あたたかな鳥籠を君に、優しい口づけをあなたに

サイ

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第3章

6.

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 ルイスはポールマン邸に来ていた。
 フェルナンドは最近伯爵位を継ぎ、老夫婦は伯爵領で暮らしている。とはいえ、さほど遠くもないので孫の顔を見によく来ているようだ。
 それに伴って屋敷は少し模様替えしている。
 フェルナンドの執務室は主人の部屋になっており、そこで二人首都行きの日程を話し合っていた。
「ルイ君はさ、いつから…気づいてたの」
「なに?」
 突然の話題に、何のことかわからない。珍しく深刻な言い方だった。
「ヘルマン様とユリア君のこと」
「……初めて会った時かな」
 ヘルマンの視線はいつもユリアに向いていた。初対面の時から、この人の大切な人はユリアなのだろうなとわかっていた。
 そしてユリアも、ヘルマンでしか共に生きていけないのだろうと思った。それを思ったのはいつだろうか。ユリアがヘルマンの寝室で寝ていたのを見た時かもしれない。
 ユリアが死んでしまうんじゃないかと思った。あの時の不思議な感覚は、今でも名前がつけられずにしまい込んでいる感情だ。
 それを考えないようにして話題を振った。
「フェル様は知らなかったんだね」
「いや、ほんとお気に入りだなー、って思ったんだよね。ヘルマン様でも誰かとそんなにベタベタすることあるんだー、って」
 思い返せばいくらヘルマンでも、「ゴミがついている」とか言って補佐官の頬に手を添えてまつ毛を摘んだりなんてしない。
 いくら目をかけている補佐官でも、パーティーのたびにくっついて離れなかったり、全ての視察に同行したりしないか。
「なんで気づかなかったんだろ」
 いつからか寝室も一緒だった。
「フェル様は意外と思い込みが激しいところがあるから」
 淡々とそう言われて、フェルナンドは不満そうにした。
「ルイ君、冷たい」
 フェルナンドはそっと胸を押さえた。
「なんていうかさ、ここが、つらいというか」
「全然わからない。――何かダメなの?」
「ダメとかじゃないよ。寂しいんだよ!私だけ仲間はずれみたいじゃないか」
 ルイスはまじまじとフェルナンドを見つめた。
「ちょっと、わからない」
「分かんないかなあ。同じく近くにいたのに、ルイ君はどう思ってるの?」
「しっくりきてる」
 フェルナンドはそうか、とこぼした。
 ルイスは元々自分の希望を言わない子供だった。それは今でもそうで、希望どころか自分の感情についても言わない。
 どう思っているのか知りたかったが、あくまで二人の関係性を分析したような感想だ。
「いい子だね、ルイ君は」
「いい子はこんなんじゃないよ」
 ルイスが瞬間傷ついたような顔をして、フェルナンドははっとした。しかしすぐにいつもの無表情に戻る。
「フェル様のこと、リアは尊敬してるし、逆に言いづらかったんじゃないかな」
 ルイスの気遣うような発言に、フェルナンドは自然と笑みがこぼれた。
 自分の感情に疎いのに、人の感情には人一倍敏感だ。
「今日泊まって行かない?」
「うーん」
