48 / 56
48.
しおりを挟む 先月の三月で三年が経った今でも、夢にまで見るあの日の出来事。
その頃は奈穂がまだ小さくて、今とは別の意味でバタバタとはしていたけれど、それなりに平穏に暮らしていたと思う。
──あの事故が、起こるまでは……。
それは、中学一年生の三学期の終業式を終えた帰り道でのことだった。
桜のつぼみが膨らみ始める中。珍しくその年の春に風邪を引いてしまった私は学校帰りに病院に寄って帰ろうと、下校時、学区外のいつもと違う道を歩いていた。
病院を目前とした十字路にある、花町三丁目交差点を渡ろうとしたとき、悲劇は起こった。
「──ちょ、危ないっ!」
歩行者の信号が青なのを確認して横断歩道を渡り始めた私の背後から聞こえたのは、切羽詰まったような男の人の声。
その声に驚いて後ろをふり返ろうと顔を上げたとき、視界の隅にとんでもない光景が飛び込んだ。
大型のトラックが、こちらに向かって前進してきていたんだ。
歩行者の信号は、確かに青だった。
風邪を引いて頭がぼんやりしていた私は、信号は見ていたものの、信号無視の車に気づけなかった。
逃げなきゃ……っ。
そうは思うけれど、突然の出来事に足は地に張り付いたように動かなくて、その一瞬の間に死を覚悟した。
次に聞こえたのは、ドンと何かが弾け飛んだ鈍い音と女の人の甲高い悲鳴。
私の身体は後方から何かに突き飛ばされるように、思いっきり前方に吹っ飛んだ。
それから少し離れたところで、ガシャンと何かが衝突する音が響く。
あれ、私、生き、て……る?
どういうわけか無事だったことに安堵する中、状況を確認しようとアスファルトに打ち付けられた身体を動かす。
目の前、数メートル先にある電信柱には、正面からトラックが突っ込んで、その破片が路上に散らばっているのが見えた。
間違いなく、先ほど私の方へと突っ込んで来たトラックだ。
そして次第に大きくなる喝采の方へ振り返ったとき、私は助けられた身なんだと把握した。
さっきまで私のいた場所には、思わず目をそらしたくなるくらいに痛々しい姿の男の人と、その傍に立つ青ざめた女の人の姿があったのだから。
一目見て、その血まみれの男の人が私の背中を押して助けてくれた代わりにトラックにはねられたんだということが、嫌でもわかった。
「大丈夫か!?」
「おい、しっかりしろ!」
通りすがりの男性が二人、血まみれのお兄さんの傍へ駆けていく。
「ダメだ。全く反応がない。救急車だ!」
一人の男性が電話をかける中、もう一人の男性が、絶望に染まる表情で事故に遭ったお兄さんを見つめていた女の人に声をかけた。
「きみは、この兄ちゃんの知り合い?」
女の人は、お兄さんを見つめたまま力無くうなずいた。
「……はい。私の彼氏です」
自分でもよく聞き取れたと思うくらいに小さな声で、女の人は確かにそう言った。
「そっか。辛いだろうけど、この兄ちゃんのご家族に連絡お願いしてもいいかな?」
「はい……」
そのとき、鞄に手をやる女の人が、ようやく視線をお兄さんから外した。涙がこぼれ落ちる二つの瞳が、偶然なのかこちらに向けられる。
綺麗なストレートの長い黒髪の下に見える瞳は私を捉えるなり細められて、まるで恨みがましく睨んでいるようだった。
私はそれ以上身体が動かなくて、目眩が激しくなる中、その光景を見ていることしかできなかった。
「あなたは、大丈夫?」
そのとき、また別の年配の女の人が私の方へ来るのが見えた。それが、私が事故当時の最後の記憶だった。
というのも、私はその直後に意識を手放してしまったからだ。
恐らく、転んだ弾みで頭を打ったのだろうと、意識が回復した数日後に聞かされたが、特別脳に異常はなかった。
あとは、私は膝元に大きな傷を負った。
その頃は奈穂がまだ小さくて、今とは別の意味でバタバタとはしていたけれど、それなりに平穏に暮らしていたと思う。
──あの事故が、起こるまでは……。
それは、中学一年生の三学期の終業式を終えた帰り道でのことだった。
桜のつぼみが膨らみ始める中。珍しくその年の春に風邪を引いてしまった私は学校帰りに病院に寄って帰ろうと、下校時、学区外のいつもと違う道を歩いていた。
病院を目前とした十字路にある、花町三丁目交差点を渡ろうとしたとき、悲劇は起こった。
「──ちょ、危ないっ!」
歩行者の信号が青なのを確認して横断歩道を渡り始めた私の背後から聞こえたのは、切羽詰まったような男の人の声。
その声に驚いて後ろをふり返ろうと顔を上げたとき、視界の隅にとんでもない光景が飛び込んだ。
大型のトラックが、こちらに向かって前進してきていたんだ。
歩行者の信号は、確かに青だった。
風邪を引いて頭がぼんやりしていた私は、信号は見ていたものの、信号無視の車に気づけなかった。
逃げなきゃ……っ。
そうは思うけれど、突然の出来事に足は地に張り付いたように動かなくて、その一瞬の間に死を覚悟した。
次に聞こえたのは、ドンと何かが弾け飛んだ鈍い音と女の人の甲高い悲鳴。
私の身体は後方から何かに突き飛ばされるように、思いっきり前方に吹っ飛んだ。
それから少し離れたところで、ガシャンと何かが衝突する音が響く。
あれ、私、生き、て……る?
