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森戸創一~兄弟~
しおりを挟む『森戸創一~兄弟~』
雅紀は、雑草が茂る空き地に立ち尽くし、弟の両手を凝視する。
「・・気がついたらここにいて、猫を見つけたんだ。傷だらけで・・・もう助からない状態だった。それで・・・」
「楽にしてやったのか。あの時の・・・事故った親猫みたいに。」
創一は、黙って頷く。
雅紀は、血の匂いに目眩を起こしながら、創一の背後へ目をやる。
茶トラ猫が、草の上に横たわっている。
「・・・・・・・。」
「猫に気を取られていたら、隣りにアイツがいて、いつも同じ事を言うんだ。[今日の子は良かった・・・。君が来てくれたから。前の子達は・・かわいそうに・・・苦しんで死んだ。君が来なかったから。]って。」
そう言い終える前に、創一は涙を流し始めた。
雅紀は、青ざめながら問いかける。
「前の子達・・・?」
創一は、黙って指を指す。その先は、空き地のもっと奥。
雅紀は、恐る恐る創一の指差す方向へ歩いていくと、
「う・・・・っ!?」
数匹の犬と猫が、腹を引き千切られて死んでいた。
雅紀は、込み上げるものを手で口を強く抑えて堪える。
背後で、創一は跪く。
「[君が来ないから、あの子達は苦しんだ。呼んだらちゃんと来るんだよ?]そう言って・・・いなくなった。」
「・・・・・・・。」
「なんで・・・なんで僕なの・・・?もう・・・嫌だ。」
そう言って、創一は雑草を握りしめて泣いた。
雅紀は、吐き気を何とか抑えて手を下ろす。
「・・・ああ。もう限界だ。」
そして、目の前の死骸を1カ所へまとめて、地面を手で掘り始める。
それを見て、袖で涙を拭いて、雅紀の隣について、創一も手で穴を掘る。
「母さんに言う。」
「僕もそうしたい。でも・・・良くないと思う。」
「もうそれしかないだろ。」
「話したら・・・、母さんはきっと・・・。」
創一が言わんとしていることを、雅紀は理解した。
「・・よく分かったよ。お前の気持ち
。俺は、ちゃんと理解してなかった。」
「・・・・・・。」
「こんな事するヤツに、普通に飯食って笑って生きる資格なんてねぇ。」
「うん。でも・・・」
「ああ・・・言わない。確かに話したら、お前が考えてる通りの事にきっとなっちまう。とりあえず・・・悪い。まず今のこと考えよう。」
「うん・・そうだね。」
「コイツら埋めてやって・・・それから・・・川へ行くぞ。出来るだけ汚れは落として帰ろう。」
「うん・・・。ありがとう・・兄ちゃん、来てくれて・・・。」
「当然だろ?お前の兄貴なんだから。」
「兄ちゃんがいてくれるから、僕は何とか・・・。」
「・・でも、正直パニック状態だよ・・・。こんなの見たら・・・。」
「・・・そうだよね。」
雅紀と創一は、埋葬を済ませ、墓前に手を合わせた。
雅紀が手を下ろすと、隣りで手を合わせる創一は、瞼にシワが出来る程ギュッと瞑り、必死で祈りを捧げていた。
それを見て、雅紀は慧への怒りが増した。だが、やり場が分からず、両手を握りしめて、墓前を離れて空き地を見回す。
すると、
「・・・ん?」
2人で、傷つけられた動物達が少しでも安らかに眠れるように作った土の山。
それと同じ位の大きさの土の山が、空き地のあちこちにあることに気づく。
「・・・創一。」
「どうしたの。」
「これ・・・なんだ?この土・・・あちこち掘って埋めた跡だ。」
「うん。そうだよ。」
創一の返事を聞き、雅紀は返す言葉が浮かばずに目を見開く。
それを察して、
「後で説明する。川で手を洗おう?」
「・・え・・創一・・なんだよ・・・?」
「とにかくお願い。川へ。」
「・・・・・・・。」
更にパニック状態になり、雅紀はワケが分からないまま、創一に促されて川へ向かった。
