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森戸創一~呼び声~
しおりを挟む『森戸創一~呼び声~』
森戸創一、13歳。
今日の夕食は、居間で雅紀と2人でとった。父親は会合に、母親は祖父の店の手伝いに行っている。
「俺の特製雑炊、なかなかだろ?」
「うん。あっさりで食べやすいよ。」
「母さんが作っといた汁に、ご飯ぶっ込んで煮ただけだからな。」
「そうなの?なぁんだ。」
「あははっ。良かった。調子良さそうだな。」
「うん。ごめんね、心配かけて。」
「俺が倒れたら、宿題は任せた。」
「まだ中1だよ?さすがに高校は無理だよ。」
「お前なら教科書読めば分かるって。小2の時に、誰かのドリル拾って小6の問題解いてたじゃん。」
「あれはたまたま分かっただけ。」
「ホント能ある鷹って爪を隠すんだなぁ。俺なら見せびらかしてやるのに。」
「・・・今日、母さんに話したよ。」
「ん、そっか。そんな気ぃしてた。」
「なんで?」
「顔見りゃ分かるよ。お前は特に。」
「そうなんだ。」
「頭良いだけじゃ鼻につくし、そのくらいの弱点あって丁度良いって。」
雅紀は創一の肩を軽く叩いて、雑炊を掻っ込む。
創一は真面目な顔をして、一昨日学校の帰り道であった事を、雅紀にも打ち明けることにした。
「あの、兄ちゃん。」
「いい。」
「え?」
「母さんに話したんだろ?それならいい。」
「・・・・・・・。」
「俺に話したいなら、いくらでも聞く。でも、あんまり話したくないんだろ?」
「・・なんで分かっ・・・。そっか、全部顔に出てるんだね。」
創一は苦笑いする。
「体はデカくなったけど、俺達はまだ子供だ。1人で抱え込んでいても、解決出来ないことは沢山ある。俺達2人で動いても、結局は親に迷惑がかかるしな。お前は、勇気を出して親に話した。今はそれで充分。」
「・・ありがとう。」
「ハァ・・・弟が苦しんでんのに、腰抜けみてぇだよな。」
「そんな事ないよ。兄ちゃんがいてくれて、すごく心強いよ。血が上った時に、そうやって諭してくれるし、いざって時は絶対助けてくれるって分かるもん。」
「ムっキムキで身長2メートル越えの男だったら、速攻逃げる。」
「ははっ。それでもだよ。兄ちゃんは、僕のヒーローだから。」
「・・・お前、そんな台詞よくしれっと言えんな?」
「え?でもホントの事だし。」
雅紀は顔の熱さを誤魔化すように、雑炊の残りを口に放り込んでいく。
「食えよ。冷めちまうぞ。」
「うん。」
食後、雅紀が後片づけをしていると、母親が帰ってきた。
「ただいま。創一は?」
「2階だよ。創一、ゆっくりだけど半分近く食べたよ。」
「そう、ありがとね雅紀。雑炊じゃ物足りなかったんじゃない?」
「平気平気。創一の10倍食ったし。」
「じゃあ、コレは必要なかったかねぇ?」
母親は、手提げ袋から小玉スイカを取り出す。
「おぉー!!食べる食べる食べる!」
「じゃあ冷やしといて。後で創一も呼んで食べよう。」
「はーい!」
母親は、そのまま2階へ行き、創一と話をした。
「暗示・・・?」
「慧には、あるらしい。慧ってのは、あの男の名前ね。例えば、病気で弱っている、何か悲しいことがあって落ち込んでいる、怖いものを見て動揺している。そんな人達は、心に隙が出来るんだ。普通ならその人を思って慰めたり、助けたりして心を落ち着かせてやるだろ?慧の場合は、自分に都合よく事が進むように、相手に暗示をかけて利用する。」
「・・・・・・・。」
創一は、不安げに俯く。
