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森戸創一~心の強さ~
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その後も、創一は何度も夢を見た。
頻度としては、普通の夢を見るよりも、今までのような気分が悪くなるような夢を多く見た。
けれど、創一は深読みせず、出来るだけ気にしないようにした。
そうしていると、不思議と体も気持ちも楽になった。
時には、問題と向き合うのを避けた方が良い方向へ向かう事を、創一は身をもって知った。
夏休みに入り、雅紀が部活以外の時間帯は家にいるようになった。
それも創一にとっての安心要素となり、日常で笑顔を見せることも多くなった。
「そうだ、今日お前の学校で祭りやるみてぇだぞ?帰りに提灯ぶら下がってんの見たんだ。」
「へぇ~。」
「気晴らしに行かねぇ?」
「え?」
「最近体調良さそうだし、疲れたら俺が自転車乗っけてやるよ。」
「・・・行きたい。けど・・・」
「家にいっきりは良くねぇって。母さんには俺が話すから。少しでも気分が悪くなったらすぐ帰ればいいし。」
「それじゃあ兄ちゃんが楽しめないよ。」
「そんな事気にすんなって。お前と行かなきゃ面白くねぇし。」
「・・じゃあ、連れて行ってもらおうかな。」
「おう。」
雅紀は右手を上げて、創一にアイコンタクトを送ると、創一も手を上げる。そして、手と手を合わせて、2人はハイタッチした。
夕方、母親が帰ってくると雅紀は祭りの話をした。
「学校の祭りか・・・。」
母親は、難しい顔をする。
「ちゃんと俺が見てるからさ。」
「・・そうだねぇ。」
「無理はさせない。やっと調子良くなったんだし。でも、祭りに行けば友達にも会えるし、賑やかだし、創一にとって絶対良いと思う。」
「確かに。あんたの言う通りだよ。」
「じゃあ、何が不安?俺?」
「何言ってんの。あんたには昔っから創一の面倒見てもらってんだ。誰に見てもらうより安心だよ。問題は、祭りじゃなくて道のりなんだ。」
「道のり?」
「学校へ行くには、爺ちゃんちの前通らなきゃ行けないだろ。」
「うん。え?それが問題?」
「理由は言えないが、創一には鬼門なんだよ。」
「ふ~ん・・・。なら、通らずに行けば問題なしって事?」
「ああ。でも、無いだろ?そんな道。」
「ふっふっふ・・・。」
「・・・・・・・?」
「あるんだな、これが。」
雅紀はニヤニヤと、何か企んでいるかのように笑みを浮かべた。
雅紀と創一は、母親の許可を得たので、夕食はいつもより軽く、早めに済ませて、支度をした。
そして、母親同伴である家を訪ねた。
「悪いね、けん。」
「いや、全然かまわんよ。しかし、いつの間に裏道なんて調べたんだ?」
「へへへっ。俺方向感覚だけはいいんス。本道に出てからもあるにはあるんスけど、川を渡らなきゃ行けないから夜はアウト。けんさんの家の裏の畑道を下って行けば、川を渡った先の道に合流出来る。家までの帰り道が遠いから、出来るだけ近道したくて、一時期学校帰りに道探しながら帰ってきてたんです。」
「長年住んでる俺も知らないぞ?大したもんだ。今度教えてくれよ。」
「喜んで!」
雅紀は、お隣りに住む[けん]という、母親の幼馴染みに敬礼してみせる。
「それじゃあ、あんまり遅くならないうちに気をつけて行っといで。」
「はーい。行ってきまーす!」
雅紀は、自転車を引いて畑道を歩き出す。
「すいません、けんさん。お邪魔します。」
創一は野球帽を取って一礼して、畑道を歩き出す。
「暗いから気をつけてな、2人とも。」
2人は振り返って手を振る。
「良い子たちだね。」
「そうでしょ。」
母親は自慢げに笑う。けんもつられて笑みをこぼす。
「弟の方かい?」
「そう。分かる?」
「ああ。気性は真逆だが、銀ちゃんに似てる。」
「あの子は繊細でね。自分の力に負けちまって、日常に支障を来してる。あたしと同じなら、教えてやれることもあるんだけどねぇ。」
「銀ちゃんだって、最初は苦労してたじゃないか。あの子もきっと、上手くやれるようになるよ。」
「・・そうだね。」
「何か問題でも?」
「いや。もしこの先あの子が大人になって順応したら、あたしや父ちゃんより頼りになるかもしれない。」
「そうか。それは楽しみだね。」
母親は苦笑いして、話を逸らす。
「・・お母さんの調子は?」
「え、まぁ・・・ボチボチかな。」
「何か手伝えることがあれば声かけな?」
「この前、旦那に網戸直してもらったよ。綺麗に仕上げてくれて助かった。」
「あれは殆ど創一がやったんだよ。」
「へぇ~?そうだったのか。器用な子だなぁ。」
「じゃあ、またね。」
「ああ。そっちこそ、抱え込まないで頼ってくれよ?銀ちゃん。」
母親は、右手を上げて返事を返し、林道を下っていった。
