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一章
一章(2)
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エリックは跡継ぎとしてのお勉強がある為に、三日目からはフィンネルとシグルドの二人で遊ぶ事が多くなった。
フィンネルは運動が苦手なシグルドに合わせて部屋で積み木をしてみたり、ぬいぐるみ遊びをしてみたり、別の日にはタチアナやマグノリアに本を読んでもらっているうちに揃って眠りについてしまったりもした。
滞在五日目。今日も朝食の後にエリックが勉学に励むために別れ、シグルドと手を繋いで廊下へ出ると、シグルドが窓から見える花畑の一角を指差した。
「ねぇフィンネル、あっちにね、がぜぼがあるんだ。いっしょにいこ?」
「うん、いく!」
「おかあさま、ぼくフィンネルとおにわにでてもいいですか?」
「ええ、勿論よ。但し走ったり危ないことはしないようにね」
甘えるように見上げてタチアナがシグルドの頭を撫でると、彼は嬉しそうに頬を染めて目を細める。頭を撫でられているのが羨ましくなり、フィンネルも真似をしてマグノリアを見上げて甘えてみた。
「かあさま、ぼくもナデナデしてください」
「いいわよ。はい、行ってらっしゃい」
母に頭を撫でられたフィンネルは「ふふっ」と笑顔になり胸がぽかぽかと暖かくなる。優しい母親に甘えた二人は顔を見合わせて笑って、今度は頭を撫であった。そして今日もハウスト家とリアーライト家の侍従を一人づつ従えて、声を揃えて元気よく宣言する。
「「いってきます!」」
「行ってらっしゃい」
二人の母親に見送られながらしっかりと手を握り締めあって、庭にあると言う東屋へと小さな冒険に向かったのだった。
シグルドに負担にならないよう急くことなくゆっくりと小さな脚で石畳を歩いていると、初春の柔らかな風が様々な香りを運んでくる。
花であったり、芽を出した芝生であったり、庭木であったり、お日様に当たった自身から放たれる香りであったり……それこそ今の時期特有の優しい空気なのだろう。フィンネルは深く息を吸ってそれらを楽しみ、吐き出してはまた深く空気を肺に取り入れる。
数回繰り返すと、シグルドが不安そうに視線を向けて言った。
「フィンネル、どこかくるしいの?」
なにやら深呼吸を息切れと勘違いしたのだろうか。シグルドの優しさに嬉しくなりながら笑顔で首を振った。
「ちがうよ、くうきをすっていたの」
「くうきを?」
「うん、なんかね、きもちいーよ」
「そうなの……?」
ぼくもしてみる、とシグルドもスーハースーハーと深呼吸を始めて、二人分の幼い呼吸音が重なる。何気なく視線をずらすとシグルドと目があってしまい、二人で声を出して笑った。そんな仲睦まじい小鳥のような幼子の後ろ姿を、其々の侍従が生暖かい目で見守っていた。
斯くして、綺麗に剪定された新芽の萌える低木の奥に、白い柱と屋根が見えてきた。
背が低いためにまだ全容は見えてこないが、シグルドが薦めるくらいだ、きっと素敵な所に違いない。
ワクワクと胸を高鳴らせながら進むと、六角形に建てられた東屋に辿り着いた。
白い柱と屋根に、揃いの石で作られているらしい長椅子が中央にポツンと置かれている。六歳の子供が二人で座っても余るそれは、恐らく大人がもう二人入る。シグルドとエリック、そして両親が座ると思えばこのサイズなのだろう。家族四人で仲睦まじく休息をとる姿が目に浮かぶようだ。
二人並んでちょこんと長椅子の中央に腰を掛けるとぴったりとくっつき、シグルドがリアーライト家の侍従に両手を伸ばした。
「ベイル、えほんちょうだい」
「坊ちゃま、どれになさいます?」
