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三章
三章(5)
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「ジルド様が来訪されることを父様から伝えられていなくて、少し驚いてしまいました……でも、母様のお見舞いに来てくださいまして、有難うございます」
「いいや、こちらこそ急にすまなかったね。マグノリアの調子はどうだい?」
「母様は……最近元気がなくて、食事も喉を通らないそうです」
「そうかい、それは心配だね……でも大丈夫、私が元気になるお薬を持ってきたからね。君のお父様のアロイスと、共通の友人とで協力して隣国から輸入したんだよ。とてもよく効くお薬なんだそうで、アロイスがマグノリアのために届けて欲しいってね」
なにやらポケットに手を差し入れると、その中から茶色の小さな紙袋を出してフィンネルに見せる。紙袋の中身は話に出た薬だろう。
「父様が、母様に?このお薬で母様元気になるんですか?」
「ああ、きっとよくなるよ」
父が母の為に用意した。あんなに仲が悪いと思っていたのに本当は仲直りしたいのだろうか。
この頃は塞ぎ混んでいたと思ったら癇癪を起こして叫び出す母が元気になる薬と聞き、両親の仲も改善し始めているかもしれないと笑顔になると、彼に頭を撫でられた。
大きな体に細く鋭い目、来客の際に遠目に見ているだけで少し怖かったが、もしかしたらいい人なのかもしれないと思い至る。
しかし、執事とマグノリアの侍女達はジルドの言葉に耳を疑った。
12年前に二人が結婚した当初から、アロイスはマグノリアを避けては冷遇し、マグノリアが調達させた媚薬と先代侯爵……つまりアロイスの父がデッタニア領を継ぐ条件として子を成すことを厳命したからこそ重い腰を上げて取り組み、漸くフィンネルが誕生したからだ。産まれたその後でさえ我が子を顧みることなく外泊を繰り返し妻子を放置していたあの主が、マグノリアのために薬を用意するだろうか、と。
周囲の不安を知らず、純粋に彼に好意を抱き始めているフィンネルが猫のように喉を晒して甘えていると、優しく頭を撫でていたジルドが不意に尻に腕を回して抱き上げた。落ちないよう両手で囲うようにされれば安定感があり、目線はジルドとほぼ同じになった。
エンリケ達が困ったような不安そうな顔をしているのが目に入ったが、幼い日にエンリケや母に抱き上げられた記憶が甦ってきて胸が暖かくなるのを感じ、この腕から逃れることを考えられない。
「フィンネル君、私はマグノリアに会いに行ってくるよ。いいかな」
「勿論です。母様のお薬、本当にありがとうございます。父様も、母様が元気になったら会いに来てくれますよね」
「ああ、きっとアロイスも安心するに違いないさ。それにこんなに可愛い子をほったらかしにしたことを後悔するだろうね」
ジルドはフィンネルの頬に自身の頬を擦り寄せた。くすぐったくてクスクス笑うフィンネルを見詰める眼差しに奇妙な熱を孕んでいることに、周囲は気付けないままだった。
侍女のエマが母の部屋に案内してジルドが扉の前でフィンネルを下ろすと、名残惜しそうに頬を撫でた。そして執事と侍女に笑顔を向ける。
「すまないがついでに少々昔話をしたいんだ。恥ずかしいから、少し離れていてくれないかい。ああ、扉は全て解放して、私の姿が確認出来るギリギリの位置に居てくれて構わない」
ジルドの申し出に執事が戸惑いを見せたが、エマや護衛は互いに顔を見合って頷いた。
いくら見知った男女であろうと扉を締め切った密室では何が起こるかわからない。その不安を解消するための提案であり、この国の紳士のマナーでもあった。それを先方から申し出てくれたことに安堵したようだ。
「それとこの薬は一日三回、毎食後に一錠服用するのだそうだから、明日からにでも試してみてくれ。信用ならないようなら、今晩アロイスに聞いてくれて構わないからね」
医師も通さずに手渡される薬の効能に不安を抱くのは当然だろうからと、彼はエマに薬の入った紙袋を渡すと器用にウインクをしてフィンネルに向き直った。大きくて肉厚な掌がわしゃわしゃと頭を撫でてくれる。
「それじゃあ、お話ししてくるよ。帰る時にまた挨拶してくれるかい?」
「はい、お帰りの際には彼等に声をかけてください。ぼくもお見送りします」
そう言うとジルドの目尻は嬉しそうに弧を描き、手を振って寝室へ向かった。それに続いて何かあった際の対処をするためにエマと護衛が開かれたままの扉から、様子を伺える距離を保って控える。
一連を確認したフィンネルはエンリケと執事を伴って母の部屋から出た。
ずっとジルドのことは父の友人だと思っていた。母がジルドと接触したのを見たことがなかったから、知り合いであったのは初耳だ。
自分が覚えている限り、夜会への招待はどうしても必要な時以外は父が一人で行っていたようだったが、たまたま同伴をした夜会で出会っていたのだろうか。
そう考えながら自室へ帰って昨日の授業の復習をしようと書棚から歴史書を取ろうと手を伸ばした時、何処かから音の籠った金切り声が断続的に耳に入った。
ハッと辺りを見回すとエンリケが廊下に続く扉を見詰めている。
このヒステリックな叫びは母の声だとわかったが、日常的に聞き慣れたものに変わってしまっていたし、エマも護衛達も同室に居る。ジルドが何かしたと言うよりは母のいつもの癇癪だろう。エンリケも同じ考えなのか扉をじっと見詰めてはいるけれど、何か行動に移す気配はない。
