忍び寄る者

渡波みずき

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三人目

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 それからというもの、銀の観察は、芙美の日課になった。
 芙美がチャッターで書きこんだはじめての粒は、『あの子じゃわからん』だった。
 顔も名前も知らないだれかを守るために、勇気を振り絞って打った数文字のせいで、押しとどめていたはずの正義感が堰を切ったように流れだしはじめた。ひとりに対してできたことは、次からはためらいもなくできた。
 芙美が返しの歌詞を書きこむ頻度が高くなると、大型掲示板のスレッドには、中傷めいた発言が散見されるようになった。銀の行動を邪魔する芙美は、彼らネットウォッチャーたちにとっては目の上のたんこぶだ。アカウント名やIDは出さないが、中傷されている相手は、読めば芙美だとはっきりとわかる。
 でも、そんな書き込みを見てさえも、高揚感があった。自分がだれかを助けている。それだけで、芙美には意味のあることだった。
 事態が動いたきっかけは、小さな悪意だった。スレッドにひとつのスクリーンショット画像が載った。
 大手質問サイトだ。サムネイルでは判別がつかなかったが、URLをクリックしてみて、背筋が冷たくなった。
 芙美が過去にした質問だ。大学入学直後、恋バナなんてだれにもできなかったころの痛い思い出。バイトの同僚への恋心とアプローチ方法を問い、自分に都合の悪い回答は無視。良い回答を持ち上げ、ベストアンサーとする。
 いまの自分でも嫌気が差す内容だ。
 うっかりしていた。質問サイトのIDとチャッターのIDは同じだ。
 すぐに質問文で検索をかけただれかが、質問のマルチポストに気がついた。様々なサイトに登録し、コピー&ペーストで質問しまくっていたのだ。質問サイトにはかんたんなプロフィールページがある。ニックネーム、自己紹介、年齢、職業、出身地域。ひとつひとつに登録した内容はたいしたことのない情報だ。でも、集まると、ちょっと不安になる。その感覚が、あのころにはなかった。
 どうして消しておかなかったのか。全世界にむけて恥をさらしていたことに忸怩たる思いでいると、スレッドが活気づいていた。
『もしかしてこれも?』
 お次は、フリーマーケットアプリのプロフィールページだった。芙美は頭を抱えた。
 高校生のときに使っていたアプリだ。芙美に間違いなかった。近所の神社の夏祭りで撮ってもらった後ろ姿の写真。
 どうしてわかったのかと聞かれた投稿者は、だってプロフィールの文章と名前と出身地域がいっしょだったしと、さらりと答えた。 出身地域がいっしょ? フリマアプリのプロフ欄にはそんな項目は書かれていない。眉を寄せたのも束の間、すぐに気づいた。
「配送元か!」
 出品した商品ページが閲覧できれば、配送元の都道府県名が書かれているのだ。
 今度は、本名当てクイズが繰り広げられる。「ふーみん」というニックネームから推測が始まる。画像検索で写真に写った神社名が特定されたときには、茫然となった。これが自分のことでなかったら、きっと感嘆していた。まさに、三人寄れば文殊の知恵だ。集団で取りかかれば、着眼点もみんな違う。隙の多い相手をたたきのめすくらい、訳ないことだ。
『根拠薄いが浴衣の足元が草履だから近所の人間だとおも』『やべえ田舎って通える高校少ねえ。高校名も判明?』『質問サイトの情報どおりなら○年卒。卒業年次で他のSNS割れるんじゃね?』『コンビニバイト。駅前の百貨店のスイーツの話してる。百貨店のある駅、この質問の時期にこの催事やってた店』『神奈川県の○○駅じゃね?』『上京ww』『上京してねえwww草生えた』
 確かに。地方から首都圏に来ただけで、本来的な意味では上京ではない。
 冷静な反発を胸に、芙美は推移を見守った。内心では、焦りと恐怖が渦巻いている。指先が冷え、じっとりと汗をかいていた。
『質問サイトを利用してる時間と、チャッターの投稿時間が被る。まだ同じコンビニで働いてる可能性アリ?』
 残念でした! 芙美はこころのなかで舌を出した。利用駅は同じだが、いまのアルバイト先は定食屋だ。いま、あの店で芙美を知っているのは、オーナーくらいのものだ。
 一気に安堵が広がる。
 ここまでだ。ほっとして、次々に質問サイトを退会する。チャッターもID消去をした。
 スレッドは芙美が自分たちのやりとりを閲覧していることを知り、『祭』と化している。芙美にむかって呼びかけ、匿名の傘の陰からこちらを嘲る彼らに、からだの熱くなるような憤りを覚えた。
 ──だめ、相手にしたら、こちらがまたボロを出してしまうだけ。
 芙美は怒りを押し殺し、しばらくチャッターから離れることを決めた。



