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祭りは広い麦畑のなかで行われるという。アンヘルに手を取られて進むと、領民たちから祝福の声が次々にかかった。
「若さま、ご結婚なすったんですか!」
「きれいなかた!」
「ねえ、若奥さまだって!」
結婚を祝うことばに挟まるように聞こえるさざめきに、面映くなる。アンヘルは慣れているようで、集まってきた彼らを見渡し、声を張る。
「今日は我が妻ヴィオレータを連れてきた。私たちも、皆とともに今年の豊作を願おうと思う。もてなしは必要ない。気兼ねなくやってくれ!」
「いつもどおり?」
茶々を入れるのは、そばにいた少年だ。その声に笑って、アンヘルははっきりとうなずく。
「そうだ、いつもどおりで構わない。なぁ、グスターヴォ?」
「ええ、そのとおりです。……さぁ、みんな、フアン・イエロを追い出すぞ! 若さまと若奥さまがきっと先駆けをしてくださるはずさ」
グスターヴォと呼ばれたのは、村長らしき壮年の男だ。先駆けと言われても、何をすればいいのかわからないヴィオレータに、アンヘルが顔を寄せる。
「私に合わせてください。なんとかなります」
いたずらっぽく細められる緑の目に励まされ、ヴィオレータは微笑みを保つ。弦楽器が鳴り、手拍子が響く。トリキティシャの調べと歌が聞こえると、アンヘルはヴィオレータの両手を取った。
タン、タタン、と軽妙なリズムに乗って、ステップを踏みながら、くるくるとその場で回る。ただそれだけの素朴な踊りに、どうにかついていく。
「こんなに踏んでしまって、麦は平気なのでしょうか?」
「何日かすれば元に戻ります。フアン・イエロの隠れ場所を暴くのが目的ですから、隈なく踏むのが正解です」
えい! とばかりに、足首丈の麦の茎を踏みしだき、アンヘルはカラッとした笑顔を見せる。
「冷たいフアンが悪い妖精の名なんですね」
「霜を降らせる妖精です。雪が降るときは静けさと寒さに満足して地面の下にいるそうで、悪さはしません。雪がないと、とたんにあたりを霜だらけにしてしまうと言います」
どうやら霜害の暗喩のようだ。フアンは、ドゥルセトリゴではありふれた男性名だ。聖フアンの日は初夏だし、関係ないだろう。特段、この妖精の名付けに意味はなさそうだった。
踊りは絶え間なく続く。次第にステップに慣れてくると、ヴィオレータにもまわりに目を配る余裕が出てきた。一曲過ぎるごとに徐々に周囲にひとが増えていく。男女でヴィオレータたちと同じ動きをする者もあれば、ひとりで両腕を耳の横まで挙げ、細かな足捌きを見せている者もある。
どの顔も楽しげだ。ヴィオレータは息を弾ませながら、アンヘルを見上げた。彼もほんのりと頬を紅潮させていたが、視線に応えて微笑んでくれる。思わず、こちらも表情が緩む。
いつまでも踊れそうだと思っていたのに、長いこと飛び跳ねていると、ヴィオレータはだんだん暑くなってきた。いっしょに踊るアンヘルがあっさりと襟元をくつろげるのを見て、うらやましくなる。
「こんなに踊り続けるとわかっていたら、わたくしも薄手の服にいたしましたのに!」
「それは困りますね。身体の線があらわになってしまう」
「布地が薄くなくとも、踊るのに適した服だってありますのよ。どうして、前もって教えてくださらなかったの?」
不満にくちびるを軽く尖らせる。子どもっぽいしぐさだとはわかっていたが、からだを動かしたことで気が緩んでいた。甘えたヴィオレータに、アンヘルはぐっと奥歯を噛むような顔をした。顔を胸に引き寄せられて、耳打ちを受ける。そうしないと、音楽と喧騒に紛れて、声が届かないほど、あたりはにぎやかになってきていた。
「ヴィオレータ。その表情はあんまり……」
「『あんまり』何ですか? この場にふさわしくない?」
「そんなことは言っていません」
腕のなかからアンヘルを見上げて、ヴィオレータはささやき返す。
「わたくし、とっても楽しくて、ずっと踊っていたいのに、暑くてたまらないのが悔しいです」
