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四 中務宮の姫君
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何から説明すればいいかしら。あたしは扇を手に取ってもてあそびながら、頭のなかを整理する。志子姫は、あたしたち兄妹の周囲の人間関係までは、まだ把握できていないはずだ。まずは、そこからがいいだろう。
パチン、と扇を閉じて、目を上げる。志子姫は凛とした佇まいのまま、少しだけ、首を傾げるようなしぐさをした。
「あたしの古参女房の小讃岐はわかるわね?」
「さきほど、文を持って出た者でございましょう? その者が、何か」
「あの子は、顕長兄上の乳母の娘よ。兄上の乳兄弟は、幼いうちに儚くなってしまったそうだけど、小讃岐も乳母も、いまは女房としてウチに勤めてくれているわ」
志子姫は目を細めた。耳にした関係性を頭にたたき込んでいるのだろう。こうしたことは滅多に書き残すものではないから、一度しか教えてもらえないと思っていい。そして、血筋で形成された人脈というものは、何に役立つかわからない非常に貴重なものだ。
「乳母の妹君は、中務宮家の姫君に仕えているの。その縁で、此度の人給には、牛車をお借りしたワケ。ウチの母上から、すでに車のお礼は申し上げていることでしょう。でも、実際に祭に行ったのはあたしたちだし、あたしたちが直接伺ってお礼を申し上げたところで、筋違いではないわよね?」
『その縁で』と省略したあれこれを考えつつも、ぱらりと扇を広げ、その影でにっこりと笑ってみせると、志子姫は、瞬きほどの時間を空けて、「そうかもしれませんわね」と、まるで牡丹のような華やかな微笑みを返した。
「宮家で何をお伺いになりますの?」
「道親が言うには、式部大輔どのには、宮家との縁談があるとか。真相を、知りたくはない? 宮家のことは宮家に聞くのがいいと思うの。貴なる方々には、独自の交流があるからね」
「さようでございますわね。……できたら、あわせて、何か大輔さまの醜聞など掴めると有り難く思いますわ」
醜聞? お相手のそんなもん知りたいだなんて、ヘンな趣味だなと思ったら、ウチの麗しい妹姫はうふふっと軽やかに笑ってみせた。
「だって、この志が、あんな下手なお歌になびいたと思われるのは心外でございますもの。醜聞や弱みなど握って、手綱はあたくしが取らなければ、立場が弱くなりますでしょう?」
「──まあ、そうね」
まったくもって正論なんだけど、結婚の話をするにはなんだか情緒がなさすぎる! ウチの妹が自信満々なのは可愛いんだけどもさ!
「中務宮の大姫さまといえば、本朝三美人との呼び声も高いかた。まさか、季姉さまが大姫さまとやりとりなさっているだなんて夢にも思いませんでしたわ! お目もじするのが楽しみでなりませんわ」
「うん、その期待は裏切らないかただと思うわ」
少しことば選びに気にさわるものを感じつつも、あたしは静かに嘆息する。あのかたは、美しいは美しいんだけど、ちょっとクセがあるんだよなあ。だが、百聞は一見にしかず。いま志子姫に説明するよりも、実際にお目にかかったほうが話が早い。
のんびりと志子姫の相手をしているあいだに、お返事の文がさっそく届いた。『おいでなさい』とだけ書かれたそっけない文に、相変わらずだなあと苦笑する。聞けば、牛車までよこしてくださったらしい。よもや、今日これから伺おうだなんて思ってもいなかった。
「ねえ、志。いまから大姫さまのところへ伺うわよ」
「……嘘でしょう?」
「あちらから牛車を差し向けてくださったから、いまさら断れないし、お待たせもできないわ。わかるでしょう?」
志子姫は愕然とした顔で自分の身なりを見下ろした。お出かけできる格好だったかしらと振りかえっているのだろう。それが当たり前の反応だと思います。
せめて扇ぐらいはと、よそ行きのものに取り替えている志子姫を余所に、あたしは腹をくくって、用意させたお礼の品の検分をする。