 十日近く待って、ほとぼりの冷めたころ、芙美は新しくメールアドレスを取得し、チャッターIDを登録しなおした。ひとつだけ、粒を投稿する。
「悪意のある第三者から身を守るために、今すぐ確認すべきこと。インターネットはとても怖い。プライバシーが漏れるのは、SNSだけではないです」
 フェイクをいれた経験談も交えて、ネットストーカー対策を羅列したメモのスクリーンショット画像を四枚添付する。
 記事を拡散してくれそうなアカウントをいくつかフォローしておく。フォロー返しとともに僅かながらRCがあって、ほのかな承認欲求も満たされた。
 閲覧リストを巡回していると、ふと、あるニュースに目が留まった。
『長野のマンションで女性の切断遺体』
 出身県のニュースは気になる。リンクを開くと、マンションのエントランスにむかう鑑識職員の姿の写真が目に飛び込んでくる。見たことがある。近所かも。芙美は記事を読み、場所を確かめる。
『長野県A市のマンションで二十代と見られる女性の遺体が見つかり、長野県警は一日、遺体の状況などから殺人事件と断定し、A署に捜査本部を設置した。捜査本部によると、この部屋に住む同市中込の美容師、鈴木さやかさん(二五)と連絡が取れておらず、また、先月二十二日から鈴木さんが勤務先に出勤していないことなどから……』
 ──さやか?
 その名前と、見覚えのあるマンション。胸の奥がざわりとした。スマホを置き、コーヒーでも飲もうと立ち上がった。そのときだ。
 ぶぶ、ぶぶ、ぶぶ、ぶぶ……
 ふいにスマホのバイブ音が響きはじめた。テーブルの上で、スマホが小刻みに動いている。見ると、チャッターの通知が十件近く溜まっていた。先程の粒をRCしてくれたらしい。
 コーヒーを淹れているあいだにも、五月雨式に通知が来るのがうるさくなって、芙美は通知をオフにした。いまはこんなことより、このもやもやを払いたい。
 事件のあったA市の地図を見る。覚えのあるマンション名で外観写真を検索して、呻く。これ以上、知らないほうがいいのではないか。思ったが、好奇心はとめられない。
 芙美は荒く浅い呼吸を繰りかえしながら、大型掲示板のレスを確認した。案の定だ。先月二十二日は、銀が活動した金曜日だった。
「『さやかちゃんが欲しい』」
 歌の節に乗せてつぶやく。耳で聞いて、やっとその意味を理解して、両腕両足にぶわっと鳥肌が立つ。
 銀だ。銀がやったんだ!
 恐怖と興奮がない交ぜになって、胸に押し寄せる。芙美は下くちびるを舐めた。
 いちばんに考えたのは、警察への通報だった。だが、芙美は何も証拠を持っていないし、銀はすでに粒を削除している。チャッターはウェブ魚拓を取れない。何か手元に残すなら、スクリーンショットを取るしかない。
 八方塞がりだ。銀観察スレッドの連中であれば、何か持っているかもしれないが、提供を求めたところで、流されるのがオチだろう。
 思いあまった末、芙美はスレに書き込みをした。
『銀のスクショ欲しいです。どなたかお願いします』
 メルアド欄には、新しいメールアドレスを記入した。どうせ、フリーメールだ。ダメなら、また新しく取ればいい。
 スレに目立った動きはない。深夜のせいだ。そもそも、なにがしか収穫があれば御の字。たぶん、明日には罵倒されて終了だろう。
 明朝のアルバイトのために、芙美は早々と布団に入った。その夜は、しかし、興奮して、うまく寝つけなかった。



 翌朝、朝食前に覗いたスレには、思ったとおりの罵詈雑言が並べたてられていた。要約すると、次を待てと言う内容だ。どうやら、ターゲットがすでにあるらしい。
 さしたる落胆もなかった。
 インターネットなんて、そういうものだ。なろうとして主役にはなれない。さやかのマンションが特定できただけで、芙美には不釣り合いな準主役級の活躍だ。警察に通報して、銀を追い詰めるなんて、所詮ムリだったのだ。
 昨晩、寝る前の気持ちの高ぶりは、いまやすっかりと冷めていた。

 その晩のことだ。昨日のようにチャッターの巡回をしようとして、芙美は異変に気がついた。アプリの通知バッジに、あり得ない桁数の数字が表示されていた。
「一、十、百、千、……万」
 嘘だ。
 あのたったひとつだけの粒が、これほどの反響を巻き起こすだなんて、思ってもいなかった。芙美は通知の詳細を確かめようと、アプリをタップする。
「──あれ?」
 パスワードが違うというメッセージが出て、アカウントが表示できない。幾度か入力してみたが、拒否されるばかりだった。さては、アプリの調子が悪いらしい。
 しかたなしにブラウザを立ち上げ、そちらからログインを試みる。パスワードは前のアカウントのころから一緒のものだ。間違えようはないはずなのだが。
 自分のアカウントを検索することはできる。粒を外から見てみると、リプライもRCもいいねも現在進行形で増えているのを確認する。芙美はリプライを辿り、程なくして、そのひとことを見つけ出した。
『あの子が欲しい』
『あの子じゃわからん♪』
 返信は、芙美のアカウントからされていた。
「これ、さやかのときと同じ……?」
 銀のアカウントへと辿ると、画像が目に飛び込んでくる。
『相談しよう』
 添えられているのは、既視感のあるマンションの外観だった。芙美は粒を遡る。
『この子が欲しい』
『あの子が欲しい』
『お布団かぶってちょっときておくれ』
『お釜かぶってちょっときておくれ』
『隣のおばさんちょっときておくれ』
 見慣れた町並み、見慣れた家々が最寄り駅へと巻き戻っていく。
「はは……、うそでしょ」
 乾いた笑いが漏れた。今日は、金曜日ではないし、いまは、丑三つ時でもない。それなのに、銀が動いている。
 もしかしたら、いま、そこにいるかもしれないのだ。
 逃げ場はない。
 新しい粒が投稿され、表示が更新される。
 そのつぶやきに、歌詞は、ない。
 ドアに貼られた紙には、『芙美ちゃんがほしい』と、手書きされている。
 その画像に声を失っていると、玄関のほうから、ゆっくりとドアノブが回る音がした。
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