母親は創一の肩に手を置き、顔を上げさせる。
「何が言いたいか分かる?自分と深く関わった動物の姿は見ることは出来ない。その証拠に、あたしや創一にはタロが見えない。でも、アイツが傷つけた猫を、創一が楽にした後、自分の足にしがみ付いてたって言ったね?」
「うん・・・。」
「あれは、あんたを共犯者と思い込ませたくて、慧がかけた暗示だ。」
「・・・え。」
「あんたが見た猫は、幻影だったんだよ。その証拠に、消えろと声を上げて無意識に念じた事で、あんたは自分で慧の暗示を打ち消した。本物の動物の魂なら、思いを遂げるまで消えはしないからね。」
「・・・言われてみたら、僕の足にいた猫は消えたけど、慧の周りにいる動物達は消えなかった。」
母親は、満足げに頷く。
「でも、それ誰から聞いたの?」
「お爺ちゃんから。」
「・・・・・・・!」
「お爺ちゃんは、慧の味方じゃないよ。だから、あたしに慧のこと教えてくれたし、慧の部屋の鍵も預けてくれた。」
「そ、そうだったんだ・・・良かった。」
「ついでに、慧にちょっと挨拶してきたよ。」
「え・・・?」
「明日から、1日2回食事を届けに行くことにした。お爺ちゃんには店があるし、あの年で厄介モン背負い続けるのはもう厳しいからね。その方が監視も出来るし丁度良い。」
「危ないよ。」
「覚悟の上だよ。」
「母さん!」
「言ったろ?先手を打つんだ。そうすれば、あたし達は勝つ。あんなヤツらに、あんたの人生台無しにされてたまるか。」
「・・・じゃあ僕も行く。」
「体調が戻るまでは、家で療養しよう。街の時は、何度も接触したせいで悪化した。学校へ登校する時、どうしてもお爺ちゃんの家を通るし。手口が明らかになった今、創一なら問題ないかもしれないけど、念のため体力が戻って、心身落ち着くまでは近づかないほうがいいと思う。」
「でも、もし暗示にかかってしまったら?母さんに暗示を解く力が無かったら?」
「あたしに付け入る隙なんてある?母さんは、家族の中で1番手強い。知ってるでしょ?」
「そうだけど・・・」
「今日かけようと思えば、暗示をかけられたはず。でも何ともない。きっと、こっちの出方を窺うつもりなんだよ。だから、創一も少しの間あたしに任せて、自分の体調の事を考えて。」
「・・・分かった。絶対、危ない事はしないで。」
「あいよ。それにしても、全くどっちが親なんだか。」
「だって、母さんヤンチャだから・・・。」
創一は困った顔をして母親を見つめる。母親は、安心させるように創一の頭を引き寄せて胸に抱いた。
その夜、創一は少し眠ることが出来た。
翌日。
「創一。」
「おかえり。」
昼頃、母親が帰ってきた。父親は仕事に、創一は食事の最中だったが、席を立って母親の様子を窺う。
「平気?」
「ああ、全然。さっき、慧があたしを追い出したくなって、暗示をかけてきたよ。」
「え!?」
「大丈夫。あたしには効かなかった。それが分かって、随分とふて腐れた顔して飯食ってた。あんたにも見せなかったねぇ。」
そう言って、母親は笑い、汚れた食器を流しに置く。
「形勢はこちらに有利。このまま毎日食事を運んで、慧を追い込む。目には目をよ。」
「・・・そんなに上手くいくかな?誰も味方がいないし、母さんに暗示は効かないと分かった今、もしかしたら逃げ出したかも。」
「それは、多分無い。」
「どうして?」
「あたしと入れ替えくらいに、離れに工事が入ったはずだから。」
「工事?」