「頼むよー、退屈なんだよ最近。一緒にどの鉱山に投資したら儲かるか議論に花を咲かせようよ」
「……そういう話ばっかりしてるから、相手をしてもらえないんじゃないかな」
 とはいえ、参加するパーティーの選別をして、日程の相談をしていたら遅い時間なったので、晩御飯は食べることになった。そうなるとフェデリが離れない。
 フェデリは七歳になったと言うのに、ルイスと寝ると言って聞かなかった。
「フェデリ。いい加減にしなさい」
 サンドラが厳しい声を出すが、フェデリはルイスから離れなかった。
「いやだ!ははうえも、ちちうえも、あっちいって!」
「フェデリ、ルイ君が困ってるよ」
「こまって、ない!ルイはフェデリがいいの!」
 もうすでに泣きそうで、握りしめたルイスの服はもうシワだらけだ。
「フェデリ……ルイ君の服がしわくちゃになっちゃうよ」
 フェルナンドが言うと、フェデリはついに大泣きしてしまった。
 ルイスにしがみついたまま、本当に声を上げ、大号泣だ。フェルナンドもサンドラも困り果てて顔を見合わせた。
 ルイスがフェデリの頭を撫でた。
「フェデリ。いいよ。一緒に寝よう」
「ルイ君……甘やかさなくていいよ」
「たまにだから。僕もフェデリといたいんだ。お泊まりの用意おねがいします」
 ルイスの声にフェデリは泣き止んだ。甲高い声が止んで一同は少しほっとする。
 ルイスはフェデリを抱き上げた。鍛えているわけではないが、意外と力はある。寮の食事が良いせいかもしれない。
「フェデリ、もう泣かない?」
「う……っく、うん」
 ルイスの顔を間近で見ると、フェデリは泣きはらした顔に満面の笑みを浮かべた。
 フェデリはいわゆる癇癪持ち、だった。気に入らないことがあると、誰もが手が付けられないほどに泣き叫んで暴れる。それは三つくらいの時からずっとで、これでも少しましになったくらいだった。
 この癇癪のせいで家庭教師も良く変わっているという。勉強ができないわけではない。我慢や、感情のコントロールが苦手で、じっとしていられないのだ。
 それが不思議とルイスの言うことはよく聞くし懐いている。
「ルイ君、いいの?」
 サンドラの問いかけにルイスはこくりとうなずいた。
 サンドラ夫人はその手にまだ一歳の子供を抱いている。三歳の弟の方は乳母と夢の中だ。少し疲れて見えるのは心配だった。
 フェデリが通常であればとうに一人で寝ている歳だが、この調子で毎晩サンドラの手も掛かっているのだろう。一歳と三歳の子供がいるのだから、いかに乳母がいるとはいえサンドラも負担が大きい。
「いつも、大変でしょ?今日はゆっくりしてね」
 ルイスはフェデリの方を見た。
「自分で歩ける?」
 フェデリはルイスの肩に顔をうずめた。
「だっこがいい」
「――ねむいの?」
「ねむくない。ルイがいい」
 ますます抱き着いてくるフェデリに宥めるように背中を叩きながら、ルイスはフェルナンドに向き直る。
「じゃあ、おやすみなさい。残りの話は、また後日」
「そうだね。ここはフェデリに譲るよ。ありがとう」
 ルイスは客室に向かって歩き出した。案内はなくともいつも泊まっている部屋はわかる。あとで侍女が二人の着替えを持ってくるだろう。
 ずしりと重くなったフェデリの体重を感じながら、ルイスはかつてのユリアのことを想像するのだった。



