【完結】とばっちり復讐ゲームには異世界人が紛れ込んでいる

雷尾

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その6

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 夕日が眩しい地獄の二日目。始まりの教室に李流伽と凛成はやってきた。
大河と小春と芳樹のクラスであるという2年A組の教室には、そこかしこに散らばっていたはずの生徒たちが集められ転がっていた。
 首がない者も居れば、麻実たちの犠牲になったのか手や足がかけている生徒もいた。ただ一つ、どれにも等しく言えることは李流伽と凛成以外の人の物体は皆、死んでいた。

 遺体安置所と化したその光景は耳が痛くなるぐらいに静かで、李流伽は凛成の腕に思わずしがみついてしまう。
カタカタと小刻みに震える彼女の姿を尻目に、凛成は促すようにしがみ付かれた方の腕をぐいと動かし、教室の中へと入っていった。まるで李流伽をやんわりと拒絶するように。

 教室の黒板にはスピーカーが彼らを見据えるようにして、ただそこに佇んでいる。李流伽はちらりとそちらに目線を一瞬やり、それから凛成の方に向き直った。

「……好きです」

「……?どういう意味かな?」

 珍しく眉を下げながらこてんと首を傾げて、戸惑いを隠せないという風に凛成は目の前の読書少女に問いかける。対して李流伽は夕日のせいなのか、顔を耳まで真っ赤に染め上げて俯き加減で次の言葉を絞り出そうとしている。やり場のない両手は自身の制服をギュウと握りしめて、目尻には気恥ずかしさからだろうか、涙の粒まで溜まっている。

「私は、あなたが異世界人であることも、その正体もわかっています……だけど、それを口にしたくないんです」

「……どうして。異世界人を特定すれば、このゲームは終わるんだよ?」

「口にしてしまえば、貴方は解放されて元の世界に帰ってしまう。私は、凛成さんが好きです。わがままかもしれませんが、あなたと離れたくない。こんな気持ち初めてで自分でもどうしていいかわからないんです。好きです、このまま三日目が経過してタイムリミットが来てしまうとしても……最後の時まであなたの、そばに居たい」

「……」

「私には恋という気持ちが、どんなものかわかりませんでした。でも、あなたに会ってから心のどこかでずっと惹かれて、そしてあなたのことしか考えられなくなりました。恋はふわふわして幸せな気分で、舞い上がってしまうようなものだと思っていましたが、違う。全然違いました。
ずっとずっと苦しくて心が化膿でもしたかのようにじんじんして、それがずっと消えなくて続いていく。こんな気持ちを抱えたまま、あなたがいなくなってしまうなんて私は生きていけない……それなら、最後の時まであなたの姿を目に焼き付けておきたいと、思ったんです……たとえ私がゲームで死ぬ運命だとしても」

 ぼたぼたと両の眼からこぼす雫は、そのまま血を吸った教室の床に沁み込んでは消えてゆく。場違いな告白に違いないそれは、少女の口から悲鳴のように綴られては消えてゆく。ごめんなさい、ごめんなさいと繰り返すぽってり小さな口から零れるそれは、こんな時でもなければ一途で愚直で、ある種の庇護欲をそそられるものではあるが。

「……」

 李流伽の告白を受け取った凛成の眼差しは、どこまでも冷たく「愚かしい」と言わんばかりに鋭く、目の前の少女を突き刺していた。

「残念だな、山野内さん。もしかしたらまだどこかにいるかもしれない、生き残りの生徒たちの命を助けられるかもしれないというのに。君の一時の感情でそれを不意にするなんて。俺、貴女はもっと理性的な人かと思っていた」

「……っそんな、言い方」

「これは俺の事情でしかないけれど、俺は恋愛だとか運命だとか。そう、特に運命という言葉が大嫌いで、憎んですらいる」

「……」

「でも今は、そんなことどうでもいい。俺は今の君に軽蔑すらしている。どこかに隠れて逃げ続けているかもしれない生き残りの誰かを、理不尽に巻き込まれた彼らを助けたいと思わないの?君にとっては『そんなことより』も独りよがりで身勝手な恋の方が大切?
成就するかどうかもわからない不確定なそれに。愛の為なら死ねるなんて馬鹿げたことだと思わない?俺は、そういう人は嫌いだ」

