解語ノ悪華

おきた

文字の大きさ
上 下
2 / 4
本編

美しき善良?

しおりを挟む
もう会えないかもしれない、と八重花さんに言われた。
いつか来るだろうな、そろそろだろうな、と思っていたので別段驚きはしない。
それでも、実際に言われたら想像していたよりずっと悲しくて、彼女が居ない生活が嫌で嫌で仕方がなくて、両目からみっともなく涙が溢れた。
口が曲がりそうなほど塩っぱい涙。
「どうしても、ですか?」
「うん、旦那がね」
旦那さんが理由なら仕方ない、僕にはどうしようもない事だ。
離婚は出来ない、と初めて八重花さんを抱いた日に言われていた。

八重花さんと出会ったのは約一年前で、僕が高校二年生の夏休みのことである。
うちの学校の園芸部は八月に入って週二日の活動を行っていた。
畑で育てているトマト・キュウリ・ピーマンの収穫と学校の花壇の整備に加えて、今年は文化祭の企画として校内の樹木を調べて、樹木プレートを作ることになっている。
夏休みと言えど、部活動の時間は火曜日は午後四時から午後六時まで、木曜日は午後一時半から午後三時までであり、意外と忙しい。
元々は廃部を免れる為に後生だからと是枝(これえだ)先輩に泣き付かれて、数合わせの幽霊部員として参加するつもりだったのに、思いの外、部活動にプライベートの時間を割かれていて先輩方の口車に乗せられた気がしてならなかった。

部活動の帰りに小腹が空いた僕はファストフードチェーンストアに足を運んだ。
色々と候補はあったが、とりあえずハンバーガーやポテト、チキンナゲットにコーラなどの無難なモノを買えば間違いはないだろう。
スマートフォンで店の公式サイトを開き、メニューを見て、僕は肉よりも魚の方が好きだったのでメインはフィッシュ系にした。
注文したメニューを載せたトレーを持ち、会計場所から右側にある階段を登って二階に向かう。
二階に着くと、僕は辺りを見渡して空いている窓際席に座った。
ガラス張りの窓から外を見下ろすと風でわさわさと揺れる木々がある。

一面の曇り空ではあるが、中で見ているよりも暑いのかもしれない。
コーラはとっくに飲み干して、溶け始めた氷に口を付けながらぼんやりしていると、僕の運命は現れた。
真っ直ぐに切りそろえられた前髪、その横に胸元まで流れ落ちるような桃髪の中に守られている陶器の人形のような顔立ち。
ファンタジックな世界を思わせる西洋更紗柄の帯と薄桃色の生地に黒く描かれた西洋更紗柄の着物は、十九世紀のイギリスの詩人、ウィリアム・モリスの影響を強く感じさせるデザインだ。
帯留を初めとする小物類もアール・デコテイストで揃えられており、日本的な和の伝統を抑えた、淑やかなドレスのような装いである。
八重花さんは僕の真横の席に腰掛けた。

彼女は少々もたつきながらストローを刺すと、小さな赤い唇をつけて控えめかつ音も小さく、白い液体を啜る。
華奢な喉がこくんこくんと上下する度に、僕は不思議な気持ちになった。
彼女の肌はその冷たいバニラがそのまま形造っているかのように白い。
バニラシェイクが喉を通り抜ける一瞬だけ彼女の人形のような無表情が緩み、強気そうな切れ長の瞳がうっとりと伏せられた。
八重花さんの耳元で夾竹桃の花が揺れる。
彼女は僕の見ている前で、ストローから口を離すと形の良い唇をそっと開き、柔らかく甘い声を零す。
「あの、そんなに見つめられると、照れちゃいます……どうかしましたか?」

真っ白い頬に、ぱっと朱が差して可愛らしい。
「あ、えー、あー、あー!えっと!そのピアス。夾竹桃なんですね!」
「……わかるの?」
間の抜けた様子で、八重花さんが目を丸くして、僕を改めて見つめた。
「じ、ジロジロ見てしまってすみません!僕、実は園芸部で……」
僕は狼狽えて忙しない調子であーとか、えーとか、言葉にならない声をあげる。
八重花さんはしばらく考え込むように目を伏せて、それから柔らかく魅惑的に笑う。
その笑顔を見た瞬間、頭の隅からコトンと音がして鍵が外れるような感じがした。
胸がドキンとして一気に頭がのぼせ上がる。
きっと、八重花さんはそうやって数々の男を虜にしてきたのだろう。

