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当て馬が根性を見せるとこうなる
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三津浦 麗巳(みつうられみ)が生まれて初めて心の底から後悔した記憶は、彼の高校一年まで遡る。学生時代より麗巳の顔立ちは非常に整っていたものの、それを野暮ったい前髪と眼鏡、時にはマスクで隠し制服だけはきちんと着こなしていた、所謂陰キャ時代だった頃の出来事だ。
「小太郎みたいなのに、αの番なんて見つかるわけないじゃん」
遠くから見ているだけでよかった恋だった。人知れず枯れて終わるはずの恋だった。
ふと口をついて出てしまった麗巳が初恋へ初めてかけた言葉は、折れたカッターナイフの刃のように相手を傷つけるものだった。
人気者の香日向小太郎とその取り巻きから少し離れた場所で、恋心を上手く昇華できず挨拶すらもできず、いつもストーカーのように遠巻きに眺めていただけのモブでしかない麗巳は、場の空気も読まずに冷たい言葉を投げかけて初恋の人を傷つけた。
少しだけ表情を曇らせた小太郎の姿を見つけたモブ、麗巳は心に何とも言えない加虐心が満たされるような妙な高揚に胸をざわめかせたが、それも一瞬だけの事。
「可愛いじゃん」
そんな誰かの声と、そして屈強なΩである小太郎にハグをする顔立ちの整ったαの姿に、周囲と小太郎の関心はあっという間にそちらに行ってしまった。
そう、実は三津浦麗美と香日向小太郎、柊蓮と奏は同じ高校にいたのだ。
小太郎たちは高校三年で麗巳は一年生、接点もなく今とは比べ物にならないぐらい垢抜けしない地味でダサかった麗巳のことなど、誰も覚えてはいなかった。
また、皮肉にもこの時点で麗巳の運命である蓮と遭遇していたというのに互いに惹かれ合わなかったのは、二人に一切の接点がなく小太郎とも連とも離れた距離にいたのと、そして当時の麗巳にはまだΩとしての二次性徴であるヒートが訪れていなかったことが彼らにとっては幸いとなったのだろう。
この時点では、まだスクランブル交差点の悲劇は起こらなかったのだから。
稚拙で幼く身勝手な失恋の直後、麗巳は両親の都合で転校をしたため香日向小太郎の記憶は淡い思い出として、それから柊連に至っては名前や顔すらも覚えていない嫌な悪役、恋敵としての記憶しかなかった。
数年が経過し、麗巳はスクランブル交差点で自身の運命と「再度」出会う。
彼にとって運命というものは残酷で、どこか自身をΩとは認めたくないまま成人した麗巳に、凶悪で残虐なまでのΩとしての、雌としてのフェロモンを引き起こさせた。
自身の運命も初恋も、麗巳のことなど記憶のどこにもいなかったというのに。彼自身も最愛を奪ったαや最愛のΩ自身のことも記憶から抜け落ちていたというのに。
予期せぬ再会して恋に落ちる音が響き、そして思い出してしまったのだ。
連に連れて行かれた落ち着いたカフェで、最悪なαに縋りついている一人の屈強なΩを見かけた瞬間、麗巳の記憶には衝撃が走った。
「(なんて、可憐な人だ)」
可憐にはいじらしくかわいらしいという意味合いもあるが、突如現れた筋骨隆々でフィジカルエリートそのものといった男の中の男Ωが、麗巳の目にはそのように映った。
かわいさについては個人の主観として、浮気αに縋りついて「別れたくない」と乞うその姿に哀れみと憐憫といじらしさは確かに感じるだろう。普通の人間であれば。
「……」
麗巳は、先ほどまで運命と浮かれていた隣の男に同じ人間とは思えないという信じられなさと失望と憎しみの眼差しを送り、それからΩに顔を上げてもらうよう懇願する。
