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スナック紫苑とワスレナグサ

十二

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 今日の佳景は、とても穏やかだった。麻衣を上から下まで眺めまわして、ほくほくした顔になった。
『ずいぶん上等じゃのぅ。いやはや、じっくりと待った甲斐があったというもの』

 そう言って、腕をあげるものだから、麻衣はまた『アレ』が来るぞと身構えた。先日の喉を爪で引っかかれるような痛みを思い起こして、ぐっと息を止めたものの、からだを襲ったのは痛みではなかった。
 とても温かな風がつま先から巻き起こる。からだのなかを吹き抜けて、頭のてっぺんを通って出て行く。
 子どものころ、父や母にぎゅっと抱きしめてもらったときのような、心地よく安らかな感覚だった。

 ぽぽぽぽっ、音を立てて、居間に何かが降り注ぐ。見る間に背高く伸び、ひとつの株に五つ六つと、菊に似た花を咲かせる。青みがかった薄紫をした花だ。
 佳景は、花畑のようになった居間の畳に目を落とした。紅の目は物欲しそうに花を見つめる。ぴくりと手が動いたものの、先日のような手荒なことをする気はないようだった。

『佳介よ。いくらか、この小娘に取り分けてやるがよい』
 しゃがれ声が告げる。顎をしゃくり、花を示す。しゅううっと、虹彩の紅が瞳に吸いこまれるように消える。裂けていた口も、とがっていた耳も、またたくまにもとに戻った。
「……いいのか?」
 問いかける佳介のほうが困惑している。

『構わぬ。早うせい。与えぬのであれば、すべてわしが食らってやるぞ』
「わかった」
 やりとりのようすで、こんなことは例外なのだと、麻衣は思った。

 佳介は、店からハサミをとってくると、花を五、六本ばかり刈り取った。そして、カウンターのうえで、簡易なラッピングを施す。透け感のある深緑の不織布でくるまれると、まるで仏花のような風情になった。
「花ことばは『君を忘れない』。さきほどの話のなかの思い草ですねえ」
「これが」
 うなずきを返して、佳介は手元の花をみつめた。

「取り出した花を、佳景が人様にさしあげるのは初めてのことです。アレはひどく食い意地の張ったあやかしなものですから。きっと何か、感じ入るものでもあったのでしょう。めずらしいことですので、どうぞお持ちになってください」
 そう言って、さしだされた花を受け取ると、佳介はにかりと笑った。その口元が、徐々にまた裂けていく。
「そろそろ、我慢の限界のようです。花を奪い返されないうちに、早くおかえりなさい!」
 最後は叫ぶようにして、佳介は居間に駆け上がった。ぴたりと障子をたてたむこうで、暴れるような音がしはじめる。

 さすがに花を貪る佳景の姿は、目に快いものではない。
 麻衣は言いつけどおり、花と空の重箱とを抱え、そそくさとシャッターの下をくぐり、フローリスト井上をおいとましたのだった。



 本日、日曜日のスナック紫苑は、客の入りがよくないようだった。いつもは仕事帰りに立ちよる常連客の佐々木さんも、日曜日とあっては現れるはずもない。
「母さん。結婚、おめでとう」
 カウンターのむこうに花束をさしだす。母は夕飯の下ごしらえの手をとめて、両手で花束を受けとった。においをかぐように顔を近づけて、動きがとまる。

「麻衣。あんた、この花、どこで?」
「フローリスト井上。買ったんじゃないよ。くれるって言うから、もらってきた。オモイグサって言うんだって」
「そっかあ……」
 座るようにとうながされ、カウンター席に腰かける。母はペーパードリップでコーヒーを淹れてくれた。

「あんた、お父さんがいなくなってから、この店の名前が変わったのって、憶えてる?」
「……前から『紫苑』でしょ?」
「やだね、この子は。初めは、『スナックシルク』って言ったのよ。絹江の『絹』」
 まったく、憶えていなかった。同じ音から始まる名のせいで、幼い自分も混同していたのかもしれない。

「古今和歌集? 古事記? なんだっけか、忘れ草と思い草の話をゆり子から聞いてさ。そんで、『紫苑』って店名を変えたの。いつまでもお父さんを待ってますよーって」
「オモイグサじゃなくて?」
 母は豪快に笑った。
「母さんと同じこと言うのね、あんたってば。忘れ草は萱草かやくさ、思い草は紫苑の花のことをさすんだって。この花が紫苑」
 懐かしそうに言い、母はゆであがった野菜をざるにあけた。

「プロポーズをね、母さん、一度断ったんだ。お父さんが忘れられないからって」
 さらりと言われて、むせかえった。喉にからんだコーヒーに顔をしかめる。
「そしたらさ、『死んだ旦那さんをすぐに忘れられるひとを好きになったワケじゃない。思い出話をしているあなたに惚れたんです』だって!」
 急にのろけられて、麻衣は返すことばを模索する。母親の恋愛話ほど、始末に困るものはない。

「忘れられないのに、結婚しちゃうの?」
 問いは、核心をついたらしかった。母はお茶請けにクッキーをすすめて、カウンターに乗りだすように肘をつく。
「『結婚にこだわらずに、傍に居させてくれればいい』とも言われたの。でも、母さんは、それも断った。お父さんのとき、すごくつらい目に遭ったんだもん」
 カウンターに置いたままの紫苑の花に軽く手をふれた。

 いま言うべきだと、直感的に思った。麻衣は、はじめて、母に直接、そのことばを投げかけていた。
「お父さんが居なくなったころのこと、あたし、全然覚えてないんだ」
 母は、ちょっと面食らったような顔をしたが、やがて、表情を和らげた。
「あんた、まだ小さかったもんねえ。……あのひと、会社で倒れたのよ。会社に登録してあったのがウチじゃなくて、本宅の電話番号だったから、死に目にあえなかったの。本妻がいやがったから、お葬式にも出られなかったし、お墓の場所すら、長いこと教えてもらえなかった。人づてに調べたの。
 だからさ、今度の彼には、『何かあったとき、駆けつけられる立場をくれなきゃイヤだ』って、言ってやったの」

 母は流しでざっと手を洗うと、置いてあった紫苑の花束を取った。ラッピングを剥いで、ためつすがめつする。深めのグラスを出して、花を差し、カウンターの端に飾る。
 しばらく花を見つめてから、母はおもむろに口を開いた。
「麻衣。明日さ、あんた、学校休みな」
「……なんで?」

 真意がつかめずにいる麻衣に、母はいたずらっぽく微笑んだ。
「ふたりで、お父さんのお墓参りに行こうよ。この八年間のこと、報告しなきゃ。あんた、一度も行ったことがないでしょう?」
 すとんと、胸に落ちた。

 ──それ、あたしが言いたかった。
 この数日のわだかまりが消えていく。母の言いように、麻衣は不満げに口をとがらせた。
「だって、母さん、頼んだってつれてってくれなかったんじゃん」
「気が変わったの。ね、行きましょ」
 もちろん行くつもりだったが、じらすようにクッキーに手を伸ばす。

 ──どんな服で会おうかな、父さんに。
 父に会ったら、近いうちに婚約者にも会おう。母を大事にしてくれと、言ってやらなきゃならないのだから。
 麻衣は「いいよ」とつぶやくように応じて微笑み、コーヒーを楽しむため、目を伏せた。
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