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本編
最も死に近い君の隣
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しんでほしい、とわたしは言った。
怖気て後退りそうになる両足にめいっぱい力を込めて、すんでのところで堪える。
苛烈で非道な言葉を吐かれた先輩は、嬉しくて仕方がないという表情。理解不能だ。
きっと、最初からそうなのだ。先輩は自分のことばかりで、わたしの気持ちなんて考えてない。相互理解なんて不可能。
先輩の赤色がかった焦げ茶の髪が風に揺れる。眉目秀麗を具現化したような男だ。
学校指定のネクタイをきっちり締め、学校のパンフレットに載っても違和感がない着こなしで優等生スタイルを貫いていた。
「どうやって死ねば良い?俺はどうしたら良い?全部、あーちゃんに言われた通りにするよ」
笑みを浮かべたまま、砂糖を袋詰めにしたような甘ったるい声をかけられて、背筋に蛆虫が這いずるようなゾワゾワとした嫌悪感が走る。
あーちゃんという呼び方は親友がつけたあだ名だ。
こんな男に呼ばれる筋合いはない。
先輩は背負っていた黒いリュックを薄汚れたコンクリートの上に下ろした。
重そうなリュックの中にはきっと一年生と二年生の教科書が入っている。
先輩は、わたしに勉強を教える為だけに重たい思いをして全教科分の教科書や筆記用具を持ってきた。
びゅう、と風が吹く。落下防止用の白い柵越しに見えるのは普段なら中々お目にかかれない景色だ。
先輩はなんの疑問も抱かずに、わたしに言われるがまま、マンションの屋上まで着いてきたのだ。
まるで、犬のようだと思う。
主人の言うことにはひたすら従順に、それでいて主人と自分に危害を加える者には一秒の迷いなく牙を剥く。
社会の倫理や皆の決めたルールに縛られない先輩は、人間じゃない。
法に触れる犯罪行為を平気でするような奴は理性のない獣だ。わたしは断言する。
先輩は獣で、人間であるわたしの気持ちなんて分かりっこないのだろう。
先輩のせいで、わたしは色んなものを失った。沢山の宝物を壊された。
だから、死んでやろうと思った。
わたしをこんな状況に陥れた先輩の目の前で死んだら、きっと先輩は後悔すると思ったから。
先輩なんかに出会わなければわたしは幸せになれた。
先輩なんかに出会わなければわたしは普通の恋愛ができた。
先輩なんかに出会わなければわたしはおかしくなんてならなかった。
先輩なんかに出会わなければわたしは正常に生きられた。
先輩なんかに出会わなければわたしは先輩に死んでほしいなんて思わなかった。
そこまで考えて、ふと思う。
どうして、何一つ悪いことをしていないはずのわたしが先輩のせいで死ななければならないのだろう、と。
死んで当然の人間なんていないはずだ。
頭ではわかっている。でも、心が追いつかない。
先輩から逃れるには、先輩かわたしが死ぬしかないのだ。
賢い親友なら、もっと良い解決策を提案できたかもしれないが、あいにくとわたしは頭が悪い。
テストの成績も学年で下から数えたから早いのだ。
ひんやりと冷たい冷気が、プリーツスカートから伸びる生脚を突き抜けた。
もうすぐ高校生になってから、初めての冬になる。
先輩と出会ったのは夏休みの後で、普通の恋人らしく付き合った期間は一ヶ月にも満たない。
それまで接点なんて無かった。先輩はわたしのことを知っていたようだけど、わたしは先輩のことをクラスメイトからの噂でしか知らなかったのだ。
「なんで、……どうして、わたしだったの?」
寒さのせいか、わたしの唇と声は微かに震えていた。
先輩のことを好いてる人は沢山いる。
きっと、わたしじゃなくても良かったはずなのだ。
「すごく好きだったから、何をされても好きだったから、今も」
は、と吐き出した声は情けなく掠れていた。
空は灰色で、曇雲に覆われている。
先輩の口から出た言葉があまりにも異質で異常で、わたしは飲み込むことが出来ずに下唇を噛んだ。
答えになっていない。わたしはそんなことが聞きたかったわけじゃないのに。
いつもそうだ。何も上手くいかない。
「なに言ってんの、あんなことされてもまだ好きなの、あれだけしたのに、わたしの人生めちゃくちゃにしたのに、まだ足りないの、まだわたしが好きなの」