ようやくこちらを向いた美しい人は、自ら高校時代に心無い暴言で傷つけた初恋の人だった。
麗巳は、この出会いに絶望を覚える。どのように好意的に解釈しても、今の麗巳は初恋の人の番を寝取った浮気相手でしかなかったからだ。彼は、また小太郎を今度は深く傷つけたのだ。
「小太郎さん、あんな男と別れて、僕と付き合ってください」
自分には略奪しかもうないのだと、麗巳は瞳を暗くして人ならざる道を歩くための仄暗い決意を決めた。
小太郎にとって愛する夫と関係を持った麗巳の好感度はいいところマイナスであり、顔を合わせれば合わせるほどそのゲージは更に低下してゆく。これ以上彼に嫌われないためにはもう二度と姿を現さないというのが最善ではあるが、麗巳はそれでも小太郎を口説くために足繁く柊家にやってきた。
生物学的彼の運命こと蓮は、フォロモンに惑わされたとはいえ小太郎を捨ててまで添い遂げようとした麗巳を邪険にすることもできないのか、出入り禁止を言い渡すこともなく、それがまた小太郎の心を抉っている。
「蓮……旦那さんのどこが良くて結婚したんですか?」
基本的に優しい男なのだろう。いつも困った様子で麗巳と物理的にも距離を取りながら、それでも最低限の礼儀と接し方をしていた小太郎は、初めてふんわりと表情を和らげて高校時代のあの出来事を語る。
「俺は図体もでかくていかついΩらしくないΩだけど、蓮ちゃんは『可愛い』って言ってくれたんだ」
麗巳は、実は自身も小太郎と同じ高校に通っていたことと、あの現場に自分もいたこと、そして冷たい言葉を吐きかけてしまったことを詫びる。
「あの頃から、僕は小太郎さんが好きでした。でも初めて話しかけたというのに、僕はコミュニケーションすらまともに取れないクソガキで気持ちを拗らせていました。小太郎さんを傷つける言葉をぶつけてしまって、本当に申し訳ありませんでした」
「……確かに少し悲しかったけど、言われ慣れてるし。そこまで気にしていないよ。それにそのおかげで連ちゃんと出会えたんだから」
「……そうなんだ、でもあれは蓮さんじゃないですよ」
「え」
麗巳はここで、小太郎に「可愛いじゃん」と声をかけたのは柊蓮ではないことを告げた。
「確かにその後に便乗して抱き付いてきたのは廉さんだったと思います。けれど、ふざけ半分で場を取りなすような感じだったというか……」
小太郎の目から光が消えたのを感じ取ると、麗巳はまた一つ罪を犯したことを自覚し、柊家から去ることにした。
「ははっ当て馬としての役割は果たせたかな」
今度は小太郎に離婚を突き付けられた蓮だったが、その後行き違いやわだかたまりもなくなり、二人はそのまま夫夫生活を続行するに至ったと麗巳の耳にも風の噂が届いた。
「この先、Ωとして生きていくには辛すぎる」
何せ運命のαは既婚者で、自身が憎むべき初恋相手の夫だ。それも既婚者であることを隠し、不貞行為を働きこちらへ傾きかけていたというのに、小太郎の優しさと健気さに絆されて最愛の元へ戻る人間としてクズの部類に入るような、本当に気に入らない男だった。
「もうΩは嫌だ」
もう、Ωとしてαを愛したり執着したりすることはできそうにないし、ごめんだ。運命であるはずの蓮のフェロモンすら嫌悪感で吐きそうになる。
数日ろくに眠れず朦朧とした頭の中で、彼は線路にでも飛び込んでやろうと始発の駅にやってきた。改札をくぐり通勤ラッシュ手前のそこそこ込んだホームにゆっくり歩みを進めると、顔面蒼白のマッチョが蹲っていた。
塩顔短髪のマッチョは、ほんの少しだけ初恋の人に似ていた。
「……」
この駅は設備が古く、鉄道自殺を防ぐホームドア設備がない。
