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序~吹雪の夜に

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『序』


ある崖の傍に、小さな古い店がある。
長年老婆が1人で切り盛りしてきた店だ。
立て看板の表には[アイス・スイカ・金魚すくい]。裏には、[おでん]と書かれている。しかし、店内は薄暗く営業中にはとても思えない。人がいる気配も。
全く気乗りしない壮年は、眉間に皺を寄せながらも、その店の出入り口であるガラス戸に手をかけた。
古いわりに、すんなり開いた。それに、鍵が掛かってない。ということは、つまり営業中という事だ。

「遅刻だよ。」

「う・・・・っ!?」

突然背後から声がして、壮年は悲鳴を何とか飲み込んで振り返る。
そこには、自分の胸あたり位までしか背のない老婆が見上げていた。

「いい度胸してるじゃないか。さっさと入りな。」

「ビックリさせないでよ、お婆ちゃん。」

壮年の小脇を通って、老婆は先に店内へ入り、壮年もそれに続く。

「いくらお前との同居を受け入れたからと言って、体が丈夫な若モンにタダ飯食わせやしないよ。」

「分かってるよ。だからさっきまで職安行って仕事を・・・」

「昨夜、あたしはお前に何時に店に来いと言った?」

「・・8時。でも・・・」

「でもだぁ?今何時だ。」

「12時。就職先が見つかりそうだったんだ。でも向こうの手違いで、もう募集してなくて・・・」

「・・・・・・・。」

「・・・なに。」

「・・・もっとマシな嘘付けないのか。親父そっくりだ。」

「・・・・・・・。」

「あたしが8時と言ったら、8時に来るんだ。いいかい?次はないよ、裕貴。」

「・・・了解。」

「さぁ、開店準備だ!表に水槽と、スイカ出しな。それと、アイスクリームの看板も。」

「・・来るわけないだろ、こんな所。」

「ああ?何か言ったか?」

「別に。」

壮年は、老婆の孫の裕貴という。数日前から、この老婆の家で暮らすようになった。
そして、この店から百数十メートル先の崖は、[自殺の名所]とされ、ある1部の人間しか寄りつかない。観光地とは程遠い場所だ。
こんな場所に店を建てても、ドライブ中にたまたま目にした冷やかしか、[最後の晩餐]を軽く済ませにくる客くらい。
なんでこんな所にと裕貴は思いながら、ダルそうに金魚が泳ぐ水槽を外へ運ぶ。

「分かるか。」

「え?」

「なんでお前に来いと言ったか。」

「・・・力仕事させたいからでしょ。別に、普通に言ってくれればこれくらい手伝うよ。」

「違うよ。そんな事じゃない。」

「・・・じゃあなに?」

「・・今日からお盆に入る。」

「・・・だから?」

「・・だからさ。」

「・・・・・・・?」




あれから半年が経った。
裕貴は、まだここに居た。

「寒・・・・」

「今日は特に寒いね。」

「石油、持つかな。」

「いや、1度街へ行かないと冬は越せないね。」

「了解。」

「こんな寒い日は・・・誰か来る。」

「なんで分かるの?」

「寒いからさ。」

「・・外は吹雪で視界ゼロ。ここへ来る前に遭難するよ。」

「そう思うだろ?でも、来るのさ。」

そう言って、老婆は閉め切ったガラス戸の向こうを見る。吹雪で何も見えないはずなのに、まるで老婆には何か見えているようだ。
裕貴も、つられて外を見る。すると光が現れて、崖へと向かう。
老婆は眉間に皺を寄せ、強い視線で光を見つめる。

