もう一度抱きしめて……

星河琉嘩

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第5章

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「湊」
 バイトを早めに切り上げた湊は家路を急ごうと足早に歩く。そんな時に声をかけられた。
 振り返ると父親がそこにいた。
「親父」
 驚いた湊は「なんでいんだよ」と苦笑い。
「仕事の帰りだ」
「へぇ」
 仕事帰りというのは嘘だろうなと湊は分かっていた。わざわざ息子のバイト先近くまてやっては来ないだろう。
「なんか用あって来たんだろ」
 湊は早く帰りたい思いをぐっと堪えていた。
「柚子は母さんがついてるだろ。まぁ、少し付き合え」
 珍しい父親からの誘い。湊は戸惑いながらも父親に着いていく。
 父親が向かったのは湊じゃ行かないような洒落たBARだった。


「よくこんな店、知ってるな」
 店の中はジャズがかかっていて、演奏も出来るような小さなステージもあった。
「昔の知り合いの店だよ」
 そう言ってカウンターの席に座る。カウンターの向こうにいるマスターがこっちに気付き、「久しぶり」と父親に声をかけてくる。
「隣は?」
「息子だよ」
「お前が父親だもんなー」
 マスターは目を細めて父親を見る。遠い昔を思い出してるかのようだった。

「湊」
 マスターが出してくれた酒をふたりで飲みながら、父親は昔のことを語り出す。
「父さんは昔、トランペットでジャズを弾いていた。ここのマスターと他に数人でいつもやっていたよ。プロになりたかったんだよ」
「親父……」
「お前はギターをやっていたんだろう?」
「バレてたのか」
「気付かない方がおかしいだろ」
 父親は湊を見ないで言う。
「なぜやめた?」
 父親はそう聞いてきた。ギターをやめた理由は、昔からの医者になるという夢があったから。そりゃバンドも楽しかった。プロになれたらなと思った時期もあった。
 だけど、それに踏み込むことが出来ず昔からの夢を取った。
「でもなんでそんなことを聞く?」
「……ふぅ」
 と大きなため息を吐く。そして父親は湊に聞いた。

「柚子が付き合ってる男は、湊のバンド仲間だろ?」
 父親も知っていたことに驚愕する。この父親までも知っていたとは、思わなかった。
「答えられないってことはそうだな」
「悪ぃ……」
「その男となんかあったから、柚子はああなったんだろう?」
「零士が悪い訳でもねぇ。誰が悪い訳でもねぇんだ」
 湊はポツリポツリとこれまでのことを話した。あくまで湊から見たことだけど、それでも父親にとって衝撃なことだった。

「アイツは、柚子のことを想って離れたんだ。それがダメになることも分かっていて……」
 手に持ったグラスに力が入る。悔しくて悔しくて。何も出来ない自分が悔しい。
 父親がポンと頭を撫でる。そんなことをされたのは子供の時以来だった。
「今はそっとしておくしかない。柚子の方から動き出す時が来る」
「だけど……」
「休学させて家に戻す」
「親父……」
「今のまま、こっちにいてもダメになるだけだろ。少し、休息が必要じゃないのか」
 湊も感じ取っていたことだ。今のままこっちにいても、柚子が元気になるとは限らない。環境を変えた方がきっといい。

「分かった……」
 湊はそう言うしかなかった。



     ◇◇◇◇◇



 アパートから必要最低限の荷物が運ばれたのはそれからすぐの日曜日だった。車に乗せられた柚子は何も言わない。


(家に戻ることで何か変わるのか……?)
 そう思ったが、今はそうするしかない。湊は後部座席のドアをバタンと閉め、運転席へ回る。振り返ると柚子は無表情のままだった。
(もうずっと柚子の声を聞いてない)
 シスコンな湊だから、心配で心配で仕方ない。
「柚子。シートベルトして」
 言われてゆっくりと動く柚子。シートベルトをしようとするが、上手く力が入らない。何度か試してみても出来なくて、仕方なく湊は後部座席のドアを開けてシートベルトをした。
(力、入らねーのは食ってねーからか)
 食べることも儘ならない柚子は本当に痩せてしまった。元々痩せているのに、それ以上に痩せていく。
 本当に見てられないくらいだった。
「行くぞ」
 湊は車を走らせて実家へと向かった。



     ◇◇◇◇◇



 実家では母親が柚子の部屋を整える。いなくてもいつも湊と柚子の部屋は掃除をしていたからキレイなのは変わらない。
 使ってない布団も定期的に干していた。だから特別なにかをすることもなかった。
「お父さん」
 リビングに戻るとソワソワしている人に声をかけた。
「普通にしててください」
 そう言うと、キッチンの方へと行く。
(私だってあの子になんて声をかけるべきか迷ってるのに……)
 母親である自分に出来ることはなんだろうかと考えてる。考えても結局はいつも通り接するだけだと気付く。
(いつも通りが一番いいのよ、きっと)
 ゆっくりと心と身体を休ませられるようにすればいい。まだ時間はあるんだからと。
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