アンヘルはこれを聞いたとたんに血相を変え、ヴィオレータの手を引いて踊りの輪を抜けた。露店で妻のための飲み物を買い求め、店先の木箱に自身のマントを敷いて座らせる。自分はその隣の地面に片膝をついて、ヴィオレータの火照りが引くのを待った。
「もともと、土地のことを知っていただきたくて、数年に一度のめずらしい祭りを見にくるだけのつもりだったのです。ヴィオレータが私との踊りに付き合ってくれるのが嬉しくて、気づかぬうちに無理をさせてしまいました。──そうですよね、ご婦人の装いはただでさえ厚着だし、あなたはなかなか顔に出さないかたなのに。ああ、もう、どうして僕はいつもこうなんだ!」
後半は独り言めいたうなりだった。アンヘルが自責の念に駆られているようすに、ヴィオレータも少々こころが痛んで、ことばを差し挟む。
「引き際を見誤ったのは、わたくしです。アンヘルさまは、ダンスがお上手ですのね。踊りやすくて、ほんとうに楽しかったです」
「そう言ってもらえるのは、ありがたいですが、私が配慮に欠けていたのは事実ですから」
頑固に引かないアンヘルのようすに苦笑して、ヴィオレータは飲み物の器を両手で包みながら、踊る領民たちのほうを見やった。
「今年のフアン・イエロは追い出せたでしょうか」
話題を変えたヴィオレータの視線の先を辿り、アンヘルも同意する。
「霜害がなくとも、暖かいと徒長しますからね。実らねば、困るのは彼らです」
「お祭りは農民の息抜きとして存続すべきですが、わたくしたちは具体的な対策を見出すべきかもしれませんね。近隣の領地では、暖冬の年にどのように対応しているのでしょう」
ヴィオレータの発言に、アンヘルは苦い顔になった。
「母には知人がいるでしょうが、実務ではやり取りがないのです」
「あら。では、いまが好都合ではありませんか。お母さまに紹介していただきましょう。結婚のご挨拶がてら、農地を見せていただいてはいかが?」
にこりとして提案すると、アンヘルは目を見開いた。そうして、感服したようすでヴィオレータの手を取り、黙って甲にくちづけを落とした。
「若さま、ご結婚なすったんですか!」
「きれいなかた!」
「ねえ、若奥さまだって!」
結婚を祝うことばに挟まるように聞こえるさざめきに、面映くなる。アンヘルは慣れているようで、集まってきた彼らを見渡し、声を張る。
「今日は我が妻ヴィオレータを連れてきた。私たちも、皆とともに今年の豊作を願おうと思う。もてなしは必要ない。気兼ねなくやってくれ!」
「いつもどおり?」
茶々を入れるのは、そばにいた少年だ。その声に笑って、アンヘルははっきりとうなずく。
「そうだ、いつもどおりで構わない。なぁ、グスターヴォ?」
「ええ、そのとおりです。……さぁ、みんな、フアン・イエロを追い出すぞ! 若さまと若奥さまがきっと先駆けをしてくださるはずさ」
グスターヴォと呼ばれたのは、村長らしき壮年の男だ。先駆けと言われても、何をすればいいのかわからないヴィオレータに、アンヘルが顔を寄せる。
「私に合わせてください。なんとかなります」
いたずらっぽく細められる緑の目に励まされ、ヴィオレータは微笑みを保つ。弦楽器が鳴り、手拍子が響く。トリキティシャの調べと歌が聞こえると、アンヘルはヴィオレータの両手を取った。
タン、タタン、と軽妙なリズムに乗って、ステップを踏みながら、くるくるとその場で回る。ただそれだけの素朴な踊りに、どうにかついていく。
「こんなに踏んでしまって、麦は平気なのでしょうか?」
「何日かすれば元に戻ります。フアン・イエロの隠れ場所を暴くのが目的ですから、隈なく踏むのが正解です」
えい! とばかりに、足首丈の麦の茎を踏みしだき、アンヘルはカラッとした笑顔を見せる。
「冷たいフアンが悪い妖精の名なんですね」
「霜を降らせる妖精です。雪が降るときは静けさと寒さに満足して地面の下にいるそうで、悪さはしません。雪がないと、とたんにあたりを霜だらけにしてしまうと言います」