「裕貴、仕事だよ。」

「うん。聞こえたよ、[声]が。」

裕貴は椅子に立て掛けておいた、釣り竿を持って、外へ出ていった。




『吹雪の夜に』

光の正体は、懐中電灯だった。頼りない人影が、吹雪の中をその灯りを頼りにゆっくり進んでいく。
裕貴は、吹雪の中釣り竿1本片手に、その背を見失わない距離を保って追う。
人影は疲弊しているのか、雪に慣れていないのか、時々足を取られてよろめいたり、前に倒れたりしている。それでも起き上がり、あの崖へと進んでいく。
もうすぐ崖っぷちだと、長年の感覚で裕貴はわかり、足早に人影に近寄る。
すると、

「・・・・・・・??」

突然吹雪が止んだ。視界が広がり、人影が露わとなった。
人影は、崖っぷちに佇む髪の長い女性。防寒着はしっかりしているが、手に懐中電灯を持つだけで、荷物が見当たらない。

「こんにちは。」

裕貴は、女性に背後から声をかけた。女性は驚いて振り返り、穏やかな笑みを浮かべる裕貴を警戒する。年は、裕貴と同じ年頃だろうか。

「釣れますか?」

「・・はい?」

「あれ、釣り人じゃないんですね。失礼しました。」

そう言って、慣れた足取りで崖ギリギリまで歩いていくと、女性が悲鳴を上げた。

「あ、危ない!」

「え?ああ、大丈夫です。慣れてますから。」

そして裕貴は、釣り糸を崖下へと垂らす。崖下は暗く、波打つ音がするだけ。だが、その釣り糸をいっぱいまで垂らしたところで、海面まで達するわけがないことなど、何も知らない彼女にだってよく分かっていた。
若い男性が、何も釣れるわけがない高さの崖っぷちで、笑顔で釣り糸を垂らしている。
その姿は、とても異様に見えたが、彼女にとっては、そんなことどうでもよかった。
崖下を見下ろしていると、闇に吸い込まれそうな感覚に彼女は陥る。

「何か、話したいことはありませんか?」

裕貴の声に、彼女は現実へ引き戻され、不愉快そうに横目で裕貴を見る。

「別に。あの、すぐに済むので1人にしてくれませんか・・・。」

「ですよね。そうしたいのは山々なんですが、一応これも仕事なので。」

「仕事?放っておいてほしい人の邪魔をするのが?」

「いえ、そっちじゃないです。」

裕貴は終始、笑顔で彼女に応対した。その顔を見て彼女は思った。これは、自然な笑みではなく、接客業の営業スマイルそっくりだと。
そう気づくと、余計に気味が悪く不快感が増して、彼女は目を逸らした。

「・・・とにかく、放っておいて下さい。」

「そう言ってるけど、どうする?」

「・・・・・・・?」

彼女は訝しげに再度裕貴の様子をうかがう。すると、裕貴の目線に違和感を覚えた。
裕貴は、彼女を見て問いかけていた。いや、正確には彼女のダウンコートの裾辺りに視線を落としていた。
彼女は何かいるのかと、背後を振り返ったが何もいない。
いないのを確認してから、再度裕貴を見ると、今度はしっかり目と目が合う。

「あなたに、話があります。」

「・・・失礼します。」

彼女は諦めたように、雪道を引き返そうと崖を離れます。

「聞いてるだけでいいんです。」

「帰ります。」

「じゃあ次はいつです?」

「・・・・・・・」

「いつ来ようと、僕はここに現れますよ。」

「・・・何なんですか、あなた。」

「話を聞いてくれるだけでいいんです。それが終わったら、僕は帰ります。」

「・・・・・・・」

彼女は、崖へ戻ってきた。裕貴は釣り糸を見つめながら、話し始めた。

「先に言っておきます。僕口下手なんで、言葉に変換するのに少し時間がかかるので、ゆっくり話します。」

「・・・・前置きはいいです。」

「すいません。頭悪くて。」

そう言って、また裕貴はおかしくもないのに笑みを浮かべる。

「多分これは、ずっと前の話になります。まだ子供の頃のことです。小さな体を、小さな手がおっかなびっくり抱えている。ひとりで心細かったけれど、体をタオルで包んでくれて安心した。」