侍従が肩から掛けた袋の中から四冊の絵本が取り出され、シグルドが指で悩む仕草を見せる。
表紙には鮮やかな色合いで、子供向けのイラストと大きな文字が書かれていた。フィンネルの屋敷にない、見たことがない絵本も二冊ある。剣を持った男の子とドレスを着た金髪の女の子、それから角が生えた恐ろしい怪物が描かれている表紙の絵本と、茶色い髪の毛の男の子が大きな鳥に乗って地上を覗き込んでいる表紙の絵本だ。
折角なら知らない絵本が読みたいな、とフィンネルも指を指した。
「シグルドさま、ぼく、これとこれみたことないの。みてもいい?」
「うん、いいよ。いっしょによも。どっちからみたい?」
「ん~……こっち!」
「うん、きしさまのほんをちょうだい。ぼくがフィンネルによんであげる」
「ありがとう!」
地面に届かない足を揺らし、ワクワクと期待に胸を膨らませる。表紙からして、きっと冒険譚なのだろう。
シグルドは侍従から両手で本を受け取ると、二人の腿の間に絵本をおいた。
互いに覗き込むように自然と肩がくっついてシグルドの髪に塗り込まれた香油の優しい甘さの香りが鼻腔を擽る。肩まで伸びた真っ黒な髪がさらりと揺れ、絵本を覗き込む紫水晶の様な瞳を長い睫が覆った。
「これはむかしむかしのおはなしです。あるところにおはながたくさんさくおしろがありました、そこにはかわいいおひめさまがおりました」
「うんうん」
「────ところがかわいいおひめさまをねらう、わるいあくまが、おひめさまをさらってしまったのです。おうさまは、おひめさまをたすけるために、くにでいちばんつよい、りっぱなきしを、あくまたいじにむかわせました」
ぺらりとページを捲り、ゆっくりと文字を音に変換させていくシグルドの声に耳を傾けながら、絵を見る。角が生えた怖い悪魔はお姫様を抱っこして、飛んで行ってしまった。王様はお姫様を助けて欲しくて、国一番の騎士に悪魔退治とお姫様の救出を命令したのだ。そして騎士は山を越え、谷を越え、深い森の中に住む妖精に助けて貰いながら悪魔の住むお城に辿り着く。
フィンネルは腿の上に置いた手指に力を入れて丸め、ごくりと息を飲んだ。いよいよ騎士と悪魔が戦って、お姫様を助けるのだ。
「────あくまがとてもつよくても、きしはあきらめませんでした。たいせつなおひめさまを、すくいたい、まもりたいと、きしがねがうと、つるぎがきらきらとかがやきはじめました。きしがきらきらかがやく、まほうのつるぎを振りかざすと『ぎゃー!』とさけんで、あくまはひかりにつつまれてきえてしまいました」
怖い悪魔が騎士によって退治された。騎士とはなんて強くて逞しいのだろう。そして絵に描かれているキラキラとした剣もとても格好いい。我が家にも幾つも剣があるし、もしかしたらどれかが光輝くのかもしれない。
そう考えたら早く屋敷に帰って、倉庫の剣や警備の兵士達の持つ剣一本一本を確かめたくなってくる。
フィンネルは緊張で握り締めた指をほどいて、芽生えた憧れに高鳴る胸に手を当てた。シグルドは更にページを捲ると読み進める。
「────おひめさまときしは、おしろにかえっておうさまにわるいあくまをたおしたことを、ほうこくしました。おうさまはおひめさまがぶじにかえってきて、おおよろこびです。『きしよ、ほうびをさずけよう、なにがいい?』『ほうびなどもったいないです。けいあいするひめさまをすくうのは、あたりまえのこと。わたしは、ひめさまのすてきなえがおと、おふたりがこのくにをしあわせにみちびいてくださることをねがいます』といいました。すると、おひめさまがいいました。『わたくしは、なによりもあなたに、すくっていただけたことがしあわせです。ずっと、おしたいしておりました』そういうと、おひめさまはせのびをして、きしにきすを……わぁぁぁあ!」
シグルドは急に大声を出して本を閉じてしまった。
