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3朱国へ
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「千!」
「緋王……」
大股で回廊から庭へ降り、ずかずかとやってくる。思わず後ずさってしまうが、そんな千を気にせず緋王はすぐ目の前で止まった。
「何をしている。馬鹿かお前は。こんな強い雨の中いつまでも突っ立って、なんだ?俺への当てつけか!」
「どうしたらいいのか、わからないのです……」
捕まれた腕を、力なく握り返す。緋王の体温が、ひどく温かい。
「俺の体一つで緋王の気が収まるのならいくらでも差し出す。……でも、俺ならきっとそんなことでは収まらない」
「……何を言っているんだ」
不機嫌な緋王の声。それに怯みながらも、千は続けた。重いまぶたを伏せると、緋王の力強い腕が自分を掴んでいるのが見えた。刀を持つ者の、武人の手。
「考えたんです。俺にも姉がいるから。———姉さまを奪われたら、きっと俺、気が狂う。……そいつを、八つ裂きにしても、足り、な……」
歯の根が噛み合わなくて、うまく言葉が出せなかった。
あまりの寒さに唇は真紫、がたがたと全身が震えている。体の芯まで冷えていた。
緋王は頭に手をやった。
「まったく!何て奴だ!使者の自覚があるのか。お前の体に何かあれば、まんまと黒国に攻め入る口実を与えることになるのだぞ!」
「ご、ごめんな……さ」
「もうしゃべるな!」
ふわりと、体が宙に浮いた。抱きかかえられたのだとわかり、あわてて降りようとするが、暴れるなとまた怒鳴られて身を縮める。
大人しくはしたが、消えそうな声で言わずにはおれなかった。
「あの……歩けます」
「面倒な事を言うな。お前を歩かせてあっちだこっちだと案内するよりはこっちの方が早い。———くそ、本当に冷たいな」
喋れば怒らせそうなので、千は黙っているしかなかった。王の力強い腕に抱かれていると、自分が更に小さくなったように思う。いつもは嫌だと思っていたのに、なぜか今はありがたく思った。すっぽりと収まるこの状態が、とても心地いい。
緋王はどかどかと乱暴な足取りで廊下を歩くと、千を抱えたままで奥の間へ進んだ。
何人もの侍女が、心得た風で襖を開けてゆく。しばらく歩いたその先は心地よい香りの漂う浴室だった。
檜で出来た浴槽に、千は半ば投げ込まれるようにして入らされた。
湯の温度は幸いぬるいくらいだったので、冷め切った千の体にも熱すぎると感じることはなかった。それでも、突然のことで言葉を失う。
文句など言えるはずもないが、しばらく呆然と固まっていると、ばさりと隣で着物を落とす音がする。見ると緋王が上衣を脱ぎ、薄衣一つになっていた。緋王はそのまま何の躊躇いもなく湯に入ってくる。
「ひ、緋王……?」
「お前のせいで、また身体が冷めた。———いつまでそうしている?早く脱げ」
「で、でも……」
「早くしろ。今更恥ずかしがる事もないだろう。どうせ———」
そこまで言って、緋王は自分の失言を悟った。千の硬い表情と、急に冷えていく目の色に。
しばらく黙って、緋王はそっと千の胸へ手を伸ばした。
「———すまぬ。俺は失言が多い。昔からそうなのだ。だから、俺の言うことは、あまり気にするな」
そう言って、緋王はゆっくりとした手つきで千の着物を脱がせた。千のかじかんだ手では帯をほどくことも出来なかったからだ。
その手つきが優しくて、千は先ほどまで恐ろしかった緋王に妙に親しみを感じた。黒王とはまるで違う。なんて人間味のある王なのだろう。悩み、悔やみ、そして怒る。
千の視線に気づき、緋王はちらりと目を合わせてから、また手元に視線を落とした。短く、嘆息のようなものを漏らした。
「おそれることはない。———初めが間違っていたな」
緋王はそう言うと、千の上着をすべて脱がせてから、ゆっくり千の頭を撫でた。
固くなっていた緊張が、少しほぐれるような気がした。頭を撫でられるなど何年ぶりだろうか。
「俺が緋王、朱国の王だ。これからよろしく頼む」
「緋王、陛下……」
目頭が熱くなって、それを慌てて押さえ込むように、千は頭を下げた。
「俺の方こそ、よろしくお願いします。精一杯お仕えいたします」
「ああ」
湯気の中で、ようやく千は挨拶をすませることができたのだった。
何故緋王が急に態度を変えたのかは分からなかったが。とにかく緋王は自分に、恨みを飲んで話をしてくれた。