山肌に習い作られた、段々畑の間を通る細い畑道を下って、その先にある林の中の小径を、雅紀を先頭に2人は歩いていく。林の中は暗く、それぞれ用意した懐中電灯を付ける。
「木の根に気をつけろよ。」
「うん。母さん、よく説得できたね。」
「祭りに行くのは賛成してたぜ。問題は道のりだって。この道もどうかと思うけどな。」
「大丈夫。暗いのはもう慣れたよ。」
「へぇ~。創一くんも立派になりましたなぁ。」
「誰の真似?それ。」
「村長。」
「ん~・・・50点。」
「えェ~?創ちゃん辛口ぃ~!」
「この道使えば、1人で学校行けるようになるかな?」
「う~ん・・・。夏は行けるけど、秋冬は危ねぇよ。」
「なんで?」
「秋は冬眠に向けて動物が準備始めるし、冬は雪で歩けない。冬眠失敗した動物に出くわしたらアウトだぞ?俺ならやめとくね。」
「・・そっか。」
「夏の間、ここを散歩してみたらどうだ?けんさんなら使わせてくれるよ。体力作りにさ。昼間なら1人でも歩けるだろ?」
「そうだね。って、だからもう暗いのは慣れたって・・・っ!」
「あ、そうだ!もう一つ道があった。帰りはそこを通ってみようぜ。そこなら、この獣道よりマシかも。」
40分ほど林を歩くと、本道に抜けた。少し遠回りだが、祖父の家を通らずに、その先の本道へ抜けることが出来た。
「ほら、この道知ってるだろ?もうすぐで・・・」
「ハァ・・・。」
「疲れたか?」
「ん・・大丈夫。」
「ちょっと休もう。喉渇いた。」
自転車をガードレールに立て掛け、2人はガードレールに座る。そして、雅紀は自転車カゴに乗せたリュックサックから缶ジュースを取り出して、喉を潤す。
「学校まで、あと30分位かな。」
「祭り、間に合うね。」
「ああ。楽しみだな!焼きそば、タコ焼き、綿アメにリンゴ飴!射的もやりてぇな。」
「僕は、イカ焼きが食べたいな。あとかき氷。」
「母さんから小遣い貰ったから食い放題だぁ~。お土産も買ってこうな?」
「うん。」
「よし、食べるモンも決まったし行くか!こっからは道も良いし下り坂だから、自転車で行こうぜ。」
そう言って、自転車カゴに空の空き缶を放り、雅紀は自転車に跨がる。
「いいの?」
「ああ、歩くよりずっと楽だし。乗れよ。」
「うん。」
創一は後ろに跨がり、飲みかけのジュースを片手に、雅紀のTシャツを掴む。
「おっし、行くぞ!」
雅紀は力強くペダルを数回こぎ、あとは惰性に身を委ねる。
空は赤く染まり、日中の熱を冷ましにかかる涼やかな山風が、2人の汗も乾かしていく。
「ヒュ~っ!気持ちいい~っ!」
「・・本当だ・・・良い気分。」
「気分が良いなら、もっと声上げろよ!やぁっほぉ~~~っ!!」
「・・あ・・ぅ・・・。」
「ほら思っきし息吸い込んで・・・わぁ~~~っ!!」
「スゥ・・・わぁ~~~!ケホッゴホッ・・・。」
「その調子!あぁ~~~ッ!!」
「わぁ~~~っ!」
2人の声が、道路沿いの林の間を抜けて響き渡る。
声を出す度に、創一は意識がクリアになっていくのを感じ、本当に心から気分が良くなった。
学校に着くと、もう祭りは始まっていた。
2人は好きな物を食べ、好きなことをした。創一の友人達も来ていて、久しぶりの再会を互いに喜んだ。
何の気兼ねも、悩みも、不安も無い。幸せしかない空間で、創一は無邪気に笑い、ふざけて、年相応の少年に戻っていた。
そんな弟の姿を、雅紀は満足そうに眺めた。
結局、2人は祭りが終わるまで居続けた。
「じゃあな創ちゃん!」
「早く学校来いよー。」
「うん。じゃあね。」
友人達を見送り、創一は露店を片づけ始める人を眺める。
何だか少し、寂しくなってきた。
「俺達もそろそろ帰ろうぜ。」
「あ、うん。」
「・・・なぁんて顔してんだよっ。」
雅紀は、創一の背を軽く叩く。
「元気もらった分、頑張って学校行けるようにしような。」
それを聞いて、創一は察知した。
「・・兄ちゃん。もしかして、このために僕を・・・?」
「早く帰らねぇと、後で母さんにどやされるぞー。」
雅紀は、誤魔化すように校門前に停めた自転車に向かう。
その背に、創一は微笑んで後をついて行く。
しばらく本道を引き返し、先程とは別の林道の小径に入る。
「目印は、電話ボックスな。」
「うん。」
創一は、足元を照らすために懐中電灯を付ける。
「創一くん、ライト点灯!これは速い判断です。」
雅紀が実況口調でふざけると、創一は仏頂面で言い返す。
「転んだら危ないから。兄ちゃんも付けた方がいいよ。」
「これくらいなら見えるから平気ぃ~。あ~お前、帽子なんか被ってるから見えねぇんだよ。」
「いいの。これは、御守りだから。」
「こんな汚ぇのが?あげてから1度も洗ってないだろ?」
「これは、兄ちゃんが試合に勝って、僕は病気に勝った大事な記念だから。洗ったら駄目なんだ。」
