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後日譚
夫婦志願(ライル視点)
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子供が欲しいのだとためらいながら訴えると、男は意外そうな顔をして、緋色の目を見張った。
「どうして?」
「どうしてって……」
真顔で訊き返されても、困ってしまうのだが。
「君は、欲しくない?」
「別に」
男はあっさりそう答えた。
彼は拍子抜けして男を見つめた。
「でも君、いつだったか、私に子供は産めるのかと訊いたじゃないか」
あのときは恥ずかしくて逃げ出してしまったが、もう一度同じ質問をされていたら、できると答えるつもりでいた。
しかし、その後男が同じ質問をしてくることは二度となかったので、結局、答えられずじまいだった。まさか、自分から言い出すわけにもいかないし。
「ああ、あれは単なる好奇心だ。男にでも女にでもなれるというから、そういうこともできるのかと。考えてみれば、子供を産ませることができるのかと訊いてもよかったんだな。――どうなんだ?」
彼は菫色の瞳で男を睨んで、まったく力をこめずに男の胸を殴った。
この男相手ならもっと強く殴ってもいいのだろうが、もし力の加減を誤って男の胸を突き破ってしまったらと思うと怖くて、どうしてもできない。
「それは、できると解釈していいのか?」
男は意地悪く笑って、彼の手を捕らえた。
以前はそうされても平然としていられたのだが、今はそれだけで動揺してしまう。
でも、男の手を振り払うことは彼にはできない。決して嫌なわけではないから。
「試してほしいのかい?」
せめてもの抵抗で、上目使いで笑ってみせる。
男は少し考えてから、眉をひそめて彼の手を引き、その体を己の逞しい腕の中に抱えこんだ。
「想像がつかんな……」
男が口にした言葉はそれだけだったが、その言わんとするところは、おまえが女を抱くところなど想像ができないといったところだろう。
その件に関してはともかく――男にはっきりそう訊かれるまでは、自分からそのことを明かすつもりはまったくなかった――それまで彼が子供を産ませたことも産んだこともないことだけは事実だった。
この世界においての彼は、不老不死の存在である。
しかも、自分の容姿をいつでも自分の好きなように変えられる。
したがって、彼には子孫を残したいという欲求もなければ、無理に人がましくふるまう必要もなかった。人間たちの記憶を適当にいじれば、あるはずのない彼の幼少期をでっちあげることすら簡単にできるのだから(どうしてその力をこの男に対して使わないのかと友は言うが、それができないからこそ、この男は彼にとって特別なのだ)。
そんな彼が、なぜ今回に限って、自ら子供が欲しいなどと言い出したのか。
理由は単純だった。彼は今度こそ本当に、この男と〝夫婦〟になりたかったのである。
人間である男よりも世俗的な感性を持つ彼は、〝夫婦〟という形が最強の結びつきであると思いこんでいた。そして、その間に子供があれば、そのつながりはいっそう強固なものになる。そう信じきっていた。
「できたら、子供は二人欲しいんだ……」
男に抱きしめられながら、彼はぼそぼそと言った。
「でも、二回別々に産むのは面倒だから、双子、それも男女がいい。――ねえ、アステリウス。どうしても駄目?」
「いや、駄目とは言わないが……」
男は困惑したように彼を見下ろす。
「産むのか? おまえが? この体で?」
男がそう言うのも無理はなかった。彼はいついかなるときも今の男の姿でいた。初めて愛してもらったときでさえも。
「やろうと思えばできなくもないだろうけど、それじゃ君が嫌だろうから女の体になるよ。ついでだから、髪や瞳の色も変えようか?」
何の気なしに言ったのだが、男は間髪を入れず答えた。
「変えるな。これはそのままでいい。……気に入ってるんだ」
思わず赤くなってしまう。彼は男から気に入っているとか好きだとか言われるのに、今でもとても弱いのだ。普段、あまりそのようなことを言ってくれないから余計に。
「うん……わかった」
小さくうなずいて、彼は実に百年近くぶりに女の姿になった。