「そう。離れを、アイツ専用の牢屋にする手配をしたんだ。離れの外には複数の職人がいて、離れを柵で囲い、地面にはコンクリートが敷かれる。使っていた脱走路は、既にあたしが塞いであるから使えない。今から1人で新しい穴掘ったって間に合いやしないよ。」
「じゃあ、慧はもう・・・。」
「外へ出ることは無い。」
確信を持って告げる母親の声を聞き、創一の表情が無意識に緩む。
「でも、まだ足りない。」
「そんな事ない。もう十分だよ。」
「まだ分からない事があるだろ?」
「・・・・・・・?」
「暗示は、いつまで効力が続くのか?その範囲は?こればかりは、かかった人にしか分からない。痛めつけられた不幸な動物達は、加害者が死ぬまで取り憑くように、1度かかった暗示は、かけた本人が死ぬまでかけられっぱなしなのかもしれない。」
「・・・・・・・。」
真顔で推測する母親を見つめ、創一の表情が強張る。
「だから、母さんに教えてほしい。今、あの猫は見える?」
「・・ううん。あの時消えてから、1度も見てないよ。」
「分かった。じゃあ、また現れるようになったら、すぐに母さんに教えるんだよ?」
「うん。もし、現れるようになったら?どうするの。」
「・・方法を変えなきゃいけないね。」
「・・方法って・・・」
「お皿、水に浸けておくから、ついでに洗ってくれる?母さんお爺ちゃんの手伝いに行くから。」
「え・・うん。」
誤魔化されていると分かっていながら、創一はそれ以上追求しなかった。
「今日も暑いから、水分だけはちゃんと摂るんだよ?」
「うん。行ってらっしゃい。」
「行ってきまーす!」
母親は、早々に出かけていった。
広い家の中で1人。
夏日の中、創一は不思議な寒気を感じ取っていた。微熱がまだあるせいだと自身に言い聞かせながら、出来るだけ食事をとって、皿洗いを済ませた。
2階の自室へ戻ると、友人が持ってきてくれた学校のプリント用紙を半分片づけてから、布団に横になった。
しばらくの間天井を眺める内に、創一は眠りについた。
再び目が覚めた時は、もう夕方だった。
薄暗い部屋の中、手探りで枕元から体温計を取り、脇に挟んだ。よく眠れたせいか、頭がスッキリしている。この分なら、熱は下がっていると創一は予想した。
下の部屋で物音が聞こえる。母親が一旦帰ってきて、台所で夕食の支度をしていて、学校から帰った雅紀が炭酸ジュースを飲みながら近くにいて、つまみ食いする隙を窺っているのだろう。
想像してみると、つい笑ってしまう。なんて平凡で、幸せな光景だろう。
創一は、起き上がって体温計を見る。36度5分。思った通り平熱。
立ち上がって、幸せなその光景に自分も身を置きたくて、創一は階段を下りていった。
「おっすー、よく寝た?」
「うん、おかえり。」
創一の予想通り、雅紀は台所の冷蔵庫に凭れて自分に話しかけながら、目は母親が調理中の肉野菜炒めをロックオンしている。
「創一、熱は?」
「今計ったら、下がってた。」
「そう。じゃあ沢山食べないとね。」
そう言って出来上がった炒め物を皿に移すと、
「そうそう。よく食って寝る子はそだ・・・」
空かさず背後から雅紀の手が伸びてきた。しかし、母親の平手がピシャリとその手を叩く。
「あんたはいつもの時間にいつもの量食べてりゃ平ー気!ほら、皿持っていって。」
「ほーい。」
若干ふて腐れた顔で、雅紀は出来たての香りを嗅ぎながら、皿を食卓へ持っていく。
創一は笑みをこぼしながら、炊飯ジャーの横に3つ重ねて置かれた茶碗を1つ持ち、ジャーの蓋を開ける。
「創一、座ってな。」
「大丈夫。」