僕は吐き出すこともしないまま、口内に溜まった唾液を自分の意思でごくりと飲み干す、喉を通った唾液は僕の思考を舐め溶かすように熱くて、甘く蠢いている。
そして、僕は八重花さんに言われるがまま、ラブホテルまで着いていき、彼女を抱いた。
陶器のような手、白い指に映える深い紅色の爪でじゃれつくみたいにかりかりと腕を引っ掻かれて、甘ったるい多幸感で包まれる。
じわりと汗をかく背中に少しの不快感を感じながらも、僕は目の前の夜闇のように虚ろで、星のように穏やかな瞳を見つめた。
今以上に幼かった僕はひたすら飾り気の無い気持ちで綺麗な色だな、とその瞳を賞賛する事しか出来なかったが、今なら分かる。
彼女の瞳の、世界に二つとない美しさが。

八重花さんとの出会いの記憶に胸を刺され、またぶわりと涙が膨らんだ。
めそめそと涙を流す僕の頭を、まるで宝物を愛でるように繊細な手つきで撫でる。
「祥汰(しょうた)くん、幸せになってね」
八重花さんは最後の餞別とばかりに初めて僕の名前を呼び、それから部屋を出た。
扉が閉まって、オートロックが掛かる。
きっと、破滅こそが、僕の初恋だった。
次の日の午後に、自分の部屋でお気に入りのソシャゲをプレイしながらごろごろしていると、玄関のチャイムが鳴り響く。
部屋を出て廊下を渡り、玄関の扉の鍵が外すと、パーカーのフードを目深に被った全身が真っ黒い服装の男が現れた。

刹那。腹部に強く殴られたような鈍痛、肉を割るように突き刺さる包丁、赤く濡れる衣服に視界が震えてしまう。
僕は全身に広がる激痛に膝から崩れ落ち、息も絶え絶えに、パーカーから覗く男の顔を見上げる。
その瞬間、八重花さんが僕を選んだ理由が、分かった。
彼の瞳は薄暗く、恋というには深すぎて、愛というには汚れ過ぎた感情に塗れていた。
まるで、悪夢を見続けているような眼差し。
「くっ、ははっ……なあ、お前は悪くないんだ。でも、人の物に手を出したお前が悪いんだよ。運が悪かったなぁ……」
男は蹲る僕の髪を掴み、無理矢理目を合わせると顔面をサンドバッグのように何度も殴りつけ、更に踏みつけた。
憎悪に満ちた暴力を振るわれて僕の鼻は折れ、ゴポゴポと血のあぶくが止まらない。
男は何かを嘲るように、嫌悪するかのように笑う。
「ははははっ、はぁ、はは、大体俺は、二人も……」
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

かわいいあの子はウオノエ系

おきた
恋愛
奪うことは与えることだと言った人がいた。 与えることは奪うことだとも。 魚野依未(うおのえみ)は、七年の時を経て植物状態から目を覚ます。そして物語は、恋人である舟橋雪緒(ふなはしゆきお)との高校時代を追憶する。

母親は二人もいらない

おきた
恋愛
安心の形は人それぞれ 主人公の甘奈(あまな)は、かつて自分がスカウトして、トップアイドルにまで仕立て上げた逢瀬(おうせ)と結婚するが、彼は自分を憎んでいるはずだと苦悩する。

愛することをやめたら、怒る必要もなくなりました。今さら私を愛する振りなんて、していただかなくても大丈夫です。

石河 翠
恋愛
貴族令嬢でありながら、家族に虐げられて育ったアイビー。彼女は社交界でも人気者の恋多き侯爵エリックに望まれて、彼の妻となった。 ひとなみに愛される生活を夢見たものの、彼が欲していたのは、夫に従順で、家の中を取り仕切る女主人のみ。先妻の子どもと仲良くできない彼女をエリックは疎み、なじる。 それでもエリックを愛し、結婚生活にしがみついていたアイビーだが、彼の子どもに言われたたった一言で心が折れてしまう。ところが、愛することを止めてしまえばその生活は以前よりも穏やかで心地いいものになっていて……。 愛することをやめた途端に愛を囁くようになったヒーローと、その愛をやんわりと拒むヒロインのお話。 この作品は他サイトにも投稿しております。 扉絵は、写真ACよりチョコラテさまの作品(写真ID 179331)をお借りしております。

私を幽閉した王子がこちらを気にしているのはなぜですか?