空が白み始めた。それでも、林の中の川はまだ暗く、道を示してはくれない。
そんな中、雅紀の目は簡単に川縁までの道を示してくれる。
2人は安全な岩に寝そべり、冷たい川に汚れた手を漬けて、力を込めてゴシゴシと擦り合わせる。
「話せよ、創一。」
「・・・もう、2人で何度こんな事繰り返してるのかな・・・。」
「・・・・・・・?」
「夜、アイツに呼ばれても、兄ちゃんのおかげで空き地へ行かずに済んでいたんだ。あのリードを、僕を使って解く事が出来なかったから。僕に細かい作業をさせられないみたい。でも、いつからかリードを解けるようになった。僕を介して、兄ちゃんを操れることに気づいたんだ。」
「・・確かに、さっき急に身動きが取れなくなって、言われるままにお前のリードを解いた。それでその後・・・意識を失った。あれは全部、慧ってヤツの仕業なのか・・・?」
「うん。それに味をしめて・・・何度も僕達は操られてるんだ。兄ちゃんが僕の居場所が分かったのは、多分何度も空き地へ足を運んでいるのを、頭のどこかで覚えているからなんだと思う。」
「どこかでって・・・。俺知らねぇぞ?夜中にお前を空き地まで追ってきたのは今夜が始めてだ。」
「そう思うのは、僕のせい。」
「・・・・・・・?」
「兄ちゃんは、いつも僕を探して走り回ってくれた。見つけられなかったのは最初だけで、その次からは必ず僕を見つけてくれた。それで、一緒にあの空き地に何度も穴を掘って、虐待されて死んだ動物達を埋葬してくれたんだ。何度も・・・。それから、この川にも何度も来てるよ。こうやって、汚れた手を洗いに。」
雅紀は手を洗い終え、岩の上に座って創一の話を頭の中で反芻した末、首をかしげる。
「・・・何言ってんだ?ワケ分かんねぇよ。」
「本当に?それなら良かった・・・。」
創一は、手の汚れを落としながら、心の底から安堵して微笑む。
「こんな思い、僕1人で充分。」
そう呟き、創一は川面から両手を出して、岩の上に立ち上がる。
「帰ろう。早く着替えたい。」
「待てよ。まだ終わってないだろ。100歩譲って、お前が言うとおり、俺達は何度も一緒にこんな事繰り返しているんなら、なんでお前は覚えていて、俺は忘れてるんだ?」
「それは・・・あんまり追求しないでくれると嬉しいな・・・。」
「・・答えになってねぇよ。」
「うん、ごめん。ただ・・・僕は、兄ちゃんには兄ちゃんでいてほしいんだ。」
「だから答えに・・・っ。」
「ジッとしてると寒いよ。帰ろう?兄ちゃん。」
そう言って微笑み、創一は重い足を動かし、フラつきながら道を引き返した。
雅紀も慌てて立ち上がり、後を追って創一の腕を捕まえると体を支える。
「・・フラフラしてんじゃねぇか。転ぶぞ。」
「ごめん・・・。」
「よーし、これで質問攻め出来るぜ。」
「う・・・。」
「嘘だよ。とりあえず今日はやめとく。色々あり過ぎてパンクしそうだし。つーか、お前が1番しんどい思いしてるんだもんな。悪かった。」
「・・・悪くないよ。何も。」
「ああ。それはお前もな?さっき自分のせいって言ってたけどよ、よく分かんねぇけど、お前は絶対に悪くないんだからな?1番傍にいて見てきた俺が保障する。」
「うん。」
雅紀は、掴んだ創一の腕の細さに、込み上げるものを抑え、家に着くまでずっと創一に話しかけ続けた。少しの間だけでも、気持ちを軽くさせてやるために。
創一は、たまに笑みを零して、胸に熱いものを感じながら、それを聞いていた。
そして、2人は服を着替えて、汚れた服をビニール袋にまとめて、押し入れの奥に押し込むと、心身の疲労を布団に投げ出した。
2人とも、なかなか寝付けずにいたが、雅紀はいつの間にか眠りにつき、目覚まし時計が鳴り響くと、目を覚ました。
