死に戻り令嬢の契約婚

渡波みずき

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 ミュリエルの赤みのある金髪の巻き毛も、ぱっちりとした真っ青な瞳も、小作りで整った顔も、非常に目立つものだ。豊穣祭の前日より過去には見かけた覚えがないと断言できる。それならば、なぜ、ヴィオレータは彼女の口調から恨みを感じるのだろうか。

「どうせ、覚えてないんでしょぉ? あんたが領地に来たせいで、代官のお父さまもお兄さまも罰を受けたのに」
「査察で裁かれるのなら、自業自得ではないかしら。わたくしのせいじゃないわ」
「ううん、あんたのせいよ! 領民の税を安くするために、不作だって報告してただけなんだもん!」
「……あなたは、そう教えられていたのね」

 よくある不正だ。どの家のことなのかは思い出せないが、ヴィオレータは嘆息した。

「農民たちが自家消費量を規定よりも多めに見積もって総量からあらかじめ差し引いたり、生活の苦しさから従量税を軽くしようと、収穫量を低めに報告したりしたのだとしたら、代官に罰を与えることはないわ。口頭注意にとどめるでしょうね。それだけ民の暮らしが厳しいのは、国を治める側の不手際だもの。でも、代官であるあなたのご父兄が罰されるのならば、実態は異なるのでしょう。代官の報告だけが下方修正されていたということね。農民たちからはすでに収穫量に応じた税を得ていて、国への報告との差分は不正に代官の懐に入っていたと考えるほかないわ」
「……ごまかさないで!」

 何もごまかしてなどいない。むしろ、親切に説明してみたのだが。眉を寄せたヴィオレータに、ミュリエルは怒りを露わにして、ぱちん! と、扇子を閉じた。

「あんたも王妃も国王も、フェリペさまも、なんでみんなそうやってミュリエルをバカにするのぉ? ひどい!」
「バカになんか、していないわ。あなたが救国の乙女として国を支えてくださるなら、わたくしはそれで構わないの。王太子殿下の婚約者の立場も望まない。元々、わたくしには過ぎた境遇ですもの。わたくしには、特別な能力もなければ、美貌もない。ただ、たまたま殿下より三年遅く、聖ラリサの日に生まれついただけだわ」

 ミュリエルは鼻にしわを寄せて、不快そうにした。扇子を鉄格子に叩きつけて、ヴィオレータを睨む。

「あんたみたいなヤツ、嫌い! ホント、ムカつく! 来なきゃよかった。もぅ、いい! ミュリエル帰る!」

 靴音も高く踵を返す彼女の背に声をかけたのは、純粋な気持ちからだった。

「──ミュリエルさま」

 呼びかけに、ミュリエルの足が止まる。聞いてもらえるうちにと、ヴィオレータは続けた。

「わたくしには、あなたの治癒術が効かなかったの。神聖な術も通じないわたくしは、やはり、神託の示す乙女ではありません。どうか、王太子殿下とご一緒に、危機が訪れたときにはドゥルセトリゴを救ってくださいませ」

 ふりむきもしない相手に、真摯に頭を下げる。腰を折り、床を見つめるヴィオレータの視界の端で、小さなつまさきがこちらをむく。

「……頭まで下げちゃって、バカみたい。あんた、なんにも知らないのね。本物の救国の乙女は、ミュリエルじゃなくて、あんたなのに」
「──え?」

 耳を打ったつぶやきに目を見はり、顔を上げたときには、もう、ミュリエルは足早に遠ざかってしまっていた。ヴィオレータは、身を起こし、いましがたミュリエルに言われたことを反芻する。

 ──ほんとうの救国の乙女? わたくしが? 治癒術の使える彼女が救国の乙女ではないの?

 なぜ、ミュリエルはそんなことを言うのだろう。訳がわからぬまま、ヴィオレータは椅子の背に手をかける。

 ──わたくしが本物だと、どうして言いきれるのかしら。

 貴族では神託の示す条件で生まれたのがヴィオレータだけだった。けれども、平民まで範囲を広げれば、多くの者が条件に当てはまるだろう。ミュリエルが良い例だ。平民でもよいのならば、世にも稀な治癒術を使える者のほうが、より、それらしいではないか。

 それなのに、ミュリエルは救国の乙女が自分ではないと言い切った。ヴィオレータは何も知らないとまで笑って。

 考えを深めようとしていると、不意に窓が大きくビリビリと鳴りはじめた。驚きのあまり悲鳴を上げ、ヴィオレータはその場にうずくまった。牢の外からも、騒ぐ声が聞こえる。他にも机のうえから低い音がする。まるで虫の羽音のような音を立てながら、水差しの中身が細かく震えている。

 異様な音が止んだのは、十ほど数えたころだった。いったい何ごとかと、ヴィオレータは窓のほうに駆け寄った。高い位置の窓から覗く空に、別段の変化はない。不安に駆られて、椅子を壁に寄せる。無作法と知りつつ座面に乗って、つまさき立ちになる。そうして見たところで、地面が見えるわけでもない。景色に変わり映えはなかった。今日はふだんよりも夕焼けが早いのか、むこうの空が赤く染まっている。

 ──待って。あちらは北だわ。

 貴族の牢とて、城内で日当たりの悪い北側に位置している。朝日も夕日も直接には見えない。それなのに、空は恐ろしいほど鮮烈に赤かった。

 怖気を覚えて、ヴィオレータは自分の両肩を抱いた。何が起きているのかわからなかった。まさか、大火事? しかし、城の北の方角にここまで激しく燃えるものなど思いあたらない。

 北の隣国ブエノステスが攻め入ってきたということならば、わからないでもないが、あちらは友好国だ。ヴィオレータの記憶が確かであれば、火種となるような出来事は何もない。

 自身の置かれた状況だけでなく、外のようすにも不安が生じた翌日、轟音のなかでヴィオレータは死んだ。前夜に寝入ったまま、二度と起きることは叶わなかったが、その理由を知る間もなく生命は潰えた。



 ──こうして、次に目覚めたとき、ヴィオレータの時間は、三年前、救国の乙女に関する神託の下る以前にまで、遡っていたのだ。
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