どういうわけか無事だったことに安堵する中、状況を確認しようとアスファルトに打ち付けられた身体を動かす。
目の前、数メートル先にある電信柱には、正面からトラックが突っ込んで、その破片が路上に散らばっているのが見えた。
間違いなく、先ほど私の方へと突っ込んで来たトラックだ。
そして次第に大きくなる喝采の方へ振り返ったとき、私は助けられた身なんだと把握した。
さっきまで私のいた場所には、思わず目をそらしたくなるくらいに痛々しい姿の男の人と、その傍に立つ青ざめた女の人の姿があったのだから。
一目見て、その血まみれの男の人が私の背中を押して助けてくれた代わりにトラックにはねられたんだということが、嫌でもわかった。
「大丈夫か!?」
「おい、しっかりしろ!」
通りすがりの男性が二人、血まみれのお兄さんの傍へ駆けていく。
「ダメだ。全く反応がない。救急車だ!」
一人の男性が電話をかける中、もう一人の男性が、絶望に染まる表情で事故に遭ったお兄さんを見つめていた女の人に声をかけた。
「きみは、この兄ちゃんの知り合い?」
女の人は、お兄さんを見つめたまま力無くうなずいた。
「……はい。私の彼氏です」
自分でもよく聞き取れたと思うくらいに小さな声で、女の人は確かにそう言った。
「そっか。辛いだろうけど、この兄ちゃんのご家族に連絡お願いしてもいいかな?」
「はい……」
そのとき、鞄に手をやる女の人が、ようやく視線をお兄さんから外した。涙がこぼれ落ちる二つの瞳が、偶然なのかこちらに向けられる。
綺麗なストレートの長い黒髪の下に見える瞳は私を捉えるなり細められて、まるで恨みがましく睨んでいるようだった。
私はそれ以上身体が動かなくて、目眩が激しくなる中、その光景を見ていることしかできなかった。
「あなたは、大丈夫?」
そのとき、また別の年配の女の人が私の方へ来るのが見えた。それが、私が事故当時の最後の記憶だった。
というのも、私はその直後に意識を手放してしまったからだ。
恐らく、転んだ弾みで頭を打ったのだろうと、意識が回復した数日後に聞かされたが、特別脳に異常はなかった。
あとは、私は膝元に大きな傷を負った。
0
お気に入りに追加
436
あなたにおすすめの小説
【掌編集】今までお世話になりました旦那様もお元気で〜妻の残していった離婚受理証明書を握りしめイケメン公爵は涙と鼻水を垂らす
まほりろ
恋愛
新婚初夜に「君を愛してないし、これからも愛するつもりはない」と言ってしまった公爵。
彼は今まで、天才、美男子、完璧な貴公子、ポーカーフェイスが似合う氷の公爵などと言われもてはやされてきた。
しかし新婚初夜に暴言を吐いた女性が、初恋の人で、命の恩人で、伝説の聖女で、妖精の愛し子であったことを知り意気消沈している。
彼の手には元妻が置いていった「離婚受理証明書」が握られていた……。
他掌編七作品収録。
※無断転載を禁止します。
※朗読動画の無断配信も禁止します
「Copyright(C)2023-まほりろ/若松咲良」
某小説サイトに投稿した掌編八作品をこちらに転載しました。
【収録作品】
①「今までお世話になりました旦那様もお元気で〜ポーカーフェイスの似合う天才貴公子と称された公爵は、妻の残していった離婚受理証明書を握りしめ涙と鼻水を垂らす」
②「何をされてもやり返せない臆病な公爵令嬢は、王太子に竜の生贄にされ壊れる。能ある鷹と天才美少女は爪を隠す」
③「運命的な出会いからの即日プロポーズ。婚約破棄された天才錬金術師は新しい恋に生きる!」
④「4月1日10時30分喫茶店ルナ、婚約者は遅れてやってきた〜新聞は星座占いを見る為だけにある訳ではない」
⑤「『お姉様はズルい!』が口癖の双子の弟が現世の婚約者! 前世では弟を立てる事を親に強要され馬鹿の振りをしていましたが、現世では奴とは他人なので天才として実力を充分に発揮したいと思います!」
⑥「婚約破棄をしたいと彼は言った。契約書とおふだにご用心」
⑦「伯爵家に半世紀仕えた老メイドは伯爵親子の罠にハマり無一文で追放される。老メイドを助けたのはポーカーフェイスの美女でした」
⑧「お客様の中に褒め褒めの感想を書ける方はいらっしゃいませんか? 天才美文感想書きVS普通の少女がえんぴつで書いた感想!」
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
妹に正妻の座を奪われた公爵令嬢
岡暁舟
恋愛
妹に正妻の座を奪われた公爵令嬢マリアは、それでも婚約者を憎むことはなかった。なぜか?
