忠誠と背信

渡波みずき

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 兄君とお嬢様は、非常に仲がおよろしい。朝晩のお食事はもちろんのこと、水曜の午後は、かならず互いに予定を空け、昼餐をともにしている。
 このお支度を調えたあと、私はたいてい兄君の従者と隣の間で話をするなどして、時間をつぶしていた。私には下働きの仕事がなく、むこうの従者も同様であった。
 従者と私は毎週、楽しく話を重ね、込み入った話をするほどに親しくなった。私は、異母兄弟に使えることとなった友人に関する相談をし、相手はそれに答える。相手もまた自分の立場や妹に関する相談をしては、私に意見を求めるのだった。
 昼餐会の前日、我々は打ち合わせのために顔を合わせ、なんとはなしに世間話になった。そのなかで、従者が不満をもらした。主である兄君に、妹が仕えるかもしれないと言う。従者の生家は、爵位持ちでこそないが、地元でも名のある大きな商家だ。兄弟そろっての奉公とは、よほどクロッコ家にお近づきになりたいと言う腹だろう。
 奉公に出るとは表向き。愛妾候補だ。考えてみれば、兄君は二十七歳にして独り身であり、当然のなりゆきと思えた。しかしながら、従者としては、お仕えしづらくなってかなわないらしい。それと言うのも、兄君には密かに通う身分低い恋人があるためだ。
 表だって愛妾とするのも憚られる身分というのが、どういったものかは知らない。だが、兄君に恋人があるのはクロッコ家の者ならば、皆知っていた。公然の秘密である。
 この恋人が、従者の友人なのだと言う。兄君は恋人に新しい側仕えのことをもらし、恋人はそれを友人である従者に伝えた。従者の口ぶりでは、友人はどうやらひどく思い悩んでいるらしかった。親族との板挟みに悩む従者をなだめ、はて、何かよい解決方法はないものかと、私もいっしょになって思案をめぐらせる。
 家内の人員配置を決める権限は、私たちにはない。執事か侍女頭に訴え出たところで、影響を及ぼすことが果たしてできるだろうか。
 明日まで猶予をくれないか、策を考えてくる。そう言った私に、藁にもすがる風情で、従者はうなずいた。



 こうして、私が従者のために解決方法を模索しはじめた次の日、つまり昼餐会のあった日の晩のことだ。予期せぬ事態が起きた。
 兄君が兇刃に倒れたのである。否、この言いまわしは正しくない。幸いにして、兄君は一命を取り留めたものの、意識はまだ戻らず、予断を許さない状況は続いているようだ。
 階下の人手を呼ぶベルが鳴ったとき、兄君は自室にいた。他には、従者がひとりだけ。私に相談を持ちかけた従者である。
 兄君は寝台の側に倒れていた。腹は短刀で深く刺され、失血死する寸前だった。意識はなく、顔面は蒼白だった。ベルを鳴らしたのは従者だ。表情なく床にへたり込み、血まみれの両手でベルの綱を何度も何度も引いていたと言う。部屋に人が来ても気づくことなく、何度も何度も。
 私がこれを知ったのは、翌朝のこと。
 いっとう早く駆けつけた住み込みの医師が、部屋を閉ざして箝口令を敷いたのだそうだが、騒ぎは抑えきれなかったようだ。おしゃべり好きな下女たちからのまた聞きによって、昨晩の騒ぎの正体を知ったときの私の困惑を、だれが理解できようか。
 いったい、何が起きたのか。真実を知るはずの従者は黙秘し、夜のうちに屋敷の地下牢へとつながれた。
 さて、私が事件に際してとった行動はと言えば、特になかった。冷たいようだが、従者を擁護できるほどの材料の持ち合わせはない。私は衛兵ではないし、医師でもない。常にお嬢様のお側にあって、誠心誠意お仕えするのが私の職務だ。
 執事の指示で、お嬢様には真相をお知らせしないこととなった。我々はお嬢様のお耳に、げすの勘ぐりを吹き込みそうな下女たちを極力、お嬢様の行動範囲に近づけないようにと苦慮した。併せて、兄君のお住まいのあたりは、完全に封鎖された。
『兄君は流行病にかかられて、ご静養中である。感染を避けるため、お見舞いはご遠慮願いたいとの由』
 昨晩の騒ぎの顛末を、私はこのようにお嬢様にご説明した。お嬢様はしばし沈思黙考された後、殊勝に仰った。
「そうね、身を慎みましょう。滅多なことは言いたくないけれど、お兄様に何かあれば、わたくしが代わりを務めねばならないもの」
 ──お嬢様のなんと素直なこと!
 いささかの罪悪感がないではないが、私はひとまず安堵した。これで、とりあえずは平穏な日々が送れることだろうと思った矢先だった。私へ、執事たちからの呼び出しがかかったのである。
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