結婚式当日に、婚約者と実の弟に駆け落ちされたΩのお話

雷尾

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 そのΩは国民的な人気を博した子役だった。一般的に子役の寿命は短く、成長してからものし上がることができる者は極々一部だが、我孫子惇(あびこじゅん)は成人後も一流の俳優として芸能界に君臨し続けていた。

 個性的かつ特徴的な美形は例えるならば、時にウェイディングケーキやサーロインステーキ、フルコースのような良くも悪くも印象と味が強すぎるものとなってしまう。
 その点、整った顔立ちではあるが、絶世の美形と言うほどでもないどこか平凡さを持ち合わせた「ちょうどいい顔立ち」の彼は、とにかくどんな演技も容易くこなすことができた。

毎日食するのであれば生クリームたっぷりのケーキよりは簡素なパン、パエリヤやスパイスふんだんのサフランやターメリックライスよりは白米、完成された濃い味のそれよりも応用が利く真っ新な状態の方がありがたい。

カスタマイズする前のアバターやドールのようなナチュラルな彼は、一度衣装やメイクに包まれて演技を纏ってしまえば嫋やかな美青年から人相を極限まで崩して悍ましさに醜さに顔を歪める悪役、コミカルな三枚目からモブという抑えた演技まで何でもすっと透明な水のように演じることができた。
デコレーションたっぷりのスイーツから簡素なスポンジにいつでも戻ることができる惇は、演じることに関しては天才だった。

親しみやすいキャラと「適度な」弁えた個性さと面白さ、そして持ち前の頭の回転の速さはトークという点でも活かされた。Ωという性でなければより俳優業として更なる高みを目指せただろうと一部のやっかみの声が上がるぐらいで、彼は日本に限らず、海外にも数多のファンがいる愛され人気役者の一人と言えるだろう。

「惇」

 甘いマスクで彼に微笑みかけるのは、惇の幼馴染であり婚約者の松井豪(まついごう)だ。

「いつか、俺の脚本を惇に演じてもらうのが夢なんだ」

 子供の頃から本を読み、また創作が生きがいであった彼は今や脚本家となり、月9ドラマや人気映画の脚本も手掛けている。国民的俳優の妻と有名脚本家の夫、二人の幸せを願うものはいたとして、破局を願う者など誰もいないはずであった。

「これは、どういうことだ」

 結婚式当日。式場に現れた両家の親族や客人は皆困惑した。いつまでたっても新郎が現れないのだ。ざわめく会場はさながらドラマのワンシーンのようで、シチュエーションだけなら殺人事件でも起こる前のようだと、惇は心の隅で現実逃避を起こしかけていた。

『運命の番を見つけました』

 新郎の控室に残されていたメモには、豪の直筆サインが添えられていた。

 このオメガバースという世界線では男女の他にΩ、β、αという第二の性が存在している。
Ωは男性であっても子を宿すことができるが、定期的にやってくる発情期のせいで近代社会の今でもまだ、社会的に冷遇されている部分がある。
 βは通常の男女性と変わらない、発情期にも運命にも惑わされない安定した人生を歩める者たちと言えるだろう。
αは頭脳や容姿、体格にまで恵まれる社会的強者でありΩを孕ませることができる。

Ωとαには結婚の他に「番」というものが存在する。αは複数のΩと番うことができるが、Ωは項を噛まれる番行為を受けるともう他のαと番うことができず替えの効かない上、番の死別以外にαからのみ可能な番解除を一方的に行われてる可能性もあり、常に危険な立ち位置にいる生き物だ。

そんなαとΩの番、特にΩにとってある意味恐ろしいものは「運命の番」と呼ばれる者である。これは遺伝子レベルで相性の良いαとΩのことで、αは他に番がいても運命と遭遇してしまうとフェロモンと共に暴力的な性衝動に駆られてしまい、例え愛する伴侶がいたとしても身体と本能が運命を求めてしまうと言われている。

だが現代社会の今、運命という衝動に関してもある程度は対策が練られている。それは医学の進歩により開発された質の良い抑制剤であったり義務教育で習うバース性教育であったり、倫理的観点により既婚者や既に番持ちのΩやαに手を出すことは犯罪となっていた。

