【R18】碧色社長の溺愛はイチョウの下で

紫堂あねや

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07話*無知

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「あれほど詰め込まぬよう申しましたのに、坊っちゃんの頭は理解いただけてないようですな」
「いや、理解してるぞ。麦野が怒っていると」
「それは大前提のお話です。詳しくはお食事の後にしましょう。坊っちゃんの好きな茄子尽くしですよ」
「what!? ま、待て麦野!! 俺が悪かったから減らせ!!!」

 負け戦が行われる邸宅に着いたのは夜の八時を過ぎた頃。
 笑顔なのに坊ちゃん扱いしている時点で御冠だとわかる麦野を追い駆けるノアの体調は良好のようで葵も何度目かの安堵をつく。謝罪も受けたが疲労が勝っていたのもあり渇いた笑いしか返せず湯で汗を流すと、空っぽだったお腹を茄子で満たし泥のように眠った。不安と恐怖を忘れるように。

 数日後、葵は熊本城近くにある商業施設にノア──とではなく、花枝と二人で訪れていた。

「葵ちゃん、これとかどう?」
「あ、可愛い。花枝ちゃんはこっちも似合いそう」

 今日は休みが重なり、どうせならと買い物がてら出てきた二人は夏服を見せあってははしゃぐ。出身は熊本とはいえ先日まで東京に住んでいた葵と三年前に長崎から就職した花枝には通じるものがあるようで、戦利品を手にアーケード街にあるカフェでお喋りに興じる。

「じゃあ、まだ阿蘇大橋の展望所に行ってないんだ」
「うん。麦野さんが外での仕事を押さえてるみたいで、私も事務作業に回されてるの」
「えー、ならフロントにきてよ。的外れなクレームも軽くあしらえて通訳できる葵ちゃん最強だもん」
「それが、バスの送迎を頼まれちゃって……助けが必要な時はインカム越しにモールス信号して」
「葵ちゃんて資格マニアだよね」

 花枝が呆気に取られるのは葵が事務系や語学だけでなく、ハーブや折り紙、中型、大型車など多様の資格を持っているからだ。気付けば取得するのが趣味になっただけだが、指先でテーブルを刻むリズムについては首を横に振る。

モールスこれはおばあちゃんに習ったの。遭難した時にって」
「不吉だけど、まあ山なら……?」

 葵の口元が綻ぶのは後にも先にも使用したのが“あの日”だけだからだ。山奥に子供二人。居場所を伝えるための音が役に立ったか憶えていないのはキスのせいだろうが、恥ずかしさよりも思い出し笑いしていると花枝が口角を上げた。

「ていうか、オーナーと一緒じゃなきゃ大橋行きたくないんだ」
「へっ!? あー……約束しちゃったし、ひとりで行ったら拗ねて仕事しそうにないから」
「あはは。オーナーを子供扱いするの、支配人と葵ちゃんだけだよ。なに、実は付き合ってるの?」
「そ、そんなんじゃ……」
 
 詳細は話してないが、ノアとは以前からの知り合いだと顔合わせ時に伝えてある。でないと距離が近すぎてあらぬ誤解を生むからだ。幸い麦野の証言と旅館に恥じない指導を受けているのもあって踏み込んだ質問をする人はおらず花枝も弄ってるだけだとわかるが、幾度もキスしたのが浮かぶ葵は口篭ってしまう。

「まあ、オーナーこそ忙しいし、気晴らししてもらいたいよね。また倒れたらシャレにならないし」
「また?」
「二月に救急搬送されたでしょ?」
「へ!?」

 話題を変えてもらえたのは有難いが大事すぎて声に出る。周囲の視線に慌てて頭を下げた葵は目を瞬かせる花枝に顔を寄せた。

「倒れたの?」
「え? う、うん。四月まで入院してたけど今はパソコンひとつで仕事できるから業務に支障はなかったけどね。支配人から病弱とは聞いてたし……て、あれ? もしかして知らない……?」