それを狙ってやってきた麗巳だったが、見知らぬタンクトップ姿のマッチョが意識を飛ばし線路に崩れ落ちそうになるところを、彼は見かけよりも存外力強い動きで引っ張り上げ「どけ!」と周囲に当たり散らすようにして怒鳴り、結果的に自分が死ぬはずだったのになぜか人命救助をおこなってしまう羽目になった。人生というものは本当にわからないものだ。
無理をしたせいだろうか。胸の奥がドクンと跳ね上がるように鳴り響き、搬送されるマッチョの付き添いをするはずが自身も倒れ込み、そのままマッチョと麗巳は仲良く救急車に運ばれて行った。
聞けばマッチョは超ブラック企業で働く既婚のαで、数日の徹夜の末にとうとう身体が悲鳴を上げ持ちこたえられず、過労で倒れたとのことだった。
彼の伴侶は小柄ではあるが中身はアマゾネスのように雄々しく誠実な女Ωで、幾度も幾度も麗巳に頭を下げて礼と謝罪の言葉を述べて「この馬鹿!」としょんぼり落ち込むマッチョの頭も無理やり下げさせた。
そして麗巳の方はというと、なんと世にも珍しいスタディングというαへの性転換がおこなわれてしまい、彼はあれほど呪ったΩからも運命からも解放され、αとなった。
マッチョの恩返しというやつかもしれない。
スタディングは通常、別のΩやαを支配して抱くことで転換されると言われているが、環境要因や大きな衝撃でも素質のある一部の者は、αへ転換する場合が極稀にある。
麗巳はΩであり、初体験は忌まわしいあのαとであったが、身体とΩとしても役割の構造上処女は失われたものの、童貞のままである。
性行為もせずにαになった理由は、恐らくは「マッチョを助けたい」という強い庇護欲と意志が、彼の中のαを奮い立たせそして転換させたのだろうとは医師の談だった。
やはり、マッチョの恩返しで間違いはないのだろう。
「……」
トンデモ科学かよと真顔になる麗巳のやつれた顔すらも美しいが、そこにΩ特有の守ってやりたくなるような庇護欲はもうどこにもなく、掻き立てられることはない。
それどころかαの強い威圧フェロモンが溢れ出ているためか、周囲の患者はガタガタと震え次第に呼吸ができなくなりバタバタと倒れ、看護師や意志は互いに支え合いスクラムを組み、何とかそれをやり過ごしていた。
この病院内ではラグビーチームでも存在しているのだろうか。
「もともと、美津浦さんにはΩとα二つの性質があったのだと思われます。こういう事例は稀ですが、スタディングによって後天的にαになった方は、非常にα性が強くフェロモンも強力です……Ωは疎か、βやαも屈服させてしまうほどに」
このような強力なフェロモンを持つαは俗に上級αと呼ばれ、自身の力を正しい方向に使えば問題はないどころかその支配力の強さからエリートとしてもやっていける者も多いが、反社会的勢力などで暗躍してしまうと非常に厄介な事になる。
また、フェロモンで相手を屈させるほどの力を持つαは、他のαと交わり精を放出し項を噛んでマーキングをすると、相手のαやβをΩに転換させることができるビッチングという行為も可能である。
「……」
死ぬ前にやらなければならぬことが一つ増えた。麗巳の心に、黒い憎悪が沸き起こるのを抑えることができなかった。
彼は、スマホを取り出すと連絡ツール用アプリをタップし、ブロックを解除してとある人物を呼び出した。
「そういうところが駄目なんだアンタは!」
開口一番、謎の説教から始まったリンチは連を地面に跪かせて、ぜーはーと荒い呼吸を起こさせた。鈍器も握りこぶしも蹴りも使われないフェロモンだけで行われる私刑は、完全犯罪に近いだろう。
『話がある』と連を呼び出した麗巳だが、無防備にほいほいやってきた目の前の元運命に、身勝手にも殺意を覚えた。小太郎に不安を抱かせたくなかった麗巳は、ホテルは勿論カフェでもなく、麻薬の取引でも行われるかのような廃屋となった街の外れにある建物に呼び出し、αの攻撃用フェロモンを放出し、連の身動きを取れなくする。