「・・・・・・・・。」

彼女はワケの分からない話をされ、困惑していたが、黙って聞いた。

「これは・・・ひも?紐の先には小さい鳥の形をしたオモチャ。これが大好きだった。これで一緒に遊ぶ、女の子もお母さんもお父さんも、大好きだった。」

「・・・・・・・??」

「ある日、皆で一緒に車で遠出した。車はあまり得意じゃない。でも、皆が一緒だし、何よりも、出かけた時にしかもらえない、ソフトクリームが大好きだった。美味しそうに食べると、皆笑って楽しそうだった。それも、大好きだった。」

「・・・・・・・」

「ある日、いつものようにひとりで留守番。淋しいけど、良い子にしていれば、皆必ず帰ってきて、たくさん撫でてくれて、たくさん遊んでくれた。女の子とは、寝るときはいつも一緒で、お休みの挨拶に鼻と鼻をくっ付け合った。」

「・・・・・・・!」

「ある日、女の子が1人で泣いていた。涙は流してないけれど、泣いているのがよく分かった。だから、傍にいた。女の子に笑顔が戻るまで、ずっと傍にいた。そうすると、女の子は必ずこう言った。[大丈夫だよ]って。まだ泣いているのに、[大丈夫だよ]って。」

「・・・・・・・・。」

彼女は、ワケの分からない違和感を覚えた。

「ある日、いつものようにまたひとりで留守番。良い子で待っていたら、急に息苦しくなった。苦しくて、皆が帰ってくる玄関まで何とか歩いて、そこで休んで皆を待っていた。最初に帰ってきたのは、お母さん。いつも笑いかけてくれるのに、今日は驚いて怖がっていた。」

「・・・・・・・。」

彼女は、驚いた顔をして、口に手を添える。

「ある日、いつもより動けなくて苦しかった。でも、皆が一緒にいてくれた。皆、泣いていた。涙を流して、泣いていた。どうしたの?って、女の子を見ると、[大丈夫だよ]って頭を撫でた。ずっと・・・ずぅーっと、頭を撫でてくれた。息が止まって、眠るまでずっと、一緒にいてくれた。」

「・・・なんで・・・・」

彼女は、手を震わせて呟いた。

「覚えているよ、ちゃんと。大好きなミクちゃん。」

「・・・・・・・!!」

「ミクちゃんは、覚えてくれているかな?」

「・・う・・うそ・・・・」

「また、泣いてるの?じゃあ今度は、こっちが言うね。」

「・・・・・・・。」

「[大丈夫だよ。大丈夫だから、まだこっちへ来ちゃだめだよ。]」

「・・・ぅ・・・うう・・・・」

彼女はその場に、崩れ落ちるように跪いた。

「[おうちへ帰ろうよ。一緒に。帰りにソフトクリーム、また一緒に食べたいな。]」

積もった雪に手をついて、彼女は雪を握りしめる。

「話は、これで終わりのようです。最後まで聞いてくれて、ありがとうございました。」

裕貴は、彼女に頭を下げ、釣り糸を巻きはじめた。
彼女は、よろめきながらゆっくり立ち上がり、裕貴に向き直る。

「・・・何なの・・・誰に頼まれたのよ。」

「え?誰って・・・」

「私の両親にでも頼まれたんでしょ!?でなきゃ・・・・。こんな説得されたって私は・・・っ!」

「違いますよ。あなた、両親にここへ来ること伝えて来たんですか?」

「・・・・・・・。」

「まさか、そんな事しませんよね。放っておいて欲しい人の邪魔になるようなこと、あなたがするワケがない。」

「じゃあ・・・」

裕貴は釣り糸を巻き終えて、もう一度彼女の背後の足元を見下ろす。

「この子は、ロングコートチワワのメス。ミミちゃん。色は薄茶がベースで、耳だけ白い。だからミミと名付けた。」

「・・・・・・・!!」

「いるんですよ、あなたの傍に。そして、あなたに伝えたいことがあると、僕に訴えかけてきた。」

そう聞いて、彼女は自分の足元を見下ろす。自分の目には、雪しか映っていない。
裕貴の目には、海風にたなびくダウンコートの裾をくわえて、必死になって崖から彼女を引き離そうとしている、薄茶のロングコートチワワの姿が映っていた。