「ふあ~・・・。」
「おはよう。兄ちゃん。」
「んあ・・・おはよ。」
「よく眠れた?」
「うん・・・昨夜は起きなかったから。お前は?」
「うん。」
「昨夜はリード引っ張る音しなかったよな?お前も爆睡出来たんだな。良かった良かった!」
創一は、無言で微笑む。
その時、扉の向こうで母親が階段を降りながら声をあげた。
「雅紀ぃ~。さっさと起きなぁ~!」
「起きてるよぉ~。」
「起きてんならさっさと支度しな!」
「は~い!ハァ、朝から元気だなぁ。」
「何か言ったぁ?」
「い・・今行きまーすっ!」
「ハハハ・・・。」
「すげぇ耳。こえぇ~~・・・。」
「布団、僕畳んでおくよ。」
「ん、サンキュー!」
雅紀はいつもの調子で部屋を出て行く。
昨夜の事は、雅紀の記憶の世界から消えていた。
酷い目眩と戦いながら、創一も起き上がり、近頃重く感じるようになった足を踏ん張り、ゆっくり布団を畳む。
それから数日が経ち、祖父の家にパトカーが止まっているのを目撃し、森戸家へ戻ってすぐに、母親から衝撃の事実を聞いた。
「・・・死んだの。」
「爺ちゃんが最初に見つけて、さっき食事を届けに行った時に、あたしも丁度出くわしてね。多分、家にも警察が来て少し話をするかもしれない。」
「・・・・・・・。」
創一は、いつかは起きることだと予測はしていた。母親が今までしてきたことは、慧を追い詰める行為だから。それも、創一のために。
「去年話したとおり、あれから慧は1度も外へ出さなかった。力を持っていなかったら、別の方法もあったんだけど・・・仕方ない。」
「1度も・・・本当に?」
「ああ。抜け穴は塞いで、地面にコンクリート敷いて、家の周りには柵を建てたって言ったろ?あそこからは出られっこない。実際、食事を届けに行ってアイツがいなかったことは無いし、抜け出した形跡も無い。」
「・・・・・・・。」
創一は、耳を疑った。
「あたし達の勝ちだ。」
「・・・・・・・!」
「誰も殺してない。アイツが、自分の意志で死んだんだ。一線は越えずに、アイツを負かした。」
「・・・・・・・。」
「きっと、これから良くなっていくよ。あんたはもう何にも心配することない。」
慧は、去年からずっと、室内から1歩も出ずに生活して、母親の言葉に追い詰められて自殺した。それなら、真夜中に現れたアレは・・・?
「・・・びっくりして、頭が混乱してるみたい。何て言ったらいいか・・・。」
誤魔化しじゃなく、創一は本当に混乱していた。
けれど、母親はこれで万事解決といった、自信に満ちた表情を浮かべている。
「大丈夫。それが普通の反応だ。いくら酷い奴でも、死んだら清々するなんて事、ドラマやアニメの世界での話だからね。知り合いじゃなくても、実際に会って話した人が死んだら、ショックを受けるのは当然の事だよ。でも、後悔する必要はない。今回の件だけじゃなくね。」
「・・・・・・・。」
創一は、黙って頷く。額から、じんわり汗をかいている。
真実と思い込んでいた事が、外側の皮が剥がれ、少しずつ中身が露出していくような感覚を覚える。その中身の正体が判明した今、創一は背筋に冷たいものを感じている。
母親は、俯く創一の肩に優しく手を置く。
「創一、まだ少し先の話かもしれないけど、別れの日はいつ訪れるか分からない。何もなければ、父ちゃん母ちゃんが先に逝くだろう。それが自然で、やむを得ない事だ。いつまでも、守ってやることは出来ない。」
「・・・・・・・。」
頭の中が、本物の真実でいっぱいで、母親の言葉が、音にしか聞こえない。