紙を捲った先には、金色の髪の毛のお姫様が背伸びをして騎士の唇にキスをする子供向けのイラストが描かれていたのだが。シグルドを見やれば、顔を真っ赤にしていた。
「どうしたの、シグルドさま?」
「きす……しちゃった」
「おひめさま、きしさまがすきになったから、きっときすしたんだよ」
「うん……」
恥ずかしいのか、シグルドは小さな手で顔を覆ってしまう。
キスは信愛の証だ。好きだから、愛しているからするのだと母が言っていたし、流石に唇にはないが、母はフィンネルの頬にも額にもキスをしてくれる。
キスをして貰うと胸が一杯になって笑顔になれるのだ。
ぼくもしぐるどのこと、だいすき。
ぽやぽやと身体が暖かくなってきたフィンネルはシグルドの手を頬から外すと、軽く身を乗り出して「ちゅっ」と頬にキスをした。
「「……!!」」
「え」
普段気配を消して空気の様に佇む両家の従者が、フィンネルの軽いキスを目の当たりにして息を飲む。当のシグルドは何が起こったのか分からないのか、フィンネルの顔を見て目を瞬かせると、次第に唇がふにゃふにゃと歪んで眉が下がってしまった。
もしかしたらキスが嫌だったのかもしれない。まだまだ仲良しには程遠かったのかな…と悲しくなり始めた頃、シグルドがフィンネルの反対側に上体を突っ伏してしまった。
「ヴーーー」と、くぐもった音が聞こえる。
もしかして自分のキスで具合が悪くなったのかと慌てて椅子から降りてシグルドの様子を伺う。モジモジと顔面を椅子の座面に擦り付けているようだ、耳まで真っ赤である。痛くないのだろうか……。
「しぐるどさま!だいじょうぶ!?」
「らいりょうぷ……」
「坊ちゃま、落ち着いてください。フィンネル様も困惑しておりますよ」
「フィンネル様、恐らくシグルド様は照れていらっしゃるだけかと」
シグルドの呂律が回らないのを聞いて、侍従達は各々の主に声を掛けた。
流石に落ち着いたのか、シグルドも身体を起こして謝ってきた。ほんのり頬を染めて両手の指先を絡めて遊ばせている。
「ごめんね、フィンネル……ぼく、はずかしくなったの」
「はずかしかったの?いやだったからじゃなくて?」
「うん、きすは、だいすきなひとにするんだよっておかあさまがいってたから、びっくりしたんだ……フィンネルは、ぼくのこと、だいすきなの……?」
「うん!ぼく、シグルドのことだいすき!だいすきなおともだちのことをしんゆうっていうんだよ!かあさまがいってた!」
フィンネルが笑顔で両手を広げると、シグルドはゆっくりと顔を綻ばせて笑顔を見せた。少し涙の溜まったその紫色の瞳は、いつもより赤みを帯びているように見える。
「しんゆう……ぼくと、フィンネルはしんゆうなんだね」
「そうだよ!」
フィンネルは笑顔でふわふわとした髪を揺らしながら首肯する。力強いその言葉は身体が弱いが為に親族から侮られて孤立しがちなシグルドの心に、明るい希望をもたらした。
絵本の中のお姫様の様に煌めく白金の髪に、春の新芽を彷彿とさせる橄欖石の瞳、雪のように白い肌に映える薔薇色の頬と唇。
フィンネルはこの絵本から抜け出したお姫様なのではないだろうか、と高鳴る胸を押さえた。
シグルドが惚けている隙にフィンネルはもう一度椅子によじ登って隣に座り直す。そして絵本を膝に乗せて、シグルドの肩に側頭部を当てながら絵本の続きを読み始めた。
「おひめさまはせのびをしてきしにきすをすると、おうさまにいいました。『おとうさま、わたくしはずっとまえから、かれをあいしているのです』。びっくりしたおうさまは────」
子供同士の拙い読み聞かせは四冊の絵本を読み終えるまで続いた。
途中で妖精はどんな姿なのか絵本の通りなのか、人が乗れる程の鳥とはどのくらいの大きさなのか、兎を追い掛けた少女の行方、鳥のもたらす幸運……。身振り手振りを交えながら会話に花を咲かせては互いに笑い合ってその日の午前を終えたのだった。
フィンネルは運動が苦手なシグルドに合わせて部屋で積み木をしてみたり、ぬいぐるみ遊びをしてみたり、別の日にはタチアナやマグノリアに本を読んでもらっているうちに揃って眠りについてしまったりもした。
滞在五日目。今日も朝食の後にエリックが勉学に励むために別れ、シグルドと手を繋いで廊下へ出ると、シグルドが窓から見える花畑の一角を指差した。
「ねぇフィンネル、あっちにね、がぜぼがあるんだ。いっしょにいこ?」
「うん、いく!」
「おかあさま、ぼくフィンネルとおにわにでてもいいですか?」
「ええ、勿論よ。但し走ったり危ないことはしないようにね」
甘えるように見上げてタチアナがシグルドの頭を撫でると、彼は嬉しそうに頬を染めて目を細める。頭を撫でられているのが羨ましくなり、フィンネルも真似をしてマグノリアを見上げて甘えてみた。
「かあさま、ぼくもナデナデしてください」
「いいわよ。はい、行ってらっしゃい」
母に頭を撫でられたフィンネルは「ふふっ」と笑顔になり胸がぽかぽかと暖かくなる。優しい母親に甘えた二人は顔を見合わせて笑って、今度は頭を撫であった。そして今日もハウスト家とリアーライト家の侍従を一人づつ従えて、声を揃えて元気よく宣言する。
「「いってきます!」」
「行ってらっしゃい」
二人の母親に見送られながらしっかりと手を握り締めあって、庭にあると言う東屋へと小さな冒険に向かったのだった。
シグルドに負担にならないよう急くことなくゆっくりと小さな脚で石畳を歩いていると、初春の柔らかな風が様々な香りを運んでくる。
花であったり、芽を出した芝生であったり、庭木であったり、お日様に当たった自身から放たれる香りであったり……それこそ今の時期特有の優しい空気なのだろう。フィンネルは深く息を吸ってそれらを楽しみ、吐き出してはまた深く空気を肺に取り入れる。
数回繰り返すと、シグルドが不安そうに視線を向けて言った。
「フィンネル、どこかくるしいの?」
なにやら深呼吸を息切れと勘違いしたのだろうか。シグルドの優しさに嬉しくなりながら笑顔で首を振った。
「ちがうよ、くうきをすっていたの」
「くうきを?」
「うん、なんかね、きもちいーよ」
「そうなの……?」
ぼくもしてみる、とシグルドもスーハースーハーと深呼吸を始めて、二人分の幼い呼吸音が重なる。何気なく視線をずらすとシグルドと目があってしまい、二人で声を出して笑った。そんな仲睦まじい小鳥のような幼子の後ろ姿を、其々の侍従が生暖かい目で見守っていた。
斯くして、綺麗に剪定された新芽の萌える低木の奥に、白い柱と屋根が見えてきた。
背が低いためにまだ全容は見えてこないが、シグルドが薦めるくらいだ、きっと素敵な所に違いない。
ワクワクと胸を高鳴らせながら進むと、六角形に建てられた東屋に辿り着いた。
白い柱と屋根に、揃いの石で作られているらしい長椅子が中央にポツンと置かれている。六歳の子供が二人で座っても余るそれは、恐らく大人がもう二人入る。シグルドとエリック、そして両親が座ると思えばこのサイズなのだろう。家族四人で仲睦まじく休息をとる姿が目に浮かぶようだ。
二人並んでちょこんと長椅子の中央に腰を掛けるとぴったりとくっつき、シグルドがリアーライト家の侍従に両手を伸ばした。
「ベイル、えほんちょうだい」
「坊ちゃま、どれになさいます?」
侍従が肩から掛けた袋の中から四冊の絵本が取り出され、シグルドが指で悩む仕草を見せる。
表紙には鮮やかな色合いで、子供向けのイラストと大きな文字が書かれていた。フィンネルの屋敷にない、見たことがない絵本も二冊ある。剣を持った男の子とドレスを着た金髪の女の子、それから角が生えた恐ろしい怪物が描かれている表紙の絵本と、茶色い髪の毛の男の子が大きな鳥に乗って地上を覗き込んでいる表紙の絵本だ。