「何されても良いって言っただろ。そりゃあ、嫉妬もしたけど、あーちゃんは本当の俺を、こんなダメな俺を知ってくれてた。受け入れてくれただろ、だから」
異世界人でも見ているような気持ちになる。
自分と同じ言語を話しているとは思えない。暖簾に腕押しだ。知っていたけど。
「気持ち悪い、気持ち悪いよ、気持ち悪い……好きなら、好きならなんでわたしが樋口(ひぐち)くんに抱かれたの見て喜んでたの、」
「だから、愛してるからだよ。あーちゃんが別の男と愛し合ってても良いんだ。あーちゃんの隣じゃなくても、傍に居られたら、それで良いんだ」
「……わたしはッ、普通の恋愛がしたかった。なんでよ。どうしてよ。さっさと、目の前から消えてよ!なんで離してくれないの!なんでわたしを解放してくれないのッ!さっさと消えろよ!わたしが好きなら死んで!早く死んでよ!」
わたしは爪を立てガリガリと髪をかきむしった。
いくら声を荒げても、先輩が動じた様子はない。
「だから、わかったって。死ぬよ。全部言われた通りにする。どうしたら良い?言ってくれなきゃわかんないって」
発狂するわたしとは反対に、先輩はやたらと落ち着いた声色でたずねる。
こんなの自殺幇助だ。それでも先輩はわたしの命令を待っていた。
消えろと叫ぶわたしを、それでも愛していると言う。先輩はおかしい。狂っている。
「ねえなんでよ、わたしが好きなの?なんで好きなの!死んでよ、わたしが好きならここから飛び降りて、今すぐ死んで。お前が死にさえすれば全部が上手くいくんだ!」
「わかった。あーちゃんが本当にそう望むなら、良いよ」
言って、先輩はわたしの隣を通り過ぎる。白い柵の前に立った先輩は下の景色を確認するように少し背中を丸めて、靴と靴下を脱いだ。
先輩は細い柵の上に、裸足の両足を乗せて真っ直ぐに立つ。
ほんの少しバランスを崩せば、マンションの高さ分、落下する。
そんな不安定な場所で、先輩は本当に気安そうに立っていた。
非現実的なシチュエーションに眩暈を覚えて、わたしは強く目を瞑った。ほんの一瞬の隙。
「あーちゃん、これは愛だよ」
その言葉の意味を問い質す前に先輩は消えて。バンッ。と。テーブルを強く叩いたような破裂音が聞こえた気がした。
怖気て後退りそうになる両足にめいっぱい力を込めて、すんでのところで堪える。
苛烈で非道な言葉を吐かれた先輩は、嬉しくて仕方がないという表情。理解不能だ。
きっと、最初からそうなのだ。先輩は自分のことばかりで、わたしの気持ちなんて考えてない。相互理解なんて不可能。
先輩の赤色がかった焦げ茶の髪が風に揺れる。眉目秀麗を具現化したような男だ。
学校指定のネクタイをきっちり締め、学校のパンフレットに載っても違和感がない着こなしで優等生スタイルを貫いていた。
「どうやって死ねば良い?俺はどうしたら良い?全部、あーちゃんに言われた通りにするよ」
笑みを浮かべたまま、砂糖を袋詰めにしたような甘ったるい声をかけられて、背筋に蛆虫が這いずるようなゾワゾワとした嫌悪感が走る。
あーちゃんという呼び方は親友がつけたあだ名だ。
こんな男に呼ばれる筋合いはない。
先輩は背負っていた黒いリュックを薄汚れたコンクリートの上に下ろした。
重そうなリュックの中にはきっと一年生と二年生の教科書が入っている。
先輩は、わたしに勉強を教える為だけに重たい思いをして全教科分の教科書や筆記用具を持ってきた。
びゅう、と風が吹く。落下防止用の白い柵越しに見えるのは普段なら中々お目にかかれない景色だ。
先輩はなんの疑問も抱かずに、わたしに言われるがまま、マンションの屋上まで着いてきたのだ。
まるで、犬のようだと思う。
主人の言うことにはひたすら従順に、それでいて主人と自分に危害を加える者には一秒の迷いなく牙を剥く。
社会の倫理や皆の決めたルールに縛られない先輩は、人間じゃない。
法に触れる犯罪行為を平気でするような奴は理性のない獣だ。わたしは断言する。
先輩は獣で、人間であるわたしの気持ちなんて分かりっこないのだろう。
先輩のせいで、わたしは色んなものを失った。沢山の宝物を壊された。
だから、死んでやろうと思った。
わたしをこんな状況に陥れた先輩の目の前で死んだら、きっと先輩は後悔すると思ったから。