慣れた手つきで、3つの茶碗にご飯をよそる。すると、背後から雅紀が現れて、ご飯が盛られた茶碗2つを手に取る。
「俺の大盛りな?」
「うん。」
「いいよ、程々で。つけたらつけた分食べちまうんだから。」
「ワシゃ犬かいっ!」
「フ・・アハハハッ!」
思わず、創一は声を上げて笑った。
久しぶりの事だったので、母親と雅紀はまじまじと見つめる。
そして、2人も創一に笑いかける。
「何笑ってんだよぉ~!育ち盛りだから大盛り3杯くらい当たり前なのっ!」
「そうやって調子こいてブクブク太ったら、モテないぞ~?いいの~?気になるあの子に嫌われるよ?」
「え・・は、はぁ?いねぇしし・・・そんなのッ。」
「あれぇ~?[し]が1つ多いね。」
「え・・兄ちゃんそうなの?」
「いるワケねぇだろ?俺は野球一筋!」
気まずく思い、雅紀はそそくさと食卓へご飯の入った茶碗を持って行く。
「早く食べよーぜ!」
「あいよ。クククっ。」
「ホントなの?母さん。」
「ん~?あの年頃はね、飯はよく食うし、寝るし、異性を意識するようになるんだよ。母親として、たまにハッタリきかせて、息子の健康状態確かめないとね~。アイツは、心も体も健康だ。」
「アハハ、人が悪いなぁ。」
「あんただって、喜んでたじゃない。はい、味噌汁持ってって。」
「は~い。」
その日の夕食は、雅紀の恋事情を探りながら、3人で楽しく食べた。
そして、母親が店へ出掛けた数分後、父親が仕事を終えて帰ってきたので、創一は食事を温めて食卓に並べる。
「お?今日は調子良さそうだな。」
「うん。熱が下がったんだ。」
「そうかぁ~。よし、今日はビールだな。」
「あ、持ってくるよ。」
「そうか?悪ぃな。」
創一は、冷蔵庫からビール瓶を取り出して、栓を抜いてからグラスと一緒に食卓へ持っていく。
父親がグラスを持つと、創一はビールを注ぐ。
「ビール、珍しいね。」
「たまにはな。良い事があった日くらいは。」
そう言って、嬉しそうにビールで喉を潤す。
「はぁ~・・・うまい。あと何年かしたら、お前らも飲めるぞ?」
「兄ちゃんは待ち遠しいみたいだよ。」
「タバコは勧めないが、3人で一緒に酒飲むのは、楽しみだなぁ・・・。」
「兄ちゃんはあと4年。僕は7年。まだ少し先だね。」
「いいんだ。待つのも1つの楽しみだ。それに、母さんはゆっくり大きくなってほしいと思ってるだろうから、ゆっくり成長してやりなさい。」
「うーん・・・ゆっくりってどのくらい?」
「2年使って1年育つ位か?」
「え?じゃあ14年かかってやっと僕はお酒が飲めるんだ。」
「そりゃ長すぎるわぁ~。お父ちゃん死んじゃうベ?」
「死にはしないよ。もう、親って勝手だなぁ。」
「へへっ。そうだぞ~?将来は医者にしてぇ、弁護士か安定の公務員にしてぇ。自分がなれなかった野球選手に育て上げてやろう。なんて、親は子供に少なからず夢を抱くもんだ。」
「ふ~ん・・・。」
「創一、お前は大人んなったら何がしたい?」
「・・・・・・。」
「・・なんだ、無いのかぁ?」
「あるけど、ただの夢だから。」
「言ってごらん。」
「・・野球がしたい。兄ちゃんと球団に入って、選手になりたい。」
「・・・それが夢か。」
「うん。」
「じゃあ、努力しねぇとな。夢を叶える人間は、皆人よりずっと努力してる。並大抵の事じゃ叶わねぇぞ?」
「いいんだ。ただの夢だから。」
「ん~・・・そうか。最初っから諦めてちゃあ、話にならんな。」
「・・・・・・・。」
