『青』の作り手 失恋女子と見習い藍師

渡波みずき

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四 誕生日の祝いかた

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 誕生日のディナーには、有名な外資系ホテルのレストランを予約した。予約は千草が自分でしたものの、費用は涼真が持つと言ってくれている。

 終業後に化粧を直し、ひっつめにしていた髪を解き、ヘアアイロンで巻いて、アップにまとめなおす。更衣室でピアスを付け替え、ネックレスをする。出勤時に着てきた服と靴は、月曜日に持ち帰るつもりで、ロッカーにしまった。

 すっかりめかしこんだ千草を見て、冷やかしてくる同僚もいたけれど、肝心の情報は渡さずに、笑顔で受け流す技は心得ている。

 「わたし、これから『涼真くん』と誕生日ディナーなの!」と、言いふらしたい気持ちを抑えて、はにかんで控えめに「誕生日なんです」とだけ言うと、同僚の女性陣はみんな納得した顔になる。「あら、おめでとう! 楽しんできてね」と送り出してくれる。

 いつもの駅とは違う日比谷駅で待ち合わせて、皇居外苑を望みながら、ホテルにむかう。

「こんなところ、直前でよく予約できたね」

 ホテルを見上げて驚いたようすの涼真に、首を傾げ、頬に手を当ててみせる。千草だって、予約サイトの口コミしか知らない店だ。

「さあ、平日だからじゃないかな。わりと、カジュアルなお店みたいだし」

 返答に涼真は軽く肩をすくめ、千草をエスコートして、レストランへの直通エレベータのボタンを押した。

 皇居を見下ろす立地は、ランチタイムのほうが外苑の緑も見えるし、見晴らしがよいかもしれない。いまの時間帯なら、夜景の見える高層階を持つホテルのほうが人気だろう。
 
 バーの併設された店内は、食事を目当てとする客が多くはないようだった。想像していたよりも賑やかだったが、そのおかげで、慣れない場所でも気張らずに食事を楽しめた。

 満足して食事を終え、感想を言い合い、会計にむかう涼真にくっついて歩く。

 バーカウンターのスツールに座る人物と、たまたま視線がかちあった。松葉だ。千草は戸惑ったが、慌てて営業スマイルを取り繕い、会釈する。彼はこちらの状況を察したようで、軽く頭を下げてよこす。あちらにも連れがいるようだ。だが、艶っぽい雰囲気はない。男性の同僚のようだ。仕事帰りに飲みに寄ったのか。考えながら、そのままうしろを通り過ぎようとしたときだった。

「──あれっ? 深見さん?」

 空気を読まずにすっとんきょうな声を上げ、松葉の連れがスツールを飛び降りた。明るい茶髪をなびかせて、人懐っこい満面の笑みを見せたのは、神田だった。

 このふたりは知り合いだったのか。確かに年齢は近い。同期かしら。動揺しながらも、千草は微笑みを貼り付けたまま、どうこの場を切り抜けようか思考をめぐらせる。

「こんばんは、奇遇ですね」

 挨拶を返し、「また今度」につなげることばを探していると、先を歩いていた涼真が、こちらに気づいて振りかえった。

「深見さん、このあいだはチョコありがとうございました! 僕、コーヒーヌガーのが大好きで」

 お願い、来ないで。祈りもむなしく、涼真は神田のセリフを耳にしたあと、彼の整った容姿をじろっと全身確認し、目で千草に説明を求める。

「神田。よせ」

 松葉が神田の肩を掴む。神田はきょとんとした顔で彼を見て、それから、涼真の存在に意識がむいたようだった。

「あっ。僕、深見さんに担当してもらってる東洋海産の神田と申します!」

 にこっと笑って、もたもたしながら名刺を取り出し、神田が自己紹介する。涼真が時間外に名刺を持ち歩いているとは思えなかった。だから、割り込むように涼真を紹介しようとした。だが、涼真の動きのほうが、一歩早かった。彼は胸ポケットから洗練された動作で名刺を出すと、神田と松葉のそれぞれに手渡した。

「深見と同じ支店に勤めております池尻と申します」

 助けて。仕事モードになんか、なりたくないのに。誕生日ディナーの余韻をかき消されて、泣きそうになりながら、千草は涼真が名乗る肩書きをかみしめた。

 松葉はしかたないという表情で、自分も名刺をさしだす。それをじっくりと読むポーズをして、涼真は顔色を変えた。

「品質管理部の、かたなんですね」

 松葉は、はいと低い声で答えてうなずき、それが何か? と、目で問う。だが、涼真はその視線の意図に感付いていないようだった。松葉は質問の先を千草に変え、こちらを見たが、そんなふうに見られても、千草にだって、涼真の考えはわからなかった。ここで、恋人同士だというアピールすらしない涼真の内心も、神田の無神経さも、ぜんぜん、理解できない。

「……池尻さん。お客様がお困りですよ」

 注意すると、涼真はハッとして、ごまかすように笑い、非礼を詫びる。それを受け、千草は作り笑顔を神田にむけた。

「また、来週にでも御社にお伺いいたしますので、そのときに先日の資料についてお話させていただければと存じます」

 会話を無理矢理終わらせて、深く頭をさげる。そうして、一方的にレストランを出る。涼真が会計を終え、クロークからコートとビジネスバッグを受け取って追いついていくるあいだに、直通エレベータが到着する。

 エレベータの扉が閉じてすぐ、千草は財布から一万円札を二枚出して、涼真の胸元につきつけた。

「わたしのぶん。足りる?」
「え? いや、今日は俺が払うって言ったじゃん。いいよ、誕生日でしょ?」

 わかっていないようすの涼真に苛立ち、押し問答の末、彼のコートのポケットに折りたたんだ札をねじこむ。エレベータがロビーに到着してすぐ、扉が開ききるのも待たずに、千草は涼真のそばを離れた。

 一直線にロビーを通り抜ける。呼びかけられたが、気にせずにホテルを出る。ひりつくような冷たい空気が、顔とむきだしの腕とにからみついてくる。

 千草のコートは、涼真が抱えたままだった。寒さに鳥肌が立つ。目の前のカップルがケンカしているのが見えているはずなのに、顔色も変えずに見送ってくれるポーターのようすが、いっそおかしかった。

 日比谷駅にむかって歩きだす。千草の腕をうしろから涼真が強く引き止めた。ふりかえらされて、たたみかけられる。

「待ってよ。何が不満? 千草がここのレストランに来たかったんじゃなかったの?」

 ああ、このひとにはわからないのだ。顔をそむけ、千草はこみあげてきた涙を隠した。口を開けば、嗚咽がもれそうだ。それでも、いわずにはおれなかった。

「……わたし、今日、誕生日なんだよ?」

 震えた声に被せるように、涼真が叫んだ。

「わかってる! だから、ちゃんといっしょにお祝いしたんじゃん! 何? プレゼントがないのが気にくわないの? それは、俺の家で渡すつもりだったから──」

 腕を掴む涼真の手を振りはらう。見当違いな言いぶんをこれ以上聞きたくなかった。駅へむかって駆けだす千草を追う足音はなかった。細いヒールが立てる騒々しい音だけが、ホテルや周囲のビルの壁面にこだまする。

 地下鉄の駅へと下りる階段は、踏み面が狭かった。慣れないヒールが滑り止めのゴムにひっかかって、膝から二、三段落ちた。
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