 寝支度を整えてから、ルイスは寝る前のお茶をフェデリと飲む。
 フェデリは先ほどの大騒ぎが嘘のようにご機嫌で、足をぶらぶらしたり椅子の上で体を揺らして、明らかに興奮していた。
「七歳のたんじょうびはね、仔馬もらったの。キャラメルみたいなもようがある、すごくきれいな目をした子!」
「へえ。すごいね。フェデリ馬に乗れるの?」
「たづな、持ってもらってるけど」
「僕馬に乗った事ないな。七歳で馬になれるなんてすごいね」
「今度教えてあげるよ!きぞくのたしなみ!」
「うーん、僕は嗜む必要ないけど。――そうだね、機会があったらお願いしようかな」
 そうしてしばらく話していても、目は爛々としていた。
「フェデリ。今から寝るんだよ?」
「うん!」
「最近は、何してるの?」
 とりあえず落ち着けるために話でもと思い振ってみた。フェデリのテンションが少し下がる。
「毎日、つまらない。ルイがちっとも来ないから」
「ごめんね。学校で働いてたから」
「僕も学校がいい……」
「学校の勉強はフェデリには簡単すぎると思うよ」
 フェデリはむすっとした。
「ルイも学校で勉強したんでしょ?」
「うん」
「それでもルイは、父上からもみとめられてる」
「僕はお手本にならないよ」
「ルイは天才だから?」
「勉強以外にやることがなかっただけだから。フェデリは、勉強楽しくない?」
「たのしくない。僕には、できないから」
「順調に進んでるって聞いてるけど……」
「先生ずっとおこってる」
「なにで?」
 ルイスは首を傾げた。
 ルイスも同じ年頃の子を教えているから、中にはひどいいたずらをしたり危険な事に向かって行く子もいる。好奇心の塊のような集団だ。未熟な分、露骨に意地の悪いことをする子もいる。
 しかしフェデリは、確かに落ち着きはなく動き回ってはいるが、じっとしていたくないだけだ。目に見えるものあれこれに意識は目まぐるしくうつろうが、怒られるほどのことをするとは思えない。
「わかんない」
 フェデリはガタン、と椅子を鳴らして座り直した。苛立ちが湧き上がってくるようだ。
「フェデリ、おいで」
 ルイスが手を伸ばすと、フェデリはすぐさま膝の上に上がって抱きついてくる。
「大丈夫だよ、フェデリはちゃんとできてるよ。僕が七つの時より、ずっと難しいことを勉強してるんだから」
「でも、父上はいいって言わない。母上も、困ったかおしてる。先生は、おこって、椅子にくくりつける」
「え……」
 ルイスは驚いてフェデリの顔を見た。
「くくられたの?椅子に?」
「それで、あばれたら、もっとおこられた」
 フェデリの顔がくしゃくしゃになる。
「ルイ、僕、わるい子。母上も父上もずっとこまってる」
 ミルクティーのような優しい色の瞳が、みるみる涙であふれてくる。
「フェデリ。フェデリはいい子」
 ルイスはフェデリを抱きしめた。
「フェデリのこと、みんな大好きだよ。フェデリが生まれた時、この屋敷中みんながフェデリに夢中になって、大騒ぎだったんだから」
「ふ、う……うあ、あ、あ」
「わかってるよ。ちゃんと頑張ってるから、もう読み書き計算終わったって。すごいよ」
「わから、ない……なんでおこるの、か、わからな……」
「うん」
「言ってること、わからない。どうしたら、う、ううー」
 フェデリはまた大きな声で泣き出した。泣きながら暴れるように体を動かし、それでもルイスにしがみついたままで。
 ルイスは少し痛いほどの暴れる抱擁に、よしよし、と繰り返し宥めながら、ずっと背中をさすっていた。
 シャツが涙と鼻水ですっかり濡れた頃、フェデリは泣き疲れて眠った。
 ルイスはフェデリをそっとベッドに横たえると、着替えようと部屋を出た。
 部屋の前ではフェルナンドがサンドラの肩を抱いて立っていた。
 まさかいるとは思わず、暗闇に二人の静かな人影を見てルイスは声をあげそうになるのをなんとか我慢した。
「――びっくり、した」
「ごめんね。泣き声が聞こえたから、心配になって」
「もう寝たよ。顔見る?」
 二人とも首を振った。
「情けないね。ルイ君にこんなこと。――ああ、着替えを持たせるよ。こっちおいで」

