キミの泥梨は博愛に欠くか

おきた

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北上殊愛(きたがみたお)編(※殺人描写有り)

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会いたいわけではないはずだけれど周囲から求められているので、隔離された部屋の中にいるおれに会いに来た。
おれが肩を竦めて見せると、彼女は僅かに強ばった顔で笑い、上着を翻し近場の椅子に座る。
おれは彼女の緊張を解すために、この上なく明るく元気な声を出した。
「はじめまして!こんにちは。こんばんは?すみません、挨拶はきちんとすべきなのに、時間の感覚が薄れてしまって……お茶でも出せたら良かったんでしょうが、生憎ここはおれの家ではないし、自由はあまり効かないので……」
「……お久しぶりです。今日は応じてくださってありがとうございます。私は貴方の話を聞くために来ました」
「……何か聞きたいことがあるんですか?おれに答えられることなら、何でも答えますけど……参考になるかどうか……」

おれの協力的な態度で少しは認識を改めたのか、彼女の身構えるような態度は和らいだ。
「単刀直入に聞きますが、貴方は両親を恨んでいましたか?」
「まさか!育てて貰って大変感謝していますよ!おれみたいな凡才が身の丈に余る名門大学に入れたのはパパとママが小さい頃から家庭教師をつけて塾にも通わせてくれたおかげで、有名企業に就職だって出来たんですよ?都心での一人暮らしだって、周りの人間から羨ましいと何度も言われた。挫折して引きこもってしまった時期もありますが、おれは恵まれていると思います」
「失礼ですが、今の貴方はそんなことを言っても信じて貰えない立場ですよね?」
「……。あー……そうですよね。やっぱり……でも、嘘偽りない本心なので、信じて貰いたいかもしれないです」

「私は貴方を信じているから来たんです」
「……そうなんですか?ありがたいです」
「ええ……だから話してください。本当はどうして何があってこうなったのか」
「うーん、どうしようかな。おれはできればずっとここにいたいんですよね。だから……誰に対してもあの日のことは話したくないんですが……どうしても、聞きたいですか?」
「……通常、私達は無理強いをしません。この仕事の役目は親密な他人をお金で買うことです。だから、不都合は押し付けません」
「へー……なんだか夢がないですね……」
「しかし、私一個人としては教えて頂きたいです。どうして貴方は両親を殺さなくちゃいけなかったんですか?……貴方は忘れているようですが、貴方と私は同じ高校に通っていました」

「……えっ、おれのクラスメイト?」
「そうなります。もっとも貴方は一年生の六月頃から不登校になってしまったので、直接会って話す機会はありませんでしたが」
「もしかして、おれに毎月手紙くれた子?」
「貴方は返事を一度もくれませんでしたね」
「うわー、マジか。世間って狭い。困ったなー……実はおれに会いに来てくれた人間って、あなただけなんだ」
「貴方が来てくれというなら、これから先も来ますよ。高校の卒業式で水色とピンクのグラデーションに髪を染めていましたよね。目立ってたのでよく覚えています」
「そんなことよく覚えてるね。すごく嬉しいや。こんなに嬉しいのは北上殊愛(きたがみたお)ちゃんのバイト先を見つけた日以来だよ。卒業式は正直制服じゃなくて殊愛ちゃんと同じ私服で行きたかったんだけどね、流石にママに止められちゃって」

「北上殊愛……読者モデルですよね。大学生の頃、ファンでした。貴方も好きだったんですか?」
「うん。好きだよ。大学生の時は彼女のバイト先のカフェに通い詰めてた。おれは男だったけど、殊愛ちゃんに憧れて髪を伸ばして水色とピンクのグラデーションに染めたし、服装だって真似した。すごく可愛かったし、おれを救ってくれた神様で、おれの理想だったから……この歳になって殊愛ちゃんの話が出来るなんて思わなかった。おれは、都心に移り住んでからも友達できなかったし、仕事以外だと誰かと話すことなんて無かったからさ」
「友達は作れなくても貴方は仕事で成功していた。都心の高層マンションで優雅に暮らしながら、時折女性を招いたりしていた」
「ははは、まあ、おれはこんな見た目だけど、女性は名刺さえ渡せば抱かせてくれたから」

「プライベートも充実していた上で父親と母親を特に憎んではいなくて、むしろ感謝をしていた」
「言っておくと、祖母や従兄弟のことだって別に嫌いじゃないよ」
「……それならば、貴方は本当に両親を殺す必要がないということになります。ならどうして?」
「うーん。まあ、話しても、いいかなぁ。殊愛ちゃんのファン仲間として。引退しちゃってから殊愛ちゃんを知ってる相手は貴重だし」
「……はい」
「パパやママ、家族のことは一切恨んでなんかない。勉強が苦しい時はあったけど、そのお陰で今の仕事に就けたんだって納得している。友達はいなかったけど、大人になってからは女性がそれなりに遊んでくれたから、寂しくもない。でも、おれは……戻りたくなった」

「戻る……?」
「その為には足りなかったんだ、ここに居たら否が応でも手に入るものが。人なんて殺したの初めてだからさ、パパとママは中々死んでくれなくて包丁で何度も刺すことになってしまったのは少し後悔してる。一思いにしてあげたかったんだけど」
「……貴方は、一体」
「ここにいると懐かしくなるんだ。昔に戻ったみたいで。部屋から自由に出られないけど、おれは殊愛ちゃんのことを考えていられる。雑誌の差し入れなんてなくても、目を閉じたらいつでも出会える。社会で成功なんてしてない、友達もいない、女性だって遊んでくれない、それでも高校時代が一番幸せだった。だっておれの世界には殊愛ちゃんしかいなかった」

きっとおれの今回の犯行は両親への怨恨である見方が強まっているのだろう。
その一方で、おれの言動は犯罪統計学と照らし合わせた際に幼少期の虐待が引き起こす社会的病質のパターンに当てはまった。
しかし、それは目の前の彼女や警察の憶測の域は出ない。
「心配しなくても、おれは誰も恨んではいないんだよ」
おれの言葉に、彼女は空しく唇をわななかせながら当惑顔を晒す。
留置所の天井のライトに照らされて、精神科医である彼女の真新しい白衣は白く輝いている。
おれは思案に余ったように腕を組み、それから透明なガラス越しに出来るだけ穏やかに笑いかけた。
「この場所に居たら、おれは毎日外出禁止でいられて、殊愛ちゃんに憧れてた高校時代に戻ったみたいですごく安心するんだ」

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