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第一章 バネッサ・リッシュモンは、婚約破棄に怒り怯える悪役令嬢である
第十話 殿下は婚約指輪を購入する
しおりを挟む舞踏会から三週間。王都から少し離れた場所──ヴェイル家。
「いい商談でした、エドワード殿下」
応接間で、ユーリ・ヴェイルが微笑んだ。
二人の間には、豪勢なプレゼントの山がある。
「……ええ、本当に。貴方は商売がお上手ですね」
エドワードは、張り詰めていた息を吐いた。従者に命じて、机上に金貨を置く。
「それがヴェイル家ですから」
彼女はさらりと嫌みを流す。その一言には、自信に溢れていた。
ヴェイル家は、先代の祖父によって豪商から貴族に成り上がった。当主の一人娘ユーリは、父よりも祖父の血を濃く継いだと言われるほど、商売上手なのだ。
「あたしは、突き飛ばされそうとも良い取引先は逃しません」
ユーリは、舞踏会での出来事でジョークを飛ばす。
「今回の一件で、よく分かりましたよ」
「殿下には、今後ともご贔屓に」
「……金銭で解決できるなら十分です」
「それじゃ、脅したみたいじゃないですか。あたしは先日、殿下の心からの謝罪をお受けしました。だから、バネッサ様が『つい、足を滑らせた』ことも不幸な事故だと思ってますよ?」
ユーリは、流れるような口調だった。目を細めて殿下を見やる顔は、まさに女主人。
「みんなも誤解なさってるようで……悲しいばかりです。殿下だって、そうでしょ? バネッサ様が悪役令嬢だなんて、あたしが殿下をたぶらかしたなんて、根も葉もない噂。ずっと困っていたんですから」
バネッサが悪役令嬢なのは確かである。が、ユーリがエドワードをたぶらかしたという事実はなかった。
「ただあたしは、殿下にうちの装飾品を売り込んでただけですから。あの日だって、殿下がお気に召すだろうアクセサリーをご紹介しようと思ったら……」
「……僕が、隠れるように場所を変えたのが悪かったのです」
端正な面もちに、後悔の念が浮かんだ。
わかりやすい顔色の変化に、ユーリは内心ほくそ笑む。
「いえいえ、そりゃ秘密にしたいはずです。殿下は悪くないですよ」
傷心する顧客にアフターフォローは欠かせないのだ。
「結婚指輪に相応しい、ピンクダイヤモンドを見つけたのですから」
殿下が握る宝石箱には、バネッサ様好みの大きなダイヤが飾られていた。
ユーリは、羽のついた扇をぴしゃりと畳む。
「これほどの一級品、我が家の情報網を使っても、やすやすと手には入るものではありません」
「……王家の宝物庫にも、類似するものはありません。感謝しています」
エドワードは、従者に宝石箱を預けた。そして、軽く頭を下げる。
「そんな、殿下に頭を下げさせるなんて……、恐ろしいことを」
ころころと笑いながら、ユーリは扇を開く。
「うちとしては、結婚式で商品を使って頂ければ、それで満足ですから」
顔を上げたエドワードは、涼やかに応対した。
「双方の利となるなら、僕も喜んで」
この商談は、二つの意味があった。
ヴェイル家は、晴れの舞台で商品を宣伝してもらえる。
エドワード殿下は、ユーリとバネッサの仲直りを印象づけられる。
ヴァネッサが掴み掛かったのが、体面ではなく金で動くヴェイル家で本当に助かった。
エドワードはたびたびそう思った。
改めて、ユーリを観察する。
彼女はバネッサと異なり、実利的な女性だ。百本のバラより、一本の金の延べ棒に歓喜する。
そつなく心理戦をこなし、一円の利益を取るために妥協しない。
殿下の妻、という立場にふさわしい性格をしている。
そうは思う、と彼は冷静に分析した。
だが、心惹かれることはない。ユーリを前にすれば、負けてはならないと対抗心が芽生えるのを感じた。
けして、バネッサと共にあるように癒されない。
三週間も離れ、エドワードは婚約者の大切さを感じていた。
だから、彼は無言だった。
さらなる勝機を見いだそうと、ユーリが口火を切る。
「ところで、肝心のバネッサ様には、なんとプロポーズしましたの?」
その質問に、殿下ではなく、彼の従者が固まった。
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