16 / 22
三章
三章(4)
しおりを挟む
エルバン伯爵。その名に聞き覚えがあったフィンネルは思案する。
確か、王都から東に位置するネバス領を納めている伯爵がその名だった筈だ。ここ、デッタニア領とは王都を挟んでほぼ真逆に位置している。
「エルバン伯爵は今何処に」
「セバスさんがホールに留めています。先触れもありませんから今は旦那様もいらっしゃいませんし奥様にお伝えしたのですが、帰っていただくようにと……しかし伯爵様はどうしても見舞いたいと帰られる気配もなく……」
「奥様は部屋に?」
「はい」
エマが不安そうに言うと、エンリケは少し険しい表情になった。
「……取り敢えず私もセバスチャンの応援に出よう」
「お願いします」
どうやら伯爵はお見舞いに来たようだが、母が拒否しているらしい。
エンリケがエマと部屋から出ていくのを見送るために着いて廊下に出ると、ふくよかな体型の、ダークブラウンの紳士服を着た男が正面から歩いて来ていた。その背後には非常に、それはもう困り果てた表情でセバスチャンが随行している。
もしかして、この父の客人として数度見掛けた男が伯爵で、断りきれずに通してしまったのだろうか?
この男に苦手意識があるフィンネルは目を合わせながらそっと後ろに下がると、彼はニッコリと微笑んで手を差し出してきた。
パンパンに脂肪の詰まったその手に触れなければならないと思うと、知らず表情が強張ってしまう。しかし無視をしては失礼であることも承知しているため、気持ちを圧し殺して肉厚の手を握り返した。
「ふふ、何度かすれ違ってはいたけれど、こうしてしっかりお会いするのは初めてだね」
そう言って笑うと、彼は繋いでいた手を離して紳士の礼をした。
「私はジルド・エルバン伯爵。ネバス領を治めているんだ」
「は、初めまして……ぼくはフィンネルと申します。エルバン伯爵様」
「ジルドと呼んでくれて構わないんだよ。私もフィンネルと呼んで構わないかな?」
「はい……勿論です、ジルド、様」
ジルドは前屈みになり、優しく微笑んでくる。しかしその目が捕食者のようにギラついているように見えてしまいとても恐ろしくなっておずおずと視線を彷徨わせた。
どうしてこんなところに来たのだろう。この先には母と自身の部屋しかなく、もてなす遊戯室も客室もない。仮に父が招いたとしても、父の部屋はホールから階段を登って真逆の通路にある。
とはいえ、今はその父が屋敷から出ているし、エマの話しからしてジルドは許可を待たずにやってきたのだろう。
不意に視線の先が影にが遮られたかと思えば、エンリケがフィンネルを隠すようにジルドに向かい合い、腰を折って礼をしているところだった。
「ご機嫌麗しゅうございます、エルバン伯爵様。只今旦那様は公務で席を外しておりますゆえ、ハウスト伯爵代理としてその妻、マグノリア様がお出迎え居たしますところ。しかし奥様は現在病に臥せっており、エルバン伯爵様をおもてなしすることが難しゅうございますゆえ、今日のところはお引き取り願います。何か重要な案件がございましたら、私が旦那様に言付け……もしくは客室にて旦那様をお待ちいただく」
エンリケが暗にこの先へ行くなと言葉にすれば、ジルドは少し困ったように眉尻を下げてジャケットのポケットから白い封筒を手に取り、中から折り畳まれた手紙を出して開く。それを軽く伸ばしてエンリケやエマ、フィンネルに見えるように優しく掲げた。
「実はだね、アロイスから手紙を受け取ったんだ。妻のマグノリアが病に臥せている……これは先程キミが話した通りだね。そのマグノリアが屋敷から出るのも難しい程弱ってしまったから、顔馴染みの私に見舞って欲しいと書いてあったんだよ。それで今さっきも執事殿と問答していてね。この手紙と印章を見てもらって漸く中に通して貰っていたところだったんだ」
心底心配そうな声音で訴えてくるジルドに、フィンネルは優しい人なんだなと純粋に思い、話したこともない男に対して嫌悪感を覚えた自分を恥じた。
見た目も、以前シグルドのリアーライト邸で見た熊の剥製ように大きくて、食べられてしまいそうな雰囲気に飲まれてしまっていたのかもしれない。
少し安堵して身体の力を抜いて、ジルドに感謝を示す礼を取った。
確か、王都から東に位置するネバス領を納めている伯爵がその名だった筈だ。ここ、デッタニア領とは王都を挟んでほぼ真逆に位置している。
「エルバン伯爵は今何処に」
「セバスさんがホールに留めています。先触れもありませんから今は旦那様もいらっしゃいませんし奥様にお伝えしたのですが、帰っていただくようにと……しかし伯爵様はどうしても見舞いたいと帰られる気配もなく……」
「奥様は部屋に?」
「はい」
エマが不安そうに言うと、エンリケは少し険しい表情になった。
「……取り敢えず私もセバスチャンの応援に出よう」
「お願いします」
どうやら伯爵はお見舞いに来たようだが、母が拒否しているらしい。
エンリケがエマと部屋から出ていくのを見送るために着いて廊下に出ると、ふくよかな体型の、ダークブラウンの紳士服を着た男が正面から歩いて来ていた。その背後には非常に、それはもう困り果てた表情でセバスチャンが随行している。
もしかして、この父の客人として数度見掛けた男が伯爵で、断りきれずに通してしまったのだろうか?