「でもまぁ・・色々言ったが、結局のところ、親は子供がいくつになろうと、元気で幸せに生きてくれてりゃあ、それでいいんだよ。命削ってまで無理をしてほしくないし、立派になってほしいとも思ってねぇ。つまり、お前と一緒でただの夢を見てるだけなんだ。」
「・・そうなんだ。」
「だから、親兄弟を思うなら、自分の思うように生きろ。お前は家族に気を遣い過ぎだし、聞き分けが良すぎる。」
そう言って、父親は大きな手で創一の頭を大雑把に撫でる。
「無理するな・・・?な?創一。」
「・・・してないよ。大丈夫。」
父親の言葉は、まるで見透かしているようで、創一は少し居心地が悪い気分になる。
父親はビールを飲みながら、壁掛け時計に目をやる。
「お、もう遅いぞ。上行って休め。」
「昼寝したから、まだ眠くないよ。」
「ん、じゃあ一緒にテレビでも見るか。」
「うん!」
それから3時間ほど、父子水入らずでテレビの話に花を咲かせた。久しぶりに笑う息子を見て、父親は安堵した。
そして、後片付けは父親に任せ、創一は自室に戻って布団の上に横になる。
数分と経たぬ内に眠りにつく。
眠りながらも、網戸の外から聞こえてくる木々のざわめきや、林を抜けて入り込む涼やかな風を感じ、とても心地が良い。
森戸家周辺は、たとえ猛暑日が続いても、日中は暑いが、夜には涼しい風が吹いて、昼間の余熱を冷ましてくれる。
そんな中、木々のざわめきと混ざり、何か聞こえてくる。
ザッザッといった、地面に足をつくような音。それと、生き物の息遣いのような音も。
気になって仕方がなかったが、創一は目を覚ますことも、体を動かすことも出来ず、先程までの心地良さは何処かへ消えた。
それでも、目を覚まそうと瞼に力を入れ、体を動かそうと必死で手足に力を入れ、顔を左右に振る。
そうこうしている内に、林の中から聞こえていたはずの足音が、森戸家2階の廊下を軋ませて、創一の部屋の前までやってくる。
冷や汗を噴き出しながら、唯一動かすことが出来る顔だけを起こし、扉が開くのを待つ。だが、それきり何の音もしなくなった。
創一は戸惑いながら、何とか薄目を開ける。ぼんやりと部屋を照らす豆電球の明かりが見える。足元側の扉は閉まったままだ。右を向くと、押し入れがあり、左を向くと・・・左は向けなかった。突然、首が固まってしまい、全身硬直してしまった。
隣の部屋は、雅紀の部屋だ。声を出して助けを呼ぼうと試みたが、[助けて]と口を動かせても、声が出ない。
じわじわと焦りが増してきて、創一は叫び声を上げる為に、[あー!][わー!]と声を出すことに集中した。
その時、左の肩に生温かい人間の手の感触を感じ取り、創一は総毛立つ。
”ム・・・ダ・・・だよ。”
辿々しく文字を発する男の声が、すぐ隣りからした。
よく知る、もう2度と聞きたくない声
。慧の声だった。
”そう・・いち・・・創一。”
「ぅわああああッ!!」
左肩を強く掴まれ、創一は叫び声を上げてその手を振り払った。
すると、視界が突然広くなった。
「ハァ・・・ハァ・・・・。」
創一は、目を覚ました。
天井の、ぼんやりとした豆電球の明かりが、部屋を照らしている。
創一はすぐに起き上がり、電気のヒモを掴んで蛍光灯を点ける。
「・・・・・ハァ~・・・・・。」
そして、問題なく体も動いて、声も出る事を確認し、今のは夢だと分かって布団に倒れ込んだ。
夢の中で、現実で眠っている場所と全く同じ場所で眠る自分を見るなんて体験は初めてだった。次同じ夢を見ても、夢か現実か判断がつくか自信がない。それくらいリアルな夢だった。
ぐっしょり寝汗をかいたので、再び起き上がり、タンスからタオルと着替えを取り出す。
