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第1章

25.事件の決着

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 ベネディクト侯爵が、再び、やってきた。
 ヘルマンは対応しなかった。代わりにフェルナンドをやった。
 嫌だと言いたかったが、最近夕食前に帰らせてもらっている手前、行けと言われて仕方なく、はい、と答えてしまった。
 今はそれを激しく後悔している。
「ミヒルに会わせていただきたい!」
 侯爵は息子とともにやってきた。つまり、ミヒルの父親だ。
「公爵閣下のお怒りは、まだ、解けないのでしょうか」
 侯爵が興奮気味に詰め寄るのに対し、息子の方はやや冷静に、青ざめた顔をしていた。
 ――解けるわけないじゃん、何もしてないのに。
 フェルナンドは心の中で毒を吐く。
 これまで対応を決めかねていたのだろうか。特に謝罪に訪れるでもなく、数日の沈黙。そして突然の来訪である。
 異議を申し立て徹底的に争うか、孫の罪を認め謝罪に回るか。ベネディクト家の対応次第で今後、波乱があるのか収束に向かうのか。その大事なことを丸ごとフェルナンドに投げたのだ。
 ヘルマンの中では結論が出ているのだろう。
 争うのなら領地戦も辞さない。あらゆる手を使って侯爵家を潰すつもりだ。非を認めるのであれば最大限謝罪させる。それだけのことだ。
 何も指示はされていないが。
 わかってしまうから丸投げされるんだろう。いつもそうだった。ここぞという重要な場面でも、突然任されることがある。首席補佐官をさっさとやめてしまいたい一番の理由だ。
「ポールマン卿」
「――私としても、このようなことを申し上げるのは心苦しいのですが」
 フェルナンドは言葉を選んだ。領地戦は避けたい。手段を選ばないヘルマンなど、見たくはない。
「公爵様のお怒りがなぜ解けないのか、お分かりではないですか」
 二人は深刻な顔で黙った。
「わがヴェッターホーンは人を大切にしているのです。そこをまずご理解いただきたい。そのうえで、公爵様が何にお怒りなのか、よくよくお考えいただきたい」
「………………謝罪を、すれば、お怒りは解けますでしょうか」
「アントン!」
 息子が言い出したことが不本意だったのだろう。侯爵は怒りを見せた。息子の方がやや冷静なようだ。
「確かにミヒルは度が過ぎたかもしれん。しかし、地下牢に入れるのは行き過ぎだ!」
「父上。公爵家で起きたことです。ミヒルが愚かだったのです。――殺されても文句は言えないのです」
 そう、ヘルマンには内政の自治権と共に、公爵領における裁判権も同時に行使できる権限がある。なんといっても王位継承権も持つ、皇族である。貴族とは一線を画している。
 そもそも謝罪をどうすれば受け入れてもらえるかを請うべきである。
「そのようなことをすれば、わしも黙っておらん!」
「父上。その話はもうしましたよね。父上が陛下に申し出たところで、陛下がどちらの味方をするか。そんな賭けをするおつもりですか」
 それでも侯爵は勝算があると思っているようだった。たかが平民を傷つけただけで地下牢にとらわれた孫を、皇帝が不等であると認めてくれるはずだと。息子であるアントンはそうは思っていなかった。ヘルマンはそれほど生易しい相手ではない。三十手前で領地を隅々まで潤すこの手腕に、皇帝からの寵愛。こちらが申し出る前に、水面下で瞬く間に根回しを終えるだろう。
 なるほど、こうやって数日もめていたんだな。
 フェルナンドは双方の話し合いが決着するのを待った。
 できれば話し合ってから来てほしかった。結論が出なかったのだろうが。
「私から申し上げることができるのは、公爵様はもうお心を決めておられるということだけです」
 アントンが絶望的な顔になる。
「なんとか……なんとかならないでしょうか。妻はもう、ショックで寝込んでしまい食事も喉を通らないのです」
 ここで妻の話を出すアントンも、ろくな人間ではないな。
 フェルナンドは鼻白んだ。もちろん顔には出さないが。
 息子が地下牢に入れられてショックで食事が喉を通らない?だから何だ。ユリアは懸命に立ち直ろうとしている。まだ食事もろくに取れないというのに。
「誠意をお見せになる以外、ないと思いますが。私が言えるのはそれだけです。あくまで私は公爵様の補佐官ですので」
 フェルナンドがはじめよりも急激に態度が冷淡になっているのをアントンも感じたようだった。自分たちの何が公爵家の人たちの逆鱗に触れているのか、わかっていない。
「どうすれば……」
 ああ、本当に。これは無理かもしれません、ヘルマン様。
 フェルナンドは心の底にうすら寒いものを感じた。
「事件の現場に居合わせたのは、公爵様と私、そして数人の騎士たちです。どの者も、その惨憺たる光景に言葉を失いました。人の所業ではないと怒りに震えています。せめて被害にあったものがこれ以上傷つかぬよう、この件は秘匿し処理することを、まず第一に望みます」
 二人がごくりと息をのむ。
 想像もしていないのだろう。ミヒルが傷つけたもののことなど。路傍の石と同じだ。
「そして、謝罪の意思がおありなのでしたら、公爵様にお伝えいたします。その上で公爵様からこの度の沙汰があるでしょうから、それをただ、粛々と受け止めていただければと思います。それが唯一、公爵様のお怒りが、ベネディクト侯爵領へと向かない方法です」
 言外に、領地戦を仄めかす。たかが平民一人のためにと驚くだろう。
 フェルナンドもここまで言うつもりはなかった。戦争は反対だ。割に合わなすぎる。
 だが、こうでも言わないとこの親子は少しも理解しそうになかった。
 ミヒルの所業が領地戦にも発展しかねない重大な罪だということが。
「今結論が出ないのでしたら、どうぞお引き取りください。私はまだ残務処理に追われております。何しろ前代未聞の事ですので」
 前代未聞。
 わかっているのか、息子が、孫が、どれほど恥知らずな行為で公爵家を貶めたのか。それに対して自分たち親子がいかに厚顔無恥なふるまいをしているのか。
 侯爵も、アントンも、頭を上げることができなかった。
 思うところは様々にあるだろうが、事の重大さがようやく少しわかったような様子だった。