上等の絹の反物だ。大姫は喜ばないだろうが、大姫にお仕えしている女房らは喜ぶだろう。そもそも、あの大姫を物で釣って喜ばせるのは至難の業だ。
「お待たせをいたしましたわ」
震える声で扇を握りしめる志子姫の表情は硬かったが、そのせいで美貌が際立っている。やっぱり、なんだかんだいって、美人は笑わないほうがきれいに見えるから、不思議だよね。
中務宮の大姫と初めてやりとりをしたのは、五年ほど前になる。
ちょうど、兄上はお年頃で、方々の姫君に文を送っては振られていたらしい。これが伝聞なのは、ほんとうにあたし自身はそのことを知らなかったし、気にもしていなかったからなんだけど。
ここで、兄上はひとつ、ポカをやらかした。
大姫へ文を送るのに、自分の乳母の妹である柏木を介したところまではよかった。基本、姫君との最初のやりとりってのは、女房頼みですからね。だけど、うちの兄上はホントに気が利かないのよ。
贈り物を添えたり、紙を選んだり、姫君へ渡すばかりに花木の枝なりに文を結んであったりするはずもない。文ひとつで女心をくすぐらなきゃいけないってのに、殿方同士の事務連絡かと思うほどのそっけないお文の風情に、柏木はあきれはてたそうだ。
こんなものを大姫に取り次いでは、自分の評判が下がる。しかし、送り主は姉がお育てしている身分ある若君。すでに請け合ってしまった文を捨て置くこともできない。困った柏木は腹を括った。
預かった文を広げ、中を検分すると、内容に合った料紙を用意し、花を選んだ。とはいえ、文の内容にも少なからず問題がある。ええい、ままよと直しを入れて書き写し、折りたたんで花に結びつけた。大丈夫、筆跡で年配の女が書いたことは知れても、大事なのは、若君の名で文を送ることだ。
やり遂げた柏木に、文をご覧になった大姫は、にこやかにこうおっしゃった。
パチン、と扇を閉じて、目を上げる。志子姫は凛とした佇まいのまま、少しだけ、首を傾げるようなしぐさをした。
「あたしの古参女房の小讃岐はわかるわね?」
「さきほど、文を持って出た者でございましょう? その者が、何か」
「あの子は、顕長兄上の乳母の娘よ。兄上の乳兄弟は、幼いうちに儚くなってしまったそうだけど、小讃岐も乳母も、いまは女房としてウチに勤めてくれているわ」
志子姫は目を細めた。耳にした関係性を頭にたたき込んでいるのだろう。こうしたことは滅多に書き残すものではないから、一度しか教えてもらえないと思っていい。そして、血筋で形成された人脈というものは、何に役立つかわからない非常に貴重なものだ。
「乳母の妹君は、中務宮家の姫君に仕えているの。その縁で、此度の人給には、牛車をお借りしたワケ。ウチの母上から、すでに車のお礼は申し上げていることでしょう。でも、実際に祭に行ったのはあたしたちだし、あたしたちが直接伺ってお礼を申し上げたところで、筋違いではないわよね?」
『その縁で』と省略したあれこれを考えつつも、ぱらりと扇を広げ、その影でにっこりと笑ってみせると、志子姫は、瞬きほどの時間を空けて、「そうかもしれませんわね」と、まるで牡丹のような華やかな微笑みを返した。
「宮家で何をお伺いになりますの?」
「道親が言うには、式部大輔どのには、宮家との縁談があるとか。真相を、知りたくはない? 宮家のことは宮家に聞くのがいいと思うの。貴なる方々には、独自の交流があるからね」
「さようでございますわね。……できたら、あわせて、何か大輔さまの醜聞など掴めると有り難く思いますわ」
醜聞? お相手のそんなもん知りたいだなんて、ヘンな趣味だなと思ったら、ウチの麗しい妹姫はうふふっと軽やかに笑ってみせた。
「だって、この志が、あんな下手なお歌になびいたと思われるのは心外でございますもの。醜聞や弱みなど握って、手綱はあたくしが取らなければ、立場が弱くなりますでしょう?」
「──まあ、そうね」
まったくもって正論なんだけど、結婚の話をするにはなんだか情緒がなさすぎる! ウチの妹が自信満々なのは可愛いんだけどもさ!
