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番外編1 アスラという少年
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「かあさーん!アスラがないてるー!」
「・・・いいの。――さあ、遊んでらっしゃい」
一番新しい記憶はそれかもしれない。
兄弟が、乳が欲しいのか、おしめが濡れたのか、私の泣いたことを母に知らせた。しかし母は私を抱き上げなかった。
どの記憶を探っても、母と言われる人と触れた記憶はほとんどなかった。母に抱擁される弟たちをみて、同じように己の両腕でぎゅっと自分を抱きしめてみて。
――なんだ、こんなものか。大したことないじゃないか。
そう自分の中で言い聞かせるように納得させていた。
3つになると私はおばばと呼ばれる、一族の長老に預けられた。
「これは至高の器じゃ」
生まれた時からそう言われていた。
――一族の中で飛び抜けた魔力を持つ私は、人ではなかったらしい。
「うつわ……」
つまり、国の道具ということだ。5歳になれば王宮へ行って、国のために力を尽くさなくてはならない。
どおりで共に育った兄弟も、両親も私をいないものとしていた。
そういう扱いだったのだと思う。不自由を感じたことはないが、満たされたこともなかった。
ただ、誰も話しかけてこず、触れてもこない、いないような存在だったということだけ。長老との会話も魔力の使い方を教わる時だけだった。
気が付くと私は表情のない子だと言われていた。表情がなく主張のない子。かと思えば突然叫びだしたり、感情を持て余している、気難しく不安定な子。
魔力の大きな「器」だからか、と。
5歳になり、その時は来た。
「顔を上げて」
王宮に連れてこられ言われた通りにしていると、若い男の子の声がした。顔を上げると、そこには自分を伺うように見つめる美しい少年がいた。
こんな風に自分を見る人は初めてだ。目をそらされないのも。
不思議な感覚だった。
手を取り合った時の爽快感。けれどそれだけではないなにか。
まるで、自分に興味があるような子。
「祓われました」
気が付けば少年はそう言っていた。その目は涙ぐんでいた。
周囲がどよめき、やった、やはり、といった声を聞いて、私は察した。
――捨てられる時が来たんだ、と。
長老は私をここに捨てに来たのだ。一族の人間ではないから。
そしてこの男の子は、私がどんな器か知りたくてあんなに私を見つめていたのだ。
私はここで、器たる役目を強いられるんだ。
私は人になれなかった。
手を力強く握りすぎて掌に痛みを感じた。その痛みがなければなりふり構わず叫び散らしていただろう。
価値ある器になれなかったら、きっとまた私は捨てられるのだろう・・・。
王宮に居を移してからの生活は驚きの連続だった。
まず、皆が私に話しかけてくる。
いない人間のように接されていたアスラは、それが驚きでいちいちびくびくと反応していた。
やがて、どうやら君は人に慣れていないようだから、と国王はアスラに一人の女性をつけてくれた。
シーナという、アスラと同じ5歳の子どもがいるという優しい女性だった。
「アスラ様。こんなお可愛らしい方にお仕えできて、シーナは本当に幸せ者です」
シーナはそういって、アスラに惜しみない愛情と、望めばいつでも抱きしめるといった母親のような役割をしてくれた。
アスラは初めてのことに心躍る毎日だった。
「シーナ、私の事が好き?」
「はい。大好きです」
「シーナ、私のどこが好き?」
「お可愛らしいお顔も、楽し気に笑われるところも、野菜をこっそり残すところも全部好きですよ」
何をしても好きだと言ってくれて、愛情をひたすらに注いでくれるシーナはまさにアスラにとって切望していた母親そのものだった。