きっと喜んでもらえる。そう思っていたのだが。
期待して男の顔を見上げてみると、驚いてはいたものの、何というか――いまいち、反応が悪かった。
久しぶりだから、どこか失敗してしまったのだろうか? 彼は不安になって、あわてて宙に鏡を作り出し、己の姿を映し出してみたが、彼の目には特にしくじったと思われる箇所は見つからなかった。
「君……もしかして、気に入らない?」
彼の口から発せられる声も、体に合わせてすでに女のものだ。それを聞いて男はますます奇怪なものでも見るような目で彼を見た。
「いや……単に驚いているだけだ。本当に女になれるんだな。鳥にもなれるのか?」
「それはなれるけど……ならないからね、私は」
今のところ、彼はこの男の前で人間以外の姿になるつもりはないのだ。第一、鳥では子供が産めない。
「アステリウス」
彼は鏡を消し去ると、自ら男に抱きついた。豊かになった胸をわざと押しつけるようにすると、男は居心地悪そうに身じろぎした。
「ライル……その、もし子供が産まれたら、その子供は人間なのか? それとも、おまえと同じ神なのか?」
「たぶん、君と同じ人間だよ」
正直、それは彼にもわからなかったが、この世界の中で生まれ出るものはすべて、彼と同じものではないだろう。
「でも、もし君が望むなら、そうじゃなくすることもできると思うよ。君はどちらがいい?」
男は呆れたように苦笑いした。
自分がいなくとも、おまえ一人だけで子を作ることもできるのではないかと思ったのかもしれない。
だが、男はそうは言わず、彼の純白の髪をそっと撫でた。
「どちらでもかまわない。私の神は、おまえだけだ」
できたら、そこは〝恋人〟とか〝伴侶〟とか言ってほしかったと思いながらも、彼は自分の頬が赤く染まるのを隠すことができなかった。
今も昔も、彼が愛しているのは、この人間の男一人だけだ。
どこまでも彼に逆らいつづけ、決して彼のものにはならなかった男。
その男が今、彼の正体を知った上で、彼を抱きしめてくれる。
彼の願いを、叶えようとしてくれる。
「最初から私の正体を明かしていたら、君はもっと早くにこうしてくれていたのかな」
眼前に迫る男の顔を見つめながら呟くと、男はかすかに笑っただけで、肯定も否定もしなかった。
―了―
「どうして?」
「どうしてって……」
真顔で訊き返されても、困ってしまうのだが。
「君は、欲しくない?」
「別に」
男はあっさりそう答えた。
彼は拍子抜けして男を見つめた。
「でも君、いつだったか、私に子供は産めるのかと訊いたじゃないか」
あのときは恥ずかしくて逃げ出してしまったが、もう一度同じ質問をされていたら、できると答えるつもりでいた。
しかし、その後男が同じ質問をしてくることは二度となかったので、結局、答えられずじまいだった。まさか、自分から言い出すわけにもいかないし。
「ああ、あれは単なる好奇心だ。男にでも女にでもなれるというから、そういうこともできるのかと。考えてみれば、子供を産ませることができるのかと訊いてもよかったんだな。――どうなんだ?」
彼は菫色の瞳で男を睨んで、まったく力をこめずに男の胸を殴った。
この男相手ならもっと強く殴ってもいいのだろうが、もし力の加減を誤って男の胸を突き破ってしまったらと思うと怖くて、どうしてもできない。
「それは、できると解釈していいのか?」
男は意地悪く笑って、彼の手を捕らえた。
以前はそうされても平然としていられたのだが、今はそれだけで動揺してしまう。
でも、男の手を振り払うことは彼にはできない。決して嫌なわけではないから。
「試してほしいのかい?」
せめてもの抵抗で、上目使いで笑ってみせる。
男は少し考えてから、眉をひそめて彼の手を引き、その体を己の逞しい腕の中に抱えこんだ。
「想像がつかんな……」
男が口にした言葉はそれだけだったが、その言わんとするところは、おまえが女を抱くところなど想像ができないといったところだろう。
その件に関してはともかく――男にはっきりそう訊かれるまでは、自分からそのことを明かすつもりはまったくなかった――それまで彼が子供を産ませたことも産んだこともないことだけは事実だった。
この世界においての彼は、不老不死の存在である。
しかも、自分の容姿をいつでも自分の好きなように変えられる。
