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二 山吹の出衣
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祭り見物の人出は、想像をはるかに上回っていた。まあねえ、それだけスゴくなきゃ、紫式部のおばさんも、『源氏物語』のなかで、あんな車争いのシーンなんか描かないでしょうよ。
混雑した通りを、あたしたちの十輌ほどの一行がぐいぐいと無理矢理に進んでいく。どうしても人波をかきわけることになるためか、車の進みは芳しくない。
退屈しきりで、あたしはついつい小さく愚痴った。
「だから、こっそりお忍びで行きたかったんじゃないの」
つぶやきを拾って、志子姫が扇で口元を隠しながら、つんとして言う。
「わがままが過ぎますわ。身分を隠していては、必要なときに得られるものも得られませんのよ? 権大納言家の権力にものを言わせれば、場所取りに失敗して、少将様のお姿を垣間見ることもできずに泣き帰る、なんてこともありませんもの」
ことばに含まれたトゲにかちんときて、あたしの返すことばも少し辛辣になった。
「ウチの権力をどんなふうに使いたいわけ、志は」
「なんですの、人聞きの悪い言いかたをなさって」
志子姫があからさまに顔をしかめる。よもやこの狭い牛車のなかで口喧嘩かと、小讃岐はおろおろとしつつ、あたしたちのやりとりを見守っている。
「だから、なんで最近になって母上とやりとりするようになったのか、って聞いてるのよ。あんたが何の利益もないことをわざわざする姫君じゃないのはわかってるわ。権大納言家の北の方に取り入ろうっていうんだから、なにがしかの魂胆があるんでしょう?」
「まあっ、あたくしはただ、父上のなさりように反対せずに、あたくしを本邸に入れてくださった北の方様に、これまでのお礼を申し上げただけですのに」
車内は少々険悪なふんいきになりながらも、外では従者たちが奮闘してくれたようで、あたしたちの車は無事、場所取りに成功したらしかった。ほどなくして、あたりのざわめきで行列が近づいてきたことがわかった。
道親の姿は、すぐに見つかった。
というか、あたし、どうやら道親のことしか見えていなかった。いつにも増して凛々しい旦那さまの姿にくぎ付けになってしまい、下簾が邪魔とからげたばかりか、その先までオープンにしようとして、さすがに小讃岐にたしなめられた。
「姫さま! 人目がございますッ」
袖を引かれた拍子に、ふわりと風が吹き込み、車内が丸見えになりそうになって、さすがのあたしも慌てた。何人かの見物客と目が合った気がするけど、気にしない!
志子姫は頭痛をこらえるようにして、こちらを見つめる。
「あたくし、自分も突拍子もない姫だという自覚がございますけれども、姉さまほどではありませんわね」
「はいはい、申し訳ありませんね!」
口先だけで謝って、あたしは遠ざかりゆく道親の背を見やった。ああ、もう、ホント、素敵な旦那さま捕まえたなあ━━。
などと、帰り道にニヤついていると、車が急に速度を落とした。
「どうしたの?」
小讃岐が牛飼い童に声をかける。
「実は……」
他の車と行きあったので、道を譲るよう従者が声をかけたが、相手が譲らないのだという。こちらも意地になって「権大納言家の御車ぞ!」なんてやりあってしまっているらしい。
「他の道を探せないの?」
「後ろに人給の車がついてきておりますので、そう簡単にはいかないのだそうですわ」
「お相手はどなた?」
「それが一向に名乗らないのだとか」
小讃岐を介してのやりとりのあいだに透かし見ると、あちらもどうやら女車の仕立てらしかった。夏のいまごろに出衣のしつらえが春物の山吹の襲だし、使いこまれた網代車となると、ちょっと違和感のある風情だった。
「どなたか、往来では名乗れないような高貴なかたがお忍びでいらしているのじゃないの? 譲ってさしあげなさいよ」
口を挟むも、どうにも埒が明かずにやきもきしていると、二台の車のあいだにすっと割り込んできた影があった。男だ。
あちらの車に近づいて何事かやりとりをすると、こちらに戻ってきて、さっと扇をさしだしてよこす。
『問へど答えずくちなしにして』とだけ書かれた扇に、志子姫がかちんときたようすで、筆を! と鋭く指示する。
『山吹の散り残るこそあやしけれ』
墨もあざやかに書き記し、小讃岐から牛飼い童に、童から相手へと手渡してもらう。
相手は、ふっと笑ったようだった。
相手方は古歌を引いて、山吹の花色衣主や誰問へど答えずくちなしにして(山吹の花色の衣をまとうのはだれなのかと問うてみましたが、相手は答えませんでした。山吹色を出す染料がくちなしだからでしょう)と言ってきたのに対し、志子姫は、(だから! 春の花の山吹がこの夏場に咲いているのがおかしいんでしょう。春の色目を使うようなとんちきなひとがうろついてるから困ってるのよ!)と返したわけ。
気の強い女だとでも思われたのかもしれない。改めてみれば、二者のあいだに立った御仁、身なりが非常によい。いったい、だれなのだろう。烏帽子からのぞくふんわりとした色の浅い髪と、整った容姿だけが印象に残る。彼はもう一度、あちらの車に歩み寄り、やがて、交渉が成立したのか、相手の車から牛が外された。車のむきも転換される。どうやら、道を譲る気になったらしい。
「どうやって言いくるめたのかしら」
あたしがぽつりとつぶやく間に、彼は名乗りもせずにいなくなっていた。
混雑した通りを、あたしたちの十輌ほどの一行がぐいぐいと無理矢理に進んでいく。どうしても人波をかきわけることになるためか、車の進みは芳しくない。
退屈しきりで、あたしはついつい小さく愚痴った。
「だから、こっそりお忍びで行きたかったんじゃないの」
つぶやきを拾って、志子姫が扇で口元を隠しながら、つんとして言う。
「わがままが過ぎますわ。身分を隠していては、必要なときに得られるものも得られませんのよ? 権大納言家の権力にものを言わせれば、場所取りに失敗して、少将様のお姿を垣間見ることもできずに泣き帰る、なんてこともありませんもの」
ことばに含まれたトゲにかちんときて、あたしの返すことばも少し辛辣になった。
「ウチの権力をどんなふうに使いたいわけ、志は」
「なんですの、人聞きの悪い言いかたをなさって」
志子姫があからさまに顔をしかめる。よもやこの狭い牛車のなかで口喧嘩かと、小讃岐はおろおろとしつつ、あたしたちのやりとりを見守っている。
「だから、なんで最近になって母上とやりとりするようになったのか、って聞いてるのよ。あんたが何の利益もないことをわざわざする姫君じゃないのはわかってるわ。権大納言家の北の方に取り入ろうっていうんだから、なにがしかの魂胆があるんでしょう?」
「まあっ、あたくしはただ、父上のなさりように反対せずに、あたくしを本邸に入れてくださった北の方様に、これまでのお礼を申し上げただけですのに」
車内は少々険悪なふんいきになりながらも、外では従者たちが奮闘してくれたようで、あたしたちの車は無事、場所取りに成功したらしかった。ほどなくして、あたりのざわめきで行列が近づいてきたことがわかった。
道親の姿は、すぐに見つかった。
というか、あたし、どうやら道親のことしか見えていなかった。いつにも増して凛々しい旦那さまの姿にくぎ付けになってしまい、下簾が邪魔とからげたばかりか、その先までオープンにしようとして、さすがに小讃岐にたしなめられた。
「姫さま! 人目がございますッ」
袖を引かれた拍子に、ふわりと風が吹き込み、車内が丸見えになりそうになって、さすがのあたしも慌てた。何人かの見物客と目が合った気がするけど、気にしない!
志子姫は頭痛をこらえるようにして、こちらを見つめる。
「あたくし、自分も突拍子もない姫だという自覚がございますけれども、姉さまほどではありませんわね」
「はいはい、申し訳ありませんね!」
口先だけで謝って、あたしは遠ざかりゆく道親の背を見やった。ああ、もう、ホント、素敵な旦那さま捕まえたなあ━━。
などと、帰り道にニヤついていると、車が急に速度を落とした。
「どうしたの?」
小讃岐が牛飼い童に声をかける。
「実は……」
他の車と行きあったので、道を譲るよう従者が声をかけたが、相手が譲らないのだという。こちらも意地になって「権大納言家の御車ぞ!」なんてやりあってしまっているらしい。
「他の道を探せないの?」
「後ろに人給の車がついてきておりますので、そう簡単にはいかないのだそうですわ」
「お相手はどなた?」
「それが一向に名乗らないのだとか」
小讃岐を介してのやりとりのあいだに透かし見ると、あちらもどうやら女車の仕立てらしかった。夏のいまごろに出衣のしつらえが春物の山吹の襲だし、使いこまれた網代車となると、ちょっと違和感のある風情だった。
「どなたか、往来では名乗れないような高貴なかたがお忍びでいらしているのじゃないの? 譲ってさしあげなさいよ」
口を挟むも、どうにも埒が明かずにやきもきしていると、二台の車のあいだにすっと割り込んできた影があった。男だ。
あちらの車に近づいて何事かやりとりをすると、こちらに戻ってきて、さっと扇をさしだしてよこす。
『問へど答えずくちなしにして』とだけ書かれた扇に、志子姫がかちんときたようすで、筆を! と鋭く指示する。
『山吹の散り残るこそあやしけれ』
墨もあざやかに書き記し、小讃岐から牛飼い童に、童から相手へと手渡してもらう。
相手は、ふっと笑ったようだった。
相手方は古歌を引いて、山吹の花色衣主や誰問へど答えずくちなしにして(山吹の花色の衣をまとうのはだれなのかと問うてみましたが、相手は答えませんでした。山吹色を出す染料がくちなしだからでしょう)と言ってきたのに対し、志子姫は、(だから! 春の花の山吹がこの夏場に咲いているのがおかしいんでしょう。春の色目を使うようなとんちきなひとがうろついてるから困ってるのよ!)と返したわけ。
気の強い女だとでも思われたのかもしれない。改めてみれば、二者のあいだに立った御仁、身なりが非常によい。いったい、だれなのだろう。烏帽子からのぞくふんわりとした色の浅い髪と、整った容姿だけが印象に残る。彼はもう一度、あちらの車に歩み寄り、やがて、交渉が成立したのか、相手の車から牛が外された。車のむきも転換される。どうやら、道を譲る気になったらしい。
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