「・・ふぅ~ん。じゃあもしうちの学校が甲子園出場出来たら、球場の土取ってきてやるよ。」
「ううん。」
「なんでだよ、要らねぇの?」
「欲しかったものは、コレだから。今日の事もセットで、もう充分。」
「欲の無いヤツ。でも今日すげぇ楽しかったよなぁ?」
「うん、すごく楽しかった。あの時間が、ずっと続けばいいって思えるくらい。」
「来年また行こうぜ。それまでには、もう学校行ってバリバリ勉強して、友達と遊んでるだろ。」
「そうだね。そのためにも、体力つけるよ。」
「でもよ、今日はかなり元気だと思わねぇ?行きはヘバってたわりに、祭りの間中食べて騒いでたろ?着いてから、大体3時間か。休まずずっと遊んでたぞ?」
「あ・・そうだね?気がつかなかった。」
「これなら、結構早く学校行けるようになるんじゃないか?」
「うん!兄ちゃんが見つけた裏道使えば、行けるかも。」
「おっし!じゃあ今日覚えて帰ろうぜ!」
「うん!」
雅紀は、先程より力を込めてハンドルを握り、張り切って暗がりの道を歩いて行く。
そんな姿を追うように歩きながら、創一は希望を抱いた。
今よりずっと小さい頃から、こうして雅紀は自分に道を示してくれた。傷ついた動物達が見えて辛い時、体が不調な時、傍にいて救ってくれた。
苦しんでいるのに何もしてやれないと、雅紀はよく悔やんできたが、実際はそんな事はない。
創一にとって、雅紀は今でもヒーローだった。
家に着くと、雅紀は先に創一にシャワーを浴びさせた。
「兄ちゃんお先。」
「おう。」
「あと、今日はどうもありがとう。」
「いいってことよ!夏はこれからだ。何か考えとけよ。」
「何かって?」
「この夏にやりたいこと。俺釣りしたい!お前は?」
「いいね。じゃあ、おやすみ。」
「おう、おやすみ~。」
そして、創一は2階の自室へいき、床に着く。
雅紀は、シャワーを浴びるために着替えを用意して、下の階へ下りていく。
「おい、雅紀ぃ。父ちゃんの土産はどれだ?」
「ん~?イカ焼きだよ。つまみにちょうどいいっしょ?」
「お、こいつぁ美味そうだ。」
「聞いてよ父ちゃん。今日創一すげぇ元気だったんだ。祭りの間中ずっと友達と騒いでたんだよ?昔に戻ったみたいにさ。」
「ほぉ~そうかぁ。」
「行き帰り合わせて2時間以上歩いたし、終始笑ってた。」
「良い気晴らしになったんだなぁ。お前のおかげで。」
「へへっ。ちょうど夏休みだし、部活無い日は様子見て連れ出してみるよ。それで体力ついたら・・・学校にも行けるようになるかも。」
創一の前では自信満々で前向きな態度を崩さなかったが、父親の前で、雅紀は若干弱気を見せた。
父親は、ただ黙って頷いていた。
「じゃあ、シャワー浴びてくる。」
「ん、行って来い。」
弱気を見せたのは、帰り道で創一が少し様子がおかしかった事を思い出したからだ。
電話ボックスを目印に脇道へ逸れた後、30分以上歩いた辺りで道なき道を上がっていくと、雑草が伸び放題の空き地に抜けた。
「・・・・・・・。」
雅紀は肩に担いだ自転車を下ろし、指で指し示す。
「この空き地を突っ切れば本道に出て、あとは家に向かって林道上がるだけだ。簡単だろ?」
位置としては、森戸家へ向かう林道の少し手前の脇道に位置する。
創一は、無言で懐中電灯を空き地のある場所へ向ける。そこには、拳サイズの石が転がり、その周りだけは雑草がそれ程生えていない。
「・・おい?」
「・・・・・・・・。」
「おい、どうした?」
雅紀が創一の肩に手をやると、創一は懐中電灯を落とした。
その音で創一は我に返って、懐中電灯を拾い、歩き出した。
「創一?」
「汗で手が滑っちゃった。行こう?帰ってシャワー浴びたい。」
「あ、ああ。」
雅紀は怪訝に思いながら、創一の後ろを自転車を引いて歩く。
数歩歩くと、創一は振り返る。
「・・・・ん?」
創一は、自分を見ているように思えた。だから雅紀は、首をかしげてリアクションしてみせた。
けれど創一は、雅紀に視線を合わせてはいたが、意識はそこに無いような目をして、その場に佇む。
「・・行こう。早く。」
数秒後、創一は雅紀の腕を掴んで、早足で本道に出た。
創一の不審な態度に、少し怖くなって、本道に出るまで待ち、創一を引き止めた。
「おいおい、何だよ急に?」
「・・あ、アハハ・・・。」
「・・・・・・・?」
「兄ちゃんの言う通りみたいだ。」
「なにが?」
「僕は・・、まだ暗い場所に慣れてない。」
「・・なんだ。じゃあこの道は夜NGだな。」
雅紀は、創一の背中を軽く叩く。
「うん。そうだね。」
創一は、笑顔で答えた。
それから2、3日経過した頃。
雅紀が、眠い目を擦りながら夜中トイレに起きた時、階段を降りていくと、玄関に人影を発見した。
「・・・誰?」
声をかけたが、応答は無い。電気も付けずに、暗闇の中ぼんやりと浮かぶ黒い人影は黙って突っ立っている。