したがって、彼には子孫を残したいという欲求もなければ、無理に人がましくふるまう必要もなかった。人間たちの記憶を適当にいじれば、あるはずのない彼の幼少期をでっちあげることすら簡単にできるのだから(どうしてその力をこの男に対して使わないのかと友は言うが、それができないからこそ、この男は彼にとって特別なのだ)。
そんな彼が、なぜ今回に限って、自ら子供が欲しいなどと言い出したのか。
理由は単純だった。彼は今度こそ本当に、この男と〝夫婦〟になりたかったのである。
人間である男よりも世俗的な感性を持つ彼は、〝夫婦〟という形が最強の結びつきであると思いこんでいた。そして、その間に子供があれば、そのつながりはいっそう強固なものになる。そう信じきっていた。
「できたら、子供は二人欲しいんだ……」
男に抱きしめられながら、彼はぼそぼそと言った。
「でも、二回別々に産むのは面倒だから、双子、それも男女がいい。――ねえ、アステリウス。どうしても駄目?」
「いや、駄目とは言わないが……」
男は困惑したように彼を見下ろす。
「産むのか? おまえが? この体で?」
男がそう言うのも無理はなかった。彼はいついかなるときも今の男の姿でいた。初めて愛してもらったときでさえも。
「やろうと思えばできなくもないだろうけど、それじゃ君が嫌だろうから女の体になるよ。ついでだから、髪や瞳の色も変えようか?」
何の気なしに言ったのだが、男は間髪を入れず答えた。
「変えるな。これはそのままでいい。……気に入ってるんだ」
思わず赤くなってしまう。彼は男から気に入っているとか好きだとか言われるのに、今でもとても弱いのだ。普段、あまりそのようなことを言ってくれないから余計に。
「うん……わかった」
小さくうなずいて、彼は実に百年近くぶりに女の姿になった。
きっと喜んでもらえる。そう思っていたのだが。
期待して男の顔を見上げてみると、驚いてはいたものの、何というか――いまいち、反応が悪かった。
久しぶりだから、どこか失敗してしまったのだろうか? 彼は不安になって、あわてて宙に鏡を作り出し、己の姿を映し出してみたが、彼の目には特にしくじったと思われる箇所は見つからなかった。
「君……もしかして、気に入らない?」
彼の口から発せられる声も、体に合わせてすでに女のものだ。それを聞いて男はますます奇怪なものでも見るような目で彼を見た。
「いや……単に驚いているだけだ。本当に女になれるんだな。鳥にもなれるのか?」
「それはなれるけど……ならないからね、私は」
今のところ、彼はこの男の前で人間以外の姿になるつもりはないのだ。第一、鳥では子供が産めない。
「アステリウス」
彼は鏡を消し去ると、自ら男に抱きついた。豊かになった胸をわざと押しつけるようにすると、男は居心地悪そうに身じろぎした。
「ライル……その、もし子供が産まれたら、その子供は人間なのか? それとも、おまえと同じ神なのか?」
「たぶん、君と同じ人間だよ」
正直、それは彼にもわからなかったが、この世界の中で生まれ出るものはすべて、彼と同じものではないだろう。
「でも、もし君が望むなら、そうじゃなくすることもできると思うよ。君はどちらがいい?」
男は呆れたように苦笑いした。
自分がいなくとも、おまえ一人だけで子を作ることもできるのではないかと思ったのかもしれない。
だが、男はそうは言わず、彼の純白の髪をそっと撫でた。
「どちらでもかまわない。私の神は、おまえだけだ」
できたら、そこは〝恋人〟とか〝伴侶〟とか言ってほしかったと思いながらも、彼は自分の頬が赤く染まるのを隠すことができなかった。
今も昔も、彼が愛しているのは、この人間の男一人だけだ。
どこまでも彼に逆らいつづけ、決して彼のものにはならなかった男。
その男が今、彼の正体を知った上で、彼を抱きしめてくれる。
彼の願いを、叶えようとしてくれる。
「最初から私の正体を明かしていたら、君はもっと早くにこうしてくれていたのかな」
眼前に迫る男の顔を見つめながら呟くと、男はかすかに笑っただけで、肯定も否定もしなかった。
―了―
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