折角なら知らない絵本が読みたいな、とフィンネルも指を指した。
「シグルドさま、ぼく、これとこれみたことないの。みてもいい?」
「うん、いいよ。いっしょによも。どっちからみたい?」
「ん~……こっち!」
「うん、きしさまのほんをちょうだい。ぼくがフィンネルによんであげる」
「ありがとう!」
地面に届かない足を揺らし、ワクワクと期待に胸を膨らませる。表紙からして、きっと冒険譚なのだろう。
シグルドは侍従から両手で本を受け取ると、二人の腿の間に絵本をおいた。
互いに覗き込むように自然と肩がくっついてシグルドの髪に塗り込まれた香油の優しい甘さの香りが鼻腔を擽る。肩まで伸びた真っ黒な髪がさらりと揺れ、絵本を覗き込む紫水晶の様な瞳を長い睫が覆った。
「これはむかしむかしのおはなしです。あるところにおはながたくさんさくおしろがありました、そこにはかわいいおひめさまがおりました」
「うんうん」
「────ところがかわいいおひめさまをねらう、わるいあくまが、おひめさまをさらってしまったのです。おうさまは、おひめさまをたすけるために、くにでいちばんつよい、りっぱなきしを、あくまたいじにむかわせました」
ぺらりとページを捲り、ゆっくりと文字を音に変換させていくシグルドの声に耳を傾けながら、絵を見る。角が生えた怖い悪魔はお姫様を抱っこして、飛んで行ってしまった。王様はお姫様を助けて欲しくて、国一番の騎士に悪魔退治とお姫様の救出を命令したのだ。そして騎士は山を越え、谷を越え、深い森の中に住む妖精に助けて貰いながら悪魔の住むお城に辿り着く。
フィンネルは腿の上に置いた手指に力を入れて丸め、ごくりと息を飲んだ。いよいよ騎士と悪魔が戦って、お姫様を助けるのだ。
「────あくまがとてもつよくても、きしはあきらめませんでした。たいせつなおひめさまを、すくいたい、まもりたいと、きしがねがうと、つるぎがきらきらとかがやきはじめました。きしがきらきらかがやく、まほうのつるぎを振りかざすと『ぎゃー!』とさけんで、あくまはひかりにつつまれてきえてしまいました」
怖い悪魔が騎士によって退治された。騎士とはなんて強くて逞しいのだろう。そして絵に描かれているキラキラとした剣もとても格好いい。我が家にも幾つも剣があるし、もしかしたらどれかが光輝くのかもしれない。
そう考えたら早く屋敷に帰って、倉庫の剣や警備の兵士達の持つ剣一本一本を確かめたくなってくる。
フィンネルは緊張で握り締めた指をほどいて、芽生えた憧れに高鳴る胸に手を当てた。シグルドは更にページを捲ると読み進める。
「────おひめさまときしは、おしろにかえっておうさまにわるいあくまをたおしたことを、ほうこくしました。おうさまはおひめさまがぶじにかえってきて、おおよろこびです。『きしよ、ほうびをさずけよう、なにがいい?』『ほうびなどもったいないです。けいあいするひめさまをすくうのは、あたりまえのこと。わたしは、ひめさまのすてきなえがおと、おふたりがこのくにをしあわせにみちびいてくださることをねがいます』といいました。すると、おひめさまがいいました。『わたくしは、なによりもあなたに、すくっていただけたことがしあわせです。ずっと、おしたいしておりました』そういうと、おひめさまはせのびをして、きしにきすを……わぁぁぁあ!」
シグルドは急に大声を出して本を閉じてしまった。
紙を捲った先には、金色の髪の毛のお姫様が背伸びをして騎士の唇にキスをする子供向けのイラストが描かれていたのだが。シグルドを見やれば、顔を真っ赤にしていた。
「どうしたの、シグルドさま?」
「きす……しちゃった」