「それじゃあ失礼します。もし気が変わったら、あっちに店があります。そこで暖とって下さい。今日はかなり寒いです。」

「・・・・・・・」

裕貴は釣り竿片手に、雪道を引き返した。しばらくそれを見送り、彼女は再び足元へ視線を落とす。

「・・いるの・・・?本当にいるの・・・ミミ・・・?」

彼女の問いかけに、返事は無かった。
ただ、今までの吹雪が嘘のように、夜空には沢山の星が瞬いていた。



「ただいま~。」

「おう、おかえり。」

「あ~寒ぃ・・・。物好きだなぁ~ホントに。」

「ほらな。当たったろ?」

「うん。」

「急に吹雪が止んだね。」

「多分、ミミがやったんだと思う。」

「ふ~ん・・・。で、どうだった?」

「どうも何も、いつも通りだよ。」

「血の通ってない男だねぇ~お前は。何か感じたことないのかい。」

「だから続けられるんだよ。」

「・・・まぁ、確かにね。」

「上手くいったなら、彼女はここへ来るし、ダメだったらそれまでだよ。」

「・・・・・・・。」

「・・なに。」

「・・・おでん食うか?」

「うん。」

返事をしながら、裕貴は釣り竿をカウンター席に立て掛け、老婆は厨房へ行き、密かに溜め息をついた。


数分後、カウンターで大根にかぶりつきながら、裕貴はふとガラス戸へ目をやった。
1つ空けた隣りの席に座って、湯呑みを両手で包んで手を温める老婆も、つられて目をやる。

「来たかい。」

「うん。」

裕貴は表情1つ変えずに、大根を食べる。
間もなく、ガラス戸が開いて、冷たい外気が入り込んだ。

「・・・あ、あの・・・。」

先程の彼女だ。懐中電灯だけを手にして、出入り口に立ち尽くす。
老婆はニッコリ笑って席を立つ。

「いらっしゃい。取り敢えず中へ入って、寒いから閉めとくれ。」

「は、はい・・・。」

彼女は、裕貴と目が合うと、気まずそうに目をそらして中へ入り、ガラス戸を閉めた。そして、古びた店内を見回す。
老婆は、彼女の背をさすりながら、1番ストーブに近い、たった1つしかないテーブル席へ促す。

「寒かったろ?ここに座んな。裕貴、タオル。」

「うん。」

裕貴は奥の部屋へ。

「・・すいません。」

彼女は、素直に座る。

「今お茶入れるよ。あ、コーヒーがいいか?」

「いえ・・・お茶で・・・。」

「ん、待ってな。」

老婆はいそいそと厨房へ入っていった。入れ替わりに、裕貴が戻り、彼女にバスタオルを手渡す。

「あ、ありがと・・・」

「どういたしまして。」

先程と同じ営業スマイルを見せた。しかしその声も態度も、どこか素っ気ない。裕貴は、すぐにカウンターへ戻る。
彼女の座るテーブル席のすぐ横にあるカウンター席は4席。向かって右から2番目の席には、彼女に背を向けておでんを食べる裕貴の姿がある。
彼女はタオルで顔や頭を拭きながら、チラチラと裕貴を見る。拭き終わると、バスタオルを畳んで、隣りの椅子に置いて、テーブルに付いた傷を眺めるように俯く。
何か言いたげに、何度か口を開いては閉じた。そして、何とか覚悟が決まって、彼女は声を発した。

