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渡波みずき

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四枚目 (後)

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「わたし、このあとどうすればいいの?」
「捨てるんじゃなくて、だれかに写真を渡せばいい」
「──それだけ?」
 拍子抜けした清花に対し、間山は硬い表情になった。
「なるべく知らないヤツのほうがいいよ。手渡しでなくて構わない。そいつのカバンや服にそうっと入れてしまえばいい」
「結構難しくない?」
「難しいよ。君のカバンに入れた写真、ぐちゃぐちゃに丸まってたでしょ? ああでもしなきゃ、入れられない」
 清花は目を丸くした。そうだ。間山の次が自分の番ということは、つまり、彼が清花に写真を押しつけたということなのだ。いまのいままで、そのことに考えいたらなかった自分に、歯がみする思いがした。
 清花の表情の変化に気がついたのだろう。間山はバツが悪そうな顔になった。
「悪かったと思ってる。だから、ここしばらく君を捜してたんだ。写真を手放せって伝えたくて」
 身勝手だと思った。だが、それが唯一の解決方法ならば、十日以内に清花もだれかにあの写真を押しつけなければならないということになる。
 ──いったいだれに渡そう。
 間山のように通りすがりの人間に、気づかれずに渡してしまうことなんて、清花にできるだろうか。
 その日の帰路の足取りは、いままでに増して重かった。



 翌朝の電車では、もう、以前のように窓の外を見る勇気は無かった。
 窓が目に入らないようにドアから離れて立った。高い位置のつり革に手を伸ばし、一所懸命に揺れに耐える。快速特急は通過駅がある分、駅間の距離も時間も長い。腕がしびれて、駅に着いたとたんにつり革から手を離す。
 それが、いけなかったのだと思う。
 降車客に背を押されて、転びそうになる。ドア付近でどうにか踏みとどまって、何気なく顔を上げる。
 息のかかるほどの距離で、女が嗤っていた。
「──ッ!」
 すんでのところで悲鳴は飲みこんだ。
 白い帽子のつばから、通った鼻筋が覗く。女は真っ赤なくちびるから歯をむき出して、声もなく嗤い続ける。パサパサの長い黒髪。紺のワンピースの胸ぐりから、あばらが浮き、静脈の透けた胸元が見えた。
 動けなかった。今度は乗車客に押しのけられて、車両の奥に追いやられ、結果として女から遠ざかる。
 電車が動く。つり革も手すりも持たないからだがよろめいて、初めて、我に返った。
 清花はなおも耳元で鳴り響く鼓動と、荒く浅い呼吸を持てあましながら、手を服のポケットに突っ込んだ。探すまでもなく、感触は肌に伝わっている。
 写真は、コートの内ポケットに入っていた。
 そこに写る女は、顎下までが露わになっている。いま、間近で目にしたままの姿だ。
 ドアの上に、次の停車駅名の電光表示が流れている。『次は金沢文庫』。その表示に違和感を覚える。
 おかしい。間山が言うとおりなら、女は一日一駅ずつ近づいてくるはずだ。上大岡駅でさき一昨日に見たのだから、女はまだ、上大岡駅と金沢文庫駅のあいだの通過駅にいなければならない。路線図を見上げて、考えが間違っていないことを確かめ、清花はスマホを取り出した。
 間山にLITEで問いかける。
『ねえ、あの女って、ほんとうに一駅ずつ近づいてくるの? いま、金沢八景駅で見たんだけど』
 すかさず既読がついた。でも、返信はない。
 学校に着いてから何度見ても、間山からの返事はなかなか来なかった。待ちわびたそれが届いたのは、下校途中のことだった。
『俺の仮定が間違っているかも。写真、早くだれかに渡して』
 あと十日猶予があると思っていた。そんなふうに急に言われても、清花はまだ、覚悟が決まりきっていない。
 間山が清花にしたように、写真を小さく丸める。問題は、いっしょに下校している友人の目だった。彼女が降りてからでも遅くはないとは思うものの、間山の仮定がまったくのでたらめであったというのであれば、残された時間はほとんどないかもしれない。行きは金沢八景駅で、帰りは最寄り駅で女を見る可能性だって、ゼロではない。
 どうしよう。どうしよう、どうしよう。
 焦りばかりが空回る。いつも以上にうわの空な清花の隣で、友人はカバンから化粧ポーチを取り出す。なかを探って、首を傾げ、さらにカバンに内ポケットに指をさしいれる。見つけたリップクリームをくちびるに塗り伸ばしながら、友人は問う。
「どうするの」
「えっ?」
  こころの声が漏れていたのかと思った。ぎょっとした清花に、友人は呆れた風に繰りかえす。
「塾、まだ決めてないんでしょ? 行くなら、あたしと一緒のとこに行かない?」
「塾は、なあ。通信教材で十分な気がして」
「でも、みんな行ってるし。そりゃ、清花は成績いいんだろうけどさ、受験対策やってくれる予備校みたいなとこに行ったほうが安心じゃない?」
 塾に寄ることで、これ以上、帰りが遅くなるのは困る。ただでさえ、夜道は暗いのに。
 清花が返答に迷っているうちに、友人の降りる駅に近くなった。
「じゃあ、また明日!」
 言うなりリップクリームをカバンに放り込み、友人が席を立った途端だった。しまい忘れの化粧ポーチが膝から落ちた。プラットホームに入り、ブレーキのかかる車内に小物が散乱する。清花は床に膝をつき、慌てて友人を手伝った。小さくて可愛い容れ物の練り香水や、あぶらとり紙などを拾い集め、直接化粧ポーチに入れてやる。
 ──魔が差したのは、ほんの一瞬だった。
 友人は、いまにも開きかかる自動ドアや、車内アナウンスを気にしている。清花は手近な小物をかき集めながら、手に握りこんでいた写真を紛れ込ませた。化粧ポーチの口を閉じ、早く行けと促して、自分は何食わぬ顔で席に戻る。
 窓越しにありがとうと両手を合わせる友人に手を振る。手を振り返し、ひざ元に下ろしたてのひらは、じっとりと冷たくいやな汗で湿っていた。
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