「おひめさま、きしさまがすきになったから、きっときすしたんだよ」
「うん……」
恥ずかしいのか、シグルドは小さな手で顔を覆ってしまう。
キスは信愛の証だ。好きだから、愛しているからするのだと母が言っていたし、流石に唇にはないが、母はフィンネルの頬にも額にもキスをしてくれる。
キスをして貰うと胸が一杯になって笑顔になれるのだ。
ぼくもしぐるどのこと、だいすき。
ぽやぽやと身体が暖かくなってきたフィンネルはシグルドの手を頬から外すと、軽く身を乗り出して「ちゅっ」と頬にキスをした。
「「……!!」」
「え」
普段気配を消して空気の様に佇む両家の従者が、フィンネルの軽いキスを目の当たりにして息を飲む。当のシグルドは何が起こったのか分からないのか、フィンネルの顔を見て目を瞬かせると、次第に唇がふにゃふにゃと歪んで眉が下がってしまった。
もしかしたらキスが嫌だったのかもしれない。まだまだ仲良しには程遠かったのかな…と悲しくなり始めた頃、シグルドがフィンネルの反対側に上体を突っ伏してしまった。
「ヴーーー」と、くぐもった音が聞こえる。
もしかして自分のキスで具合が悪くなったのかと慌てて椅子から降りてシグルドの様子を伺う。モジモジと顔面を椅子の座面に擦り付けているようだ、耳まで真っ赤である。痛くないのだろうか……。
「しぐるどさま!だいじょうぶ!?」
「らいりょうぷ……」
「坊ちゃま、落ち着いてください。フィンネル様も困惑しておりますよ」
「フィンネル様、恐らくシグルド様は照れていらっしゃるだけかと」
シグルドの呂律が回らないのを聞いて、侍従達は各々の主に声を掛けた。
流石に落ち着いたのか、シグルドも身体を起こして謝ってきた。ほんのり頬を染めて両手の指先を絡めて遊ばせている。
「ごめんね、フィンネル……ぼく、はずかしくなったの」
「はずかしかったの?いやだったからじゃなくて?」
「うん、きすは、だいすきなひとにするんだよっておかあさまがいってたから、びっくりしたんだ……フィンネルは、ぼくのこと、だいすきなの……?」
「うん!ぼく、シグルドのことだいすき!だいすきなおともだちのことをしんゆうっていうんだよ!かあさまがいってた!」
フィンネルが笑顔で両手を広げると、シグルドはゆっくりと顔を綻ばせて笑顔を見せた。少し涙の溜まったその紫色の瞳は、いつもより赤みを帯びているように見える。
「しんゆう……ぼくと、フィンネルはしんゆうなんだね」
「そうだよ!」
フィンネルは笑顔でふわふわとした髪を揺らしながら首肯する。力強いその言葉は身体が弱いが為に親族から侮られて孤立しがちなシグルドの心に、明るい希望をもたらした。
絵本の中のお姫様の様に煌めく白金の髪に、春の新芽を彷彿とさせる橄欖石の瞳、雪のように白い肌に映える薔薇色の頬と唇。
フィンネルはこの絵本から抜け出したお姫様なのではないだろうか、と高鳴る胸を押さえた。
シグルドが惚けている隙にフィンネルはもう一度椅子によじ登って隣に座り直す。そして絵本を膝に乗せて、シグルドの肩に側頭部を当てながら絵本の続きを読み始めた。
「おひめさまはせのびをしてきしにきすをすると、おうさまにいいました。『おとうさま、わたくしはずっとまえから、かれをあいしているのです』。びっくりしたおうさまは────」
子供同士の拙い読み聞かせは四冊の絵本を読み終えるまで続いた。
途中で妖精はどんな姿なのか絵本の通りなのか、人が乗れる程の鳥とはどのくらいの大きさなのか、兎を追い掛けた少女の行方、鳥のもたらす幸運……。身振り手振りを交えながら会話に花を咲かせては互いに笑い合ってその日の午前を終えたのだった。
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