後ろを向いているのか、前を向いているのか。それどころか、生身の人間かどうかすら定かでない。
そんな事を考えていたら、恐怖心が湧いてきて、雅紀は手近にある階段の電気を付け、ぼんやり浮かんだ玄関の電気スイッチも飛びつくように付けて、人影の正体を目にする。
「・・なんだ・・・お前かよぉ~・・・。」
情けない声を上げて、雅紀は目の前に立つ創一を確認した。
気を取り直し、雅紀は創一の後ろ姿に問いかける。
「こんな夜中に何してんだよ?」
「・・・・・・・。」
「寝れないのか?散歩行くなら付き合うぜ。俺もちょうど・・目が冴えちゃってさ。」
と言いつつ、雅紀はあくびをかみ殺す。
「・・まっ・・てて・・・。いま・・・いく・・・・。」
「・・は?」
創一は何か呟いて、両腕をだらんと下げて、フラつきながら玄関に座り込む。
力なく手を伸ばし、下駄箱から自分の靴を取り、UFOキャッチャーのアームのように、高い位置で靴から手を離して地面に落とした。
明らかに様子がおかしいのを察知して、雅紀は創一の肩を掴み、顔を覗き込む。
「創一?」
「・・・・・・・。」
創一は、あの空き地の時のように、意識が何処かへ飛んでいるようだった。
「ち、ちょっと待ってろよ?俺トイレ行ってくるから、1人で行くなよ?」
「・・くが・・・いかないと・・・・。」
「え?よく聞こえねぇんだけど、さっきから何言ってん・・・」
「よんで・・る・・・。いか・・ない
と・・・。」
創一は、靴を履かずに裸足で立ち上がると、フラつきながら扉に手を伸ばす。
雅紀は、服を掴んでそれを阻止する。それでも創一は、雅紀を引き摺りながら扉へ足を運ぶ。
「おい創一・・・待てってッ。どっからそんな力・・・おわっ!」
突然、創一の体が力を無くし、雅紀の上に倒れ込んできた。その拍子に、雅紀は腰と後頭部を床に強打した。
「いっ・・・・つぅ~~~ッ。」
「・・・ん・・・え・・・?」
創一は、見慣れない天井を目にして、驚いて勢いよく上体を起こした。
すると、創一の臀部が雅紀の腹を圧迫し、腰にも圧力がかかる。
「うぅおっ・・・ッ。」
「え・・・う、うわっ!?」
創一は、自分の尻の下に何故か雅紀にいるのを確認して、更に驚いて立ち上がる。
雅紀は、痛みに耐えながら、唇に人差し指をあてて、静かにするように訴える。
「し、静かにしろ・・・。皆寝てるから。」
「う・・あ・・・うん。ごめん・・・。」
雅紀は、頭と腰をさすりながら、ゆっくり起き上がる。
「ハァ~・・・何だぁ?今の。」
「・・兄ちゃん。」
「ん?」
「こんな所で何してるの?」
そう問いかけてキョトンとしている創一を見て、雅紀は困り果てた顔をしながらも、何故か笑った。
「まぁ・・取り敢えず、部屋戻ろうぜ。」
「う、うん・・・?」
「の前にトイレッ!」
気が抜けた瞬間、怒濤の如く尿意の波が押し寄せて、雅紀はトイレへ駆け込んだ。
その日から、夜は創一の布団の隣りに、雅紀は布団を敷いて寝るようになった。
「大袈裟だよ、兄ちゃん。」
「母さん達に言わないなら、俺が見張る。フラフラ外出てって、山奥で遭難して熊にやられたり、近所に迷惑かけたくないだろ?」
「うん・・・まぁ・・・。」
全く不安が無いワケじゃないが、それよりも創一は、まるで夜1人で寝られない子供扱いされているようで、何だか気恥ずかしい気持ちが勝っていた。
一緒に寝始めると、創一は2・3日に1回の割合で、真夜中に豆電球の薄明かりの中で、何もせず突っ立っていたり、扉を開けて部屋を出て行き、素足で外へ出て行こうとしたり、普段はしない行動を取るのを、雅紀は目撃した。
けれど、創一は全く記憶が無く、覚醒中は朝から夜まで、食欲もあって体調が良い日が続いた。
覚醒中と、夜中のギャップを知る者としては、唯々不安が募るばかり。
「・・・・・・・。」
「ねぇ、今日は何処まで・・・。」
「・・・・・・・。」
「・・兄ちゃん?」
「んあ?」
「大丈夫?」
「おう。今日は結構暑いから、川でのんびりしようぜ。」
「うん。あ、そうだ。母さんがね、夏休み終わったら、試しに学校行ってみようって言ってくれたんだ。」
「おーホントか!?良かったじゃん!」
「うん。まずは、プリントと問題集の受け渡しに、2週間に1度1人で学校行くんだ。後は追々だって。」
「そっかぁ~。1歩前進だな!」
「後退しないように、頑張るよ。」
「元気だからって気ぃ抜くなよ?俺が教えた道は足場が良くねぇし、足取られて骨折でもしたらアウトだからな。」
「うん。あのさ・・・。」
「ん?」
「兄ちゃんは、野球はどこでも出来るって言って、街からここへ引っ越すの賛成してくれたけど、本当は本格的に名門校に入って、甲子園に出て、プロ野球選手目指そうと思ってたんだよね?」
「まぁな。でも現実は、そう甘くないんだぜ?競争率高いし、俺の腕じゃ話にならねぇよ。」
「本当に?僕は、そう聞かなかったな・・・。今みたいに、街に住んでる時も家にいることが多かったから、父さんと母さんが話してるの、聞いたことがあったんだ。」
「・・・・・・・。」
「顧問の先生が、[雅紀は筋が良いから、本格的に野球に打ち込む気があれば推薦する]って言ってくれたって。学校から帰って来るなり、嬉しそうに話してたって。」
「・・・なぁんだ、知ってたか。」
「・・僕のせいだよね。」
「違う。俺が決めたんだ。」
「隠さないでいいよ。実際そうだし。」
「違うって言ってんだろ。」
「僕も、兄ちゃんには野球選手になってほしかったんだ。でも・・・自分の事しか考えてなくて・・・ごめん。」
「・・それも違うだろ。」
「え・・・?」
「普段、お前は自分の事より周りのことばかり考えて、自分の事は飯食って寝るとか、そういう最低限のことしか考えてなかった。そんなお前が、自分の事しか考えられない位追い詰められて、引っ越しの話を聞いて、初めて家族の前で主張したんだ。自分の気持ちを。」
「・・・・・・・。」
「自分の事しか考えてなかったんじゃない。考えられなくなっちまったんだ。あの時、反対する理由なんて、何も浮かばなかった。野球の事なんかどうでもよかった。それよりも、お前の願いを叶えてやりたくて、自分の意志で賛成したんだ。俺にとって、野球はその程度。そんな奴が、プロになんかなれるワケ無い。なれるのは、それだけしか考えてない人だ。」
「そんな事ない。兄ちゃんならきっとなれる。」
「お前のヒーローだからか?」
「そうだよ。」
「そう言うけどよ、俺がお前のために、何が出来てるってんだ?」
「助けてくれてるよ。小さい頃からずっと。今も。」
「夜一緒に寝てるだけだろ。」
「それだけじゃないよ。祭りに連れて行ってくれたし、暇があれば僕に付き合ってくれる。いつも、前向きな言葉ばかりかけてくれて、冗談言って笑わせてくれて。それが、どれだけ僕を元気づけているか、全然気づいてない所も、すごくカッコイイと思う。」
「わぁ・・・始まったよ。」
「え?」
「小っ恥ずかしい事をサラッと言ってのける、ブラコンスイッチONモードの創一くん。」
「う~ん・・・恥ずかしいかなぁ?夜同じ部屋で寝るのは、少し恥ずかしいけどね。」
「仕方ねぇだろ。フラフラどこ行っちまうか分かんねぇし。」
「うん。だから、そういうの全部、僕の為になってるから。兄ちゃんは、やっぱりヒーローだよ。」
「・・・はいはい。分かった分かった。」
「何その適当な返事。」
「何かさぁ、調子狂うんだよなぁ。お前のそういうトコ。普通さ、俺らみたいな年頃の兄弟って、もっと生意気言って反発したりして、喧嘩なんかしょっ中するんだぜ?」
「え、そうなの?」
「生まれてこのかた、俺ら喧嘩したことあったっけ?」
「ん~・・・。」
「・・お人好しだな、お互いに。」
「あ、あった。ドーナツ事件は?」
「あーっ!ん?いや・・あれは違うな。」
「確か・・・、2人で食べるように言われて、ドーナツを1個もらったんだよね?」
「それを知らねぇで、お前がいない間に俺が食べて、戻ってきたらドーナツが無くて、お前が泣いた。その声を聞いて母さんがやって来て、俺が怒られたんだ。」
「そうそう、そうだったね。」
「アレは喧嘩じゃねぇよ。俺はふて腐れたけど、泣き止んでから、お前はずっと俺にくっ付いて来た。何か、申し訳なさそうな顔してよ。食っちまったのは俺なのに。」
「・・そうだったっけ?」
「分かった。お前がいつも反抗してこないから喧嘩にならないんだ。」
「僕は、兄ちゃんが結局は折れてくれるからだと思うけどな。」
「いや折れちゃいねぇよ?喧嘩のきっかけさえあれば、俺はいつでも買うからな。相手がお前だろうと、部活の先輩だろうと。」
「じゃあ、母さんは?」
「う・・か、母さんだって場合によっては・・・。しかし、出来れば避けたい。」
「アハハっ、僕も。」
「だよな。まぁ、仲良いにこしたことねぇけど、元気なお前と取っ組み合いの喧嘩ってのも悪くねぇかもな!」
雅紀はそう言って、跳ねるようにデコボコ道を進んで、創一を抜いて先頭を行く。
あまり好戦的じゃない創一は、少し困りながらも、そうなった時のことを想像しながら、雅紀の後を追いかけた。
それから、夏休みが終わっても、雅紀は創一の見張りを続けた。睡眠不足で、授業中の居眠りが多くなっても、部活に本気で打ち込めなくなっても。
ある日、シャワーを浴びて創一が自室へ戻ると、明かりを付けたまま、雅紀が既に布団の上で口を開けて寝ていた。
「んがぁ~・・・んがぁ~・・・。」
「・・知ってるよ。無理してるの。でも、母さんに似て言っても聞かないからなぁ・・・。」
創一は小声で囁きながら、雅紀の横にしゃがみ込んで見下ろす。
「僕なら大丈夫だよ、兄ちゃん。」
そう言って、雅紀にタオルケットをかけてやり、電気のヒモを引っ張り豆電球を付けると、創一は少し間を空けて敷いた自分の布団に横になる。
「おやすみ。」
「がぁ・・・がっ。」
「プっ・・・。」
可笑しなイビキの音に笑いを堪えながら、創一も眠りについた。
そして、深夜3時に差し掛かった頃。
「おい・・・おい創一っ。」
遠くの方で、創一は雅紀の声を聞いた。意識が朦朧としている上に、何かに体を揺さぶられて気持ちが悪い。
「目ぇ覚ませよっ。」
頬に何か当たったが、特に痛みも無い。
それよりも、自分は早く行かなくてはならない。そればかりが脳を支配して、あまり感覚がない手足を動かす。
前進しようとする度に、右の二の腕が圧迫されて、創一を引き止める。
そして、徐々に意識がクリアになっていき、雅紀の声が近づいてきた。
「行くな・・・それ以上行ったら・・・」
「う・・・ん・・・。」
「落ちるっ!!」
「・・・・・え。」
頭に突き刺さるような雅紀の叫び声がして気がつくと、あるはずの豆電球の明かりはどこにも無く、創一の視界は真っ暗だった。
なぜなら、森戸家の庭を出た先の、ガードレールなど無い林道脇にある急斜面と林道の間ギリギリで、爪先が斜面に飲まれそうになりながら立っていたからだ。
「んん・・・クソッ!」
そんな中、何も見えず戸惑う創一は、背後から雅紀が右腕を掴んで、必死に引き止めているのに気づく。
すると、一気に体から力が抜けて、雅紀に引かれるままに後退した。反射的に体を支えたため、今回は倒れ込むことはなかった。
「兄ちゃん・・・?」
「ハァ・・・気づいたか?」
「僕・・・また。」
「ああ。ハァ・・・見ろよ足元。」
雅紀が指差す方へ目を凝らすと、急斜面に向かって砂利道が抉れ、下の土が見えていた。
「もう少しで斜面転がり落ちて、木にぶつかって怪我してたかもな。」
「うん・・・。当たり所悪かったら、死んでたかも。」
何も考えず口にした創一の言葉に、雅紀は不安を覚えて、掴んだままの創一の右腕につい力が入る。
「もう平気・・・。ありがとう、兄ちゃん。戻ろう?」
「ん、ああ。」
雅紀が手を離すと、創一は家に向かって歩き出す。
その背に、雅紀は迷いながら日頃抱えてきた気がかりをぶつけた。
「なぁ。」
「ん?」
「・・何とも思わねぇの?それとも、わざと気にしないようにしてんの?」
「・・・・・・・?」
「お前の言う通りだよ。もしも、転がり落ちてたら・・・死んでたかもしれない。なのに、怖くないのか?」
「・・あ、確かに。あれ・・・?なんでかな。」
「寝てる間に動き回って、気づいたら玄関にいたり、こんな所まで来てんだぞ?」
「でも、大丈夫だよ。」
「は?」
「理由は分からないけど、大丈夫だって思えるんだ。体調もいいし、ご飯も食べられる。今僕は、生きてきて1番って言っていいくらい良い気分なんだ。」
そう言って微笑む創一を見て、雅紀は怪訝な表情を浮かべる。
「・・いつものお前だったら、気にし過ぎなくらい気にして、今頃取り乱してる。」
「うん、そうだね。でも、1つだけ気がかりな事はあるよ。」
「なんだよ。」
「夢を見た時みたいに、いつも目が覚めたら忘れちゃってるんだけど、今日は覚えてる事があって。」
「え、なに。」
「誰かが呼ぶんだ、僕のこと。言葉も声も無いのに、僕を呼んでるのが分かるんだ。いったい何なのか、それだけは気になって仕方がない。」
それを聞いて、更に不安が押し寄せる。
「・・創一。もう・・・」
「大丈夫、夢だよきっと。あと、ちゃんと対策も考えるよ。だから・・・母さん達には・・・。」
「・・・どうかな。俺は、黙ってても解決しないと思うぞ。」
「兄ちゃん・・・。」
「でも、お前に任せる。今回は、俺の責任でもあるし。ちゃんと見張ってなかったから、止めるのが遅れた。」
「違うよ。兄ちゃんは悪くない。それに・・・あんまり無理しないで。無理させてるの、僕なんだけど。」
「・・親に話さないなら、俺が見張るしかないだろ。」
無理に笑い、雅紀は創一を抜いて家に向かう。
「戻るぞ。」
創一は、家に向かいながら、雅紀が言った事を反芻する。確かに、こんな事があってもあまり危機感も動揺もしてない。それよりも、何故か自分は大丈夫だという、妙な自信がある。それに関しては、違和感を覚えた。
次の夜から、創一は鈴の付いたキーホルダーを自室の扉内側をガムテープで貼り付け、就寝時に荷造り用の紐で、自分の左腕と机の脚を繋いだ。
「どう?良いアイデアじゃない?」
「へぇ~。これなら物音立てずに出て行けねぇから、俺も起きれるな!」
「紐が切れなければ、兄ちゃんが起きる必要もないし。」
「ん~でもよ、俺が抑えるだけで手一杯だからな。あの火事場のくそ力で引っ張ったら、荷造り紐じゃ腕にまぁまぁの怪我するぞ?」
「そっか・・・。」
「あと、トイレ行きたくなったらどうすんの。」
「・・・縛ったらなかなか解けないね。」
「漏らすな、確実に。」
「・・・地獄だね。」