この男に苦手意識があるフィンネルは目を合わせながらそっと後ろに下がると、彼はニッコリと微笑んで手を差し出してきた。
パンパンに脂肪の詰まったその手に触れなければならないと思うと、知らず表情が強張ってしまう。しかし無視をしては失礼であることも承知しているため、気持ちを圧し殺して肉厚の手を握り返した。
「ふふ、何度かすれ違ってはいたけれど、こうしてしっかりお会いするのは初めてだね」
そう言って笑うと、彼は繋いでいた手を離して紳士の礼をした。
「私はジルド・エルバン伯爵。ネバス領を治めているんだ」
「は、初めまして……ぼくはフィンネルと申します。エルバン伯爵様」
「ジルドと呼んでくれて構わないんだよ。私もフィンネルと呼んで構わないかな?」
「はい……勿論です、ジルド、様」
ジルドは前屈みになり、優しく微笑んでくる。しかしその目が捕食者のようにギラついているように見えてしまいとても恐ろしくなっておずおずと視線を彷徨わせた。
どうしてこんなところに来たのだろう。この先には母と自身の部屋しかなく、もてなす遊戯室も客室もない。仮に父が招いたとしても、父の部屋はホールから階段を登って真逆の通路にある。
とはいえ、今はその父が屋敷から出ているし、エマの話しからしてジルドは許可を待たずにやってきたのだろう。
不意に視線の先が影にが遮られたかと思えば、エンリケがフィンネルを隠すようにジルドに向かい合い、腰を折って礼をしているところだった。
「ご機嫌麗しゅうございます、エルバン伯爵様。只今旦那様は公務で席を外しておりますゆえ、ハウスト伯爵代理としてその妻、マグノリア様がお出迎え居たしますところ。しかし奥様は現在病に臥せっており、エルバン伯爵様をおもてなしすることが難しゅうございますゆえ、今日のところはお引き取り願います。何か重要な案件がございましたら、私が旦那様に言付け……もしくは客室にて旦那様をお待ちいただく」
エンリケが暗にこの先へ行くなと言葉にすれば、ジルドは少し困ったように眉尻を下げてジャケットのポケットから白い封筒を手に取り、中から折り畳まれた手紙を出して開く。それを軽く伸ばしてエンリケやエマ、フィンネルに見えるように優しく掲げた。
「実はだね、アロイスから手紙を受け取ったんだ。妻のマグノリアが病に臥せている……これは先程キミが話した通りだね。そのマグノリアが屋敷から出るのも難しい程弱ってしまったから、顔馴染みの私に見舞って欲しいと書いてあったんだよ。それで今さっきも執事殿と問答していてね。この手紙と印章を見てもらって漸く中に通して貰っていたところだったんだ」
心底心配そうな声音で訴えてくるジルドに、フィンネルは優しい人なんだなと純粋に思い、話したこともない男に対して嫌悪感を覚えた自分を恥じた。
見た目も、以前シグルドのリアーライト邸で見た熊の剥製ように大きくて、食べられてしまいそうな雰囲気に飲まれてしまっていたのかもしれない。
少し安堵して身体の力を抜いて、ジルドに感謝を示す礼を取った。
0
お気に入りに追加
88
あなたにおすすめの小説

【完結】兄の事を皆が期待していたので僕は離れます
まりぃべる
ファンタジー
一つ年上の兄は、国の為にと言われて意気揚々と村を離れた。お伽話にある、奇跡の聖人だと幼き頃より誰からも言われていた為、それは必然だと。
貧しい村で育った弟は、小さな頃より家の事を兄の分までせねばならず、兄は素晴らしい人物で対して自分は凡人であると思い込まされ、自分は必要ないのだからと弟は村を離れる事にした。
そんな弟が、自分を必要としてくれる人に会い、幸せを掴むお話。