「中務宮の大姫さまといえば、本朝三美人との呼び声も高いかた。まさか、季姉さまが大姫さまとやりとりなさっているだなんて夢にも思いませんでしたわ! お目もじするのが楽しみでなりませんわ」
「うん、その期待は裏切らないかただと思うわ」
少しことば選びに気にさわるものを感じつつも、あたしは静かに嘆息する。あのかたは、美しいは美しいんだけど、ちょっとクセがあるんだよなあ。だが、百聞は一見にしかず。いま志子姫に説明するよりも、実際にお目にかかったほうが話が早い。
のんびりと志子姫の相手をしているあいだに、お返事の文がさっそく届いた。『おいでなさい』とだけ書かれたそっけない文に、相変わらずだなあと苦笑する。聞けば、牛車までよこしてくださったらしい。よもや、今日これから伺おうだなんて思ってもいなかった。
「ねえ、志。いまから大姫さまのところへ伺うわよ」
「……嘘でしょう?」
「あちらから牛車を差し向けてくださったから、いまさら断れないし、お待たせもできないわ。わかるでしょう?」
志子姫は愕然とした顔で自分の身なりを見下ろした。お出かけできる格好だったかしらと振りかえっているのだろう。それが当たり前の反応だと思います。
せめて扇ぐらいはと、よそ行きのものに取り替えている志子姫を余所に、あたしは腹をくくって、用意させたお礼の品の検分をする。
上等の絹の反物だ。大姫は喜ばないだろうが、大姫にお仕えしている女房らは喜ぶだろう。そもそも、あの大姫を物で釣って喜ばせるのは至難の業だ。
「お待たせをいたしましたわ」
震える声で扇を握りしめる志子姫の表情は硬かったが、そのせいで美貌が際立っている。やっぱり、なんだかんだいって、美人は笑わないほうがきれいに見えるから、不思議だよね。
中務宮の大姫と初めてやりとりをしたのは、五年ほど前になる。
ちょうど、兄上はお年頃で、方々の姫君に文を送っては振られていたらしい。これが伝聞なのは、ほんとうにあたし自身はそのことを知らなかったし、気にもしていなかったからなんだけど。
ここで、兄上はひとつ、ポカをやらかした。
大姫へ文を送るのに、自分の乳母の妹である柏木を介したところまではよかった。基本、姫君との最初のやりとりってのは、女房頼みですからね。だけど、うちの兄上はホントに気が利かないのよ。
贈り物を添えたり、紙を選んだり、姫君へ渡すばかりに花木の枝なりに文を結んであったりするはずもない。文ひとつで女心をくすぐらなきゃいけないってのに、殿方同士の事務連絡かと思うほどのそっけないお文の風情に、柏木はあきれはてたそうだ。
こんなものを大姫に取り次いでは、自分の評判が下がる。しかし、送り主は姉がお育てしている身分ある若君。すでに請け合ってしまった文を捨て置くこともできない。困った柏木は腹を括った。
預かった文を広げ、中を検分すると、内容に合った料紙を用意し、花を選んだ。とはいえ、文の内容にも少なからず問題がある。ええい、ままよと直しを入れて書き写し、折りたたんで花に結びつけた。大丈夫、筆跡で年配の女が書いたことは知れても、大事なのは、若君の名で文を送ることだ。
やり遂げた柏木に、文をご覧になった大姫は、にこやかにこうおっしゃった。
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