水谷繭
恋愛
婚約者である王太子リュシアンから日々疎まれながら過ごしてきたジスレーヌ。ある日のお茶会で、リュシアンが何者かに毒を盛られ倒れてしまう。 日ごろからジスレーヌをよく思っていなかった令嬢たちは、揃ってジスレーヌが毒を入れるところを見たと証言。令嬢たちの嘘を信じたリュシアンは、ジスレーヌを「裁きの家」というお屋敷に幽閉するよう指示する。 そこは二十年前に魔女と呼ばれた女が幽閉されて死んだ、いわくつきの屋敷だった。何とか幽閉期間を耐えようと怯えながら過ごすジスレーヌ。 一方、ジスレーヌを閉じ込めた張本人の王子はジスレーヌを気にしているようで……。 ◇小説家になろうにも掲載中です! ◆表紙はGilry Drop様からお借りした画像を加工して使用しています

あなたには、この程度のこと、だったのかもしれませんが。

ふまさ
恋愛
 楽しみにしていた、パーティー。けれどその場は、信じられないほどに凍り付いていた。  でも。  愉快そうに声を上げて笑う者が、一人、いた。

【完結】皇太子の愛人が懐妊した事を、お妃様は結婚式の一週間後に知りました。皇太子様はお妃様を愛するつもりは無いようです。

五月ふう
恋愛
 リックストン国皇太子ポール・リックストンの部屋。 「マティア。僕は一生、君を愛するつもりはない。」  今日は結婚式前夜。婚約者のポールの声が部屋に響き渡る。 「そう……。」  マティアは小さく笑みを浮かべ、ゆっくりとソファーに身を預けた。    明日、ポールの花嫁になるはずの彼女の名前はマティア・ドントール。ドントール国第一王女。21歳。  リッカルド国とドントール国の和平のために、マティアはこの国に嫁いできた。ポールとの結婚は政略的なもの。彼らの意志は一切介入していない。 「どんなことがあっても、僕は君を王妃とは認めない。」  ポールはマティアを憎しみを込めた目でマティアを見つめる。美しい黒髪に青い瞳。ドントール国の宝石と評されるマティア。 「私が……ずっと貴方を好きだったと知っても、妻として認めてくれないの……?」 「ちっ……」  ポールは顔をしかめて舌打ちをした。   「……だからどうした。幼いころのくだらない感情に……今更意味はない。」  ポールは険しい顔でマティアを睨みつける。銀色の髪に赤い瞳のポール。マティアにとってポールは大切な初恋の相手。 だが、ポールにはマティアを愛することはできない理由があった。 二人の結婚式が行われた一週間後、マティアは衝撃の事実を知ることになる。 「サラが懐妊したですって‥‥‥!?」

ヤンデレ旦那さまに溺愛されてるけど思い出せない

斧名田マニマニ
恋愛
待って待って、どういうこと。 襲い掛かってきた超絶美形が、これから僕たち新婚初夜だよとかいうけれど、全く覚えてない……! この人本当に旦那さま? って疑ってたら、なんか病みはじめちゃった……!

婚約者から婚約破棄をされて喜んだのに、どうも様子がおかしい

恋愛
婚約者には初恋の人がいる。 王太子リエトの婚約者ベルティーナ=アンナローロ公爵令嬢は、呼び出された先で婚約破棄を告げられた。婚約者の隣には、家族や婚約者が常に可愛いと口にする従妹がいて。次の婚約者は従妹になると。 待ちに待った婚約破棄を喜んでいると思われる訳にもいかず、冷静に、でも笑顔は忘れずに二人の幸せを願ってあっさりと従者と部屋を出た。 婚約破棄をされた件で父に勘当されるか、何処かの貴族の後妻にされるか待っていても一向に婚約破棄の話をされない。また、婚約破棄をしたのに何故か王太子から呼び出しの声が掛かる。 従者を連れてさっさと家を出たいべルティーナと従者のせいで拗らせまくったリエトの話。 ※なろうさんにも公開しています。 ※短編→長編に変更しました(2023.7.19)

処理中です...