいを持っても、尾鈴に帰ってくれば、死者を見て、話しかけ、さわることができる。だが、たとえ尾鈴に長く住んでいても、地元の血を持たなければ、俺たちの見るものは何ひとつとして共有できない。
尾鈴の人間にとって、死者は身近だ。身近すぎて、死ぬことをちらとも怖がらないひとだっている。そのせいで、ここは無医村であり続けた。死ねば、お山に行くだけ、だから。
俺が、この村を変えるんだ。
決意を胸に旅立って、四年が経っていた。 医学部は六年制だ。いままではまだ余裕があったが、五年生になる来年からは忙しくなると聞く。帰省するなら、今年だと思った。
四年も、待っているはずはないよな。
居眠りをするふりをして、俺は目を閉じた。眼裏にうかぶのは、あのバス停で別れたときの皐月のことばかりだった。
日の出前の仄明るいなかで見た向こう意気の強い瞳。上気した頬。高くとおる声。紅色のくちびるは何度でも、そのことばを刻む。
──待っているから。
バスがロータリーに入った。尾鈴村は終点だ。ここで転回したあと、バスは五分ほどの停車を挟んで、山の下へと戻っていく。
乗降口が開放される。運転手がいのいちばんに降りて、歩きざま、たばこをふかしてあずまやのほうへむかった。いくら料金は前払いだからって、その対応はない。あきれながら、あとについて降車する。
バスから降りたのと同時に、待合の椅子から立ちあがるひとがあった。何の気なしにそちらに目を向けて、俺は立ちすくんだ。
俺が何も言えずにいるのを察したのか、彼女は自分から、こちらへと声をかけてきた。
「……お盆だから、帰ってくるかなって思って、待ってたの」
いったいどれくらいの時間、そこにいたのだろう。ノースリーブのブラウスから伸びる腕は、赤く日焼けしていた。
「帰ってきた壱平を捕まえるなら、どこか悩んだんだけど、こっちへ来て、正解だった」
早口にまくしたて、皐月は長いスカートの裾をゆらして歩いてきた。あとほんの数歩の距離まで近づいてくる。
「おかえり、壱平」
むかしのように手をつなごうとでも言うのか。皐月が俺へと手を伸ばす。そのてのひらのやわらかさも、指の細さも、俺はけっして味わうわけにはいかなかった。
俺は一歩うしろへさがって距離を取り、眉をよせてみせた。
「俺たち、もう別れただろ。いまさら待たれても、迷惑なんだよ」
口をついて出たのは、あの別れのときには言えなかったことばだった。四年越しの俺のことばに皐月は驚き、傷ついたような顔になった。そこへ、たたみかける。
「まさか四年も待つなんて思わなかった」
「四年?」
皐月はおうむがえしに口にしてやっと、その意味するところがわかったようだった。
「高校の卒業式で別れてから四年経ったってことね。……そっか。いま、壱平は大学四年生か」
後半はひとりごとのようにつぶやき、皐月はなつかしむように目を細めて微笑んだ。場違いにやわらかい表情に、つい毒気を抜かれてたちすくんでしまった。そんな俺のようすを見て、皐月はおどけて言った。
「──心配しなくて平気だよ、そういう意味では待ってないから。ほら、あたしもう、既婚者だもん。こんな別嬪を男どもが放っておくワケがないじゃないの」
「ほら」の声とともに、皐月は指輪を見せびらかした。渦を巻く蔦模様の彫られた指輪は、左手の薬指にしっかりとおさまっていた。
「……!」
結婚の祝福のことばって、どう言うんだっけ? 全然、思いだせなかった。
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