「前回や今回みたいな事は、普通はそうそう起きる事じゃない。誰の人生にもトラブルは必ずある。だが、力を持つ私達には、少々特殊なトラブルが起きることがある。その時、父ちゃん母ちゃんがいなくても、あんたには兄貴がいる。気づいてるだろうが、アイツは強いよ。きっと力になってくれる。だから、いくつになっても兄弟仲良く、助け合って生きるんだよ?そのためには、あんたも強くならなきゃいけない。雅紀のために、自分のために。」
「・・・少し、疲れちゃった。」
「・・うん。2階で休みな。」
「うん。」
創一は虚ろな目をして、重い足を動かして、何とか階段を上がっていった。
母親は、彫刻刀をこちらへ向けたまま、涙ながらに打ち明ける創一の話を、黙って聞いた。
「それから・・・、何度か夜中に呼び起こされて、あの空き地へ行った。気がつくと、足下に傷ついた犬や猫がもがいていて、とどめを刺すと・・・慧が現れた。もう死んだはずなのに・・・いるんだ。きまって、僕の隣りに。凄く怖かった。慧がじゃないよ?自分が・・・怖くてたまらなかった!」
「・・・・・・・。」
「だってさ・・・今まで慧の仕業だって思ってたことが、全部自分がしでかした事だったんだよッ!?猫や犬を捕まえて、空き地へ連れて来て、酷い事して、正気を取り戻すまで苦しむ姿を眺めていたんだッ!」
「それは、あんたのせいじゃないっ!!全てアイツと接触して、暗示をかけられたのがきっかけだろ!?あんたの意志で起こした行為じゃないんだ・・・。」
「でも僕が殺した・・・タロを苦しめたアイツみたいに・・・。」
「違う。あんなヤツらと自分を一緒にするんじゃない!」
「タロはきっと・・・僕を怒ってる。」
「タロを見くびるの?あの子は、お前に寄り添って一緒に悲しんでるに決まってる。タロはそういう奴だ。そうだろ?」
「兄ちゃんは・・・父さんは・・・?」
「・・・・・・・・?」
「僕達がこんなに騒いでいるのに、なんで起きて来ないのか・・・分かる?どうして、兄ちゃんは僕を探して何度も空き地へ訪れていたのに覚えていないのか・・・。」
「・・・まさか・・・・。」
「・・・僕にも・・・あるんだよ。こんな事したくなかったけど・・・、気づかれちゃったから。2人とも、朝まで眠ってもらうことにした。」
創一は、酷い目眩と頭痛を抑えるように、左側頭部に再び手を当てる。
母親が駆け寄ろうとすると、更に彫刻刀を前に突き出す。母親は、悲壮な表情を浮かべて創一を見つめる。
「・・夏の後、また体調を崩したね。季節のせいだとあんたは言って、あたしも信じ込んだ。普段なら、そんな理由あたしには通用しない。」
「・・・・・・・。」
「あれもなの・・・?」
創一は、黙って頷く。母親は、悔しそうに両手を握りしめる。
「・・・そんな風に・・使っていいと思ってんのかい?創一。家族を欺くために・・・力を使うなんて・・・そんな風に育てた覚えはないよッ!!」
母親の怒声に、創一は条件反射でビクつく。
「だ、だって・・・。」
「あたしが慧のせいだと気づいたら、慧を殺すって・・・?当然だよ!もっと早く手を打っていたら、あんたはここまで苦しまずに済んだんだから・・っ!子供のためなら、親は何だってするっ!」
「僕は、母さんを人殺しにしたくなかったんだッ!父さんや兄ちゃんも、巻き込みたくないから使ったんだッ!!気づいたら・・1番手っ取り早くて酷い方法を選ぶ。皆に打ち明けて支え合っても、結局解決しない。そんな辛い思いさせたくないから・・・ッ!!」
「あたし達は家族だ・・・。良い事も悪い事も、どんなに頑張っても解決出来ない事だとしても、家族なら知るべきだ。知って受け止めて、一緒に苦しむんだよ。創一、あんたは間違ってる。家族を思って力を使ったんじゃない。あたし達には何も解決出来やしないと・・・見損なってる。」
「・・違う。違うよ・・・ちゃんと分かってる。家族がいたから・・今まで生きてこれたんだ。僕のせいだ・・僕は・・・家族の中で・・・1番弱い。だからアイツらにつけ込まれて・・・。結局、打ち明けても隠しても・・・皆を巻き込んでる。」