どうやら霜害の暗喩のようだ。フアンは、ドゥルセトリゴではありふれた男性名だ。聖フアンの日は初夏だし、関係ないだろう。特段、この妖精の名付けに意味はなさそうだった。
踊りは絶え間なく続く。次第にステップに慣れてくると、ヴィオレータにもまわりに目を配る余裕が出てきた。一曲過ぎるごとに徐々に周囲にひとが増えていく。男女でヴィオレータたちと同じ動きをする者もあれば、ひとりで両腕を耳の横まで挙げ、細かな足捌きを見せている者もある。
どの顔も楽しげだ。ヴィオレータは息を弾ませながら、アンヘルを見上げた。彼もほんのりと頬を紅潮させていたが、視線に応えて微笑んでくれる。思わず、こちらも表情が緩む。
いつまでも踊れそうだと思っていたのに、長いこと飛び跳ねていると、ヴィオレータはだんだん暑くなってきた。いっしょに踊るアンヘルがあっさりと襟元をくつろげるのを見て、うらやましくなる。
「こんなに踊り続けるとわかっていたら、わたくしも薄手の服にいたしましたのに!」
「それは困りますね。身体の線があらわになってしまう」
「布地が薄くなくとも、踊るのに適した服だってありますのよ。どうして、前もって教えてくださらなかったの?」
不満にくちびるを軽く尖らせる。子どもっぽいしぐさだとはわかっていたが、からだを動かしたことで気が緩んでいた。甘えたヴィオレータに、アンヘルはぐっと奥歯を噛むような顔をした。顔を胸に引き寄せられて、耳打ちを受ける。そうしないと、音楽と喧騒に紛れて、声が届かないほど、あたりはにぎやかになってきていた。
「ヴィオレータ。その表情はあんまり……」
「『あんまり』何ですか? この場にふさわしくない?」
「そんなことは言っていません」
腕のなかからアンヘルを見上げて、ヴィオレータはささやき返す。
「わたくし、とっても楽しくて、ずっと踊っていたいのに、暑くてたまらないのが悔しいです」
アンヘルはこれを聞いたとたんに血相を変え、ヴィオレータの手を引いて踊りの輪を抜けた。露店で妻のための飲み物を買い求め、店先の木箱に自身のマントを敷いて座らせる。自分はその隣の地面に片膝をついて、ヴィオレータの火照りが引くのを待った。
「もともと、土地のことを知っていただきたくて、数年に一度のめずらしい祭りを見にくるだけのつもりだったのです。ヴィオレータが私との踊りに付き合ってくれるのが嬉しくて、気づかぬうちに無理をさせてしまいました。──そうですよね、ご婦人の装いはただでさえ厚着だし、あなたはなかなか顔に出さないかたなのに。ああ、もう、どうして僕はいつもこうなんだ!」
後半は独り言めいたうなりだった。アンヘルが自責の念に駆られているようすに、ヴィオレータも少々こころが痛んで、ことばを差し挟む。
「引き際を見誤ったのは、わたくしです。アンヘルさまは、ダンスがお上手ですのね。踊りやすくて、ほんとうに楽しかったです」
「そう言ってもらえるのは、ありがたいですが、私が配慮に欠けていたのは事実ですから」
頑固に引かないアンヘルのようすに苦笑して、ヴィオレータは飲み物の器を両手で包みながら、踊る領民たちのほうを見やった。
「今年のフアン・イエロは追い出せたでしょうか」
話題を変えたヴィオレータの視線の先を辿り、アンヘルも同意する。
「霜害がなくとも、暖かいと徒長しますからね。実らねば、困るのは彼らです」
「お祭りは農民の息抜きとして存続すべきですが、わたくしたちは具体的な対策を見出すべきかもしれませんね。近隣の領地では、暖冬の年にどのように対応しているのでしょう」
ヴィオレータの発言に、アンヘルは苦い顔になった。
「母には知人がいるでしょうが、実務ではやり取りがないのです」
「あら。では、いまが好都合ではありませんか。お母さまに紹介していただきましょう。結婚のご挨拶がてら、農地を見せていただいてはいかが?」
にこりとして提案すると、アンヘルは目を見開いた。そうして、感服したようすでヴィオレータの手を取り、黙って甲にくちづけを落とした。
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