一族で疎外され育ってきたことを察した国王の判断だったが、心に空いた穴が埋まっていくようだった。
――私は器ではなかった。やはり人であった、と。
アスラはころころと笑うようになり、そんなアスラを見て王宮中が温かな雰囲気に包まれたようだった。器の一族から来た至高の存在。儚げな黒髪に青い瞳の人形のように可愛らしい男の子。アスラが笑うと周りまで幸せがあふれていくようだった。
しかし、今まで一度も愛情を感じたことのなかったアスラはシーナにどうしても聞かずにはいられなかった。
「シーナ、私とずっといてくれる?」
「はい、いつでもおそばに居りますよ」
「シーナ。お休みしないと、だめ?ずっとここにいてくれないの?」
アスラはシーナが少しでも離れていくと、どうしようもない不安に駆られた。
「シーナ。私の本当のかあさまになって」
「申し訳ありません、アスラ様。わたくしはお世話係、お母さまにはなれないのです」
「どうしておかあさまって呼んだらだめなの?」
いつの間にか、シーナがどこまで尽くし側にいてくれるか、四六時中聞かずにはいられなくなっていた。
「シーナ・・・本当は私の事、好きじゃないんでしょう?」
「そんなことはありません、アスラ様、大好きです」
「私みたいなのが好きなわけない。どうしてうそをつくの!」
徐々にアスラはシーナに怒りをぶつけるようになった。
シーナはそれでも困ったように宥め、話を聞き、抱きしめてくれた。
――シーナは私を愛してくれている。でも、次はどうだろう。
こんな不完全で面倒な私のことなんか、きっと嫌いになってしまう。
実際、シーナはアスラとの接し方について悩みどうしていいのかわからないでいた。その混乱も伝わって、アスラの疑心暗鬼が深まっていった。
少し距離を置いてはどうかということになり、シーナはしばらく休暇を取るということになった。
「アスラ様。大丈夫ですよ。アスラ様のおそばには、これからこのミラと、シルヴィがお仕えします。お二人ともアスラ様にお仕えできる喜びでいっぱいなのですよ」
「――なんで?シーナ・・・ずっと一緒にいるって、言ったのに」
「少しお休みをいただくだけです。また戻ってまいりますから。
ぶつりと何かの糸が切れるような気がした。
「いらない!シーナなんて、もういらない!二度とその顔を私の前に見せるな!」
「アスラ様・・・!」
これまでにない激昂に、外の兵士まで駆けつけるほどの騒ぎになった。
アスラは手元にあった様々なものを投げつけ、誰も寄せ付けず叫んだ。
「嘘つき!側にいるって言ったのに!嘘ばかりついて、私をだました!」
「アスラ様!」
「私に触れるな!さわるな!」
その命に逆らえるものはいない。
アスラの周りには誰も近寄れず遠巻きの輪のようになった。どんな優しい言葉もアスラの耳には入らなかった。
ほら、やっぱり私は人ではなかった。
ここでも皆に距離を置かれている。
青い顔をして固まっているシーナが憎くて仕方なかった。離れるなら、どうしてこんな残酷な愛情を教えたんだ。
「もしその顔をもう一度見せたら、八つ裂きにしてやる!」
アスラは足掻いていた。けれど、今まで愛情をもらってこなかった分、その受け取り方も伝え方も歪で、それをもらっても信じられずどうしていいかわからなかった。
週に1度は王族との交流がもたれ、そこでいつもジュリアスと手をつなぎ、庭園を散歩するよう促される。
アスラはこの時間が苦手だった。
手をつないで庭を回らなくても、数秒で浄化は済む。なので手は離して一周だけ一緒に回った。
浄化自体は自分の役目だと聞かされていたし、器として望まれていることを行うのは当然だから、疑問も何もなかった。
そもそもアスラは自己主張とは無縁で、基本的には言われたことを行うのに疑問を持たない。アスラがどうしようもなく自分を制御できないのは、人との関わりを持つ時だけだった。
