渡波みずき

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 校門の前で、あたしは立ちつくした。

 一昨日、月曜日まではあった校庭が、土で埋まって、なくなってしまっている。何が起きたかは一目瞭然だった。
 学校の敷地に面した山がごっそりとえぐれている。まるで、巨人が手で砂山を崩したかのようだった。ずるんっと剥かれた山肌は、そのまま校庭になだれこんでいて、広がった土砂のところどころに、ひっくりかえった岩や大木の根やら、梢やらが覗いている。

 近くで自動車のなかを覗きこんでいる校務員さんをつかまえ、あたしはその肩を叩いた。

「おじさんおじさんおじさんっ。あれ! いつ起きたの?」

 おじさんは、「ああ、葛城かつらぎさん」と微笑んで、校庭と裏山とを一瞥する。

「地すべり? 昨晩らしい。大雨でだあれも外を出歩かんかったけぇ、おじさんも今朝まで知らんでね。こんねきの土は弱いけぇ、ようあることなんじゃ」

 これじゃと、祭も延期じゃの。言って、おじさんは自動車のドアを引いた。そうしてなかをさらに確認し、鍵がささったままの自動車に乗り込んだ。エンジンをかけると、方向転換をして、学校の裏手、職員駐車場に車を移動させる。

 夜でよかった。昼間のことだったら、いまごろ土の下にいたかもしれない。夏休み中だし、今日は登校日じゃないから、誰も土砂のなかにひとがいるなんて思わない。あたしがいなくても、叔母さんたちは家出だと考えるだろう。

 ──部活、ないかもなぁ。

 今日は、昨日の北京オリンピックの男子バレーボールについて熱く語ろうと思っていた。その準備は入念にしてきた。だけど、語るのは別の試合のほうがいいかもしれない。
 おじさんが戻ってくるのと同時に、重機が爆音とともにのろのろと近づいてきた。そうか、これを通すために車をどかしてたんだ。重機のうしろにも、軽トラが何台か続いている。どれも、農作業に使うような代物に見えた。運転手がひょいと顔をのぞかせ、おじさんに声をかける。

「思うたより大変そうじゃのお!」
「そうじゃのぉ。だけど、県道でも崩れたらしゅうて、県の重機は来られんのだそうだ。悪いが、頼む」
「任せとけ!」

 運転手が請け合うと、おじさんは校門の鍵を開け、校庭へ重機を送り出す。そして、ぽかんと見ていたあたしにむかって、事の次第を説明してくれた。

「細っこい道は無事じゃったが、重機やトラックの通れるなぁ県道だけじゃけぇ、県土木の重機が来るまで土を撤去できんちゅう話を聞いて、PTAのかたたちが手伝てごしてくださることになったんじゃ」

 いましがたの重機やトラックを操っていたのは、生徒の親御さんたちらしい。
 田舎って、すごいな……と、感心しつつも、ちょっと引いていたら、カバンのなかでケータイが高らかに着信を告げた。



 叔母の嫁ぎ先である穐鷹町あきたかちょうに転校してきたのは、今年の春だ。中学校には学年に一クラスしかないし、その人数も二十人足らず。小学校からの持ち上がりだと聞いて、そんな閉鎖的な環境に二年生からいきなりなじめるのかと、あたしは内心びくびくしていた。

 そんななか、声をかけてくれたのは、みずほと直美で、ふたりはあたしをバレーボール部に誘ってくれた。家は違う地区だけど、以来、ことあるごとに行動を共にしている。

 今日の部活は休みだと連絡網をくれたのも、直美だった。連絡を受けて家に帰ろうとしていたあたしに、さらに電話をかけてきたのはみずほだ。彼女はあたしに、直美の家に来てくれないかと切り出した。

 一も二もなく駆けつけたのは言うまでも無い。だって、あたしにとって、ふたりとも大恩人だもん。ふたりがいなければ、クラスや部活になじむことなんて、きっとできていなかった。

「……で、なんなの、話って」

 机の椅子を借りて、扇風機を独占してたずねると、ベッドに座った直美は、めずらしく言いよどんだ。あたしの背中のあたり、机のうえを見つめ、真剣な顔になる。

「直ちゃん、黙っていたら、わからないわ。いい加減、何があったのか教えてくれないかしら」

 床にぺたんと腰をおろしていたみずほが、下からのぞきこむ。直美は弱りきった表情で、壁を指さした。まだ六月のままのカレンダーの下、机と壁のあいだに、はさまるようにケータイがひっかかっている。

「これ?」

 いちばん近くにいたあたしは、手を伸ばして二つ折りケータイをつまみ上げた。さしだすと、直美は気持ち悪いものでも見たような顔で、身を引いて避けた。

 あたしはため息をついた。見た目には、特に汚れたふうもない。ひとこと断って開いてみる。待受画面も何の変哲もない。どこかの公式サイトにありそうな人気俳優の写真だ。時刻表示も正常。新規着信は、電話、メールともに無し。

「何よ、怖いメールでも来た? それとも、いたずら電話があったの?」

 業を煮やしたあたしに、直美は目を見開いて食ってかかってきた。

「あの電話、あんたがやったの?」
「そんなことして、何の意味があるのよ」

 ぱちんとケータイを閉じる。直美はうけとってくれそうにないから、しかたなくみずほに手渡す。

「着信履歴みるよ」

 みずほは親友の特権で、返事も待たずにケータイを開けた。眼鏡のうえで、眉根がぐっと寄った。

「履歴、ないけど」

 午前四時の『兄貴』のほかに、今日の着信はなかった。その前は昨日の夜九時だ。

「かかってきたの! とうに電話してすぐ!」

 言われて、あたしは自分の着信履歴、みずほは直美のケータイの発信履歴をそれぞれつきあわせる。午前七時十五分に、あたしと直美は間違いなく通話している。これが連絡網だな。けど、そのあと、あたしはだれとも通話していなかった。

「わたしが電話もらったのが三十三分だから、十五分から三十三分までのあいだにかかってきたってことね」

 直美とみずほの家は歩いて五分も離れていない。家族が仕事に出かけた家のなか、直美はひとりきりだった。いたずら電話に怯えた直美は、みずほに家の電話から「いますぐ来て!」と助けを求める。いたずらがケータイにかかってきたことを思えば、まあ、気持ち悪くてケータイを使えないってのは、心理としてわからなくはない。でも、その電話で内容を話すこともしなかったのは、なぜなんだろう。

 みずほが駆けつけたとき、直美は玄関にへたりこんでいたそうだ。何かあったと察したみずほは、あたしに電話をかけ、応援を頼んだってワケ。

「どんな内容だったの、いたずら電話って」

 社交辞令でたずねてやると、直美は目線を下にやった。みずほが誘導尋問でもするように、ひとつひとつ可能性をつぶしていく。

「無言電話?」否定。「痴漢とかストーカー」「違う」「変声機使ってた」首をふる。「じゃあ、脅迫とか」「そおゆうんじゃない」
 平坦な声で言って、直美はひざを抱えた。ますます青くなっている。

「……い」

 聞きとれなくて、あたしもみずほも前かがみになった。直美はあたしたちのしぐさの意味もわからないようだった。ひざに顎をうずめたっきり、口を閉ざしてしまう。だが、唯一聞き取れた語尾で、あたしはおおよそ、犯人の目星がついてはいた。

 みずほと目があう。みずほもわかっているのだろう。ケータイを床に置き、遠ざける。

「ごめんね、もう一回言って?」
「幽霊っ!」

 直美は質問に被せて、怒ったように叫ぶ。あたしは胸に手をあて、静かに深呼吸した。
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