けれども。今回その禁忌を乗り越えて番の略奪を成し遂げてしまった者がいるのだと、惇は目の前が真っ暗になった。彼には以前より心の隅に心当たりという微かな懸念があった。
それは我孫子月(るな)という、惇の弟だ。子供の頃は惇、月、豪の三人でよく遊んだものだったがそのうちに役者としての苦悩や、脚本家という狭き門で悩み苦しんでいた惇と豪は互いに惹かれ合い、そして恋人になったはずなのに。

「ええ、二人とも付き合ったんだ!?おめでとー」

 若干やる気がなく軽々しくも祝福してくれた月は「僕は豪をそんな目で見たことないけどねぇ」とすぐ目線をスマホに映していたというのに。
いつからあの二人はできていたのだろうと、惇は本来であれば祝いの席であるはずの新郎不在の式場で客に頭を下げながら、涙を流す暇もなくただただ考える。
心ここに在らずな惇の様子に、両家の親族や旧友たちは「気を落とすな」「お前は悪くない」「何かの間違いだよ」と逆に我孫子家と松井家が恐縮するぐらいに気を使ってくれた。

「まあ、しかたがないじゃない。運命には抗えないものだし。惇もお兄ちゃんなら二人を祝福してあげなさい」

 彼の実の母である我孫子凛音(あびこりんね)以外は。凛音は男性Ωで惇と同じ俳優だが、自身の美貌を武器にしており演技力がそれに伴っていない役者としては二流だった。年を重ねても衰えない美しさにファンはいたが「息子の足引っ張り」と陰口を叩かれることもしばしばだ。

「おい、今そんなことを……惇は傷ついているんだぞ」

 父親である我孫子高成(あびこたかなり)が顔を歪めて凛音を窘めようとするが「本当の事じゃないか」とつらりとした表情でαの夫を躱す。
 凛音と高成は男性Ωと男性αの夫夫だが、父高成は昔最愛と呼べる恋人の女性Ωがいた。そんな高成に一目ぼれした凛音はあの手この手で高成に入り込み、女性Ωを遠ざけて挙句の果てに「運命だから」と、婚約者になった女性Ωを差し置いて発情期に身を繋げて強引に婚姻を結んだ。

 婚約は当然破棄、無論高成有責とはなったが、女性Ωにとって心情的に許せないのは凛音のほうだろう。恐らく、表ざたにはできないことも彼は無自覚にやってきた。
 凛音は燃えるような大恋愛とことあるごとにバラエティでも熱く語るが、βばかりのスタジオでその体験談は異質、不誠実なものだった。

 運命の番というものは良く事情を知らないβにとってはロマンティックな話、或いはおとぎ話のようなものだが実際には生存戦略、Ωがより優秀な子孫を残すための略奪愛が殆どだ。無論双方に相手がおらず、偶然に引き合うことができた相性の良いαとΩに関しては良い意味で運命と呼んでもよいのだろうが。

 まだ豪と惇が番っていなければ、ぎりぎりのラインで母親の言葉にも頷けたかもしれない。けれども惇の項にはくっきりと豪の執着の証が確かに残っていた。

「凛音!!」

 高成の悲鳴のような伴侶を呼ぶ声を上書きするように、バキリと鈍い音が響き渡り、凛音は地面に臥した。その姿はまるでスローモーションのようにゆっくりと映った。鼻血を噴射した凛音の鼻は、惇の鉄拳によってどうも曲がってしまったようだ。

「我孫子凛音さん、安孫子高成さん」

 突然の暴力よりも、どこか飄々とした顔で母、父と呼ばない惇の姿に会場の空気は一気に冷えた。

「いままでの家族ごっこ、お疲れ様でした。これまでの人生、この平穏は俺が黙っていることで保たれていたということだけはしっかりその脳に刻み込んでおいてください」

 豹変した息子の様子に高成は困惑するばかりだが、母の凛音はさっと顔を青ざめさせ「まさか」と迂闊な台詞を口からこぼす。咄嗟に動揺を隠しきれないところは、流石は二流の俳優といったところだろうか。

「俺が何も知らないで幼い頃よりあなた方のいいなり、金づるになってきたと思っているんですか?凛音さん、高成さん」

 胸ポケットからスマホを出すと、惇はマスコミたちを呼び寄せた。国民的人気子役の結婚式、それも突然の中止となればどんな手段を使ってでも彼らはやってくるだろう。逃げた彼らに宣戦布告をする上でも、この緊急記者会見は彼にとって必要なものだった。