「・・・し、仕事って・・・。」

唇がかじかんで、出だしは思うようにいかなかった。その声に反応して、裕貴は箸を止めたが、すぐにまたおでんを食べる。

「さっき、あなたが言った仕事って・・・なに。私みたいな、自殺志願者を止めること。」

「・・・聞いてどうするんです?もう、あなたには関係ない世界の話です。ここへ来たって事は、そういう事ですよね。」

「・・・そうだけど・・・」

「なぁーんちゅうぶっきら棒な言い草だい。レディに失礼だろ~。悪いね、コイツちょっと職人肌っていうか、愛想がねぇんだ。」

「い、いえ・・・。」

「コレ、サービス。」

老婆はお茶と一緒に、おでん1人前をテーブルに置く。

「い、いいん・・ですか?」

「初回だけね。次からはお代いただくよ。」

「・・すいません。いただきます。」

彼女は、竹串でこんにゃくを刺して、ふぅふぅと軽く冷ますと、1口囓った。まだまだ熱かったが、凍えた体に染みる。無意識で、さらに口へ運ぶ。
老婆は、安心したように穏やかな笑みを浮かべ、彼女の肩をぽんぽんと軽く叩いて、カウンター席に戻った。
何だか急に視界がハッキリしてきて、自分の体に温もりが戻るのを彼女は感じた。
すると、涙がこぼれた。

「・・・・・・・?」

体の反応に、心が追いついてないせいか、何故泣いているのか分からなかった。

「あ、明日の天気は?」

「ん、確か・・・雪だろ。」

「石油、買いに行けるかな。」

「そりゃあんたの腕次第だよ。この辺の人間は、槍が降ったって街まで車転がしてるよ。ほら、うちの隣りの爺さん。独り身だから、こんな天気でも街へ買いもん行ってるよ。生活のためさ。」