「れみ、お前それは……」
「紆余曲折あって僕はαになったんだよ。忌まわしいΩとも、アンタともこれで本当におさらばさ」
顔を歪めて嗤う元運命に、蓮は憎しみとも悲し気とも何とも言い難い複雑な表情を浮かべるが、追撃のフェロモンを中てられその余裕すら無くし、再び地面に蹲る。
αから行われる番の強制解除や死別による解除でも、Ωにとっては身体に大きな負担がかかるというが、αにとってはどのようなものなのだろうと、麗巳は頭の隅でぼんやり考える。少なくとも麗巳にとっては蓮と運命という縁が切れたことはこの上ない喜びだった。
口から泡を吹き血が混じり、それから鼻血を流すようになって、ようやくやり過ぎたかと麗巳は少しだけ力を弱めてやる。
「……このまま、小太郎さんとアンタの番契約も解除してやろうかと思った」
「っ!?俺を、殺すつもりか?」
「ばーか」
麗巳は連に近寄ると、尻の穴の辺りに爪先で軽く蹴りを入れてやった。
「ここ、使うんだよ」
ビッチングぐらい保健体育の授業で習っただろ?と忌々しそうに顔を歪める麗巳の様子に、連は自身の尻の貞操が狙われていることに嫌でも気づかされた。
ここまで強く憎まれるほどに自分は目の前の元Ωに対して酷い仕打ちをしただろうかと、蓮は惨めったらしく麗巳に絶望の眼差しを送る。
「アンタがΩになっちまえば、小太郎さんとも自動的に番解除だ」
「そ、そんなこと……誰が」
「アンタに拒否権はないよね。既婚者の癖に人の処女奪っといてさ。既婚者の癖にフェロモンブロッカーもまともに服用せず運命なんかに惑わされやがって!」
フェロモンブロッカーを服用していなかったことに関しては無論麗巳にも当てはまり、半分以上は八つ当たりでもあるがそれでも彼は蓮にぶつけたかった。恋敵としての嫉妬も何もかも。
「それ以上に、アンタは俺の初恋を悲しませた。アンタは勿論、あんな形で小太郎さんとも出会いたくはなかったよ」
「……申し訳、ありませんでした」
威圧フェロモンによるものではなく、連は麗巳の前で土下座をしていた。身体を震わせ涙も鼻水も流し、αとしての矜持も何もかもかなぐり捨てて彼は詫びていた。
「今日、ここにやってきたのは、あなたにこれを、これを渡すためです」
ボストンバックに入っていたのは手持ちで持つには重くて多い、数百万の慰謝料だった。Ωのフェロモンに中てられぬようにかなり強いブロッカーを服用してきたのだろう。
けれども蓮の目の前に現れたのは『元』運命であり、今は暴力的なフェロモンを放つ後天性の上位αだった。
「俺は、俺は番である小太郎を切り捨てて三津浦さんと一緒になろうとしたくせに、結局小太郎の元へ戻った最低のαです。
小太郎の気持ちも考えてやらず、三津浦さんが家に来るのも止めず、蔑ろにした結果、離婚まで言い渡されて……遅すぎたかもしれないけど、小太郎とやり直したいんです。
三津浦さん、今まで申し訳ありませんでした。まきこんでしまい、酷い目にあわせて申し訳なかった。でもお願いします、俺をαでいさせてください、お願いします……」
「……二度はないから。生きたまま、地獄に落ちろ」
攻撃的なフェロモンを強め蓮が失神するところまで見届けると、麗巳はその場を去った。数十分後、目覚めた彼の足元にはボストンバックが中身もそのままで残されており、麗巳だけがそこにいなかった。
その後、彼らの前に麗巳が現れることはなく、柊蓮と小太郎の夫夫は末永く仲睦まじく暮らすことができた。
小太郎にとっては幸せな人生と言えるだろうが、蓮にとっては心に消えない枷がかけられた状態で、絶えず誰かに監視されているような黒い緊迫感があった。
けれども、これは蓮が墓まで持ってゆかねばならない彼だけの業だ。
再構築を許された蓮は、二度と他の誰かに目を向けないように、二度と小太郎を傷つけないように、過剰なまでの戒めを小太郎への愛に転化させて生涯愛し抜いた。
月日は飛ぶように、けれども緩やかに流れ、少しだけ早い別れは突然にやってきた。
「蓮ちゃん、蓮ちゃん……!」
「小太郎、泣くな」
連はすっかり皺だらけになった手で小太郎の涙を拭ってやろうとするが、もう力も入らないのだろう。力んでも手を上げることすらできず、悔しそうに眉間にしわを寄せている。小太郎はそんな蓮の意を組んでやり自らの頬に蓮の手を持って行ってやった。
連の手と指を借りて自らの涙をぬぐう仕草を見せてやると、ようやく蓮はほっとしたような笑みを浮かべる。
「小太郎は、いつも俺の事を考えてくれて、今もこうして俺の気持ちをわかってくれる。俺には出来すぎた番だった。俺は、ずっと、小太郎がどこかに行ってしまいそうで、それが怖かった」
「俺が蓮ちゃん残して、どこに行くってのさ」
「……そうか、小太郎残してどっか行くのはいつも俺の方だった。いつも、いつもいつも俺は……すまなかった」
あの日から何度も言われたごめんなさいの言葉に、小太郎は静かに首を横に振る。
「俺が欲しい言葉はそうじゃないよ、連ちゃん」
「……ありがとう、小太郎。愛している、君だけ。好きだ。大好き」
蓮の手を痛いぐらいに握りしめ、ぽたぽたと涙を流す番の姿に彼の心は温かいもので満ちているというのに、同時にギュウと絞られるような切なさも覚える。それから小太郎を置いていく無念さと執着で蓮の目にも涙が滲んだ。
「もう、君の涙も」
拭ってはやれない。最後の言葉は息苦しさからはくはくと口を開け酸素を求める作業のせいで吐き出せず、結局伝えることなくそのまま蓮は息を引き取った。74歳、少しばかり早すぎる死だった。
「連ちゃん……疲れたね。ぐっすり寝ようね……うっ、ひっく……うわぁああ!」
年をとっても立派なままの大きな身体を震わせて、小太郎は蓮を愛した分だけ慟哭した。αとの死別による柔らかな番解除は、それでも小太郎の身体に衝撃を与え、半身が引き裂かれるような冷たくて鳩尾辺りにヒヤリとした苦しさを与えた。
「……ふふ。酷い、人。だったな」
散々泣き喚いて落ち着いた頃、小太郎の口から漏れた最愛に対する言葉は、これまで小太郎が見て見ぬふりをしてきた連に対する、恨みのこけら落としのような一言だった。
心より愛しているのは真実だ。Ω性と番という理不尽な縛りを置いても再構築を望んだのも小太郎だ。けれども裏切られたあの時に、愛の分だけ憎悪も憎しみも同じぐらいどこかにあったはずだと、番が旅立ったあとにようやくそのことが脳裏をよぎる。
「もう少しだけ、意地悪してもよかったかな」
来世でも蓮と会うことがあれば、きっとそうしようと小太郎はひっそり悲し気に笑う。
すっかり吹っ切れたとまでは言えないが、最愛を無くした直後にしては落ち着いて冷静な様子の小太郎は、気丈にも葬儀の喪主を務める。
参列者の中に、周囲からざわめきが起こるほどにひときわ目立つロマンスグレーの美丈夫がいた。
……待っていた、待っていた、待っていた。
成人済みだというのにαになってから急激に身長も伸び、すっかり男らしくなった造詣が整いすぎたロマンスグレーのイケオジは、71歳になる三津浦麗巳だ。
彼は小太郎から身を引いたわけではなく、この時をずっと待っていた。
蓮が生きている限り小太郎の一番は連で、小太郎の幸せは蓮だということを痛感していた麗巳は、二人の前から姿を消した。
けれども、蓮が出勤や外出をする時に時折遠くの方からαの威圧フェロモンを風に乗せて送りつけ、いつでも連を監視し、緊張状態にさせていた。
これは最愛の小太郎が二度と悲しまないようにという蓮に対する戒めでもあり、それから蓮の寿命をそれとなく削るための作戦でもあった。
一生をかけた数十年にもわたる長い長いストーキングと牽制と攻撃の結果、勝利したのは麗巳だった。
「ようやくくたばりやがった。幸せに逝きやがって」
けれども、もうそれはどうでもいい。死んだライバルのことに心を裂いている時間は彼にとっては文字通りあまりない。老いらくの恋などと流暢に楽しんでいる場合ではないのだ。これまでマイナスだった小太郎の好感度と信頼を、麗巳は勝ち取らねばならなかった。
「……お久しぶりです。小太郎さん。新聞で訃報を知りまして……この度は何と言ったらいいか……お悔やみ申し上げます」
深々と頭を下げる麗巳に、小太郎も「こちらこそ駆けつけていただいてありがとうございます」とお礼を述べた。
実のところ内心では、お悔やみどころかお祝いの意と薔薇を108本捧げたいぐらいの有頂天状態であったが、普通に不謹慎の極みなのでそれはおくびにも出さず「ライバルだった男の死です、残念でなりません」と、麗巳は小太郎へのラブアピールをしつつ故人を偲ぶことにした。
身内が無くなって心が摩耗しているにも関わらず、本当の意味で偲ぶこともできず、一番心身共に負担が大きいのも葬儀というものだ。
小太郎の最愛は狭い棺桶に閉じ込められ燃やされ白い粉と骨となり、小さな壺に収められた。小太郎の屈強な胸筋と腕に抱きかかえられる白木の箱は、あまりにも現実味がなかった。
「これが、蓮ちゃん?小さいねぇ、こんなに軽くなっちゃって赤ちゃんみたい」
壺と箱の重みを抜いたらもうカスカスだなぁと泣き笑いをする小太郎に対して、周囲は勿論の事、流石に麗巳も胸を痛ませる。麗巳が静かに白いハンカチを差し出すと、ようやく今気づいたとばかりに小太郎はハンカチを受け取り、そっと目尻に当てた。
「小太郎さん、こんにちは」
その後、小太郎と麗巳は仲の良い隣人という程度には交流を深めていた。
過去に自身と最愛を引き裂こうとした原因に対しても小太郎は優しかった。けれどもそれよりも、憎み続けるのも体力気力を非常に摩耗するものなのだ。
それに、もう麗巳はΩではない。蓮と運命だった彼は若い頃にとっくに死んだ。
程よい距離感で、時に茶飲み友達として、時には最愛である蓮の惚気話を聞く気の置けない友人として、じわりじわりと、麗巳は小太郎に侵蝕してゆく。
あと少し、あと少しで落ちるとそこらへんに透明な蜘蛛糸を張り巡らせながら、顔だけは穏やかな聖人君子と言った風で絶えず優し気な笑みを貼りつけ、内心では舌なめずりすらしながら。
「私は二番目でも三番目でも構いません。小太郎さんの最愛はいつまでも最愛のままでよいのです。小太郎さん、この先の人生、一緒に生きてもいいですか?」
小太郎が80歳に届くか届かないかの頃、麗巳はバラの花束を抱えて小太郎の前に跪いている。彼は心の中で「蓮ちゃん、もういいかな?」と許しを乞い、それから「俺でよければ、喜んで」と麗巳の手を取った。
「幸せにします。そして私を、幸せにしてくれてありがとうございます……生きててくれて、ありがとうございます」
「そのまま昇天しないでくださいよ、もう置いて行かれるのは嫌だから」
くすくすと身をかがめて笑う、年をとっても体格の良い小太郎の背中にみっともなく縋りつきながら、麗巳は「あい」と鼻水をすすり涙を垂れ流しながら泣き崩れていた。
「つくづくα運のない人だね、小太郎ちゃん」
執着の末に略奪に成功した弟の元番であり、αへ転換した化け物に懐かれている小太郎を遠巻きに見ているのは、連の双子の兄である柊奏その人だった。
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