創一の表情が曇る。雅紀は数秒思案して、口角を上げて創一の肩を叩く。
「まぁ待てや。タロのリードと首輪どうした?捨てずに持ってきたんだよな?」
「うん、あるよ。」
雅紀は、ベルト状のタロの首輪に千枚通しで穴を開けて、創一の左手首にタオルを当てて、その上から首輪を腕時計より若干キツく付ける。
そして、リードを首輪の金具に繋いで、その先は机の脚にキツく縛り付けた。
「どうよ?」
「すごい!引っ張っても痛くないし、首輪も外れないよ。トイレ行く時は、リードの金具外せばいいだけだし。」
「まさか、タロもこんな風に使われるとは思ってもみなかったろうな。」
「ありがとう。これできっと大丈夫だね。」
「まぁ、試してみようぜ。」
それから、暑さと共にセミの声が聞こえなくなる頃まで、物音で起きることはあっても、雅紀の手を煩わすことは無かった。
真夜中に、意識の無い状態で創一は起き上がり、扉へ向かおうとはするが、腕を繋ぐリードを外す行為も、雅紀が必死で引き止めた時のように力任せに引っ張ることもなく、しばらくの間リードを張る位の距離まで進んで扉を求め、数分後には再び眠りにつく。
それを見届け、雅紀も再び眠りにつくという日が続き、対策は効果てきめんだった。
「ただいまー。」
「あ、おかえり~。どうだった?」
「うん、問題ないよ。もう毎日登校出来そう。」
「かもしれないね。でも、油断は禁物だよ。少しずつ回数増やしていこう?」
「うん、分かった。」
今日で、1人で学校へ登校するのは3回目。母親が担任と相談した結果、午前8時半までに登校し、ホームルームを受けて、担任と一緒に職員室へ行き、プリントの受け渡しをして、早退している。登校ルートは、雅紀が教えた道を使い、問題なく帰ってこれている。
創一の調子は、夜中の不思議な行動を除けば、年相応に近い体力を取り戻し、母親の目から見ても心身共に元気に見えていた。
それでも母親は、慎重に捉えていた。慧の存在が引っかかっていたからだ。
「じゃあ行くね。昼飯は冷蔵庫にあるよ。」
「うん。大変だから、わざわざ1度帰って来なくても大丈夫だよ。」
「あんたの顔が見たいんだよ。嫌かい?」
「え、ううん。」
創一は照れくさそうに笑い、
「いってらっしゃい。気を付けてね。」
と言って誤魔化した。
それから数日が経ち、庭の桜の木の葉が枯れて落ちるようになり、紅葉の葉が少し色づき始めた。
昼間は晴れていれば暖かいが、曇り空の中、縁側に座って肌を晒して過ごすのはもう限界かなと、創一は長袖のTシャツにジーパン姿で過ごすようになった。
夜は格段に気温が下がるため、長袖の寝間着に、タオルケットから羽毛布団に変わった。
「寒ぃ~っ。おい、秋どこ行ったんだよ。」
「さぁ。でも昼間はまだ暖かい日もあるよ。街はどう?寒い?」
「動くには丁度良い陽気だな。部活中はまだ汗掻くけど。しかし、何だこの昼と夜の気温差!?」
「これが山暮らしなんだね。もう少しで、引っ越してきて初めての冬が来るよ。」
「今でこの寒さだぞ?越せるか?雪降ったら学校行けんのか?ここは動物見習って冬眠した方がいいよな?」
「冬に冬眠する動物って、クマとコウモリとリスとアナグマ、それとヤマネなんだって。だから、殆どの動物は冬も活動してるんだよ。」
「いいじゃんかぁ~冬くらい!カバみたいな妖精だって、冬が来たら冬眠して雪が溶けるまで起きないんだぞ?」
「えぇ~・・・。」
分からず屋な言い分を続ける雅紀に、創一は若干引いている。
「まぁいいや。布団被って寝ようぜ~。」
「うん。」
創一は、いつものように手首にタオルを当て、タロの首輪を取りつけてリードを繋ぐ。
雅紀もそれを目視チェックし、電気の紐を引っ張り、豆電球に切り替えて、いそいそと布団に潜る。
「じゃ、おやすみ~。」
「うん、おやすみ。」
2人とも、数分で眠りについた。
そんな暮らしが続き、年は暮れ、年が明けて、厳しい冬を森戸家は乗り越えた。
庭の雪が殆ど溶けた頃、創一は14歳になった。
森戸創一、14歳。
厳しい冬の寒さに体が耐えられなかったのか、創一は徐々に食欲を無くし、元気を失くし、再び痩せ細ってしまった。
登校する体力も無いため、学校は週に1度母親に車で連れて行ってもらい、プリントの受け渡しをして家へ帰る。そんな生活が続いていた。
そんなある日の夜。
創一と雅紀は、いつものように仲良く布団を並べて眠りについた。
その5時間後、時計は3時を回っていた。
2・3日に1度、創一は大体この時間に動き出す。
今夜も、動き出した。目を開け、上体を起こして、扉へ向かって四つん這いに這う。
リードと首輪を繋ぐ金具が擦れて音を立てる。
その音を聞いて、隣りで眠っていた雅紀が目を覚まし、創一はぼんやりしながら、何故か引き返して布団の上に正座した。
いつもと違う動作をする創一を見て、雅紀は寝転がったまま様子を窺う。