「ふ~ん・・・。」

「まぁ、お前には無理かもな。」

「なんで。」

「・・お前は、不器用なタマ無しだからだよ。」

「ぶ・・・っ!」

裕貴が吹き出すと、

「ぷ・・・っ。」

彼女も、吹き出した。老婆と裕貴は振り返ると、彼女が、涙をこぼしていた事に気づく。

「あ、ごめんよぉ~レディの前で小汚い言葉使っちまって。」

彼女は、首を横に振る。

「・・・・・・。」

裕貴は、黙ってカウンターへ向く。

「何だか・・温かいです。普通のことなのに・・・温かくて・・・。」

「ん・・・そうかい。見失ってたんだろ、ずっと。」

「・・・はい・・・。」

「・・もし見失う事があったら、またおいで。」

「・・・ありがとうございます。」

「・・・・・・・。」

老婆は彼女のためにタクシーを呼び、運転手にある切符を手渡した。

「じゃあ、気をつけて。」

「はい、本当にありがとうございます。あの・・近い内に必ず・・・」

「あ~いいのいいの!そんな気ぃ遣わんで。これも仕事さ。」

「あの・・・お二人はいったい・・・」

「ドライバーさん!あとよろしく~。」

運転手は頷き、後部座席の窓を閉めて発進した。
車のライトは、間もなく雪に溶けて消えた。

「すげぇスピード。」

「プロだかんな。こんな雪道朝飯前さ。」

「どうせ僕は不器用なタマ無しですよ。」

「ハハハっ!まぁ半分当たり、半分ハズレってトコだろ?」

再び、夜空に雲がかかり、雪がチラつき始める。

「あ~あ、また降り出したぞ~。」

「・・なんであんなこと言ったの。」

「ん?」

「またおいでって。もうこんな所来るもんじゃない。」

「・・なんだ、お前もちゃんと感じてんのか。」

そう言って、老婆は笑う。

「男は知らねぇけどよ、女は時々・・後ろ振り返って、再確認するのが必要な時があるんだよ。」

「・・・よく分からない。」

「だろうな。」

「嫌なことは、さっさと忘れた方がいいに決まってる。」

「確かにな。でも、あんたは忘れられたのかい?」

「・・・・・・・。」

「嫌なこと、辛いこと、苦しいこと。目を背けたって忘れられやしない。女は、本能で分かってんだよ。」

「死にたがっていた自分を再確認?僕には理解できないね。」

「それだけじゃないだろ。」

「・・なに。」

「死にたがっていた自分を、救ってくれた[見えない家族]と[誰か]がいた。お前がいた。」

「・・・・・・・。」

「精々仕事に専念しろ~若モンっ!」

老婆は裕貴の背中を思いきり叩く。

「いっつ・・・ッ。」

「きっとお前にも理解できる日が来る。」

「分かりたくもないよ。人間なんか、面倒くさいだけだし。それさえ分かっていればいい。」

「・・拗ねた男だ。隣りの爺さん道まっしぐらだね。」

2人は、極寒の[自殺の名所]に佇む小さな店へ戻っていった。
そして、一帯は再び吹雪に見舞われた。



彼女を乗せたタクシーは、自宅へ向かって高速を走る。
懐中電灯しか持っていない自分に、老婆は千円彼女のダウンコートのポケットに突っ込んだ。少しぶっきら棒な所はあるけれど、心の優しい人だと思った。あの裕貴という青年も。
ふと、窓の外の看板を目にして、彼女は口を開いた。

「あの・・・次のサービスエリアで停めてもらえますか?」

「・・はい。」

運転手は、指示通りにサービスエリアに車を止めた。

「ありがとうございます。すぐ戻ります。」

「規則ですので、これをお持ち下さい。」

事務的な口調で、後部座席の彼女に小さな小型部品のような物を手渡す。始めて目にしたが、彼女はこれがGPSだと理解する。
彼女は素直にポケットへしまう。

「私は彼等と違い、ただのドライバーです。あなたが妙な行動を取れば、直ちにこの施設の警備員へ報告し、警察へ通報する事を義務づけられています。」

「分かりました。そんな事にはならないので、安心して下さい。数分で買い物をして、この車から確認出来る場所まですぐに出てきますから。」

「では、お待ちしています。」

あくまでも事務的で笑顔すら見せない運転手に、彼女は会釈をして、店内へ入っていった。
そして、数分で出て来ると、彼女は運転席の窓をノックし、運転手が窓を開けると、缶コーヒーを差し出した。

「何がいいか聞き忘れてしまったので、無難にコーヒーです。」

「これはいただけません。」

「規則ですか?」

「はい。」

「受け取ってくれなかったら、私・・・何するか分かりませんよ。」

「・・・・・・・。」

「・・・ふふっ。冗談です。いいじゃないですか、ただのコーヒーですよ。」

「・・・・・いただきます。」

無表情に、少し困惑が混じるのを見て、彼女は安心して、別の手に持っていたソフトクリームにかぶりつきながら、車から数メートル離れたベンチへ座る。

「んー・・美味しい。」

運転手は、信じられないものを見るような目で彼女を見る。
車が表示する外気温は0℃。運転手は窓を閉めて、缶コーヒーを備えつけのドリンクホルダーへ置いて、目を休ませるために軽く目を閉じた。
彼女は自分の足元に視線を落とし、

「美味しいね・・・ミミ。」

そう呟いて、微笑む。
嬉しそうに舌を出し、お座りして自分を見上げるミミを思い描きながら。






時は遡り、半年前のお盆最終日。

「・・・・・・・。」

裕貴という青年は、青白い顔をして老婆の店の奥にある和室の隅で、膝を抱えてうずくまっていた。もう、とうに3時間はそうしていた。
老婆はカウンター席で、数人の警官に囲まれる中、青年に書かせた書類を見せながら、お盆シーズン中この崖に訪れた者に関する報告をしていた。
報告を終えると、数人のうちの1人のベテラン警官が、代表して老婆に告げる。

