捨松──鹿鳴館に至る道──

渡波みずき

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 瓜生家の結婚披露宴は、繁子の実兄、益田孝の屋敷で執り行われた。
 英語劇の首尾は上々。列席者からは絶賛を浴び、捨松は上機嫌で舞台を下りた。
 舞台のうえでも緊張はあったが、あくまでも心地よい程度であって、台詞を忘れるほどのものではなかった。
 招待客に取り囲まれ、次々に挨拶を交わす。顔を繋ぐのが何より大事だ。今後、学校設立のための寄付や助力を請う相手かもしれないと思うと、いっときも気が抜けなかった。
 笑顔を貼りつけて、慣れない日本語を操っていると、幾度となく自分の言いまわしに不安を覚える。助けがほしくなって、目をさまよわせるも、いつのまにか捨松は演劇クラブの仲間から切り離され、ひとりになっていた。
 そのことに気づいたとたんに、限界は訪れた。笑顔が強ばった。それでも、なんとか適当な言い訳をひねりだす。
「失礼。外の空気を、少し吸います」
 そう言うなり、人目を避けるようにバルコニーへ滑り出た。ぴたりとガラス戸をたてると、いささかめまいがした。
 捨松はまだ、衣装の白いドレスのままだった。汚さぬようにと裾を気にして、前へ進みでてみてはじめて、先客がいたことを知った。
 恰幅のよい紳士だ。肩幅も広くがっしりとしていて、立派な体格だ。陸軍の正装がよく似合う後ろ姿だった。彼のほうも、衣擦れの音で捨松に気づいたらしい。ふりかえったその顔を見て、どちらともなく、声を漏らしていた。
 先日、瓜生家からの帰りに出会ったあの三姉妹の父親だった。
「いつぞやの」
 薩摩弁ではなく仏語で切り出したのは、紳士のほうが先だった。
「見事な劇でしたな」
「恐れ入ります」
 膝を折って礼を見せると、紳士はまぶしそうにこちらを見つめた。
「なぜシェークスピア劇を選ばれましたか」
「……欧米文化の啓蒙と、道徳教育のためですわ。もちろん、華やかな英語劇で瓜生様をお祝いしたい気持ちがいちばんではありますけれど」
 後半はともかく、前半の理由を口にするとき、捨松は少し、うしろめたく思った。そのような高尚なこころは、とうの昔に胸から過ぎ去っていた。
「さすが、留学してきたかたは違う」
 紳士は感心しきりのようすでうなった。それがまた、いたたまれない。
「今日、いっしょに劇をされたかたがたも、噂によると、留学経験者ばかりとか」
「ええ、そうです。とても博識なかたばかりで、いつも学ばせていただいております」
 紳士は深く首をうなずかせるも、表情は晴れやかとは言いがたかった。
「……ご気分が優れませんの?」
 率直に問いかけると、紳士はごまかすように呵々と笑い、口ひげをなでた。
「すぐに顔に出るたちで申し訳ない。いや、自分も国費で欧州をめぐりましたが、どうしても帰朝後は立場の同じ者のほうが話が通じやすくなるものだなと考えていたのです。留学した者同士にしかわからぬことは多いです。だが、だからといって、仲間うちで群れて遊んでいては、なんのための留学かと、陰口も叩かれましょう」
 顔つきは柔和だが、ことばは辛辣だった。紳士の発言に捨松は血の気が引く思いがしたが、ここで黙っていてはいけないと感じた。
「私たちの会合や演劇を、お遊びだとおっしゃるのですか」
 思いのほか、きつい詰問口調になったが、紳士はおっとりと笑うばかりだった。
「ひとは、立場の似通った者の話がいちばん耳に心地よいものなのです。あなたは留学し、学位をとり、立派に学を修めています。けれど、いまの日本で、二十歳を超えて独り身の女性は、男と同じ土俵にはあがれません。『女だてらに立派な学者様』だと認められることすらないでしょう。声高に正義を並べ立てたところで、所詮、半端者の言うことであると、ろくろく聞き届けてももらえません」
 仏語のやさしくていねいな口調が、余計に胸に刺さる。捨松は今度こそ、ことばを失った。
「あなたは、たったいま演じてきたばかりではありませんか。ポーシャはなぜ男の法学博士に化けたのですか。ネリッサはなぜ男の書記になりすましたのですか。諸外国ですら、地位のない女性は軽んじられるからです」
 捨松がよほどひどい顔をしていたのだろう。紳士はさすがに言い過ぎたと感じたらしく、ふたたび、顔を曇らせた。捨松は顔を覆いたいのを我慢しながら、紳士をじっと見据えた。
「私は、アメリカで学んだことを広く伝えたいのですわ。だから、まずは英語や文化を学んでもらわなければと思ったのです。そのために学校を作りたくて。こうして、人目に触れて、多くのひとと繋がりを持てる機会は、学校設立に向けた準備として、非常に有用だと考えておりました」
 懸命にしぼりだしたのは、アメリカに留学していたころの素直な気持ちだった。それを聞いて、紳士は微笑んだ。
「──自分とことばの違う人間をこころから受け入れるほどには、日本人の精神は成熟していません。耳を傾けてもらうには、相手とことばを同じくして、相手の立場に近づいて語りかけるほかありません」
 紳士はそれだけ言うと、名残惜しげにしながらも、バルコニーを出て、宴会場へと戻っていった。残された捨松はだれに気兼ねすることなく顔を覆った。広間から見えない陰へ隠れて、うつむいた。
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