「皆様、この度は足元の悪い中このような状況によりお集まりいただき、誠に心苦しい限りです。私事で恐縮ですが、身内の恥に今しばらくお付き合いいただけますと幸いです」

 20代前半とは思えないぐらいしっかりとした惇は自分に全くの非がないにも関わらず、まるで自身の不祥事のように深々と頭を下げた。パシャリパシャリとフラッシュが焚かれ、常人であれば眩しさに目がくらみそうになるが彼にとっては慣れた光景だ。このような形では初めて、出来れば人生最初で最後としたいところだが。
 なお、思い切ったことにこれはすべて生中継されている。普段であれば天敵であるパパラッチまがいの記事のすっぱ抜き方をするゴシップ記事量産出版社も今回ばかりは惇に同情的だ。

「本日は、私我孫子惇と松井豪の結婚式のはずでした。けれども、伴侶となる彼は実の弟である我孫子月と駆け落ちをしてしまったのです。新郎の控室にはメモ帳が置かれていました。そこにはたった一言『運命の番を見つけました』と記されていたのです」

 ざわ、ざわ、と某漫画のようなどよめきの声が周囲に広まってゆく。我孫子凛音だけは「兄の婚約者と弟の禁断の愛、運命の番」という情景にさもロマンティックといった風にほうっと情熱の溜息をつき、父である高成はそんな凛音をどこか冷めた目で見ているが、それは周囲も同様だった。
 もともと凛音は「空気の読めない美形キャラ」が売りでもあり、それがアンチやヘイトも買っていた。

「ここで皆さまにお見せしたいのは、バース性相性鑑定です。私はこのような仕事をしている関係上、プライバシーというものが普通の人よりもありません。なので、ブライダルチェックとして事前に受けておいた鑑定結果をお見せすることぐらい、どうということもありません」

 運命の番が望まぬ離縁や、番契約を行ってしまった人達の人生を破綻に追い込むことがないように、バース性相性鑑定というものが実用化された。自身と対象の人間の血液があれば鑑定が可能だが、その金額は1回、つまりは一組の相性確認につき10万程度する。
 そこは現代のDNA鑑定と同額ぐらいだろうか。

「私は、夫……夫となるはずだった豪との検査結果はもちろん、念のためここ1年内に家族のバース性相性鑑定も行っておりました」

「家族「も」?」

 すっぱ抜かれたら終わりとされている週刊文秋(通称文秋砲)の記者が早速食いついて来た。下世話で頭の悪い無駄な質問もしない文秋のソルジャーに、こんな時だというのに「流石だな」と惇は心の内で舌を巻く。

「バース性相性鑑定はここ数年になって周知され始めてきた歴史の浅いものであり、βの方々にとっては耳馴染みのない言葉と存じます。また、意外にもαとΩもバース性相性鑑定を受けるのを拒絶する方々も現状は多いです。……でも、それはそうでしょう」

 普通に生活する分には必要のない検査とそれにかかる費用、かつ自身の番と「遺伝子的に相性はよくないです」なとど結果が出てしまった場合、彼らの今後の関係に支障がでてしまうし、容易く他の「運命」に傾いてしまうだろうから。

「バース性の相性についてはわかりやすく何パーセントという表示で鑑定書に払い出されます。おおよそパートナーが双方の身体に問題なく子を成し生涯を共にする相性としては70パーセント半ばもあれば十分といったところ、80パーセント前半であればかなり相性がいい方、90もいけば俗にいう「運命」というレベル。遺伝子レベルで相性が良いとされているみたいです」

 ここで、惇はぐるりと周囲を見渡し周囲の注意を引き寄せる。先にも記したがこの報道は生中継なので今、各チャンネルの視聴率はとんでもないことになっている。無論高いという意味でだ。地上波のTVに限らずネットにも配信されているが、惇はそれも止めることはしなかった。拡散された方が彼にとって好都合だからだ。

『献血キャンペーンの一環で。皆にも協力してほしいんだ。こういう職業の辛いところではあるけれど』

 1年前をちょっとだけ過ぎたある日、過去に惇が申し訳なさそうに家族と豪に持ち掛けた話を疑うことも泣く、我孫子家と豪は快くそれに応じた。
 あの時か、と顔を青ざめさせる凛音と対照的に、高成はいまいちピンと来ていない表情で首を傾けている。献血の際に密かに血を採取されたのだとしても、高成は凛音を運命の番と信じて疑っていなかったので相性が公表されたところで困ることはなかった。
 あくまで彼に取って「だけ」は。

「私と弟の月、そして豪は幼馴染でしたが私たち兄弟はΩ、豪はα。いつまでも同じように友情を育むといったことが難しいかもしれないと思っていたのです。どこかで関係性が変わり、壊れてしまうかもしれない。それは現実となり私と豪は付き合い婚約者となりましたが……夫の豪と月のバース性相性の鑑定結果は82パーセントでした」

 おおっという声で式場がどよめきの声で埋め尽くされる。運命というほどでもないが惇の話を聞くに相性は高いのだろうと。

「そして……私、我孫子惇と松井豪のバース性相性の鑑定結果は、89パーセントでした」

 ほぼ運命と言っていいレベルで、彼らの相性は高かった。どよめきは一気になりを潜めシーンと耳が痛くなるぐらいに会場は静まり返った。

「何が、いけなかったんでしょうか……運命というものは信じていませんでしたが、それでも、私よりも弟がよいのなら。なぜ彼は、私の項を……別れるにしても何故もっと誠実な態度を。ごめんなさい、もう私は取り返しがつかないことになってしまいました」

 無表情で涙を流す惇の姿は平凡ながらも内なる魅力が外見に出たのかどこまでも美しく、どこまでも恐ろしい。身を震わせて自分の目から冷たい雫が絶えず零れ落ちていることも気づかない国民的な俳優を前に、彼をそれこそ息子や孫のように見守ってきたファンたちは、同じように怒りに身を震わせていた。

 仮に婚約破棄となり番の解消も行われた場合、Ωは他のαと番うことができず重苦しいヒートが死ぬまで発症することになる。最愛とそぎ落とされたショックとあわせて、強制的な番解消後のΩは短命とも言われている。β同士の不倫や離婚よりも更に命に関わる出来事なのだ。

「どうしてこんなにいい子が」

「かわいい惇ちゃんが」

 100年に一度の快作と呼ばれる感動巨編映画やN○Kの人気連ドラに子役として出演していた惇は、おじいちゃんおばあちゃん層からおしゃぶりが手離せないちびっ子たちまで幅広く愛されていたのだ。

「じゅんちゃん泣いてるの、どうして?お腹痛いの?」

小首を傾ける幼児たちをそのままに、一緒にテレビを見ていた幼稚園の先生や彼のファンである延長も同じように鼻を赤く染めて、悔しさにぼたぼた涙を流している。聡明な読者であれば未来を担う子供にこんなどろどろした報道を見させるなとは思うだろうが、園児たちの親も一緒になってTVを見ているのだからまあ、今回に限り良いことになっているのだろう。

「幼稚園教諭です。糞脚本家と糞弟の前に園児総動員させます」

「大工です。角材と工事用具とチェンソーもっていつでも現場に向かえます」

「医療従事者です。パイプカットの予約いつでも開けておきます」

「耳鼻咽喉科の院長です。番のフェロモンも嗅ぎ分けられないαの鼻、治します」

 SNSは荒れに荒れ、大喜利とも本気ともつかない怒りの投稿たちと#脚本家永井豪を許しません #我孫子月を許しません という言葉がトレンド入りした。

「……ここでもう一つ、お詫びしなければならないことがあります」

 惇は凛音と高成の方に冷たい一瞥をくれてやると、取材陣のほうに向き直る。

「私の父、我孫子高成には恋人がいました。その人は女性Ωで相性的にも「運命」と呼んで差しさわりがない人でした。そんな父と彼女を引き裂いたのが我孫子凛音です」

 会場内がざわ…という文字で埋め尽くされるレベルで周囲に衝撃が走る。凛音が略奪愛をしたのは周知の事実だが、なぜ今それを持ち出すという点で他社が動揺する中、週刊文秋の記者がきらりと目を光らせる。

「我孫子高成と凛音のバース性相性鑑定結果は……76パーセント。相性はそこそこ良くともとても運命とは呼べるものではありませんでした。そしてこれは『彼女』にも協力してもらい公表にも許可いただきましたが……高成と元恋人の鑑定結果は90パーセント。遺伝子レベルだけで見れば、高成と元彼女こそが運命でした」

 ここまでくるともう失笑ものだ。ドッと呆れたような笑い声が、記者会見の会場と化した式場に響き渡る。

「身内の恥ながら、この話も当然自分に関係があります。我孫子高成と元恋人Ωの間には子供がいました。元恋人Ωは番解消されたショックで子を育てることができず、辛うじて命だけは繋ぎとめたものの、その子は父親に引き取られました。義母は、我孫子凛音です」

 まさかバレているとは思わなかったのだろう。息子の言葉に凛音は膝から崩れ落ちる。高成と結婚した当時、子供ができにくいと医師に告げられていた凛音は愛する番の血を引いた子であればと、頭を下げる高成を快く許し元恋人の子を引き取ったのだった。
 その後、凛音自身も懐妊し月が生まれたが、クズの最後の良心とでもいうべきだろうか。彼にとってはどちらも自分の子供のつもりであった。

高成は高成で、運命だと信じていた伴侶が単なる番レベルの相性であり、自分が捨てた元恋人こそが運命と知り、その目に宿していた光が完全に消え去っていた。

「凛音氏は、私の小さい頃から芸能活動を半ば強制的に行わせており、そこに私の意志はありませんでした。学校へ通うこともままならず早朝から夜中までテレビに出ずっぱりの日々。でも、物心ついた頃から私は学びたかった。普通の子と同じように学校に行きたかったしそれが無理ならせめて皆と同じように教育を受けたかった。……凛音氏の目を搔い潜ってマネージャーを味方に付けて大学へ通えたのは不幸中の幸いです。今となってはこの人が、実の母じゃなくてよかったと心から思います。」

 この人呼ばわりされた凛音は、ぽっかり心が抜け落ちたように呆然と惇を見つめている。愚かにも実の息子として惇と月も同等に愛しているつもりだったが、その結果が今回の事件と惇からの拒絶だった。今の惇にとっては実の母を心身ともに殺しかけた憎きΩだ。

「ここまでお話して皆様に伝えたかったのは一つです。運命って一体なんなのだろう?運命なら何をやっても許されるのだろうか、運命の元に犠牲になった者たちはそれもまた運命と言うのだろうか。私は……俺は、こんなものを運命と呼ぶのであれば、運命を許しません。俺の運命は俺が決める」

 ひとまず、今回の記者会見はここまでですと惇は記者たちに深々と頭を下げて、呆然とする形ばかりの両親たちや親族をそのままにして会場を去った。

『おい鼻炎α、お前大変なことになってるぞ』

 豪が悪友の脚本家仲間からのラインに気付いたのは、自称運命の番である月と散々身を交わらせた後だった。
 なお、鼻炎とは良くないネットスラング化した豪のあだ名である。その心は「運命のフェロモンとそこらへんのΩの匂いも嗅ぎ分けられない鼻づまりα」だ。

月は母親の凛音に似た愛くるしい容姿のΩだったが、豪にとっては恋人の弟でしかなかった。豪には惇という恋人がおり、彼は惇を愛している。愛して「いた」ではなく今も愛しているのだが、月の容姿と彼が繰り返し放つ「運命の番」という言葉、そして抗い切れないフェロモンを受けてしまい平たく言えば理性がぷつりと切れてしまった。

ハニートラップに捕まってしまった豪は、その後なし崩しに月と身を繋げた挙句最愛との結婚式当日に「運命の番を見つけました」という手紙を残して消える。
桃色で毒々しい脳内お花畑満載な、良くない薬でもキめていたのではないだろうかという甘ったるくふわふわな気持ちで、社会人としての常識も責任も何もかもかなぐり捨てて少し離れたラブホで二人は動物の交尾のような性行為を飽くまでおこなっていた。

我々にはわかりかねるものだが、αとΩにとって運命とは恐らくは甘美でまるで禁断の果実のような、麻薬のようなものなのだろう。

豪は特段ポリアモリーというでもなく今回はうっかりフェロモンと性欲で意識を飛ばし羽目を外してしまい一線を超えてしまったという、オメガバースを抜きにしても普通に最低な男として月と楽しい逃避行をしてしまったようだ。

反対に月は、豪に対して幼き頃より仄かな恋心を抱いていた。そして自分より容姿が劣る兄、けれども容姿以外は頭脳も演技力も自ら子役として稼いだ富も名声も何もかもある兄に劣等感と憎しみを抱いていた。「兄が好きになる男なんか」と、彼と豪が恋人同士になった後も何でもない風に振る舞っていたが、知らせを受けた直後の彼の心は衝撃を受け、失恋でズタズタに傷ついていた。

運命という言葉とあらかじめ月が仕込んでいた非合法のヒート、つまりは「発情」誘発剤にすっかり中てられた豪は、月を自身の運命と勘違いし性行為は非常に盛り上がった。パンパンと腰を打ち付けて獣のように後ろからΩを突いて突きまくり、がぶりと項を噛んだ豪は原始的な雄の生き物としての優越感に浸り、噛まれた側の月はαの執着心にじんと雌穴となったアナルをまたじんわり湿らせた。

「……月、これは?なんでお前の項……まさか、俺がやったのか?」

 散々身を繋げた癖に、番となった記憶はすっかり抜け落ちていたようだ。月はそんな豪の姿に内心チクリと胸を痛ませるが「そうだよ、豪が愛してくれた証。運命の番だもんね?僕たち」と頬を染めて愛らしく彼の首に腕を絡ませようとした。
 それをぐいと両手で押し返し距離を取ったのは、豪だ。

「……何てこと、ああ。あぁあ、惇、惇っ……!俺はどうしてこんな」

 わなわなと震える豪に内心舌打ちしながら、気分転換と苛立ち紛れに月はテレビをつけるとそこには昨日の記者会見が、彼らにとって運の悪いことにダイジェストとしてちょうど最初から放送されていた。

「……」

「……」

 本気で激怒した兄は、とても恐ろしい。時すでに遅しといったところではあるが、このままでは惇は我孫子家の破滅も辞さない覚悟で豪と月を確実に地獄の底へと沈めにやってくるだろう。月は兄をなめていたが、兄の恐ろしさを思い出しもした。

 彼は所謂「手持ちの武器」だけで破滅させたい対象を潰すことに、何の躊躇もなくできてしまう人間だ。若くして芸能界という修羅で酸いも甘いも嚙み分けた男だ、婚約者兼番である男が運命ですらない弟に奪われたことも、俳優の凛音が過去に同じような略奪愛をした実の母親ではないことも全て、全国民を味方に付けて彼は確実にやってくる。


 月が恋を成就させたかったという気持ちに偽りはないが、兄を困らせてやろうと彼らが番ったのを見計らい今回の事件を企てたのも事実だ。低俗なゴシップにより名俳優で人生が約束された兄の顔が苦痛で歪み、泣きわめきながら豪と月が結ばれる幸せになってゆくのを、ただただ見せつけたかった。兄弟なのだから完全に縁切りもできないだろうと踏んだうえで。

『るな(月)ちん流石にちょっと、最低かなぁ?』

『惇さんの気持ち考えたことあるのかよ』

『悪い、距離置くわ』

『相手が悪い』

『お前もこれまでかもな』

 通知とともにラインで繋がっていたリアル友人知人はどんどんその数を減らしてゆく。誠実な友は元より、月の容姿に惹かれていた者や取り巻き達もごっそりと目の前から消えていった。
反対にSNSでは自称「惇と仲良しの容姿端麗な弟」としてちょっとしたインフルエンサーでもあった月だが、今回の件で月のファンは消え、アンチと言う名のフォロワーはごっそり増えた。炎上というやつである。

実の弟にフィアンセを奪われたという悲劇の国民的俳優は、マスメディアはおろか暴露系動画配信者たちの格好の餌食となったのは言うまでもない。けれども悪質なマスメディアや動画配信者すらも、今回の件は我孫子惇に同情的であり巨悪は弟として徹底的に叩いた。

「惇に、会いに行かなくちゃ」

「ちょっと豪!今外に出たら」

「許されなくても、俺は惇に謝らなくちゃいけない。彼は俺の番だ、番を一人にするわけにはいけない」

「僕はどうなるの!」

「……月は、惇の弟だから。最低限の責任は取る。でも」

 ヒートに付き合いはするが、お前は二番目だと明確に宣言されたようなものだった。

「そんなこと、言わないで。僕たち運命で」

「運命じゃなかっただろう」
 
 記者会見によるとバース性相性鑑定の結果も弟より兄である惇と豪のほうが相性がよかったのを、二人はテレビ越しに知ってしまった。

「……その運命じゃないΩに散々腰振って、婚約者裏切って結婚式当日に失踪したのはどこのαだよ!被害者面すんな、お前も共犯、お前も最低野郎でしかないんだよ!何が運命だ。フェロモンに中てられただけの癖に。何が運命だ、何が……」

 ずっと好きだったんだと胸に縋りついてくる月の姿は、傍から見れば健気でとても愛らしく庇護欲をそそるだろう。けれどもそんな月に成すがままにされている豪の目はどこか虚ろのままだった。

「ごめん。俺の事好きだったのは……薄々だけど気が付いていた。でも俺には惇がいるからお前の気持ちには」

「しっかり答えてるじゃねえか」

『うわっ!?』

 取り込み中の所申し訳ないと、ずずずいと目の前に現れたのは渦中の人物である惇その人だった。それだけではない、彼の後ろには沢山の報道陣がカメラやらレフ版やら沢山の機材を抱え込んでホテルの一室になだれ込んでくる。仮にドッキリだとしても情景が生々しすぎて、今の時代深夜枠でしか放送できないレベルだろう。

「すみません、彼らが着替え終わるまで待っていただけますか」

 国民的俳優の人好きする笑みに、報道陣も空気を柔らかくさせて退散してゆく。無論ラブホのベッドに横たわった二人の映像は決して消すことは無く。

『ずるいぞ○○放送』

『フットワークが重いあんたらの鈍足を恨みな△テレビ』

『これ、勝手に記事にしたらまずいよなぁ……いや、今から』

『オタクら媒体紙だろう、号外ならぎり許されるんじゃない?』

 後ろで聞こえる報道陣の醜い争いも、今の惇にとっては闘志を燃やすためのBGMに聞こえる。

「豪、月。本当にお前たちはとんでもないことをしてくれた。おかげで大損害だ」

「惇、本当に申し訳なかった!お前というものがありながら実の弟にまで一時の過ちで手を出してしまって……!でも、俺が愛しているのは惇だけなんだ……大損害?」

「僕は謝らないよ。豪は僕のものだ。運命とか関係ない、愛する者同士結ばれて何が悪いの?僕はお母さんと同じように真実の愛に生きたいだけ」

「黙れ月っお前は」

「なあ、この報道陣の数。すごいだろう。このラブホは今通路も入り口も外も沢山の記者やカメラマンたちで埋め尽くされている。頑張って1週間は持つかな。でも、数カ月もたてば『そんなこともあったね』で忘れ去られてゆく。今この瞬間からもう俺はちょっとづつ死んでいるようなもんだ」

「……豪」

「何わけのわからないこと言ってんの」

 どこか目が死んだ兄と婚約者の姿に、豪と月は背筋をぞくりと粟立たせる。豪にとってはいっそ罵ってくれた方が救いだというのに、彼はどこまでもプロの俳優だった。自分の商品としての価値を見出し、それが二人のせいで暴落しつつあることを暗に告げている。

「式と詫びの代金だけでも安く見積もって1000万ぐらいするんだけど、月お前一括で払えるか?もちろん慰謝料は別途要求することになると思うけど」

「な、こんな時にも自分の保身とお金?最低!」

 兄の婚約者を寝取るという最低行為を棚に上げて「人の心が無いの!?」と月は惇を罵倒する。

「たとえ世間から罵られて後ろ指さされても僕は豪が好き、愛してる!お兄ちゃんとは違うから!僕は彼に寄り添う、絶対にお兄ちゃんなんかに渡さない」

「だそうです」

「別れたくない……惇、ごめん、許してくれなくても仕方がないと思う。いくらでも罵倒してくれて構わない、俺にはお前だけなんだ」

「ですってよ」

「ちょっと豪!?僕の事はどうするつもり!」

「俺が愛しているのは惇だけだ」

「そんなこと言わないでよ……」

 無論このやりとりもしっかりと録音ならびに隠し撮りはされているが、惇は咎めることなくやらせていた。証拠というものはいくらあっても良いものだから。

「着替えた?」

 二人の修羅場もどこ吹く風で、惇は姿見に自身を映すと服と髪型をささっと整えた。それからどこから取り出したのか栄養ドリンクをぐびりとやり投げやりな動きで空瓶をホテルのゴミ箱に投げ入れる。

「視聴者も読者も、そこら辺に転がっているどうでもいいΩとαのしょうもない修羅場なんて関心ないんだ」

 どこかメタな発言をしつつ、Ωとは思えない力強さで惇は豪と月の首根っこを摑まえると、そのままずりずり外へ連れ出す。車に押し込められ連れて行かれたのは、今度は式場ではないちゃんとした記者会見のために設けられた会場。そこには数多の人間と我孫子両親の姿もあった。

「豪の両親や親族には申し訳ないと思っている。せめて金銭面だけでもなんとかできるようにがんばらないと」
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