起きてすぐは感じなかったが、今は体が重く、痛みがある。夢の中で体を動かそうとした時、現実でも全身に力が入っていたせいだろう。
特に首の左側は、寝違えたようで筋が張って痛い。
「・・・ただの夢だ。これは、ただの夢。」
創一は、呪文のように自分に言い聞かせる。
服を脱いで全身を拭き終え、新しい服に着替えると、重い体を布団に投げ出す。
今夜は、部屋を暗くして眠れそうにない。
そんな事をぼんやり考えていると、天井の蛍光灯がチカチカと点滅し出した。
「・・・・・・・?」
引っ越してきてから、1度も代えてない事を思い出した。
「・・明日代えよう。」
そう呟いて、寝返りを打って左半身を下にして、目を瞑る。
その時、電気の点滅のせいで不快な記憶が呼び起こされる。
慧と会った時、ペンライトが突然消えて焦ったあの時を。
「・・・・・・・。」
目を瞑っても、蛍光灯の明かりが点滅しているのを瞼の裏で感じる。
創一はタオルケットを頭まで被って、何とか眠ろうと努力した。
翌日。
昼食の時間、母親は慧に食事を届けて、森戸家へ帰ってきた。
冷蔵庫を開くと、作っておいた朝食も昼食も手つかずのまま残っているのを見て、母親は創一の部屋へ上がっていった。
扉をノックする音で、創一は目を覚ました。
「ん・・・。」
3回ノックした後、すぐに扉を開けて母親は入って来た。せっかちな母親の癖だ。
「どうしたぁ?創一ぃ。」
「・・ちょっと夜眠れなくて・・・。」
「電気点けっぱなしなんて、創一らしくないね。」
そう言われ、天井を見上げると、日中の日の光に負けながらも、蛍光灯の明かりが然り気無く部屋を正常に照らしている。
「・・・・・・・?」
明け方4時半頃まで寝つけなかったが、その間もチカチカと点滅していた。
「夜、何かあったの?」
思ったより随分近くから母親の声がして、創一は肩をビクつかせる。
それを見て、母親は怪訝な顔をする。
創一を心配して、布団の横に屈み込んで、すぐ傍で顔色を窺っていた。
「創一。」
素直に話すことを促すように、母親は名前を呼びかける。
創一は、睡眠により重みも痛みも無くなった体を起こした。
「昨夜、変な夢を見たんだ。ただの夢だけど、何だか気味が悪くて・・・。」
情けなそうに笑みを浮かべて、創一は夢の内容を正直に打ち明けた。
母親は、真剣に話を聞いて、話が終わると黙って頷きながら、創一の頭を撫でる。
「・・・大丈夫。ただの夢だよ。」
「・・そうだね。嫌な夢見ちまったねぇ。そりゃ寝不足にもなるよ。それで明かりを点けっぱなしにしたんだね。」
「うん。」
「まだ怖いかい?」
「・・ううん。眠ったら、そうでもなくなったよ。」
「そう、良かった。念の為、慧の様子を注意深く観察してみるよ。」
「母さん大丈夫だよ。大丈夫だから、あまり慧と深く関わらないで。」
「もちろん、安全圏は保持するよ。正直に話してくれてありがとう。どんな些細なことでもいいから、今みたいにまた母さんに話して聞かせておくれ?」
「うん、分かった。」
「よし。じゃあ昼飯食べよ。これ洗濯物だね?」
「あ、うん。昨夜着替えたから・・・。」
「オッケー。じゃあ早く行くよ!母さん腹減っちゃったぁ。」
いつもの調子で、母親は部屋を出て階段を下りていった。
創一は立ち上がって、電気を消す。
布団を整え、階段を下りていくと、母親と一緒に昼食を摂った。
その夜、また蛍光灯が点滅し出した。創一は、学校のプリントの問題を解く手を止め、机の椅子から腰を上げて電気のヒモを掴む。
「・・僕は、共犯者じゃない。」
