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最終章 決戦

【六十一】判断(お華)

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『お華、よく聞くのじゃ。もし安倍晴明の元へ行って状況が好転する見込みがないと思ったら私は最後の賭けにでる。それはもう最終手段じゃからの、出来れば使いたくはないがこの老いぼれの命でお前たち可愛い娘が救われるのであれば、何の悔いもない。私が合図をしたら、即刻私から離れ一度外へ出ろ。そして中を観察し場の混乱に乗じてその時に一番正解だと思う行動を取るのじゃ。お前はとても賢く、力もある。やってくれると信じておるからの?』

建物に入る前、お千代様に小声で言われた言葉を思い出した。千鶴姉さんが人質に囚われ正気を失っている今、お千代様は決行するつもりだろう。頭の中を、これまでお千代様と過ごしてきた日々が走馬灯のように思い出される。

自分の親は世間体を気にして、私が男ではなく女として生きることを全力で阻止しようとしていた。両親や他の家族に嫌われたくなかった私は、必死に男子を演じていたのだ。しかしそれも、思春期を迎える頃には限界を感じ始めていた。大きくなるにつれて、自分がなりたくない自分へと、成長していく体に悩まされ鬱ぎがちになっていたある日、両親から私が家を出てお千代様の元へ行くことを聞かされた。

初めてお千代様の元へと連れて来られた日からしばらくの間、私は家族から捨てられた悲しみで言葉を失っていた。しかしお千代様はそんな私に毎日、他愛もないことを喋り続け綺麗な着物を選び、寝食を共にしてくれた。何よりも嬉しかったのは、他の女子と同じように扱い、私の全てを肯定してくれたこと。男の自分を演じることで失われていた自己肯定感というものが、徐々に満たされすぐに、私は”自分の居場所はここなのだ”と思うことができたのだった。

それからの私は、他の仲間と共に忍術の修行や勉学に励んだ。心は女でもやはり体は男、それを変えることはできなかったが、その今まで嫌だと悩んでいた体を武器に私は忍術の修行に邁進し、他の誰にも真似出来ぬくノ一へと成長したと自負している。全ては私を見捨てず、大切に育ててくれたお千代様へ恩を報いる為。お千代様が捨て身の覚悟をされている今、私も全力で闘うのみ。

目の前には相変わらずクナイを突きつけられたままの千鶴姉さんと、こちらの様子を伺っている忍び。千鶴姉さんがいつも通りであればきっと、こんな状況すぐに切り抜けられたというのに…睨み合いが続き遂に均衡が破られる時がきた。突然右腕を上に突き上げたお千代様。これが、事前に聞いていた合図だ。私はお千代様がどんな攻撃をするのかまでは聞いていない…前に立っていたお千代様の両肩を掴み小声で”ご武運を”と呟き、全力で部屋を脱出した。お千代様は”任せろ!”と笑っていた。

私が外に出たのを確認したお千代様は、目にも止まらぬ速さで安倍晴明の元へと一直線に向かった。そして着物の裾に隠していた液体を口に含み安倍晴明の顔目掛けて吹きかけたのだった。

『う、うわっ!!なんだ、何だこれは!ま、前が見えぬ誰か!誰か!』

顔を抑えながら大声をあげ回転している安倍晴明。突然に起こった雇い主の異変に、千鶴姉さんを抑えていた忍び達が駆け寄っている。残りの二人は、襲いかかってきたお千代様を抑えつけようとしていたが、まだ残っていた液体をかけられその場に倒れ込んでいた。

『お華、今じゃ!!』

声が聴こえ、室内に戻った私は千鶴姉さんの元へ向かい、首飾りを切り落として庭の方へと投げ捨てた。首飾りが外れた刹那、その場に倒れ込んでしまった千鶴姉さん。
残る忍びは二人、私一人であれば負けぬだろうと思ったがやはり人質を取られてしまうと動きにくい。安倍晴明は”か、顔が顔がーー”と苦しみながら腰に差していた剣を抜き所構わず振り回している。この状況…きっとこの場で闘う事は得策ではない…お千代様の望むままに…

私は倒れていた千鶴姉さんを抱え部屋を飛び出した。

『お華、流石は我が娘、後は頼んだぞ…』

お千代様の声が聴こえ振り向くとお千代様はこちらに笑顔を見せながらゆっくりと、背中から倒れ動かなくなってしまった…

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