まだ11のジュリアスはただ手をつなぐだけだというのに頬を染め、手をつないでいいか、つらくはないか、しつこく聞いてくる。
ジュリアスはある時には花を手折って渡してきた。その花をどうしていいかわからずまた庭に戻した時の顔は、妙に印象に残った。
兄弟との交流もなかったアスラにとって、年の近いジュリアスは使用人以上にどう接していいのかわからない存在だった。
ジュリアスはただ、何か困っていることはないか、自分にできることはないか、何が好きか、何を食べたのか、といつもアスラを質問攻めにしてくる。
――嘘をついてまで私を褒めたり、無理に好きだって言ってこない子だ。
アスラの不安定さはあったものの、それは幼少期の経験によるものであり、二人の交流は問題もなかったため、さほど重要視されていなかった。少なくとも、息子2人がいつの間にか大きく順調に育っているのを見ていた国王の中ではそうだった。
そしてまだ11歳のジュリアスはアスラの気性を知る由はなく、幼少期の二人は実はさほど悪い関係ではなかった。
やがてアスラは13になり、流石に母親代わりを求め愛を確かめるようなことは無くなったが、やはり人付き合いは難しかった。
アスラの侍従は入れ替わりが激しかった。そっけないと思えば急に仲を深め、かと思うとぱったりと侍従の方が来なくなったり、解雇したり。その度にアスラは荒れた。
暴れ回るようなことはしなかったが、静かに怒り攻撃的になる様子は使用人たちをひたすらに萎縮させた。
それでも不満を言う人間は1人もいなかった。
アスラがなにを言っても、使用人を傷つけたとしても。悪いのはそうさせた使用人であり、アスラはその被害者のように処理された。アスラの理不尽な要求にこたえられないときは宮の管理人がそろって謝罪に訪れた。
ーー謝罪などいらない。そんなものはなにものにもならない。
それが余計に、アスラの鬱憤を募らせた。
「私が頼んだのはロチェス産の茶葉だったけど」
入れられたお茶を一口飲んで、アスラは音が鳴るのを気にも留めず、乱暴にカップを置いた。
アスラの口から冷たく低い声が出ると、その場の空気は一気に冷え込むようだった。
「はっ、しかし、昨日は暑いからもうロチェス産は捨てるように、と」
「今日捨てろとは言ってない!どうして私が飲もうとするものが、今、ここにないの?」
「も、申し訳ありまーー」
「謝れば済むと思ってるの?ねえ、お前、私がそんなに嫌いなの?」
「滅相もありません!お慕いしております」
「私が一番嫌いなのは、そう言う嘘だって知らなかった?」
と、こう言うやりとりよくあった。ちなみに彼はちょっとした怪我を理由に王宮を去った。
一方浄化の務めも、徐々にジュリアスの成長と共に澱みは増していった。
「ごめん・・・手をつなぐだけじゃ・・・抑えきれないかも」
1時間ほど手を繋いでみても、あまり効果がないようだ。
苦しげに呻き声を出すジュリアスに、アスラは特に動じないで青い目を向けた。
「では、口付けを」
その申し出にジュリアスは目を見開いた。
「あなたは・・・抵抗は、ないのか、その――」
「抵抗?――ないです。これが私の仕事ですから」
「そ、そう・・・」
それは初々しいままでの口づけだった。お互い慣れないため、ちょっと舌先が触れるだけの。
しかし今までないほどに一瞬で浄化がなされたことがわかる。
ジュリアスの顔は真っ赤で、何を言っていいのかわからないのか、口をぱくぱくと動かしていた。
黙って待っていると、しばらくして落ち着いてゆく。
「あ、その・・・ありがとう。なにか、つらいところはない?」
「はい、ないです」
それを聞いて安心したのか、ジュリアスはは慌てたように部屋を出ていった。
柔らかかった唇の感触とジュリアスの必死な様子に、アスラは何やらむずがゆいような、胸の温かみを感じたのだった。