「・・にい・・ちゃん。」
「・・・・・・。」
「・・にいちゃん。」
虚ろな目で雅紀を見下ろし、話しかけてきた。
雅紀は少し警戒しながら起き上がり、返事をする。
「どうした?創一。」
「トイレ・・・いく。」
「ああ、行ってこいよ。」
「これ・・とれない。」
そう言って、リードに繋がれた手首を見せる。雅紀は怪しんで、敢えて冷たくあしらう。
「知らねぇ。」
「とれない。」
「いつも自分で外してるだろ。」
「とれない。」
「知らない。」
「にいちゃん・・・みて。」
「あ?」
「こっち・・・みて。」
雅紀は、素直に創一の虚ろな目を直視した。そして、目が離せなくなった。
「・・・創一・・なんだ・・これ。」
「にいちゃん。」
「やめろ・・・。」
体も、動かせなくなった。雅紀は焦り、声を上げようとしたが、もう手遅れだった。
創一は、顔を近づけて、まるで目から見えない糸をとばし、雅紀の体に巻きつけて拘束しているように、雅紀は冷や汗を掻く以外何も出来なくなった。
「・・これ・・・はずして・・・。」
「・・・・・・ッ。」
「だいじょうぶだよ・・・。トイレいったら・・・すぐもどるよ。」
「・・・・・・ッ。」
雅紀は、精一杯抗った。抗ったが、何かに乗っ取られたかのように、自分の両手が創一の手首へ伸びて、リードの先の金具と、手首に取りけられた首輪の金具を掴む。
「・・・ッ・・・く・・・そぉ。」
抗えない雅紀を見て、創一は薄笑みを浮かべていた。
それは、創一じゃなかった。創一の皮を被った、別の人物。
雅紀はそう直感した。しかし、今の状況でそれに気づいたところで、状況を打破することも改善することも出来ず、雅紀は操られるままにリードを外した。
「ありがとう・・・にいちゃん。」
創一の中にいる何かが、嬉しそうに笑う。雅紀は、何とか体を動かして、創一を捕まえようと、何とか声を上げて両親を起こそうと意識するが、ただそこで座って、創一の目を見ていることしか出来ない。
やがて、創一の掌が雅紀の顔に当てられ、
「じゃあ・・よくやすんで・・・。」
その言葉に従い、雅紀は瞼を閉じて布団の上に横たわった。ちくしょうと繰り返し頭の中で叫んでいる内に、雅紀の意識は途切れた。
創一は、雅紀の上に掛け布団をかけてやり、立ち上がって部屋を出て、深夜の寒空の中、何かに導かれるように外を歩いていった。
1時間後。
雅紀は目を覚まし、すぐにもぬけの殻の布団を確認し、着のみ着のままで外へ飛び出した。
林道を駆け下りながら、林道脇の斜面に目を向ける。
「創一!創一!」
でも、ここにはいない。何故かそう思った。どうしてか分からないが、創一が行きそうな場所の目星はついていた。
祭りの後の帰り道、裏道を通ってある空き地に出た。あの時の創一の態度が、妙に頭の中を支配しているからだ。
こんな時間に外へ出ていたら、山の中の集落だ。立派な本道はあっても、車も人も殆ど使わない。動物達の出没率は高い。
あんなぼんやりした無防備な人間を発見したら・・・。
雅紀は、それが1番心配だった。
林道から本道へ出て、更に道を駆け下りる。しばらくすると、左側に脇道が現れ、スピードを落とさず左折して、例の空き地へやって来た。
「創一ッ!」
姿を確認もせずに叫ぶと、暗闇の奥で雑草が揺れる音がした。雅紀は、慎重に歩みを進める。視力は良い方だが、深夜の暗闇は流石に目が慣れるまで時間がかかる。
「こ・・来ないで!」
直感は当たった。声の主は創一だ。先程の虚ろなものではなく、ちゃんと覚醒した創一の声だ。
狼狽える創一を、宥めるように雅紀は声をかける。
「大丈夫だ、俺だよ。兄ちゃんだ。そこにいろよ?今行く。」
「ぅ・・・。」
「なぁ、すごいだろ俺?目が覚めてお前がいないから外出たらさ、ここにいるって直感が働いたんだ。俺にも、力があんのかな?」
「・・違うと思う・・・。」
「じゃあ、何で分かったんだ?」
「僕がここにいる理由と・・・同じだと思う。」
「へぇ。理由って?」
そう尋ねた時、雅紀は声を頼りに創一の傍へ辿りついた。
創一は、雑草の中にしゃがみ込んで、こちらに背を向けている。辺りには、鉄くさい臭気が漂っている。
「いたんだ・・・ここに。ついさっきまで・・・。」
「・・・・・・・?」
創一は、苦しそうに息をしながら、ゆっくり立ち上がると、雅紀と向き合う。
「・・ずっと、呼んでたんだ。僕に、始末させるために。」
「創一?何言ってんだよ。」
「・・・ごめん・・兄ちゃん。巻き込んで・・・ごめんッ。」
創一は、どん底へ叩き落とされたみたいに、絶望と悔恨を顔に浮かべて、両手を雅紀に差し出す。
「・・・・・・・!!」
「僕は・・操られてる・・・。慧に・・・ッ。」
差し出した両手は、血にまみれて、臭気を放っていた。
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