「なぁ・・・銀さん。ボチボチ潮時じゃねぇかい。」

「ほぅ。ならお前さんはどうなんだ?」

「うん、まぁ・・・ワシもそろそろ考えなきゃならんがな。こうして見る限り、早めの通報をしてくれたから失敗がないだけで、[成功数]が年々減少傾向にある。銀さんにはもう大分荷が重いんじゃねぇか?」

「だったらどうすんだい?店畳んで、ここを駐在所にしてみるか?そしたら、一気にここへ訪れる[身捨て]はいなくなるだろう。」

「ああ。ここが無理なら、代わりの捨て場所を探すだけだ。」

「そうなれば、掬えるモンも掬えなくなる。」

「・・・・・・・。」

「まぁ、あんたの言う事も一理ある。根本は同じでも、時代が変わりゃあ人も変わる。あたしもね、一応考えていることはあるんだよ。」

「なんだいそりゃ。」

「少し時間をおくれ。急いで決断するような事じゃないんでね。」

警官達は顔を見合わせた後、代表してベテラン警官が口を開いた。

「分かった。銀さんの事だ。きっと良い考えがあるんだと、ワシ等は信じてる。」

そう言いつつ、目はすごみのある厳しい目をしている。
老婆はその目を見て笑う。

「相変わらず、前科者にはおっかないねぇ~。」

「え?いやぁ・・はっはっは!すまんすまん。職業病だな。」

「安心しな。警察の厄介になるような事はもうしないよ。こんなババァに何が出来るってんだ?」

「ああ、ワシ等は充分理解しているよ。では、御協力感謝します。」

そう言って、警官達が揃って老婆に敬礼する。老婆は片手を上げて、

「あいよ。」

と返事をして、警官達が表へ出ていくのを見送った。
そして、奥の和室で物音一つさせない孫の様子を見に行った。

「なんだ、起きてたのか。」

「・・・・・・・。」

「・・初めてか。まぁ、そうそう出くわすようなモンじゃないわなぁ。」

「・・・・・・・。」

「・・けれど、今年はまだいい。自殺が成功した身捨てはいなかった。なぜだか分かるか?」

「・・・・・・。」

「お前がいたからだ。お前が[見て]、あたしに[教えて]くれたからだ。」

「・・・そんなの、たまたまだよ。」

「いや、違う。」

「たまたま、ペットを飼ったことがある人がいたからだよ。いない人もいた。」

「そりゃそうさ。皆が動物好きなワケじゃない。好きでも飼えない人もいる。あたしが言いたいのは、そんな事じゃない。」

「・・・・・・・。」

「裕貴には、身捨てを思いとどまらせて、崖っぷちから掬いとる力があるって事を伝えたかったんだ。これは、誰にでも出来ることじゃねぇ。」

「・・・出来るわけない、そんな事。僕は人間なんか・・・」

「信じてない。」

「・・そうだよ。」

「そいつぁ違う。裕貴、あんたは勘違いしてるよ。」

「え・・・・?」

「あたしは何も、彼らを信じて救ってやれって言ってるんじゃない。」

「・・・・・・??」

「信じてないからこそ、掬いとれるんだ。」

「・・・よく分からない。」

「だろうな。まずはやってみなけりゃあな?」

「え、待ってよお婆ちゃ・・・」

「何があろうと、責任はあたしがとる。あんたの力を駆使して、まずやってごらん、裕貴。安心しな、給料もちゃんと出る。ただし、半額は家賃としてあたしがとるよ。」

「僕は・・まだやるとは言って・・・」

「言ったろ?ただ飯食わせやしないって。」

「・・・・・・・。」

「取り敢えず3ヶ月、研修期間と思って働きな。」

「・・・働くってどうすればいいの。職種は?」

「身捨てを崖っぷちから掬いとって引き戻す。掬い屋だ。」

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