フィンネルも本を手に取り、時折聞こえてくる音を意識しないようにしながら本の内容を記憶に刻んでいった。
「いいや、こちらこそ急にすまなかったね。マグノリアの調子はどうだい?」
「母様は……最近元気がなくて、食事も喉を通らないそうです」
「そうかい、それは心配だね……でも大丈夫、私が元気になるお薬を持ってきたからね。君のお父様のアロイスと、共通の友人とで協力して隣国から輸入したんだよ。とてもよく効くお薬なんだそうで、アロイスがマグノリアのために届けて欲しいってね」
なにやらポケットに手を差し入れると、その中から茶色の小さな紙袋を出してフィンネルに見せる。紙袋の中身は話に出た薬だろう。
「父様が、母様に?このお薬で母様元気になるんですか?」
「ああ、きっとよくなるよ」
父が母の為に用意した。あんなに仲が悪いと思っていたのに本当は仲直りしたいのだろうか。
この頃は塞ぎ混んでいたと思ったら癇癪を起こして叫び出す母が元気になる薬と聞き、両親の仲も改善し始めているかもしれないと笑顔になると、彼に頭を撫でられた。
大きな体に細く鋭い目、来客の際に遠目に見ているだけで少し怖かったが、もしかしたらいい人なのかもしれないと思い至る。
しかし、執事とマグノリアの侍女達はジルドの言葉に耳を疑った。
12年前に二人が結婚した当初から、アロイスはマグノリアを避けては冷遇し、マグノリアが調達させた媚薬と先代侯爵……つまりアロイスの父がデッタニア領を継ぐ条件として子を成すことを厳命したからこそ重い腰を上げて取り組み、漸くフィンネルが誕生したからだ。産まれたその後でさえ我が子を顧みることなく外泊を繰り返し妻子を放置していたあの主が、マグノリアのために薬を用意するだろうか、と。
周囲の不安を知らず、純粋に彼に好意を抱き始めているフィンネルが猫のように喉を晒して甘えていると、優しく頭を撫でていたジルドが不意に尻に腕を回して抱き上げた。落ちないよう両手で囲うようにされれば安定感があり、目線はジルドとほぼ同じになった。
エンリケ達が困ったような不安そうな顔をしているのが目に入ったが、幼い日にエンリケや母に抱き上げられた記憶が甦ってきて胸が暖かくなるのを感じ、この腕から逃れることを考えられない。
「フィンネル君、私はマグノリアに会いに行ってくるよ。いいかな」
「勿論です。母様のお薬、本当にありがとうございます。父様も、母様が元気になったら会いに来てくれますよね」
「ああ、きっとアロイスも安心するに違いないさ。それにこんなに可愛い子をほったらかしにしたことを後悔するだろうね」
ジルドはフィンネルの頬に自身の頬を擦り寄せた。くすぐったくてクスクス笑うフィンネルを見詰める眼差しに奇妙な熱を孕んでいることに、周囲は気付けないままだった。
侍女のエマが母の部屋に案内してジルドが扉の前でフィンネルを下ろすと、名残惜しそうに頬を撫でた。そして執事と侍女に笑顔を向ける。
「すまないがついでに少々昔話をしたいんだ。恥ずかしいから、少し離れていてくれないかい。ああ、扉は全て解放して、私の姿が確認出来るギリギリの位置に居てくれて構わない」
ジルドの申し出に執事が戸惑いを見せたが、エマや護衛は互いに顔を見合って頷いた。
いくら見知った男女であろうと扉を締め切った密室では何が起こるかわからない。その不安を解消するための提案であり、この国の紳士のマナーでもあった。それを先方から申し出てくれたことに安堵したようだ。
「それとこの薬は一日三回、毎食後に一錠服用するのだそうだから、明日からにでも試してみてくれ。信用ならないようなら、今晩アロイスに聞いてくれて構わないからね」
医師も通さずに手渡される薬の効能に不安を抱くのは当然だろうからと、彼はエマに薬の入った紙袋を渡すと器用にウインクをしてフィンネルに向き直った。大きくて肉厚な掌がわしゃわしゃと頭を撫でてくれる。
「それじゃあ、お話ししてくるよ。帰る時にまた挨拶してくれるかい?」
「はい、お帰りの際には彼等に声をかけてください。ぼくもお見送りします」
そう言うとジルドの目尻は嬉しそうに弧を描き、手を振って寝室へ向かった。それに続いて何かあった際の対処をするためにエマと護衛が開かれたままの扉から、様子を伺える距離を保って控える。
一連を確認したフィンネルはエンリケと執事を伴って母の部屋から出た。
ずっとジルドのことは父の友人だと思っていた。母がジルドと接触したのを見たことがなかったから、知り合いであったのは初耳だ。
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そう考えながら自室へ帰って昨日の授業の復習をしようと書棚から歴史書を取ろうと手を伸ばした時、何処かから音の籠った金切り声が断続的に耳に入った。
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このヒステリックな叫びは母の声だとわかったが、日常的に聞き慣れたものに変わってしまっていたし、エマも護衛達も同室に居る。ジルドが何かしたと言うよりは母のいつもの癇癪だろう。エンリケも同じ考えなのか扉をじっと見詰めてはいるけれど、何か行動に移す気配はない。
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