「……ひどい、です」

 凛成の言葉に、李流伽は顔を青ざめさせているが、その目線だけは逸らすことなく彼を見据えていた。

「……ごめん、こんな言い方をするつもりじゃなかった。山野内さん、俺には大切なパートナーと息子がいるので、あなたの気持ちに答えることはできません」

 カランと、金属質の何かが滑り落ちて床に転がる音が教室に響いた。死刑宣告を受けたかのように、命が抜き取られたかのように、表情を無とした李流伽の首は確かに開放されており、復讐の証である首輪は足元に落ちていた。

 ―忌まわしき記憶を幾度となく遡ってみても、柳城悟を苛めた主犯格、要因となった山之内義人は悟に対して異常な執着を見せていた。
彼は、悟を凌辱する時も彼なりに愛でる時も友愛の念も恋慕のそれも複雑に絡み合わせその思いのたけを一方的に、ただただ暴力的に悟にぶつけていた。そこには悟の心はなく、全ては義人の独りよがりしかなかった。

 悟の苦痛や羞恥で歪む顔も、絶望しきった表情も全てが義人にとっては愛おしく、胸を焦がすような甘い、中毒性のある毒だった。

彼の異常性に付き合わされたいじめっ子の一人、主犯格の一人宇良響は洗脳され心を捻じ曲げられ、義人のどす黒い欲望と闇に当たられ人ならざる者になる前に、その心を壊しかける寸前で逃走することに成功した。響は己の罪を認め、自ら少年院送致を望んだ。

当時の彼は、義人の狂気から逃げることで精いっぱいだった。そして矯正教育を受けるうちに今更ながら己の罪が影を落とし、どこまでも付きまとうようになった。
かつてのクラスメイト達が響を指さし嗤い、彼がしたように集団で暴力を振るい、彼のズボンを脱がし尻に剛直を当て碌に慣らすこともなく捻じり入れるかのように挿入し、血がでても止まることなく繰り返し繰り返し打ち付けられ、ただただ犯されてゆく。
そんな痛みを伴う妄想に、いつまでも憑りつかれた。

実のところそれらが全て妄想というわけではなく、少年院で「性暴力で捕まった」という噂を広められた彼は、他の少年たちの贄となりいじめられ犯されることがあっただけだ。
それでも、響にとっては人ひとりの人生を潰しかけたことよりも、自分が被食者となることよりも、なによりも義人という人間の狂気が恐ろしくてたまらなかった。
それほどまでに義人の、悟に対する恋慕の念は理解しがたいものだった。

復讐ゲームの主催者とそれを見守る者たちは皆、義人の恋愛感情という悍ましいものに酷い憎しみを抱いていた。義人の心を砕くのであれば、二度と手に入ることのない恋と失恋の痛みを。
彼の心にそれを認識させるすべがないのであれば、「せめて」それは彼の娘に。暴力を与えてもたとえ苦しみの果てに義人が自ら死を選んだとしても、心が動かないのであれば復讐とは意味がないものなのだろう。

話は教室へと戻る。凛成に告白し振られた李流伽は、己の首を擦ると復讐ゲームの参加権でもあった首輪が無くなったことに気付き、声なき悲鳴を上げそのままずるずると地面に崩れ落ちた。ショックのあまりか、心なしか身体が小刻みに震えている。
そして、彼女の前に立ち尽くす凛成も、表情をより一層強張らせその身を震わせて、何かを堪えるように握りこぶしを作り、同じように懸命に耐えているようだった。

互いの目尻には涙まで浮かべている。悟られてはいけない、主催に悟られてしまっては全てが終わりだ。二人の関係は破綻したかのように見せかけねばならない。
......李流伽と凛成は、懸命に笑いをこらえていたのだ。

「李流伽!凛成!」

 教室になだれ込んできたのは、とっくにこのゲームから退場したはずの芳樹と大河、そして小春だった。

「李流伽ちゃん!」

 今だけは「よく来てくれた!」と内心で感謝しながら、李流伽は「こはる、ちゃん」と弱々しく縋りつき、遠慮なくその豊満な胸に顔を埋めさせてもらう。うぅうとくぐもった声を上げる李流伽の姿は、失恋直後のショックで涙を流しているようにしか見えないだろうが、実際には漏れだしそうな笑い声を堪えているだけであった。