 ルイスはすぐそばの部屋に誘われた。机と椅子だけの部屋だ。使用人に指示して持ってきてもらったシャツを着替えたら、暖かいお茶が用意されていた。
「まだ寝ないの?」
「これだけ飲んでからね。一杯どう?」
 勧められたので夫婦の対面の席につく。
「フェデリが泣くのはいつもの事だけど……」
 はあ、とフェルナンドがため息をついた。
「今日は特にひどかったね。わがまま言ってごめんね」
「ううん」
「家庭教師は四人変わったんだ。――どう?学校で教えてるルイ君から見ると、フェデリは」
 どう、と言われても。フェデリはフェデリだから。教師として見ていない。
「先生はなんて言ってたの?」
「勉強しないわけではないけど、集中力がない。小さな音でも出たら、もうおしまい」
「あれこれ目移りする子は、たくさんいるよ」
 初等教育では、そもそも座ってない子の方が多い。
「あとは、あの癇癪がね。この前暴れて、窓ガラスまで割って。教師に怪我をさせたんだ」
「椅子に括り付けられた時?」
 フェルナンドの顔色が変わった。
「――待って。何それ」
「椅子に括られたから、暴れたらもっと怒られたって」
 サンドラは青い顔をして口元を押さえた。
「あ、貴族の教育はそれが普通なのかと思った。違うんだね」
「当たり前でしょ!――いや、やる人もいるのかもしれないけど、うちではそんな」
 良かった。実はそういう世界なのかと思ってちょっとひいていた。
「座っていられないから座らせようとしたのかな?短絡的だね」
 フェルナンドは頭を抱えた。大きな音がして駆けつけた時、教師が血に塗れた腕を押さえていた、と報告はそれだけだった。屋敷は大騒ぎになって、見落としていたものがあるのだろう。
 報告しなかったということは、教師自身もやり過ぎたと思っていたのか。
「フェデリが感情を抑えられなくなる出発点は、当たり前のことだよ」
 久しぶりに会えたのにもう別れるのがつらい。くくりつけられて悔しい、つらい。
 初等教育での教え子らの顔が浮かぶ。心の成長には個人差が大きい。大人しい子もいれば、気性の激しい子もいる。子供同士の社会の中で、困ったり失敗したりして学んでいく。
 フェデリは周りに大人しかいないのでまた違うのだろうか。
「そんなに心配しなくても、どんな子も中等教育終わる頃には落ち着いてる」
「ルイ君、君はいくつなんだと思うことがあるね本当」
「フェデリは……何か言っていたかしら?」
 サンドラの声は少し掠れていた。
 今すぐフェデリの元へ行って抱きしめてやりたかった。
「わからないって。なんで怒られるのかわからないって」
 サンドラは小さく頷いた。フェデリは思いもよらないことをしでかす。そしてその時怒られた反応は、しまった、というよりきょとんとしている。
「フェデリの普通の世界を、フェデリの目から想像して見たら、面白いと思うよ」
「面白いって、思えたらいいけどね……」
 フェルナンドの声は疲れていた。
「あ……ごめんね、学校での話で。文字の勉強してて、窓の外に見たこともない鳥が見えたら。そっちが気になるのを、止めることなんてできないよ。座る練習はするけど」
 外に関心が向いた子に、こっちを見て、と言ってまた直せるのはだいぶしてからだ。本人が納得してからでないと意識は戻ってくれない。フェデリはきっとその時間が人より長い。
「癇癪と座っていられないのとは、別で考えたらどうかな。ひとまとまりの困った行動、じゃなくて」
 フェデリの意味はわからなくても。
「フェデリ言ってた。フェル様とサンドラ様は、いつも、困った顔をしてるって。自分は悪い子だから」
 自分が悪い子だと思いながら過ごす毎日は、きっとものすごくつらい。
「いい子って言ってあげて」
 ルイスはいつもユリアにそう言われていた。
 大好き、いい子、すごいね、と、本当に幸せそうに。
「ルイ君……本当に君に家庭教師として来てほしいよ」
「ありがとうルイ君。――そうよね、私、抱きしめて大好きって、最近、言ってなかったわ。私の方がだめな母親だわ」
「そんなことないよ。サンドラ様はいいお母さん」
 ルイスは温かいお茶をゆっくりと飲んだ。
「僕、お母さん知らないから、きっとこんなに温かい感じなんだろうなっていつも思ってた。フェデリがいい子に育ってるのも、サンドラ様があたたかいから」
 サンドラは固まった。固まったまま、フェデリと同じ色の瞳から、涙を溢れさせた。
 フェデリが問題を起こす度。想像していた子供という姿から離れる度に、自分を責めていた。叱ればいいのか、寄り添えばいいのか、何をしても手応えがなかった。
 フェデリはいい子に育っている。
 そう言われただけで、どこか暗い底の方から、ぐいっと引き上げられたような気がした。
「ああ、これは泣いちゃうよね」
 フェルナンドがサンドラを胸に抱き寄せた。
「そうだね。もっとフェデリに笑って、褒めてやらないとね」
 ありがとうルイ君、とフェルナンドは消えそうな声で言った。


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