「・・でも、もう終わった。アイツらはいない。見てごらん、今を。誰がいる?誰が生き残った?お前だよ、創一!アイツらじゃなくて、お前が生き残ったんだよ!」
「違うよ母さん・・・まだ終わってない。聞こえるんだ・・・ずっと。アイツが・・・僕を呼ぶんだ。動物達も・・・痛い・・・苦しい・・・早く楽にしてって・・・・。」
「・・・・・・・。」
「聞こえるんだ・・・死んだのに。慧はもういないのにッ!!傷ついた動物達がずっと!足下にずっと見えるんだッ!!僕の傍から離れてくれないんだッ!!」
「・・・・・・・!?」
半狂乱したように叫ぶ、創一の酷く充血した目から、涙がこぼれ落ちる。
「もう・・・無理だよぉ・・・。僕は・・・弱い。強くなれないんだ・・・。だから、終わらない・・・。」
「・・創一・・・。」
「認めて・・・母さん。もう・・助けられないんだ・・・。」
創一は、両手で彫刻刀を握りしめ、震えながら刃を前に向け続ける。
母親は、悲しみに顔を歪ませて、創一から目を離さずに、首を横に振る。
「駄目・・・諦めちゃ・・・。お願い・・・。」
「・・・疲れたよ。もう、滅茶苦茶で・・・ボロボロなんだ。」
「生きよう・・・?それでも生きなくちゃ・・・。あんたには、皆がついてる。父ちゃんも、母ちゃんも、兄ちゃんも、お爺ちゃんも。学校の先生も、友達だっているじゃないか。あんたが死んだら・・・沢山の人間が苦しむんだよ?それでもいいの!?」
「ごめん・・・もう、楽になりたい。母さん・・・。」
創一は、母親に向けていた彫刻刀を、素早く持ち替えて、躊躇う事無く、思い切り力を込めて、自分の喉元に刃を向ける。
「だめぇぇぇーーーーッ!!」
母親は、創一の喉元に刃が届く前に、創一に飛び掛かって、その首を両手で覆う。
母親の行動に驚いて、創一は目を見開いた。その視界に、自分の首に突き刺したはずの彫刻刀が、母親の左手の甲に突き刺さっているのが映る。
「ぅ・・・ぁ・・・。」
創一は彫刻刀から手を離し、腰を抜かして床に仰向けに倒れ込んだ。母親も、両手で首を掴んだまま、創一に覆い被さる。
左手の甲には、彫刻刀の刃が突き刺さったままだが、何も感じない。ただただ、創一の目をずっと見つめた。
創一も、母親の目をずっと見つめた。
「・・・・・・・。」
「・・・・・・・。」
「・・そうか・・・・そんなに・・・苦しい・・・・?」
「・・・・・・・。」
「生きてるだけで・・・苦しくて・・・耐えられないのか・・・。」
「・・・・・・・。」
創一は、黙って頷く。母親の目から、更に涙が溢れ、創一の顔に滴り落ちる。
「・・・分かった。」
母親は、絞り出すように囁いて、創一の首にかけていた両手に力を込めた。
「ぁ・・ぅぅ・・・。」
創一の口から漏れる声と、苦しみに歪む顔に動じないように、小さい頃雅紀や創一を寝かしつける時に歌った子守唄を、目を瞑って鼻唄で奏でる。
創一も、苦しみを紛らわすように、その鼻唄に耳を傾ける。
力を込めれば込めるほど、彫刻刀が突き刺さった左手の甲から、血が流れ出る。
母親は、絶対に両手の力を緩めなかった。
創一は、どんなに苦しくても抵抗しなかった。
そして、もう一度目と目が合った時、創一は唇を動かした。
母親に、[ありがとう]と伝えた。
母親は、涙を流しながら微笑んで頷き、
「こちらこそ・・・。生まれてきてくれて・・・ありがとう。」
そう伝えた。
それからすぐに、創一は目を閉じて動かなくなった。
それから、どれくらい経ったのか。まだ外は暗く、居間は物音一つせず冷え冷えとした空気が漂う中、2階の部屋で物音がし始めた。
母親は気にも止めず、創一の顔を茫然と見下ろし、左手の甲に突き刺さったままの彫刻刀を表情一つ変えずに引き抜く。