そう呟いて、豆電球に切り替える。布団に潜り込むと、創一はすぐに眠りにつく。
今夜は、夢を見なかった。
ただずっと、誰かが自分を呼んでいた。名前を呼ばれたワケじゃない。夢か現実かも判断がつかなかったが、何かが自分を呼んでいることだけは確かだった。
この夜をきっかけに、毎晩それを聞くようになった。
[聞く]という表現が正しいのか、創一はイマイチ自信がない。何故なら、自分を呼んでいるのは確かだが、それが音なのか声なのか、肩を叩いて呼んでいるのか、あまりにも曖昧で感覚的なシグナルを投げかけてくるので、判断がつかないからだ。
曖昧な時点で、現実ではないのかもしれない。けれど、この感覚に似たものを、創一自身日常生活の中で、今まで何度も体験したことがあった。
それは、この世に留まる動物達からの呼びかけだ。
彼らは、動物なので言葉を掛けてくることは無い。鳴き声を発することはあるが、何か訴えがある時は、イメージや感情を直接頭へ送ってくる。伝達が上手い者もいれば、要領を得ない者もいて、毎晩聞こえてくるそれは後者に近いものがある。
しかし、彼らの感じとは微妙に違うため、創一は毎晩困惑していた。
そして、ある日の夜。
真夜中に、それは正体を現した。
布団で寝ていると、突然足に重みを感じて、創一は目を開けた。
半分覚醒した状態の目に、天井の豆電球がぼんやりとオレンジ色の光を漂わせているのが映る。
「・・・・・・・。」
目を動かして、部屋に異変が無いか確認する。
異変があるのは、自分の足だけだった。
創一は顔だけ起こして、重い足を確認する。
「・・・・・・・?」
すぐには分からなかった。
部屋が薄暗いせいか、脛の上辺りに黒い塊が乗っているのだけは分かった。
創一が目を凝らして数秒間それを見ていると、黒い塊がピクピク動き出し、
「・・・・・・え。」
金色に光る目で、創一を見つめた。
「・・・嘘だ・・・いるワケない・・・。」
毎晩自分に呼び掛けていた者は、慧が傷つけ、創一がトドメを与えた、あの時の猫の姿をしていた。
今も創一を見つめ、繰り返し呼び掛けてきている。そして、身を起こそうとする度に、切り裂かれた腹部から大量の血が流れ出し、創一のタオルケットを染めていく。
創一は、だんだん呼吸がしづらくなっていき、態勢をうつ伏せに変えて、ほふく全身で猫から離れようとした。しかし、猫はしっかりしがみ付いて離れてはくれなかった。
「誰か・・・兄ちゃんッ!母さんッ!父さ・・・ッ!」
創一は、方向転換して扉へ向かいながら、隣りの部屋で寝ているはずの雅紀と、その隣りの部屋にいるはずの母親に、大声で助けを呼ぶ。
足だけでなく、体まで重くなり出し、すぐそこの扉になかなか辿り着けない上に、声が枯れるくらいはりあげても、誰も気づいてくれない。
その内に、創一は息が続かなくなり意識が朦朧としてきた。そして、扉に触れることは叶わず、その場で意識を失った。
次に目を覚ました時は、窓の外で鳥がさえずり、朝の訪れを知らせていた。
創一は、扉の近くでうつ伏せになって倒れていた。
意識がじわじわとハッキリしてきて、創一は勢いよく起き上がると、部屋を見回す。
立ちくらみがして、よろめきながらすぐに布団の上に倒れ込んだが、部屋の中に異変はなく、あの猫の姿もなかった。
「ハァ・・・また夢・・・。」
創一は呟いて、寝転がったまま足元でクシャクシャになったタオルケットを足と手で手繰り寄せる。