 顔付きが険しくなる葵にマズったと思ったのか、花枝の顔も青くなると追加注文したケーキを献上した。身の安全を込めた賄賂を。

 花枝の車で阿蘇に戻った葵は『蒼穹』の前で下ろしてもらうと手を振りながら見送る。裏に住む葵とは違い、花枝は十五分ほど歩いた先にある社員寮に住んでいるからだ。荷物を手に外から邸宅へ回ると玄関で麦野と出会でくわす。

「おや、アオイ様。お帰りなさいませ」
「ただいまです。今からお仕事ですか?」
「いえ、お客様の出迎えです」
「あ、じゃあ私『蒼穹』にいた方が良いですか?」

 仕事関係者は邸宅にはこないため、プライベートの客人になる。時間を見誤ったかと困惑する葵に麦野は頭を横に振った。

「ノア様の主治医ですので、自室におられる分は構いませんよ」
「へ!? 主治医って、ノアまた倒れたんですか!?」

 動揺のあまり荷物を落とした葵は顔を青褪める。麦野も驚きはするがすぐ笑みを浮かべると、震えている葵の両肩を優しく叩いた。

「大丈夫ですよ。近辺の往診ついでに様子を見に来てくださるだけで、ご本人様は文句を言いながら仕事されてます」
「そ、そうですか……」

 冷静な声に嫌な汗と動悸が鎮まる。
 落とした荷物を拾い上げた麦野は数冊の本に目を留めるも何も言わず手渡した。彼が語ることではないと示唆しているのを察した葵は頭を下げると台所にいたマユ美に帰宅の挨拶と頼まれていた品を渡し、茶の間を通って縁側の廊下に顔を出す。見つめるのは、ひらひらと葉を落とす巨木ではなく奥にあるノアの部屋。

 同じ家に住んでいるとはいえノア自身忙しく『蒼穹』を行き来してるのもあって食事すら一緒に取れないばかりか、いつ戻っているかもわからない。今は在宅だろうが『ただいま』と伝えるのもおかしな気がして踵を返した。

 葵の部屋は玄関からほど近い十畳ほどの和室。
 最低限の家具と新調した仕事着が置かれ、窓を開けると購入した洋服とイチョウの簪。そして、熊本の観光雑誌と秘書検定の参考書を並べる。

 送迎だけで終わり。言葉にすれば簡単だが、先日の件で浅はかだと知った。父から助けてくれたのも、再就職の申し出も、この家に住ませてもらえているのも、すべてノアのおかげ。甘えてばかりではダメだと役に立ちたいと手にした物だったが、これも間違いだと気付いた。

「私……何も知らないんだ……」

 呟きが心地良い風と重なり、栞に加工した扇葉を手に取る。胸が痛むのは無力ではなく無知だったからだ。オーナーで病弱で茄子が嫌い。すべて他人から聞いただけで本人の口から知った彼ではない。それがとても辛くて苦しい。

「キス……したいな」

 辛いことも苦しいことも紛らわしてくれる“おまじない”。
 それさえも今は甘えな気がしてテーブルに突っ伏すと、頬から落ちる涙が乾いた唇に重なった。


* * *


「ん……あ、寝てた……?」

 ボヤける視界に目を擦れば夕月夜が映る。
 雑誌を読みながら眠ってしまったようで、薄暗いなか痛い身体を起こしながら携帯を探すと肩から何かが落ちた。拾って見れば着物の羽織り。それが女物ではなく男物だと気付き、慌てて部屋を出た。

 いつもより静かで灯りも点いていない邸宅。
 麦野は夜勤、マユ美も短期バイトの指導を受け持っているため夫妻が留守なのがわかる。ならば彼もと考えるが、手に持つ羽織りの暖かさからさほど時間が経ってない気がして足早に茶の間へ入ると閉じられた襖を開けた。

「っ……!」

 風と共に扇葉が頬にかかる。
 日暮れが掛かる巨木よりも、その下で落ち葉を掃くノアに目を奪われた。顔を上げた彼も葵に気付くが、ぎょっとすると菷を捨てて駆けてくる。

「アオ、どうした?」
「へ……?」

 雪駄のまま赤絨毯が敷かれた縁側に上がったノアはそっと葵の頬に手を寄せる。なんのことかわからなかったが、頬を伝っていく涙が彼の手に落ちたことで自分が泣いていたことに気付く。

「……あれ? なんで……」

 理由がわからず手で拭うが止まらず、ノアに抱きしめられると優しく頭を撫でられた。

「嫌な夢でも視たか? やはり起こせば良かったか」
「寝顔……見られたって騒ぐ……」
「もう見たし、泣き顔はいいのか?」
「っ!?」

 くすくす笑う声に羞恥が襲う葵はノアの胸板に顔を埋めると左右に頭を振る。と、耳に口が宛がわれた。

「アオ、見せろ」
「~っ!」

 甘美な囁きに身体が熱くなるばかりか疼く。それでも必死に拒否すると耳朶に舌を這わされた。

「ひうっ!」
「今日のアオは我儘だな。それとも俺を試してるのか?」
「そ、そこで喋ひゃなっ……!」

 囁きながら舐める官能的な音が全身を巡り、堪らず葵は真っ赤な顔を上げた。その姿を捉えた碧の瞳。正体に気付くよりも先に意地悪く笑う唇に口付けられた。

「ん、ふっ……ノアんっ……」
「アオ……かわいい」
「っ!?」

 恥ずかしさから身動ぐが、腰と頭に回った両腕はビクともしない。否、本当に離れたいと思っているのかわからず力が抜けると、口付けを交わしながらその場にへたり込む。絡まっていた舌が離れ、繋がる白糸が僅かな光に照らされた。
 糸が切れても吐息を零し、汗を滲ませているのが互いの目に映る。そのまま顔を寄せた葵はそっと彼の頬に触れた。

「ノアの瞳って……」
「ん……」
「阿蘇山の火口に似てるね……」
「what!?」

 予想外の発狂に甘い空気が吹っ飛ぶと、葵の膝に掛かる羽織の上に項垂れたノアが倒れ込んだ。

「そんな例え……生まれてはじめてだ……というか、なぜ今」
「へ? あ、うん……はじめて会った時から何かに似てるなと思ってたんだけど、観光雑誌見てて叔母さんに連れてってもらった火口だって思い出したの。ノアは行ったことある?」
「No……」

 力ない声で返しながら仰向けになったノアは複雑な顔をしているが、葵はくすくす笑いながら髪を撫でた。

「じゃあ、大橋含めて一緒に阿蘇観光しよう。火口がある中岳は車で行けるし綺麗だよ……ガスが出てるから体調次第だけど」

 撫でる手を止めた葵の表情が曇る。
 搬送、主治医。聞かなければいけないことがあるのに聞けないのは自身を捉える碧の瞳と柔らかな笑みのせいか。白い手が解かれた葵の髪をひと房撫でる。

「言っただろ……アオとなら行くって。俺に似てるって言われたら尚更な。繁忙期の前に行きたいが……ああ、やっぱり断ればよかった」
「断る?」

 反対の手で自身の眉間を押さえるノアに首を傾げる。確かに今は七月の頭で観光シーズンだが、元々客室が限られた高級旅館。空きはあったし、一日観光ができないほど忙しくなるとは思えない。すると、溜め息をついたノアは視線を合わせると少しの間を置いて口を開いた。

「来週、福岡のテレビが来るんだ」
「へ?」
「生中継だからアオも映るかもな」
「へ……ええええぇぇぇ!?」

 予想外返しに今度は葵の発狂が響き渡る。
 甘い空気も激しい動悸も震える身体も一瞬で緊張に変わるほど──。



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