「李流伽ちゃん……辛かったね、辛かったね……!」

 ぎろりと凛成を睨み付けてやるところは演技ではなく彼女の本心からの動作のようだが、その後は小春も力強く李流伽を抱きしめその肩に顔を埋めて、共に笑いもとい泣いてやっていた。 
 大河は李流伽の首輪が外れているのを見つけると、思わずぱあと明るい表情が浮かび上がりそうになり、隣にいるいつもよりも一層仏頂面の芳樹に、カメラの死角になるようにそっと尻を強く抓られた。……心なしか大河が上目遣いで芳樹を見つめ、嬉しそうにしているのには見て見ぬふりをして。

『山野内さん、失恋してください』

 数刻前の半地下の踊り場で、外見だけは文句なしに水も滴るいい男であろう恥を滴らせる凛成のスマホの文字に、李流伽たち一同は「は?」という表情を隠そうともしなかった。

 凛成が主催側から共有された情報と李流伽の過去、そしてこれまで得た情報を重ね合わせると。李流伽の父親は悟を苛めていた主犯格であり、サディズムの傾向があったようだ。ほかのいじめっ子たちとは違い、彼だけは虐めも歪んだ愛情表現であり悟を繰り返し犯したのもそれが理由だ。

 義人に関してだけは今回のいじめに対して罪悪感というものが一切ない、非常に厄介な男とも言えるだろう。R学園からK高に編入したのも世間体を気にした両親の方針であり、彼自身は自分がどう見られようとも一向にかまわないスタンスだった。
 彼の頭の中で山野内義人は、同級生の柳城悟に恋をしただけということになっているようだ。

『胸糞悪い』

『でも、彼のせいで他の人たちのいじめも誘発されてしまって、そしてあんな生涯消えない身体の傷がいくつも残ることになったしまったんだろう……?仮にいじめへの罪悪感はなくとも、好きなものが自分以外の誰かによって傷つけられるということに、何か思うところはないんだろうか』

 芳樹と大河の真っ当な疑問に対して、凛成は『ない』とばっさり切った。

『あの手のタイプは、好きな奴が嘔吐しようと手足捥がれようと内臓が破裂しようと顔が裂傷しようと「可愛い」としか思わないんだ。本人が怯えれば怯えるほど、憎めば憎むほどもがき苦しむ様を喜ぶ。悪い意味で好きな人のいろんなところが見たいって感覚があるのかもしれない。それが最愛の死に様であってもね』

 りんりん達みたいな常人にはとても理解できない思考だよね、と嘆くオナニスト兼変態イケメンである凛成の言葉に対して何かを飲み込んだまま、それでも一同は首を縦に振る。
 義人の異常性については皆同意だったからだ。

『あの、凛成さん。李流伽ちゃんに失恋しろというのは?彼女は誰に失恋すればいいの……?』

『りんりんです』 

 李流伽たち一同から二度目の「は?」という声が上がる。

『あくまで推測でしかないけど、山野内義人は柳城悟に異常なまでの執着を見せている。そして、山野内さんや山野内さんのお母さんには申し訳ないけど、義人の愛とやらが柳城悟に向けられるものであれば、彼は本当の意味で妻も娘のことも愛してはいないと思われる。

単純にこの先、義人本人が主催者側にリンチをされても妻や子供が惨たらしい目にあったとしても、彼の心にまではダメージが入らないだろうね。
また、彼が何もわからないままただ死んでいくのは、主催側としても本意ではないと思う。
まともで常識人なりんりんが、こんな頭の狂った事を言うのはおかしいかもしれないけどね』

 一同、最後の文章は見なかったことにし、続きを促す。

『今度は柳城悟……もしくは復讐ゲームの主催側の視点で話すけど、彼らは思い入れのないモブや末端のいじめっ子は「特に何のこだわりもなく首輪を爆発させて即死」させている。けれども、君たちいじめの中心部の存在については、肉体よりも心に深い傷が残るように重点的に狙われている。現にそのおかげで君たちの首輪が外れたとも言えるし』

『多分、殺されたいじめ末端の加害者の子たちは、子供の命をもって「復讐が完遂された」のだと思います。勿論、親たちにもその事実は知らせるのだと思うのですが』

『そうだね、そして中心部の君たちについては子供とは別に、きっと親であるいじめの張本人たちにも復讐がいくだろうね』

「……」

「……」

「……」

 凛成たちのやり取りに、大河、芳樹、小春は複雑そうな表情を見せる。悟にとっては復讐相手でしかない憎きいじめっ子たちも、彼らにとっては実の親なのだから。

『……親の因果が子に報う、というものですね。娘の私には報われない恋で心に痛みを与えたいというところかもしれません。あわよくば、それが父……山野内義人の心に傷をつけるための誘発剤にでもなればいいと』

『そう、だから山野内さんが手酷くフラれた方が「傷ついた」って感じがしていいでしょ?』

 何がいいのかは李流伽にはわからないが、李流伽を傷つけることで少しでも主催者の溜飲が下がるのであれば。凛成の終了条件が達成され彼の目的が果たせるかつ、李流伽の首輪を外せるチャンスがあるのであれば、李流伽はそれに乗りたいという気持ちもあった。

『……面倒くさいことになったな。お前とここまで関わらなきゃ、さっさとお前の正体ばらして終わりで済んだのにな』

 彼らが出会って間もない頃とは違い、芳樹の言葉は半分以上は本心ではないのだろう。本当の意味で全くの無関係である、巻き込まれた凛成に何のうまみも無いのは気の毒だと彼も思っているからだ。

『芳樹くん♡やさしい♡』

 イケメンからの頬擦りサービスを瞬時に避けてうっとおしそうに引き剥がしている己の姿を、ジトっとした目で見つめている幼馴染に相変わらず芳樹は気づかないふりをしている。

『話をまとめますが、まず2年A組の教室に私と凛成さん二人で行く。そして私が凛成さんに告白する、手酷くフラれる、それから異世界人の謎解きで流れは問題ないですか』

『察しが良くて助かるよ。できるだけ頑張ってキツイ事言うから思いっきり傷心してね』 

 凛成の読み通り、始まりの場所での偽りの告白、そして李流伽の失恋は復讐ゲームの主催を大いに満足させたようだ。枷から解放された李流伽の首がそれを物語っている。
けれども、まだ何か違和感がある。瞬時にそれに気づいた李流伽は、先ほどまで込み上げていたはずの笑いと安堵を瞬時に引っ込めて黒板上のスピーカーに向き直り、挙手した。

「三峰凛成は、異世界人です」

 李流伽の言葉から数秒程度、黒板には血ではなく白いチョークで文字が書き綴られてゆく。

『三峰凛成は、どこからきた異世界人ですか?』

 恐らく第一関門は突破といったところだろうか。李流伽はごくりと唾を飲み込むと、言葉を続けた。

「彼は、オメガバースの世界からやってきた異世界人です」

 李流伽たちの住む世界では、オメガバースは創作における特殊設定であり、一部創作カテゴリの中では人気ジャンルの一つとなっている。
 オメガバースの世界では、男女の他にα(アルファ)、β(ベータ)、Ω(オメガ)という第二の性、三種類の性別がある。さらに分類するならα男性女性、β男性女性、Ω男性女性と分かれることになる。

 αは支配階級がゆえにエリート体質であり容姿や頭脳、運動神経全てにおいて優れている。βは中間層、もっとも数が多い。Ωは下位層、男女問わず子を成すことができるが平均で三カ月に一度やってくる発情期のために、現在社会でも冷遇されやすい。

 βはこの世界の男女と変わらない身体のつくりをしているが、αとΩにはラットやヒートという発情期がある。
 Ωはαを誘うフェロモンを放出するが、これは理性をフル動員させても抗うことができないぐらい強い発情状態を引き起こすと言われており、この性質を嫌悪するαやΩも一定数存在するという。

また、Ωの発情期中にαから項を噛まれると番という関係が成立し、噛まれたΩは番解除をされない限り、生涯そのフェロモンは番のα以外を惑わすことはないのだという。
 そのため、番のいないΩは、項を噛まれないように自身の首をチョーカーや首輪をつけて保護している。

「彼がオメガバースの世界の人だと疑いを持ったのは、三点ほどあります。一つは凛成さんがここに現れた直後、彼は保健体育の教科書を読み耽っていました。
 私達にとって奇異な光景でしかないそれは、彼にとってはそれ以上の衝撃だったのでしょう。彼の世界の教科書には当たり前に載っているはずの、第二の性について記述が一切なかったのですから」

 復讐ゲームに招集されたばかりの凛成が、ほぼ全裸のままというのもあるが机に向かって何故か一心不乱に保健体育の教科書を読んでいた姿は、直後に発生した生徒たちの惨殺がなければとても印象深い出来事だったといえる。
 教科書は恐らく、主催者側が李流伽たちと、それから凛成に用意したヒントだったとも言える。

「二つ目は、凛成さんが首輪を非常に嫌がっていた……というよりも、しきりに首のあたりを気にして着け心地が悪そうにしていたところです。私のものはすでに外れてしまいましたが首輪はフィットしており、少し意識を他の事に向けていれば気にならないぐらい着け心地もよく、違和感もありませんでした。
 中には首に何かついているのを非常に嫌がる方もいるので、凛成さんもそのたぐいかと思いましたが、彼の中では元の世界でも『自分は首輪をつける立場ではない』という感覚があったのではないでしょうか」

 凛成は、表情を曇らせたままやはり首回りのそれに違和感があるのか、しきりに首を動かしたり肩を揺らしたりして居心地悪そうにしている。

「凛成さんは……容姿が、その……非常に整っており、恐らく速読が得意な私と同じぐらい文字を読むのが早い、いや彼にとっては速読という概念すらなく、能力的にもそれが普通なのかもしれません。均整の取れた身体つきからフィジカルエリートとも考えられます。彼の第二の性はαではないでしょうか」

 まことに不本意ながら、という表情を隠そうともしない渋い顔をした李流伽の言葉に、凛成はこの時ばかりは相好を崩し「えへへぇ」としきりに照れている。そしていつの間にか背後に忍び寄っていた芳樹にやはり尻を蹴られていた。

「ファッション感覚についてまではわかりませんが、オメガバースの世界ではαやβは首輪をつけません。特にαはそうなのでしょう。彼にとって首輪はこちらでいうところの性自認が男性の方が女性用スカートを着用するような、そんな違和感を覚えるものなのかもしれません」

「……別に、差別だとかそういう意図はないんだ。でもどうしても慣れないものは慣れなくて」

 珍しく凛成は申し訳なさそうに目線を下に下げる。これは彼自身がα男性であるという、性自認の問題なのだろう。

「三つ目は、図書室で彼が検索したワードです。彼はアダルトコンテンツについて検索をかけていたと思われますが、そのどれもこれもが二次元……つまりは創作物について検索していました。
余談ですが、彼の世界ではボーイズラブやガールズラブという表記については、少しばかり違和感があったのかもしれません。αとΩであれば私達の世界で言うところの女性同士や男性同士のパートナーは当たり前にあったでしょうから。
そして関連ワードについても目を通しているうちに、とうとう彼はある単語を目にすることができた」

凛成は、この世界では男性同士や女性同士のカップルは妊娠することができないということを保健の教科書で知り、消去法から「男性妊娠」という検索ワードを引っ張り出した。その後、女性向けコンテンツとしてヒットしたボーイズラブというジャンルの中から、彼は「オメガバース」をついに見つけ出した。

『オメガバースとは、英語圏を中心とした二次創作より発祥した世界観である』

 自分が生きている世界が、ここでは創作の世界観だということに、彼は少しばかりショックと絶望を覚えたのかもしれない。

「凛成さんがオメガバースについて調べている時だけ、他のワード検索よりも画面を見入る時間帯が長かったのです。一瞬で表情を引っ込めてしまったけれど、彼ならあの時間帯に数回オメガバースの記事を読み返すことができたはずです」

 カランと、薄い金属が地面に落ちる音が聞こえた。それも一つ二つではなく複数の音が。

「李流伽、ちゃんっ」

 小春が周囲をぐるりと見渡すように視線を巡らせているのに気づき、大河と芳樹もその異変に気付いた。生徒たちの亡骸から、首輪が消えていた。すでに首を落としてしまったものについてはわからないが、少なくとも頭部が無事であった生徒の首からはするりと首輪が外されていた。

「……っ!?」

 李流伽は気がかりだったそれの方を向き直る。
 三峰凛成は、人差し指を口に当てて、李流伽に「もう何もしゃべるな」とでも言いたそうに、少しだけ寂しそうな笑みを浮かべて微笑んだ。

「……よかった、です」

 李流伽の心に芽生えた違和感と、それを解除できたことに彼女は心の底より安堵する。無事に李流伽を傷つけ目的を達成した凛成の首輪がそのままの状態であることに、李流伽の心はどこか引っかかっていた。

「(ゲームは、まだ終わりではない)」

 異世界人を当てない限り、彼は元の世界に帰れないどころか、リミットである三日を過ぎてしまえば彼の首輪も爆発してしまうのではないかと彼女は危惧したのだ。
 彼女の機転により最悪な想定については回避できたけれど、凛成を元の世界に戻せるかというところまでは、やはりこの目にするまで不安なのか、李流伽も他の者も皆同じだった。

「(ありがとう)」

 凛成は声を出さずに口の動きだけで李流伽にそう告げると、白くて美しい首に付けられた首輪に触れながら「やっぱり俺にはこれは似合わない」と少しだけ笑う。
 数秒後にやってくる別れの瞬間は一瞬でもあったし、永遠の時にも感じられた。
するりと何かが仕込まれている薄い金属製の首輪が凛成の首からも自然に外れ、地面に着地するのを、彼らはただ黙って見守っていた。

 それが合図、それが終わり。首輪が地面に着地するのが先か、それとも目の前の美青年がこの地獄からさらさらと、バグのように粒子となって消えるのが先か。
 彼は何の執着も未練も残さずに、風に舞う桜の花びらのように李流伽たちの手の届かない場所へ帰ってしまった。

「……凛成さん。私はちゃんと、うまく失恋できたでしょうか」

 十数分前。目が覚めるような美青年がここにいる誰よりも優しく、親愛と友情に満ちた眼差しを向けたまま、けれども容赦なく李流伽を拒絶した。
 誠実で優しく慈愛に満ちたその言葉は、すうと紙で皮膚に一筋の傷を作るような一生消えない痛みを、彼女の柔い心に植え付けた。

「恋というものがわからない私は、ちゃんと」

 別れの挨拶すらもできなかったその男に問いかけても、当然答えはない。
 素人目に見ても演技としては極上だったはずだ。復讐ゲームの主催や目の肥えた悪趣味な閲覧者たちを見事騙すことができたのだから。心の傷とジャッジされゲームから解放されることができたのだから。

 本の知識を総動員してかき集めた告白は、彼女なりに考えた恋愛感情のはずだった。恋というものが甘く気持ちが華やぐような夢心地なものであれば、李流伽の心にはそんな煌めくようなものは微塵もなかった。

突風のように現れて、そして去っていった男の居た足元に残された首輪を見つめている李流伽に抱きしめたのは小春で、彼女の頭を乱暴に一撫でしたのは芳樹、そして労うように肩をぽんと叩いたのは大河だ。

「初恋だったんだねぇ」

ふわりと花の香り漂う桃色の髪を持つ女子の言葉に、偽りの失恋をしたはずの李流伽の目からは、透明な雫が零れ落ちてしばらく止むことはなかった。

「……あの変人、無事に、元の世界に帰れたんならいいけど」

 芳樹の言葉に、李流伽も顔を上げてこくりと頷く。すくりと立ち上がった李流伽の目に、もう涙はなかった。

「私たちも、外に出ませんか」

 李流伽の言葉に、三人は頷く。恐る恐る校舎を歩き、グラウンドを抜けて校門までやってきた彼らは、校門前の血の跡は見ないふりをして、そのままR学園から脱出することができた。実にあっけなく。

 大河、芳樹、小春はもとより李流伽もR学園と家はさほど離れてもおらず、数駅程度の距離しかない。心身ともに疲弊しきっているというのに脳だけは覚醒し、身体を横たえ身を休めたとしても、気が休まらない状態なのだろう。彼らは所在なさげに学校近くの公園のベンチに腰を掛けていた。

「……これから、どうしようか」

「一度、家に帰った方がいいでしょう」
 
 大河の言葉に対して、これから起こることを予測しているという風に、李流伽は正面を向いたままそう答える。

「家に帰って、父が居るならそのままいつもの生活に戻ります。もしも父が居ない場合、例えば『仕事で遅くなる』だとか『親族の不幸』だとか、それがどんな理由であっても私はまたあの学園に戻るつもりです」

「……父親を、助けたいからか?」

 芳樹の問いかけには「いいえ」と瞬時に返す。もしも本来罰せられるべきいじめっ子達が今度はR学園に集められたのであれば、ある程度の手加減をしてもらった李流伽たちとは異なり、彼らは主催に意志さえあれば、確実に殺されるであろうことは容易に想像できた。

「ただ、見届ける必要があると思ったからです」

「李流伽ちゃん、これ」

 小春はスマホを取り出しSNSのQRコードを見せた。連絡先の交換をしたいということだろう。意外なことに芳樹もすぐさまスマホを取り出し、大河もそれに倣った。

「一人で、行くな」

 長身の芳樹が李流伽と同じ目線まで腰を落とし、そしてじっと見つめている。彼女が頷くまで彼の視線が外されることはなかった。
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