母親は二人もいらない

おきた

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本編

あなたは不幸?

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わたしの十三歳年下の弟である肯は現在大学生をしている。
一度はそこそこ有名な私立の四年制大学を卒業して工場の管理職に就職したが、特に人間関係の不満もなく数年間だけ働いた後に「他にやりたいことが出来た」と友人らの制止の声を振り切って、あっさりと辞表を出した。
晴れて我が弟は順風満帆な人生のレールから外れて二十代後半の無職という可能性と夢と親からすれば将来への不安がいっぱいなポジションを手に入れたのだ。
そんな自由気ままなブラザーの肯のやりたいことは、なんと教職らしい。
現在は通信制大学に再入学して、小学校の教員免許を取得する為に個別指導の塾講アルバイトをしながら二度目の大学生活をエンジョイしている。

肯は注文品を載せて近寄ってきた猫型配膳ロボットの頭をよしよしと撫でた。
肯の満ち足りた猫のように細められた瞳は、言葉より雄弁に歓喜を語る。
ハンバーグ&チキン南蛮にセットメニューのライスとスープに加えて、チョコバナナサンデーとマルゲリータピザを肯の前に置いた。
わたしは明太クリームカルボナーラの前で両手を合わせて「いただきます」をする。
銀色のフォークにパスタをくるくると絡めながら、わたしは感心して言う。
「相変わらずよく食べるよね。万年育ち盛り?」
マルゲリータピザをかじっていた肯は「えっ、普通では?」とばかりに目を見開いている。

相変わらず考えてることがわかりやすい男だ。
食の細い逢瀬くんとは大違いである。
「ちがうちがう。ねえさんは食べなさ過ぎる。担当のアイドルと一緒に食事制限してる感じか?よっ、マネージャーの鏡!」
肯は茶化したが、わたしは何も言わずにパスタを食べた。
フランチャイズ特有の安っぽい味は、逢瀬くんの手料理で肥えた舌にはお世辞にも美味しいと思えない。
安価で空腹を満たすだけの作業と化した食事、パスタをのろのろと消費するわたしに対して、マルゲリータピザを完食したらしい肯は、ハンバーグ&チキン南蛮にフォークをつけた。
「そう、そうだ。ねえさんは覚えているか?近所におれと同い年くらいの高嶋(たかしま)という女の子が住んでいたことを」

「高嶋?ごめん、わからない」
「覚えていないか!仕方ない。おれが教員を目指す理由をねえさんにはまだ話していないと思ってな。そのきっかけがおれの小学生の時よく遊んでいた女の子なんだ」
「へえ……」
「高嶋はな、」
スープを飲みながら、肯は話し始める。
当時の高嶋は同じ小学校に在籍する身でありながら、ろくに学校に行かず、最寄りから二つ先の駅近くにあるゲームセンターに一日中入り浸っていた。
肯はあの時代の子供には珍しく、昆虫カードのキャラクターを戦わせるアーケードゲームよりも、メダルゲームを好んだ。
UFOキャッチャーなどに比べたら、比較的に安価で沢山遊ぶことの出来るメダルゲームは、不登校の高嶋にとっても暇潰しに丁度良かったのだろう。

競馬やスロット、ダンジョンRPGなど色々なメダルゲームを同じ熱量で遊ぶ同世代の子供が二人いたら、仲良くなるのは一瞬だった。
何回か一緒に遊ぶうちに、自然と高嶋について色んなことを知っていくことになる。
例えば、高嶋の父親はレトロゲームマニアで、高嶋自身も学校の子達は理解してくれないけどレトロゲームが一番好きだということ。
その日は、もう百回は通っていたゲームセンターの、端に設置されたソファーに仲良く並んで座っていた。
近くのコンビニで少ないお小遣いを崩して購入したソフトクリームを片手に、高嶋はアメリカのビデオゲーム企業について熱弁していた。
曰く、「ビデオゲームを作ることを主眼に創立された会社としては世界初の企業である」とか。
正直、高嶋はゲームの話題になると早口で、言っている内容は半分も分からなかったけど、目をキラキラと輝かせて楽しそうに話す姿が大好きで、ずっと聞いていたいと思った。

だから、つい口を滑らせてしまったのだ。
「高嶋は、すごく狂ってて好きだ」
そう言った瞬間、高嶋は黙り込んで、しばらくしてから顔を歪めて叫ぶ。
「狂ってて好きなんて言わないでよ!なんでそんな酷いこと言うんだよ!ボクはおかしくなんてない!ボクが本当に好きなら狂ってるのは世界の方だと言ってよ!おかしいのは世界の方だよッ!」
今まで腹の底に溜めていた苦しみだろう。
吠えるみたいな声で泣いている。
涙は少しだって出ていなかったけれど、目の前の少女は確かに泣いていたのだ。
それから、何度そのゲームセンターに行っても高嶋と会うことはなくて、教室に来ることも無かった。

小学校卒業時に不登校の高嶋に向けて、クラス一同からの寄せ書きを贈ることになって、肯はただ一言「ごめんなさい」と謝罪の言葉を添えたのだ。
「ずっと後悔してるんだ。彼女は人からズレた自分に喜んでたことなんて一度も無かったのに。おれはそれを知っていたはずだったのに」
肯の語った思い出は、きっと、確かに、愛の話だった。
「それがあなたが教職を目指す理由?」
「まあ、他にも色々と理由はある。でも、高嶋の事がなかったら、おれは子供と関わる仕事がしたいなんて思いつかなかったはずだ」
肯はチョコバナナサンデーを細長いスプーンでつつきながら、肯が目を細める。

ご機嫌な猫みたいにしなった瞳だけで、笑っていると確かに分かった。
「なあ、ねえさん。他人をわかっている、他人をどうにかできる、他人を幸せにできる、なんて考えは随分と傲慢だとは思わないか。もうやめてしまえばどうだ」
わたしは絶句する。
肯のことはそれなりにわかっていると思っていた。
彼は単純でわかりやすい性格だとも。
少なくとも、わたしの知る肯はこんな風に年上を諭すような男ではない。
自分が、何かとんでもない真実に近づいている感覚があった。

警戒心が警鐘を鳴らしている。
目の前の男の諌めるような視線から逃げたくて、わたしは俯いた。
スプーンがパフェグラスに当たる音がカチャカチャと響いている。
「……深くは追求しない。家族だって他人だ。出来るのはせいぜい提案まで。ねえさんはおれじゃないし、おれはあなたにはなれない」
空のパフェグラスをテーブルの隅に寄せて、肯は少しだけ寂しそうに言った。
やめてよ、先生気取りで分かったような口をきかないでよ。
何も知らないくせに何を勝手なことを言うの、と責める言葉が咄嗟に浮かんだが、わたしは「そうだね」と答えて、それきり何かを言うのはやめた。
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