 結果として、結論は翌日に出た。
 ベネディクト侯爵は爵位をアントンに譲り、隠遁することにしたらしい。侯爵の進退などどうでもいいことだったが、侯爵としては一大決心らしい。それで少しでもミヒルの減刑を、という嘆願と共に知らせが届いた。
「くだらない。年寄りはやめれば済むと思っているのか。安易な責任の取り方だな」
 ヘルマンが吐き捨てるのにフェルナンドも同意した。
 侯爵が代替わりしたのと、ミヒルの罪を軽くするのは全くの別問題だ。
「補償金は言い値を払うとあります。金山でももらいますか」
 ベネディクト侯爵領の大黒柱である。
「払いたければ払えばいい。量刑に変化はないがな」
 では保留としておこう。念書を書かせておいて、いつかユリアの傷が癒えたときに、何がいいか決めてもらおう。お金はいくらあっても困らない。今すぐもらうより反発もないだろう。
 フェルナンドはさくさくと処理を進めた。
「向こうの出方はこれで決まったようですが。地下牢の三人の処遇はどうなさるんですか」
 ヘルマンは少し考えた。
「前例がないから、少し迷っている」
「珍しいですね」
 裁判官としては一応冷静に判断を下すつもりのようだ。
 それでも判決を迷って表に出すのは珍しい。決めかねているのだろう。
「心情としては死刑にしたい。だがなんといっても未成年だからな。やはり更生の余地を残すべきかどうかだが」
「酒と、薬ですね」
 特にミヒルは離脱症状に苦しんでいる。自業自得だが。かなり情緒が不安定らしい。
 それでどのような形なら更生へと向かえるのか。かなり難しいだろう。
「とりあえず二度と世には出ない形でないと」
 焼き印を押され犯罪奴隷、というのは貴族に行うには少し過激すぎるだろう。どこかの更生施設に入れるのが落としどころという気がした。
「ノース・ヤク……ですかね」
 ヘルマンは少し意外な顔を向けた。
「お前がそう言うとは、意外だな。穏便に済ませたがるかと思ったが。
 ノース・ヤクは大陸の北の方にある更生施設である。設置主体が教会であるため更生施設、と名打ってはいるが、強制労働施設である。そしてかなり厳しい部類に入る施設だ。
 判決が重すぎると侯爵との争いもあり得る。どのあたりが適切か。
「あとは、前線基地に送るかですかね」
「フェルナンド。ベネディクト親子の応対が、それほど腹に据えかねたか」
「ええ、この上なく」
「そうか。――悪かったな、そこまでだとは思わなかった」
 ヘルマンのねぎらいにフェルナンドは変な顔をした。
「やめてくださいよ、ヘルマン様!私、すごく疲れてるんですよ。そこに次々無体な指示を出しておいて。やっぱりひどい人だと思っていたのに、こういうところでぽろっと優しい言葉掛けたら……私もつい、ヘルマン様について行きますって気持ちになってしまうじゃないですか」
「……………………」
「そういうところが人たらしなんですよね。冷たいのに。ああー、怖い怖い」
「フェルナンド……」
 台無しだ。労をねぎらってやろうと思っていたのに。
 まあ、それがフェルナンドである。

 判決は即座に下された。
 ベネディクト親子は結局沈黙を保った。
 公爵領における面会の申請もなかった。
 アントンは息子を切り捨てる決断をしたらしい。一切関わりのないものとして処理を望むということだった。
 呆気ないが、実に貴族らしい判断とも言えた。
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