ジュリアスは騎士団に所属していたため、これまでもさほど多くの時を二人は共にに過ごしたわけではなかった。週に一回程度。時折すれ違うくらい。
ジュリアスはもっとアスラと近づきたいと考えていたが、どうすれば自分の溢れそうな感情を抑え、この浄化に伴う昂りを鎮められるのかわからず、その悶々とした感情を抑えようとひたすら剣に打ち込んでいた。
何といってもジュリアスは今血気盛んな若者だった。そして圧倒的に、浄化してもらっているという負い目があった。
「兄上、またそんなボロボロになるまで鍛錬ですか?そんなに鍛えて何と戦うんです」
呆れたように言ってきたヴィクトーは1つ下の17。こちらはこちらで父の手伝いを始め、多忙を極めている。
「そうだな。自分と・・・」
「自分?――それは、哲学的な話ですか」
「いや。こうして何かに打ち込んでないと・・・頭から、あの美しい人が離れないんだ」
「ああ、なるほど」
ヴィクトーはアスラを思い浮かべた。
幼い頃のただ可愛らしい時期を過ぎ、青年へと成長しつつあるアスラは、危うげな美しさで周囲を魅了していた。
「至高の器ね」
「その器っていう言い方は、あまり好きじゃないな」
「ーーたしかに」
ジュリアスは落ちてきた汗を拭いながら、少し考えた。
「彼はこの上ない存在だから・・・至高の君だ」
「それいいね。名称を改めるように言っておくよ」
「あ、ああ、ありがとう」
「あまり無理をしないようにねー?」
ヴィクトーもすれ違う程度だったが、何度か出会って話すことがあった。
寡黙でおとなしく、人付き合いが苦手な子なんだろうとは思った。しかし、兄がここまで心を向けているのだから、そのうちいいところに収まるんだろうという気がしていた。
緩やかに、時間は経って行った。
まだまだ若者たちの先は長く、誰もがその関係を少しずつ築いていこうとしているのだと思っていた。
そこにひずみが生じたのは、ジュリアスが23、アスラが17になった時だった。
「・・・いいの。――さあ、遊んでらっしゃい」
一番新しい記憶はそれかもしれない。
兄弟が、乳が欲しいのか、おしめが濡れたのか、私の泣いたことを母に知らせた。しかし母は私を抱き上げなかった。
どの記憶を探っても、母と言われる人と触れた記憶はほとんどなかった。母に抱擁される弟たちをみて、同じように己の両腕でぎゅっと自分を抱きしめてみて。
――なんだ、こんなものか。大したことないじゃないか。
そう自分の中で言い聞かせるように納得させていた。
3つになると私はおばばと呼ばれる、一族の長老に預けられた。
「これは至高の器じゃ」
生まれた時からそう言われていた。
――一族の中で飛び抜けた魔力を持つ私は、人ではなかったらしい。
「うつわ……」
つまり、国の道具ということだ。5歳になれば王宮へ行って、国のために力を尽くさなくてはならない。
どおりで共に育った兄弟も、両親も私をいないものとしていた。
そういう扱いだったのだと思う。不自由を感じたことはないが、満たされたこともなかった。
ただ、誰も話しかけてこず、触れてもこない、いないような存在だったということだけ。長老との会話も魔力の使い方を教わる時だけだった。
気が付くと私は表情のない子だと言われていた。表情がなく主張のない子。かと思えば突然叫びだしたり、感情を持て余している、気難しく不安定な子。
魔力の大きな「器」だからか、と。
5歳になり、その時は来た。
「顔を上げて」
王宮に連れてこられ言われた通りにしていると、若い男の子の声がした。顔を上げると、そこには自分を伺うように見つめる美しい少年がいた。
こんな風に自分を見る人は初めてだ。目をそらされないのも。
不思議な感覚だった。
手を取り合った時の爽快感。けれどそれだけではないなにか。