この緋王に精一杯仕えよう。毅旺から送られた側室としてではなく、一人の人間として。
千は心に固く誓った。
「緋王……」
大股で回廊から庭へ降り、ずかずかとやってくる。思わず後ずさってしまうが、そんな千を気にせず緋王はすぐ目の前で止まった。
「何をしている。馬鹿かお前は。こんな強い雨の中いつまでも突っ立って、なんだ?俺への当てつけか!」
「どうしたらいいのか、わからないのです……」
捕まれた腕を、力なく握り返す。緋王の体温が、ひどく温かい。
「俺の体一つで緋王の気が収まるのならいくらでも差し出す。……でも、俺ならきっとそんなことでは収まらない」
「……何を言っているんだ」
不機嫌な緋王の声。それに怯みながらも、千は続けた。重いまぶたを伏せると、緋王の力強い腕が自分を掴んでいるのが見えた。刀を持つ者の、武人の手。
「考えたんです。俺にも姉がいるから。———姉さまを奪われたら、きっと俺、気が狂う。……そいつを、八つ裂きにしても、足り、な……」
歯の根が噛み合わなくて、うまく言葉が出せなかった。
あまりの寒さに唇は真紫、がたがたと全身が震えている。体の芯まで冷えていた。
緋王は頭に手をやった。
「まったく!何て奴だ!使者の自覚があるのか。お前の体に何かあれば、まんまと黒国に攻め入る口実を与えることになるのだぞ!」
「ご、ごめんな……さ」
「もうしゃべるな!」
ふわりと、体が宙に浮いた。抱きかかえられたのだとわかり、あわてて降りようとするが、暴れるなとまた怒鳴られて身を縮める。
大人しくはしたが、消えそうな声で言わずにはおれなかった。
「あの……歩けます」
「面倒な事を言うな。お前を歩かせてあっちだこっちだと案内するよりはこっちの方が早い。———くそ、本当に冷たいな」
喋れば怒らせそうなので、千は黙っているしかなかった。王の力強い腕に抱かれていると、自分が更に小さくなったように思う。いつもは嫌だと思っていたのに、なぜか今はありがたく思った。すっぽりと収まるこの状態が、とても心地いい。
緋王はどかどかと乱暴な足取りで廊下を歩くと、千を抱えたままで奥の間へ進んだ。
何人もの侍女が、心得た風で襖を開けてゆく。しばらく歩いたその先は心地よい香りの漂う浴室だった。
檜で出来た浴槽に、千は半ば投げ込まれるようにして入らされた。
湯の温度は幸いぬるいくらいだったので、冷め切った千の体にも熱すぎると感じることはなかった。それでも、突然のことで言葉を失う。
文句など言えるはずもないが、しばらく呆然と固まっていると、ばさりと隣で着物を落とす音がする。見ると緋王が上衣を脱ぎ、薄衣一つになっていた。緋王はそのまま何の躊躇いもなく湯に入ってくる。
「ひ、緋王……?」
「お前のせいで、また身体が冷めた。———いつまでそうしている?早く脱げ」
「で、でも……」
「早くしろ。今更恥ずかしがる事もないだろう。どうせ———」
そこまで言って、緋王は自分の失言を悟った。千の硬い表情と、急に冷えていく目の色に。
しばらく黙って、緋王はそっと千の胸へ手を伸ばした。
「———すまぬ。俺は失言が多い。昔からそうなのだ。だから、俺の言うことは、あまり気にするな」
そう言って、緋王はゆっくりとした手つきで千の着物を脱がせた。千のかじかんだ手では帯をほどくことも出来なかったからだ。
その手つきが優しくて、千は先ほどまで恐ろしかった緋王に妙に親しみを感じた。黒王とはまるで違う。なんて人間味のある王なのだろう。悩み、悔やみ、そして怒る。
千の視線に気づき、緋王はちらりと目を合わせてから、また手元に視線を落とした。短く、嘆息のようなものを漏らした。
「おそれることはない。———初めが間違っていたな」
緋王はそう言うと、千の上着をすべて脱がせてから、ゆっくり千の頭を撫でた。
固くなっていた緊張が、少しほぐれるような気がした。頭を撫でられるなど何年ぶりだろうか。
「俺が緋王、朱国の王だ。これからよろしく頼む」
「緋王、陛下……」
目頭が熱くなって、それを慌てて押さえ込むように、千は頭を下げた。
「俺の方こそ、よろしくお願いします。精一杯お仕えいたします」
「ああ」
湯気の中で、ようやく千は挨拶をすませることができたのだった。
何故緋王が急に態度を変えたのかは分からなかったが。とにかく緋王は自分に、恨みを飲んで話をしてくれた。
この緋王に精一杯仕えよう。毅旺から送られた側室としてではなく、一人の人間として。
千は心に固く誓った。
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