時計の針は、7時半頃を指している。今は7月上旬。この時間で暑く感じないのは、体調が優れないという事だろうか。雅紀はもうとっくに登校している時間だ。そのせいか、下から騒ぎ声が聞こえず、微かにテレビの音だけがする。
一応体温を測るために、創一は起き上がり、居間へ下りていった。
足音を聞きつけ、座って朝食を摂る母親が振り向く。
「おはよう、創一。」
テーブルを挟んで母親の向かいに座る父親が、創一を見て右手を上げて挨拶を送る。
「よお。」
「おはよう。」
「・・寝れなかったのか。」
「ううん。寝たんだけど・・・。」
そう言いながら、居間の戸棚の引き出しから、体温計を取る。
「調子悪いのかい?」
「ううん。ちょっとフラつくから、念の為計っておこうかなって。寝起きが悪かったせいだと思う。」
母親が急ぎ足でやって来て、創一の額に手をあてる。
「・・・そうだねぇ。無さそうだけど、一応ね。ご飯は?」
「・・食べてみる。」
「分かった。小さい塩むすびにしとこっか。」
「うん。ありがとう。」
創一は、トイレを済ませてから再び居間へ戻り、体温計を脇に挟みながら、父親の右側に座る。
父親は、お茶を飲みながら創一の青白い顔を覗き込んで、腕を軽く小突く。
「どうしたぁ?美少年。」
「え?ハハハっ、急になに?」
「へっ、お前は母さん似で器量が良い。おまけに頭もな。」
「・・褒めても何も出ないよ。」
「そうじゃなくてよ。安心しろって言ってんだ。」
「・・・・・・・?」
「母さんは、そんじょそこらの奥さん方より、ヘタすりゃ村1番の強者だ。」
「それ、褒めてくれてんだよねぇ?」
台所から母親の横目が光る。父親は動じずに、穏やかな笑顔で頷く。
「勿論さ。雅紀にもお前にも、そんな母さんの血が流れてんだ。受け継いだものは、力だけじゃないはずだ。」
母親は、照れくさそうに目を背ける。
父親は、創一の胸に拳をあてる。
「ここの、強さだ。感じるだろ?創一。」
「・・うん。」
「よし。辛くて色々と考えちまう事あるだろうが、ここの強さだけは失くすな?」
「・・・分かった。」
父親の、自分を元気づけようとしてくれている言葉の温かさが、創一の胸に伝わって、自然と笑顔を作る。
その顔を見て、父親は笑って創一の頭を無造作に撫でて、席を立った。
「じゃあ、行ってくるわ~。」
「いってらっしゃい。あ、待って弁当忘れないで!」
「お、大事なモン忘れるところだった。」
父親は玄関へ行き、座って動きやすいスニーカーを履く。
創一も、追いかけて玄関へやって来た。
「今日は、どんな仕事するの?」
「1日かけて道路の草刈りして、夕方はお爺さんの店の屋根の補修だ。すぐ日が暮れちまうから、今日は大したことは出来ないだろう。」
「・・僕も手伝いたい。」
「・・・・・・・!」
「今は・・まだ力仕事は無理だけど、元気になったら・・・。」
「なぁ~に言ってんだ。」
「・・・・・・・?」
「元気になったら、お前には学校があるだろ?」
「・・あ、そうだった。」
「クククっ、学校サボってまで働きてぇか?美少年。」
「アハハッ、忘れてた。」
「・・・嬉しいこと言ってくれるなぁ。」
「僕には、父さんの血も流れてるから。」
父親は、地を踏みしめるように立ち上がり、創一に向き直る。
「・・上の、けんさんから網戸の張り替えを頼まれてる。今度、やってみるか?」
「うん!」
「じゃあ、行ってくるぞ~。」
「いってらっしゃい!気をつけてね!」
創一は、父親を見送り、体温計を見る。そして、機嫌良く居間へ戻っていった。
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