まるで、自分に興味があるような子。
「祓われました」
気が付けば少年はそう言っていた。その目は涙ぐんでいた。
周囲がどよめき、やった、やはり、といった声を聞いて、私は察した。
――捨てられる時が来たんだ、と。
長老は私をここに捨てに来たのだ。一族の人間ではないから。
そしてこの男の子は、私がどんな器か知りたくてあんなに私を見つめていたのだ。
私はここで、器たる役目を強いられるんだ。
私は人になれなかった。
手を力強く握りすぎて掌に痛みを感じた。その痛みがなければなりふり構わず叫び散らしていただろう。
価値ある器になれなかったら、きっとまた私は捨てられるのだろう・・・。
王宮に居を移してからの生活は驚きの連続だった。
まず、皆が私に話しかけてくる。
いない人間のように接されていたアスラは、それが驚きでいちいちびくびくと反応していた。
やがて、どうやら君は人に慣れていないようだから、と国王はアスラに一人の女性をつけてくれた。
シーナという、アスラと同じ5歳の子どもがいるという優しい女性だった。
「アスラ様。こんなお可愛らしい方にお仕えできて、シーナは本当に幸せ者です」
シーナはそういって、アスラに惜しみない愛情と、望めばいつでも抱きしめるといった母親のような役割をしてくれた。
アスラは初めてのことに心躍る毎日だった。
「シーナ、私の事が好き?」
「はい。大好きです」
「シーナ、私のどこが好き?」
「お可愛らしいお顔も、楽し気に笑われるところも、野菜をこっそり残すところも全部好きですよ」
何をしても好きだと言ってくれて、愛情をひたすらに注いでくれるシーナはまさにアスラにとって切望していた母親そのものだった。
一族で疎外され育ってきたことを察した国王の判断だったが、心に空いた穴が埋まっていくようだった。
――私は器ではなかった。やはり人であった、と。
アスラはころころと笑うようになり、そんなアスラを見て王宮中が温かな雰囲気に包まれたようだった。器の一族から来た至高の存在。儚げな黒髪に青い瞳の人形のように可愛らしい男の子。アスラが笑うと周りまで幸せがあふれていくようだった。
しかし、今まで一度も愛情を感じたことのなかったアスラはシーナにどうしても聞かずにはいられなかった。
「シーナ、私とずっといてくれる?」
「はい、いつでもおそばに居りますよ」
「シーナ。お休みしないと、だめ?ずっとここにいてくれないの?」
アスラはシーナが少しでも離れていくと、どうしようもない不安に駆られた。
「シーナ。私の本当のかあさまになって」
「申し訳ありません、アスラ様。わたくしはお世話係、お母さまにはなれないのです」
「どうしておかあさまって呼んだらだめなの?」
いつの間にか、シーナがどこまで尽くし側にいてくれるか、四六時中聞かずにはいられなくなっていた。
「シーナ・・・本当は私の事、好きじゃないんでしょう?」
「そんなことはありません、アスラ様、大好きです」
「私みたいなのが好きなわけない。どうしてうそをつくの!」
徐々にアスラはシーナに怒りをぶつけるようになった。
シーナはそれでも困ったように宥め、話を聞き、抱きしめてくれた。
――シーナは私を愛してくれている。でも、次はどうだろう。
こんな不完全で面倒な私のことなんか、きっと嫌いになってしまう。
実際、シーナはアスラとの接し方について悩みどうしていいのかわからないでいた。その混乱も伝わって、アスラの疑心暗鬼が深まっていった。
少し距離を置いてはどうかということになり、シーナはしばらく休暇を取るということになった。
「アスラ様。大丈夫ですよ。アスラ様のおそばには、これからこのミラと、シルヴィがお仕えします。お二人ともアスラ様にお仕えできる喜びでいっぱいなのですよ」
「――なんで?シーナ・・・ずっと一緒にいるって、言ったのに」
