『青』の作り手 失恋女子と見習い藍師

渡波みずき

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八 決裂

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 帰社後、職場で顔を合わせた涼真は、いつもどおりだった。

「おつかれさまです」

 何の屈託もなく挨拶されて、千草も笑顔を取りつくろう。脇を通り過ぎる瞬間、声をかけてきたのは、涼真のほうだった。

「ごめん、コートとプレゼント、紙袋に入れたまま忘れてきちゃった」

 周囲を気にしながら、こそっと言われたことばに、カッとなる。

「コートなら、昨日、宅配便で届きましたよ」

 言い捨てて、歩調を速める。内心、驚いていた。涼真が社内で、こんな昼間にプライベートな話をしてくることなどなかった。だが、こうやって話題を打ち切れば、人目を気にして追ってはこないはずだ。続きはスマホに連絡が入るだろう。

 自席に着いて、個人端末を立ち上げる。今日の報告事項を記入しようと、PCの起動を待っていると、傍らに気配を感じた。上司かと肩越しに振り仰いで、千草はぎょっとした。

 涼真が立っていた。その顔に、さきほど通路で挨拶を交わしたときのようなビジネスモードの笑顔はない。

「い、池尻さん? 何か、ご用ですか?」

 声がうわずった。社内恋愛を隠したいと言ったのは、そちらのほうだ。なぜ、こんなふうに近づいてくるのか。社内での『涼真くん』は、特定の女子社員のパーソナルスペースに入っていくようなキャラクタではない。いまのこの行動だけでも、かなり目立っている。

 ちらほらと、あたりからの視線を感じて、千草はたしなめようと口を開いたが、涼真のことばに遮られる。

「宅配で届いたって、どういうこと? 俺、紙袋に入れて、クローゼットにしまったはずなんだけど」

 現在のフロアの状況も、千草と自分のあいだに起きている事態も、まったく理解できていないようすの涼真に、千草はあきれかえった。ここで聞かなきゃ、ダメなのか。あとで、仕事終わりにでも電話してくれるとか。

「ですから、それは勘違いです」
「意味わかんねえよ。今日、千草が良ければ、うちにきてほしいんだけど」

 そんなふうに親しげに話しかけないでほしい。浮気したのは、二股をかけたのは、千草を惨めな二番手にしたのは、涼真なのに!

 まわりがざわついている。千草はどうにか場を収めようと、声を低くした。

「あとで、LIMEしますから」
「何さっきから敬語なわけ? あとじゃなくて、いま話せよ」

 ヒートアップして声の大きくなった涼真につられて、千草も大声が出た。

「だから! 宅配便で届いたのよ、相澤泉美ってひとから!」

 人名を口にした声が震えてしまって、悔しさに歯がみする。もっと、無感情につめたく切り捨ててやりたかった。業務連絡のように伝えたかったのに。

 送られてきたコートは、丸めて可燃ゴミに出した。お気に入りだったのに、他の女が触れたのだと思うだけで不快で、二度と袖を通す気になれなかった。プレゼントのネックレスも、今日の昼にでも郵便局へ行って、送り返してやろうと考えていた。

 怒鳴ってしまったせいで、衆目がさらに集まっていた。内容が聞こえたひとには、痴話ゲンカだとわかってしまっているだろう。もう、あとには引けなかった。

「あんのアマ、勝手に何を……ッ!」

 唸るような声が聞こえた。およそ涼真らしからぬ乱暴なことばづかいだった。初めて目にする一面に面食らいながらも、激昂する彼をみて、千草はかえって冷静になれた。

「相澤さんて子も、驚いたと思うよ。使用感のある女物のコートなんて見つけたら。ネックレスのアメジストは二月の誕生石だし、自分宛てじゃないって、すぐわかっただろうね」

 他人行儀に言って、端末に向きなおる。東洋海産の顧客名簿を開いて、神田の備考欄に退社の旨を記す。ディスプレイ越しに、野次馬連中と目があう。男女問わず、おとなしく自席に座っている社員のほうが少ない。千草と涼真のやりとりを遠巻きに見守っている。

「断っても何度もぐいぐい来るから、しかたなく相手しただけなんだ。頼むから、そんなに怒らないで──」

 言い訳を口にする涼真のことばをよそに、千草は席を立ち、報告書のプリントアウトを取りにいこうとする。その手首を掴まれる。

「別れるなんて、言わないよな?」

 すがるような目で見つめられて、千草は浅くためいきをついた。

「どれだけ自信があるの? 顔がよければ、なんでも許されるワケ? 金曜日、あのあと、だれがわたしを送ってくれたかわかる?」
「──あの、神田って男か? おまえにチョコもらったって、俺の前で言ってたもんな」

 自分は平気で二股をかけるくせに、こちらのよそ見は許さないということか。馬鹿らしくなって、千草は野次馬にも言いふくめるように口を開く。

「ああ、ノベルティのチロルチョコの話ね。涼真も欲しければ、まだ残りがあるよ?」

 チロルチョコの単語に、方々から失笑がもれる。勘違いに顔を赤くした涼真に、千草はたたみかける。

「……池尻さん。わたし、今日の営業の報告をしなければいけないんです。お話はあとでもよろしいですか?」

 ちょうどよく、卓上の電話が鳴る。涼真の手が離れた。千草は受話器を取り、椅子に戻って、メモのためにペンを握る。

 こちらを気にしていた社員は、ちらほらと業務に戻っていく。それを視界の端に捉えながら、千草は腹を決めた。

 いくら、社内恋愛が許されるとしても、風紀を乱す行為までが良しとされるものではない。仕事の議論ならばまだしも、色恋沙汰でフロアじゅうに響き渡る大声を張り上げて口ゲンカするだなんて、あり得ない。たとえ、社内規則が許しても、周囲は、特に女性社員たちは、千草を許さないだろう。

 この職場は女性が多い。倫理的には浮気をした涼真のほうが悪くても、若い社員ばかりか、おばさまやお局さまがたにも可愛がられ、愛される『涼真くん』を独り占めしたうえで、大勢のまえで彼に恥をかかせた千草のほうが悪者になるだろう。

 きっと、夕方には上司に手招きされて、事情を聞かれる。立場の弱い個人事業主は、こういうときに不利だ。法律上は解雇できなくても、わかるよね? と言われて、抗うのはむずかしい。退職届を書かされて、自己都合退職に持ち込まれるのは、肌でわかった。

 辞めたくなかった。歩合制の報酬だけでなく、月給の保証された立場も、やりがいのある仕事も、手放したくない。だが、女性同士で円滑に仕事を回していくには、協調性が何よりも大事になる。輪から弾きだされたら、ここでは生きていけない。

 電話のむこうから聞こえる経理部の指示を書き留めて、受話器を置く。涼真の姿は、千草の隣にも、フロアにもない。

 誕生日からこちら、不運続きだ。

 千草は感傷に浸りかけた自分を叱咤して、印刷した報告書を手に、何か言われるまえに自分から、課長の席へと向かっていった。
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