☆まりぃべるの世界観です。緩い設定で、現実世界とは違う部分も多々ありますがそこをあえて楽しんでいただけると幸いです。
☆現実世界にも同じような名前、地名、言葉などがありますが、関係ありません。
聖女召喚されて『お前なんか聖女じゃない』って断罪されているけど、そんなことよりこの国が私を召喚したせいで滅びそうなのがこわい
金田のん
恋愛
自室で普通にお茶をしていたら、聖女召喚されました。
私と一緒に聖女召喚されたのは、若くてかわいい女の子。
勝手に召喚しといて「平凡顔の年増」とかいう王族の暴言はこの際、置いておこう。
なぜなら、この国・・・・私を召喚したせいで・・・・いまにも滅びそうだから・・・・・。
※小説家になろうさんにも投稿しています。

目が覚めたら囲まれてました
るんぱっぱ
BL
燈和(トウワ)は、いつも独りぼっちだった。
燈和の母は愛人で、すでに亡くなっている。愛人の子として虐げられてきた燈和は、ある日家から飛び出し街へ。でも、そこで不良とぶつかりボコボコにされてしまう。
そして、目が覚めると、3人の男が燈和を囲んでいて…話を聞くと、チカという男が燈和を拾ってくれたらしい。
チカに気に入られた燈和は3人と共に行動するようになる。
不思議な3人は、闇医者、若頭、ハッカー、と異色な人達で!
独りぼっちだった燈和が非日常な幸せを勝ち取る話。
執着攻めと平凡受けの短編集
松本いさ
BL
執着攻めが平凡受けに執着し溺愛する、似たり寄ったりな話ばかり。
疲れたときに、さくっと読める安心安全のハッピーエンド設計です。
基本的に一話完結で、しばらくは毎週金曜の夜または土曜の朝に更新を予定しています(全20作)
王子を身籠りました
青の雀
恋愛
婚約者である王太子から、毒を盛って殺そうとした冤罪をかけられ収監されるが、その時すでに王太子の子供を身籠っていたセレンティー。
王太子に黙って、出産するも子供の容姿が王家特有の金髪金眼だった。
再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。
【BL】どうやら精霊術師として召喚されたようですが5分でクビになりましたので、最高級クラスの精霊獣と駆け落ちしようと思います。
riy
BL
風呂でまったりしている時に突如異世界へ召喚された千颯(ちはや)。
召喚されたのはいいが、本物の聖女が現れたからもう必要ないと5分も経たない内にお役御免になってしまう。
しかも元の世界へも帰れず、あろう事か風呂のお湯で流されてしまった魔法陣を描ける人物を探して直せと無茶振りされる始末。
別邸へと通されたのはいいが、いかにも出そうな趣のありすぎる館であまりの待遇の悪さに愕然とする。
そんな時に一匹のホワイトタイガーが現れ?
最高級クラスの精霊獣(人型にもなれる)×精霊術師(本人は凡人だと思ってる)
※コメディよりのラブコメ。時にシリアス。

幽閉王子は最強皇子に包まれる
皇洵璃音
BL
魔法使いであるせいで幼少期に幽閉された第三王子のアレクセイ。それから年数が経過し、ある日祖国は滅ぼされてしまう。毛布に包まっていたら、敵の帝国第二皇子のレイナードにより連行されてしまう。処刑場にて皇帝から二つの選択肢を提示されたのだが、二つ目の内容は「レイナードの花嫁になること」だった。初めて人から求められたこともあり、花嫁になることを承諾する。素直で元気いっぱいなド直球第二皇子×愛されることに慣れていない治癒魔法使いの第三王子の恋愛物語。
表紙担当者:白す(しらす)様に描いて頂きました。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる