石鹸箱のうら

おきた

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本編

寂しさ※タヌキが死にます

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映画館でお目当ての映画を見終わった彼女は、夕陽に照らされる道路を歩いていた。
通り過ぎる電柱に、ちらほらと夏祭りのチラシが貼られていることに気づく。
生まれた時からこの街に住んでるのに知らなかったが、一週間後に夏祭りがあるらしい。
夏祭りの会場はおれの通う高校の裏山にそびえ立つ大きな神社で、丑鳴(うしなき)神社と呼ばれている。
電柱に貼られたチラシの前で立ち止まったおれの右手をくいくいと引っ張って、彼女は一つ質問をなげかける。
「人間って、殺したらどんな気持ちになるのかな?」
「……なんですか、急に。すみません。おれは虫以外は殺したことないからわからないです」
「ふーん……じゃあ、明日試してみようよ」

「人間を、ですか……?流石にそれは」
「ケチ。じゃあ、動物は?猟師さんだってやってるし!山に行けば、タヌキとか居ないかな?」
おれはタヌキを解体するヱリカを脳内で思い描く。
茶色の毛皮に覆われたぬいぐるみのような頭部を切り離して、肛門から首、四肢へと刃を入れて、皮を剥ぎとろうとするが、脂肪が邪魔をして上手く剥がれず、何度も刃を突き立てて毛皮を削るようにすると、タヌキは床掃除をする雑巾のように揺さぶられる。
やがて、絨毯のように広げられた自らの毛皮に横たわるタヌキの四肢はだらんと垂れ下がっていた。

ミルクベージュのような皮膚は内臓が透けて、青紫がマーブル状になっている。
真っ赤な血で濡れた雑草が微風に靡いて、乾燥してひび割れた地面を赤黒い液体が染み込んでいく。
ヱリカが無造作に握ったナイフは赤く染まり、生臭い魚のような匂いがする。
袖のがしゃどくろが容易く搾取され弄ばれる生命を嘲笑うかのように揺れた。
その空想は規範的な人間としての嫌悪を感じさせると同時に強い好奇心を感じさせるのも事実だ。
おれが頷くと、ヱリカは不思議と優しく笑う。
顔の造形は似ても似つかないのに、その笑顔は何故だか無性に懐かしくて、まるでおれのママのようだと思った。

夏は、本当に生き急いだ季節だ。
増えていく蝉の鳴き声に追われるように日々は過ぎて、寝て起きたら八月になった。
夏は何をするにも足が早くて、アスファルトも青空も植物もおれの生命力を吸い取ろうとしてくる。
日中はのんびりと空を眺める余裕もない。
おれは昼食を済ませて必要な物をリュックサックに詰めて、少し休んで時間を調整した後、昨日の約束通りにヱリカを連れて家を出た。
真夏の日差しに照らされながら、住宅地や商店街を抜ける。
あまりの暑さに玉の汗が止まらなくて、全身はバケツで熱湯をかけられたようにびしょ濡れだ。
神社へと続く長い階段を上って、鳥居をくぐる。
集会所の前はもぬけの殻で、人の気配がしない。

おれは人目を気にする必要が無い事実にホッと息を吐いて、リュックサックをおろすと中から使い古された中華包丁を取り出した。
調理師をしていた祖父から譲り受けた品の為、中々に年季は入っているが、今朝のうちに研石で刃をきちんと研いでおいたので切れ味は折り紙付きだ。
おれは中華包丁を握りしめて境内を中心に裏山の中をぐるぐる徘徊しながら、獲物となる野生動物を探す。
おれは猫背になりながらでこぼこと安定しない地面を踏みしめた。
ヱリカは草履のまま、器用に山道を歩くおれの後ろをついてくる。
片足を上げてスニーカーの裏を見ると小石が挟まっていたり、茶色い泥のようなものがこびりついていた。

リュックサックから紺色の水筒を取り出して、氷が溶けてお湯と化した麦茶を飲み干す。
おれが暑さに目を細めていると、ヱリカは自らの前髪を払いながら不思議そうに首を傾げる。
「タヌキ、出てこないねー。どこいったんだろう?冬眠かな?夏だからなつみん?」
「居ないってことはないはずなんですけどね」
「タヌタヌー」
「呼んで来たら苦労しないんじゃ……」
「タヌタヌー、殺してやるから出てこーい!」
「いやいやいや!おれがタヌキなら全力で逃げますよ!」
おれのツッコミとほぼ同じタイミングで、ガサリッと音がした。
まさかと思いながら音の主を探すと、生い茂る木々の隙間から草花を踏みしめてのしのしと野生のタヌキが現れる。

大きさは小型の犬や中型の猫くらいで、アーモンド色の目は顔の中心にぎゅっと寄って、鼻先は長く潰れたひし形のような顔つきをしていた。
太い尻尾を垂らして、茶色い毛皮に覆われた長方形のような図体を支える黒い四肢は相対的に細く見えるが、野生動物らしく鋭い爪が生えている。
おれは今になって、捕まえようにも網の類なんて持ってきていないことに気づいてしまう。
焦る気持ちのまま、リュックサックから間食用に持ってきた子供用オヤツの魚肉ソーセージを取り出してフィルムを剥がしていると、のろのろとした足取りでタヌキの方から近寄ってきた。
子供用オヤツの魚肉ソーセージを地面に落とすと、タヌキは逃げる素振りもなくその場で齧りつく。

誰かに餌付けされてるのだろうか、人間は無害な物だと信じきっている無防備な眼差し。
おれは中華包丁を躊躇なく首元に叩き込んだ。一気に刃を沈めると未知なる感触に、ぞくぞくぞくっと身体が震えた。
しかし、力が足りなかったのか、頭が落ちずに刃は顎の上辺りで止まってしまう。
こきゅう、とタヌキの口から息が出て、遅れて首元から真っ赤な血液がこぽぽと溢れて、ふかふかな毛皮が血で濡れてへたっていく。
中華包丁を一旦引き抜こうにも、脂肪や筋肉が邪魔をしてなかなか難しくて、試行錯誤をしていると頭蓋骨が割れてしまい、脳みそがまろびでて、タヌキの頭部の中はぐちゃぐちゃに掻き回される。
やがて、皮の内側から脳みそを引き剥がすように刃が振り抜かれた。

鮮血が噴き出て、おれのパーカーを赤黒く染める。
まだ意識があるのか、時々ビグン、ビグンとタヌキの黒い手足が痙攣した。
再び、中華包丁を突き立てようとした瞬間、ヱリカがおれの名前を呼んだ。
「西鬼くん、茶戸西鬼(ちゃどにしき)くん」
声に反応しないでいると、ヱリカがおれの頬に手を添えて、正面を向かせた後、風が撫でるようなキスを落としてきた。
「え……」
動揺して目を見開くおれに、彼女は大切な秘密を打ち明けるように囁く。
「たのしいね」
何だかおれは、近いうちにヱリカという存在に殺されてしまうような気がする。
無論、これは根拠なき漠然とした妄想に過ぎないのだけども。
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