「少しお休みをいただくだけです。また戻ってまいりますから。
ぶつりと何かの糸が切れるような気がした。
「いらない!シーナなんて、もういらない!二度とその顔を私の前に見せるな!」
「アスラ様・・・!」
これまでにない激昂に、外の兵士まで駆けつけるほどの騒ぎになった。
アスラは手元にあった様々なものを投げつけ、誰も寄せ付けず叫んだ。
「嘘つき!側にいるって言ったのに!嘘ばかりついて、私をだました!」
「アスラ様!」
「私に触れるな!さわるな!」
その命に逆らえるものはいない。
アスラの周りには誰も近寄れず遠巻きの輪のようになった。どんな優しい言葉もアスラの耳には入らなかった。
ほら、やっぱり私は人ではなかった。
ここでも皆に距離を置かれている。
青い顔をして固まっているシーナが憎くて仕方なかった。離れるなら、どうしてこんな残酷な愛情を教えたんだ。
「もしその顔をもう一度見せたら、八つ裂きにしてやる!」
アスラは足掻いていた。けれど、今まで愛情をもらってこなかった分、その受け取り方も伝え方も歪で、それをもらっても信じられずどうしていいかわからなかった。
週に1度は王族との交流がもたれ、そこでいつもジュリアスと手をつなぎ、庭園を散歩するよう促される。
アスラはこの時間が苦手だった。
手をつないで庭を回らなくても、数秒で浄化は済む。なので手は離して一周だけ一緒に回った。
浄化自体は自分の役目だと聞かされていたし、器として望まれていることを行うのは当然だから、疑問も何もなかった。
そもそもアスラは自己主張とは無縁で、基本的には言われたことを行うのに疑問を持たない。アスラがどうしようもなく自分を制御できないのは、人との関わりを持つ時だけだった。
まだ11のジュリアスはただ手をつなぐだけだというのに頬を染め、手をつないでいいか、つらくはないか、しつこく聞いてくる。
ジュリアスはある時には花を手折って渡してきた。その花をどうしていいかわからずまた庭に戻した時の顔は、妙に印象に残った。
兄弟との交流もなかったアスラにとって、年の近いジュリアスは使用人以上にどう接していいのかわからない存在だった。
ジュリアスはただ、何か困っていることはないか、自分にできることはないか、何が好きか、何を食べたのか、といつもアスラを質問攻めにしてくる。
――嘘をついてまで私を褒めたり、無理に好きだって言ってこない子だ。
アスラの不安定さはあったものの、それは幼少期の経験によるものであり、二人の交流は問題もなかったため、さほど重要視されていなかった。少なくとも、息子2人がいつの間にか大きく順調に育っているのを見ていた国王の中ではそうだった。
そしてまだ11歳のジュリアスはアスラの気性を知る由はなく、幼少期の二人は実はさほど悪い関係ではなかった。
やがてアスラは13になり、流石に母親代わりを求め愛を確かめるようなことは無くなったが、やはり人付き合いは難しかった。
アスラの侍従は入れ替わりが激しかった。そっけないと思えば急に仲を深め、かと思うとぱったりと侍従の方が来なくなったり、解雇したり。その度にアスラは荒れた。
暴れ回るようなことはしなかったが、静かに怒り攻撃的になる様子は使用人たちをひたすらに萎縮させた。
それでも不満を言う人間は1人もいなかった。
アスラがなにを言っても、使用人を傷つけたとしても。悪いのはそうさせた使用人であり、アスラはその被害者のように処理された。アスラの理不尽な要求にこたえられないときは宮の管理人がそろって謝罪に訪れた。
ーー謝罪などいらない。そんなものはなにものにもならない。
それが余計に、アスラの鬱憤を募らせた。
「私が頼んだのはロチェス産の茶葉だったけど」
入れられたお茶を一口飲んで、アスラは音が鳴るのを気にも留めず、乱暴にカップを置いた。
