毒薬にもならない友人

おきた

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本編

同級生ってなんだろう?

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ぼくは外出前に、必ず靴下を発掘しに行かねばならない。
素足にスニーカーを履くと靴擦れになるじゃないか。そんなの嫌すぎる。
外傷はどんな形であっても嫌だけど、足を痛めることは別格で恐ろしいことだった。
逃走スピードが遅くなるということは、外敵に見つかった際に捕食される可能性が高くなるということに他ならないのだ。
スニーカーの靴紐をきつく結んで、歩いている最中に解けないようにする。
走っている時に靴が脱げてしまうなんてコントの世界だ。
ギャグ漫画ならばおいしいが、現実世界で起こると苦い気持ちになってしまう。

三次は惨事なのである。
玄関を出ようとしたら、チャイムが鳴ってぼくは眉をひそめた。
我ながら、タイミングが悪過ぎる。
居留守を使おうかと思ったが、靴を脱ぐのも面倒臭いのでドアを開けることにした。
男は度胸、女は愛嬌、ぼくは最強である。
ドアの先に立っていたのは緩くカーブした茶髪の二十代後半くらいの女性で、どこかで顔を見たことがあるような気がした。
あまり良く思い出せないけど、つまりはその程度の存在なのだろうと結論づける。
「急に申し訳ありません、少しお話をお伺いしたくて……」

女性の差し出してきた名刺にはジャーナリストと印刷されていた。
それは数年前に見たことがある紙切れだ。
ぼくは目を眇めて、露骨に嫌そうな顔を作る。
情報を拡散する職種の人間というのは総じて自己中心的で図太いのだ。
こんなことで退かないのは嫌という程に知っている。
焼け石に水だとしても、表面上は抵抗していたいのだ。好意的に対応する義理もない。
ぼくはマスメディアというものが嫌いだ。
憎んでると言っても良い。

他人の不幸を情報として部外者に広めて、飯を食う人間には、地獄の餓鬼のようなおぞましさがある。
「帰ってくれませんか。迷惑なので」
能面顔で落ち着きを払っていることを演出しながらも、溢れ出る嫌悪感が低声となって口から滑り出た。
「貴女にお聞きしたいんですよ。園原創さんのクラスメイトですよね?」
「話すことなんて何一つないです」
「でも、クラスメイトならではのお話というのもあるでしょう」
「何もありません」
「我々には多くの真相を知らせる義務があります。噂によると、園原創さんは殺人を犯したんですよ。貴女はそれすらもご存知ないのですか?」

「……へえ、そうですか。だからって、なんなんですか?そもそも、彼女とは交友がありません。聞くだけ時間の無駄です」
きちんと施錠できたことを確認すると、ぼくは女性を押し退けて歩き出した。
女性が追いかけてくる様子はない。その事実に少々安慮してしまう。
折りたたみ式携帯を開くと事件について聞きつけた従姉妹からメールが届いていた。
本文内容を要約したら、『大丈夫?』というぼくへの心配と気遣いである。
ぼくの従姉妹は児童精神科医をしていて、ぼくも間接的にお世話になることが多かった。
直接会って話をする機会は少ないが、今のように大事なときは必ず連絡をくれるのだ。

物理的な距離が空いているのに切れない縁というのは貴重で有難いものだと思う。
従姉妹からのメールを読んでいたら、少し気分が明るくなった。
もとより、今日は新発売の小説を買う予定なのだ。
自然と早歩きになって、風が頬を撫でる。
電柱を横目に通い慣れた書店へと一直線。
自動ドアをくぐると、耳触りの良い鈴の音が響いた。
店内をぐるりと確認して、視界に入った存在にぼくは微かに目を開ける。
冬に生まれたのではなく、冬から生まれた。
彼にはその表現の方がしっくりくる。
狼谷五月(かみや さつき)がいたのだ。

水晶の様な冷たい美貌は、冗談みたいに作りもののようで、不意に太陽へ晒せば、燃えてなくなりそうだった。
実際の誕生日がいつなのかなんて知らないが、ぼくから見た彼はまさに氷の王子様という単語がぴったしカンカンなのだ。
外見以外で憶測が出来るほどの知識はない。
狼谷五月くんについてのクイズ番組なんてあったら、ぼくは全問不正解になる自信しかないのだ。
三年間も同級生をしていたが、クラスが一緒になったことすらない。
ぼくが知っていることといえば、狼谷五月くんは非常に頭が良いということくらいである。

現に今も、小難しい学術書の棚を見ていた。
ぼくが逆立ちして雷に撃たれたとしても、内容が理解出来ないコーナーである。
頭の作りが違う、はっきりわかんだね。
ぼくは少しの好奇心と気まぐれに身を任せて、狼谷五月くんの隣にすすす……と近寄る。
ここで会ったのも何かの縁だ。
背伸びをして横から本を覗き見るぼくの眼は、まるで獲物を狙うハンターのように違いない。
文章は細かく文字が小さくて、内容を理解する前にギチギチに詰まった文字列に目を回してしまった。ぐるぐる。
「何か用ですか」
「うひゃあっ」

ぼくは驚きで身体をのけぞらせる。
まさか話しかけらるとは思わなかったのだ。
狼谷五月くんは顔を顰めるでもなく、疑問符のない丁寧語を繰り返す。
「何か用ですか」
微動だにしない表情筋は生気を感じられず、綺麗なばかりの人形を連想させた。
翳りのある赤い双眸は、ぼくという個人を認識しているのかすら疑わしい。
そして、直感的に思ってしまった。
あ、こいつ苦手だな、と。
嫌いではなく、苦手である。
いくら言葉を並べたところで、ぼくが狼谷五月くんと仲良くなることは無いだろう。

真紅に浮かぶ闇は、ぼくの悔恨だ。
それは、ずっと昔に見慣れたものだった。
「狼谷五月くんって、なんでこんな日に外出してるの?ちな、ぼくは同級生な。中学校が同じだよん」
「クラスメイトではないですよね」
「おー、鋭い!キレッキレやんな!そうだぜ。名乗ろうか?」
「ご自由に」
一応会話は成り立つが、条件反射のようなものだろう。どこか遠いところを眺めている。
他人への拒絶を図る姿勢。
けれどそれは、壁ではなく牽制のようにも見える。

「まあ、良いや。狼谷五月くんって、殺人事件についてご存知かい?」
「昨晩は、ずっと自宅にいました」
「なんだ、マスゴミに突撃された後かー。でも、家族はアリバイには弱くない?」
「俺は一人暮らしなので、両親はいません」
「……そ、そっかー!あのな、ぼくは別に探偵ごっこなんてしてないからな!」
「そうですか。だったら、君こそ自宅で大人しくしていた方が良いんじゃないですか」
「心配してくれんの?大丈夫だよ」
ぼくは口角を持ち上げて、答えた。
「こんなのは慣れてるから」
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