先輩なんかに出会わなければわたしは幸せになれた。
先輩なんかに出会わなければわたしは普通の恋愛ができた。
先輩なんかに出会わなければわたしはおかしくなんてならなかった。
先輩なんかに出会わなければわたしは正常に生きられた。
先輩なんかに出会わなければわたしは先輩に死んでほしいなんて思わなかった。
そこまで考えて、ふと思う。
どうして、何一つ悪いことをしていないはずのわたしが先輩のせいで死ななければならないのだろう、と。
死んで当然の人間なんていないはずだ。
頭ではわかっている。でも、心が追いつかない。
先輩から逃れるには、先輩かわたしが死ぬしかないのだ。
賢い親友なら、もっと良い解決策を提案できたかもしれないが、あいにくとわたしは頭が悪い。
テストの成績も学年で下から数えたから早いのだ。
ひんやりと冷たい冷気が、プリーツスカートから伸びる生脚を突き抜けた。
もうすぐ高校生になってから、初めての冬になる。
先輩と出会ったのは夏休みの後で、普通の恋人らしく付き合った期間は一ヶ月にも満たない。
それまで接点なんて無かった。先輩はわたしのことを知っていたようだけど、わたしは先輩のことをクラスメイトからの噂でしか知らなかったのだ。
「なんで、……どうして、わたしだったの?」
寒さのせいか、わたしの唇と声は微かに震えていた。
先輩のことを好いてる人は沢山いる。
きっと、わたしじゃなくても良かったはずなのだ。
「すごく好きだったから、何をされても好きだったから、今も」
は、と吐き出した声は情けなく掠れていた。
空は灰色で、曇雲に覆われている。
先輩の口から出た言葉があまりにも異質で異常で、わたしは飲み込むことが出来ずに下唇を噛んだ。
答えになっていない。わたしはそんなことが聞きたかったわけじゃないのに。
いつもそうだ。何も上手くいかない。
「なに言ってんの、あんなことされてもまだ好きなの、あれだけしたのに、わたしの人生めちゃくちゃにしたのに、まだ足りないの、まだわたしが好きなの」
「何されても良いって言っただろ。そりゃあ、嫉妬もしたけど、あーちゃんは本当の俺を、こんなダメな俺を知ってくれてた。受け入れてくれただろ、だから」
異世界人でも見ているような気持ちになる。
自分と同じ言語を話しているとは思えない。暖簾に腕押しだ。知っていたけど。
「気持ち悪い、気持ち悪いよ、気持ち悪い……好きなら、好きならなんでわたしが樋口(ひぐち)くんに抱かれたの見て喜んでたの、」
「だから、愛してるからだよ。あーちゃんが別の男と愛し合ってても良いんだ。あーちゃんの隣じゃなくても、傍に居られたら、それで良いんだ」
「……わたしはッ、普通の恋愛がしたかった。なんでよ。どうしてよ。さっさと、目の前から消えてよ!なんで離してくれないの!なんでわたしを解放してくれないのッ!さっさと消えろよ!わたしが好きなら死んで!早く死んでよ!」
わたしは爪を立てガリガリと髪をかきむしった。
いくら声を荒げても、先輩が動じた様子はない。
「だから、わかったって。死ぬよ。全部言われた通りにする。どうしたら良い?言ってくれなきゃわかんないって」
発狂するわたしとは反対に、先輩はやたらと落ち着いた声色でたずねる。
こんなの自殺幇助だ。それでも先輩はわたしの命令を待っていた。
消えろと叫ぶわたしを、それでも愛していると言う。先輩はおかしい。狂っている。
「ねえなんでよ、わたしが好きなの?なんで好きなの!死んでよ、わたしが好きならここから飛び降りて、今すぐ死んで。お前が死にさえすれば全部が上手くいくんだ!」
「わかった。あーちゃんが本当にそう望むなら、良いよ」
言って、先輩はわたしの隣を通り過ぎる。白い柵の前に立った先輩は下の景色を確認するように少し背中を丸めて、靴と靴下を脱いだ。
先輩は細い柵の上に、裸足の両足を乗せて真っ直ぐに立つ。
ほんの少しバランスを崩せば、マンションの高さ分、落下する。
そんな不安定な場所で、先輩は本当に気安そうに立っていた。
非現実的なシチュエーションに眩暈を覚えて、わたしは強く目を瞑った。ほんの一瞬の隙。
「あーちゃん、これは愛だよ」
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