アスラの口から冷たく低い声が出ると、その場の空気は一気に冷え込むようだった。
「はっ、しかし、昨日は暑いからもうロチェス産は捨てるように、と」
「今日捨てろとは言ってない!どうして私が飲もうとするものが、今、ここにないの?」
「も、申し訳ありまーー」
「謝れば済むと思ってるの?ねえ、お前、私がそんなに嫌いなの?」
「滅相もありません!お慕いしております」
「私が一番嫌いなのは、そう言う嘘だって知らなかった?」
と、こう言うやりとりよくあった。ちなみに彼はちょっとした怪我を理由に王宮を去った。
一方浄化の務めも、徐々にジュリアスの成長と共に澱みは増していった。
「ごめん・・・手をつなぐだけじゃ・・・抑えきれないかも」
1時間ほど手を繋いでみても、あまり効果がないようだ。
苦しげに呻き声を出すジュリアスに、アスラは特に動じないで青い目を向けた。
「では、口付けを」
その申し出にジュリアスは目を見開いた。
「あなたは・・・抵抗は、ないのか、その――」
「抵抗?――ないです。これが私の仕事ですから」
「そ、そう・・・」
それは初々しいままでの口づけだった。お互い慣れないため、ちょっと舌先が触れるだけの。
しかし今までないほどに一瞬で浄化がなされたことがわかる。
ジュリアスの顔は真っ赤で、何を言っていいのかわからないのか、口をぱくぱくと動かしていた。
黙って待っていると、しばらくして落ち着いてゆく。
「あ、その・・・ありがとう。なにか、つらいところはない?」
「はい、ないです」
それを聞いて安心したのか、ジュリアスはは慌てたように部屋を出ていった。
柔らかかった唇の感触とジュリアスの必死な様子に、アスラは何やらむずがゆいような、胸の温かみを感じたのだった。
ジュリアスは騎士団に所属していたため、これまでもさほど多くの時を二人は共にに過ごしたわけではなかった。週に一回程度。時折すれ違うくらい。
ジュリアスはもっとアスラと近づきたいと考えていたが、どうすれば自分の溢れそうな感情を抑え、この浄化に伴う昂りを鎮められるのかわからず、その悶々とした感情を抑えようとひたすら剣に打ち込んでいた。
何といってもジュリアスは今血気盛んな若者だった。そして圧倒的に、浄化してもらっているという負い目があった。
「兄上、またそんなボロボロになるまで鍛錬ですか?そんなに鍛えて何と戦うんです」
呆れたように言ってきたヴィクトーは1つ下の17。こちらはこちらで父の手伝いを始め、多忙を極めている。
「そうだな。自分と・・・」
「自分?――それは、哲学的な話ですか」
「いや。こうして何かに打ち込んでないと・・・頭から、あの美しい人が離れないんだ」
「ああ、なるほど」
ヴィクトーはアスラを思い浮かべた。
幼い頃のただ可愛らしい時期を過ぎ、青年へと成長しつつあるアスラは、危うげな美しさで周囲を魅了していた。
「至高の器ね」
「その器っていう言い方は、あまり好きじゃないな」
「ーーたしかに」
ジュリアスは落ちてきた汗を拭いながら、少し考えた。
「彼はこの上ない存在だから・・・至高の君だ」
「それいいね。名称を改めるように言っておくよ」
「あ、ああ、ありがとう」
「あまり無理をしないようにねー?」
ヴィクトーもすれ違う程度だったが、何度か出会って話すことがあった。
寡黙でおとなしく、人付き合いが苦手な子なんだろうとは思った。しかし、兄がここまで心を向けているのだから、そのうちいいところに収まるんだろうという気がしていた。
緩やかに、時間は経って行った。
まだまだ若者たちの先は長く、誰もがその関係を少しずつ築いていこうとしているのだと思っていた。
そこにひずみが生じたのは、ジュリアスが23、アスラが17になった時だった。
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