創一の上に乗ったまま、血で染まった彫刻刀を見つめた。その刃を、ゆっくりと自分の首筋へ近づける。
「創一!」
階段を駆け下りてくる雅紀の声を聞いて、彫刻刀の刃がピタリと止まる。
雅紀は、居間の明かりが付いているのを見て、居間へ飛び込む。
「あ、母さん!創一見てな・・・い・・・。」
雅紀の視界には、とても信じられない光景が広がっていた。
倒れて動かない創一と、その上に乗って、彫刻刀を自分の首に近づけたまま固まっている母親を見て、雅紀の体は無意識に行動を起こした。
「死んじゃ駄目だ!母さん!」
体は、母親が握りしめる彫刻刀に反応し、倒れている創一には反応しなかった。
雅紀の、直感が働いた。
創一はもう、手遅れだと。
掴みかかって自分を見る、雅紀の真っ直ぐな視線に、母親は正気を取り戻した。
「・・ま・・雅紀・・・。」
「・・大丈夫。コレ、俺に渡して。」
母親は、数秒考え込んでから力を緩めた。雅紀はその隙をついて、彫刻刀を奪ってテーブルに置く。
そして、母親の肩に手を回して、
「いつまでも乗っかってたら、創一が辛いよ。どいてやろう?」
宥めるように話しかける。
「・・あ、ああ・・・。」
母親は返事を返し、強張った体を雅紀に支えられながら、創一の太腿のすぐ隣りの床へ座り込む。
一足遅れで目を覚ました父親も居間へ駆けつけたが、どうしても中に入ることが出来きず、廊下で立ち尽くした。
「・・雅紀・・・なんであんた・・・。」
「ん?」
起きてこられたのか?と、母親は聞こうとして、口をつぐんだ。
答えは単純な事だ。創一の息の根を止めたことで、2人に使った力が無効になったからだ。
母親は、首を横に振って、服の袖で涙を拭く。
「いや、何でもない。」
「・・ねぇ、母さん。俺・・・夢でも見てんのかな・・・・?これ・・・創一だよね。」
「・・そうだよ。」
雅紀は首を傾げながら、創一の胸のすぐ隣りの床に膝をつく。
「さっきまで・・俺の隣りで寝てたのに、何でこんなところで寝てんだよ・・・。また、寝ぼけてウロウロして・・・頭でも打った?」
「・・違うよ。」
「今日の夕飯・・・カレーだったから、いつもより少し多く食べてたんだよ・・・?寝る前なんか・・俺の下らない話聞いて笑ってたんだ。それに、明日は学校だから・・・皆に会うのが楽しみだって・・・。おい・・おいっ!お前言っただろ・・・?明日学校行くんだろ!?何やってんだよ!!」
雅紀は、創一の両肩に掴み掛かり、強く揺さぶる。
創一は、当然ながらぐったりして、何の反応もない。
雅紀も、一目見て分かってはいた。だから、自分の直感は母親の命を選んだ。けれど、頭がそれを認められない。
「雅紀・・・。」
「何でだよ!俺はお前のヒーローなんだろ!?助ける相手がいなきゃ・・・ヒーローでも何でもねぇじゃんか!お前がいなきゃ駄目なんだよ!なぁ!創一っ!」
雅紀は、眠りから覚まそうとするように、何度も創一の体を揺さぶって起こそうとした。
見ていてとても痛々しく、母親はたまらず雅紀に抱きついて制止した。
「分かった・・・分かったからもうやめて・・・・。あんたは、良くやった。ずっと支えてきてくれたから、ここまで創一は・・・生きてこれたんだ。でも・・・創一も頑張ったんだよ・・・あたし達と一緒に・・・生きようとした。でも・・・もう・・・。」
「・・・・無理だ。認められないッ。」
「・・いいよ。ゆっくりでいい・・・。」
「認めない・・・・。」
雅紀は、創一から手を離した。何故か、涙が出なかった。
森戸創一は、わずか14年という短い人生を、家族に支えられながら、精一杯生きたのだった。
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