「すまない、マリア。ソフィアを正式な妻として迎え入れることにしたんだ」
「どうぞどうぞ。私は何も気にしませんから……」
マリアは妹のソフィアを祝福した。だが当然、不気味な未来の陰が少しずつ歩み寄っていた。
どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします
文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。
夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。
エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。
「ゲルハルトさま、愛しています」
ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。
「エレーヌ、俺はあなたが憎い」
エレーヌは凍り付いた。
断る――――前にもそう言ったはずだ
鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」
結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。
周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。
けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。
他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。
(わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)
そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。
ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。
そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
真実の愛は、誰のもの?
ふまさ
恋愛
「……悪いと思っているのなら、く、口付け、してください」
妹のコーリーばかり優先する婚約者のエディに、ミアは震える声で、思い切って願いを口に出してみた。顔を赤くし、目をぎゅっと閉じる。
だが、温かいそれがそっと触れたのは、ミアの額だった。
ミアがまぶたを開け、自分の額に触れた。しゅんと肩を落とし「……また、額」と、ぼやいた。エディはそんなミアの頭を撫でながら、柔やかに笑った。
「はじめての口付けは、もっと、ロマンチックなところでしたいんだ」
「……ロマンチック、ですか……?」
「そう。二人ともに、想い出に残るような」
それは、二人が婚約してから、六年が経とうとしていたときのことだった。
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
王妃の仕事なんて知りません、今から逃げます!
gacchi
恋愛
側妃を迎えるって、え?聞いてないよ?
王妃の仕事が大変でも頑張ってたのは、レオルドが好きだから。
国への責任感?そんなの無いよ。もういい。私、逃げるから!
12/16加筆修正したものをカクヨムに投稿しました。
記憶喪失になった嫌われ悪女は心を入れ替える事にした
結城芙由奈@2/28コミカライズ発売
ファンタジー
池で溺れて死にかけた私は意識を取り戻した時、全ての記憶を失っていた。それと同時に自分が周囲の人々から陰で悪女と呼ばれ、嫌われている事を知る。どうせ記憶喪失になったなら今から心を入れ替えて生きていこう。そして私はさらに衝撃の事実を知る事になる―。
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
【完結】仰る通り、貴方の子ではありません
ユユ
恋愛
辛い悪阻と難産を経て産まれたのは
私に似た待望の男児だった。
なのに認められず、
不貞の濡れ衣を着せられ、
追い出されてしまった。
実家からも勘当され
息子と2人で生きていくことにした。
* 作り話です
* 暇つぶしにどうぞ
* 4万文字未満
* 完結保証付き
* 少し大人表現あり
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる