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第四話 報復の女神(SIDE:A)
序
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とにかく、不安なのだ。
自分の許可なしに外出はできないとわかっているのに。
この城へ戻ってきて、恭司の顔を見るまでは。
ほどなく、彼は柱廊で縞瑪瑙の壁に寄りかかるようにして座っている恭司を見つけた。我知らずほっとする。
近頃の恭司は、たいていそんなふうに外の景色を眺めている。そして、それを見るたび彼は複雑な思いにかられる。
恭司は面倒を嫌う一方、退屈を何より嫌う。そんな恭司にとって、この縞瑪瑙の城は確かに安全には違いないが、魂を少しずつすり減らしていく牢獄にも等しい。
それは彼にもわかっていた。だが、恭司を自分の目の届かない場所へ置くことは、どうしてもできなくなっていた。
だから、現世よりは彼の力の及ぶこの夢の国でなら、自由に歩き回ってもいいということにした。
しかし、恭司が自分以外の者と親しく接するのを見るのは、やはり辛い。
そんな彼の葛藤を恭司も知っていたのか、彼がもう限界だと思ったときに、ようやくこの城へと帰ってきてくれたのだが。
帰ってきた恭司は、以前と同じように、一日の大半を外を眺めて過ごしている。
彼は溜め息を吐き切ってから、そっと恭司に近づいた。
「そんなところにいて、寒くはないか?」
「大丈夫」
恭司は彼を一瞥してから、また外へ目を戻した。
彼の温度管理は完璧だ。だが、どうしても恭司を石の床に座らせたままにさせておくのが嫌で、彼は白い毛布を取り寄せると、恭司の体に掛けかけた。
「見ている私のほうが寒くなる。使え」
「こいつはどうもご親切に」
よほど退屈していたのか、恭司は正座して三つ指をつくと、毛布を床の上に敷いて、その上に座り直した。
「どういたしまして」
彼も真面目にそう応じて、恭司の横に腰を下ろす。
「おまえはよくよくこの景色が好きだな。暇さえあればいつも眺めている」
彼はあえて鈍感を装った。自分の内心を推し量られるのを恭司は好まない。
「まあね。でも、欲を言えば、絵的にこの柱はないほうがいいな」
そう言って、恭司は前方に立ち並ぶ石柱に手をかざした。
切れ切れに雲が浮かぶ青い空は、黒い柱によって縦に細長く区切られていた。まるで監獄の格子のように。
「ならば、消そう」
彼が柱へ向かって手を横に動かすと、巨大な柱は次々と消えていった。
「おー、すごいすごい」
恭司が大仰に手を叩く。少しだけ彼は気をよくしたが、この程度で満足してもらえるとは最初から思っていない。彼は表情を引き締めると、意を決して口を開いた。
「恭司。おまえ……」
「ん?」
「……今でも、現世へ帰りたいか?」
恭司はようやくまともに彼を見た。
驚いたような、信じられないような。
しかし、何を思いついたのか、突然にやにやと笑い出した。
「そうか」
「な、何だ?」
「やっと、俺に飽きてくれたのか」
「何を言う」
不気味に思ったのもつかのま、怒りを覚えて言い返す。
「私がおまえに飽きることなどあるものか。ただ……おまえがな。私の勝手で、これ以上ここに縛りつけるのも気の毒になってな。おまえが望むなら、少しの間だけでも、現世に帰してやろうかと……」
恭司は彼の真意を窺うように彼を見つめていたが、本気で言っているのがわかると、なぜか苦笑いした。
「悪い傾向だ。俺に同情するなんて」
「どうしてだ? ただし、先に言っておくが、帰るのはあくまでも一時だけだぞ? 私にはおまえを手放す気など、これっぽっちもないからな」
これまでがこれまでだけに、彼の危機感はひとしおだった。
恭司の命令には逆らえない彼は、恭司が夢の国に帰りたくないと言い出したら、もう連れ帰ることができなくなる。
そうとわかっていながら、自分からこんなことを言い出したのは、このまま退屈のために弱っていく恭司も見たくはなかったからだ。恭司を生き返らせるためならば、多少のことは我慢する。我慢できなくなるまでは。
「わかったわかった。俺もあっちが面倒になってきたら、すぐにこっちへ戻してもらうから」
彼は目を眇めて恭司を見すえた。
「本当に?」
「俺の言うことが信じられない?」
「いや! そうではなくて!」
恭司の眉がわずかにひそめられたのを見て、彼は大いにあわてた。彼も恭司が嘘をついているとは思わない。ただ、その〝面倒になってきたら〟がいつになるかわからないから、とても不安なのだ。
この城の中とは違い、現世には時の流れというものがある。彼が恭司をこの城へ留めておこうとするのも、恭司を永遠に失いたくないからだ。
一、二ヶ月くらいならさほど影響はないだろうが、一、二年ともなったら確実に老化は進行する。ゆくゆくはそんな心配をしなくても済むようにしたいと思っているが、今は人間である恭司をじっくり堪能したいのだ。
「じゃあ、ナイア。〝保険〟をかけておこうか?」
狼狽する彼を冷ややかに眺めてから、一転して恭司はにっこり笑った。
こういうとき、恭司はいつもろくなことを言わない。だが、それでも彼は微笑まずにはいられない。恭司が楽しそうに笑ってくれるなら、それで彼は幸福だ。たとえ後でどんな結果がついてきたとしても。
「保険?」
「そう。ここに〝人質〟を置いていくよ」
悪戯っぽく笑って、彼を覗きこむ。
この顔が凶悪だ。どんな反論も言えなくなってしまう。ただ彼にできるのは、澄んだ鳶色の瞳を見つめることのみ。
「その〝人質〟が『帰りたい』って言ったら、俺はすぐにこっちに戻ってくる。でも、無理やり『帰りたい』って言わせたのがわかったら、俺はもう二度とおまえと口はきかない。もし何かする気なら、それだけの覚悟はしとけよ?」
どこまでもにこやかに恭司は言う。その手の前科のありすぎる彼は、針の筵の上にいるような心地をしながらも、やはり恭司の笑顔の魔力には勝てなかったのだった。
「わ……わかった。それで、その〝人質〟というのは……?」
「そうだよな。まずは、その〝人質〟が承知してくれるかだよな」
恭司は真顔になって、細い顎に手を添えた。
「まあ、断ることはないと思うんだけどね……おまえが行けば」
「は?」
あっけにとられた彼に、恭司は人差指を突きつけた。
「期待してるぞ、〈大いなる使者〉。人を引っ張ってくるのは得意だろ?」
わけがわからない。
しかし、そこがまた恭司らしくて、彼は思わず笑ってしまった。
「そうだな。でも、自分のためだけに連れてきたのは、後にも先にもおまえだけだ……」
――永遠に、この腕の中に囲っていたいと思ったのも。
自分の許可なしに外出はできないとわかっているのに。
この城へ戻ってきて、恭司の顔を見るまでは。
ほどなく、彼は柱廊で縞瑪瑙の壁に寄りかかるようにして座っている恭司を見つけた。我知らずほっとする。
近頃の恭司は、たいていそんなふうに外の景色を眺めている。そして、それを見るたび彼は複雑な思いにかられる。
恭司は面倒を嫌う一方、退屈を何より嫌う。そんな恭司にとって、この縞瑪瑙の城は確かに安全には違いないが、魂を少しずつすり減らしていく牢獄にも等しい。
それは彼にもわかっていた。だが、恭司を自分の目の届かない場所へ置くことは、どうしてもできなくなっていた。
だから、現世よりは彼の力の及ぶこの夢の国でなら、自由に歩き回ってもいいということにした。
しかし、恭司が自分以外の者と親しく接するのを見るのは、やはり辛い。
そんな彼の葛藤を恭司も知っていたのか、彼がもう限界だと思ったときに、ようやくこの城へと帰ってきてくれたのだが。
帰ってきた恭司は、以前と同じように、一日の大半を外を眺めて過ごしている。
彼は溜め息を吐き切ってから、そっと恭司に近づいた。
「そんなところにいて、寒くはないか?」
「大丈夫」
恭司は彼を一瞥してから、また外へ目を戻した。
彼の温度管理は完璧だ。だが、どうしても恭司を石の床に座らせたままにさせておくのが嫌で、彼は白い毛布を取り寄せると、恭司の体に掛けかけた。
「見ている私のほうが寒くなる。使え」
「こいつはどうもご親切に」
よほど退屈していたのか、恭司は正座して三つ指をつくと、毛布を床の上に敷いて、その上に座り直した。
「どういたしまして」
彼も真面目にそう応じて、恭司の横に腰を下ろす。
「おまえはよくよくこの景色が好きだな。暇さえあればいつも眺めている」
彼はあえて鈍感を装った。自分の内心を推し量られるのを恭司は好まない。
「まあね。でも、欲を言えば、絵的にこの柱はないほうがいいな」
そう言って、恭司は前方に立ち並ぶ石柱に手をかざした。
切れ切れに雲が浮かぶ青い空は、黒い柱によって縦に細長く区切られていた。まるで監獄の格子のように。
「ならば、消そう」
彼が柱へ向かって手を横に動かすと、巨大な柱は次々と消えていった。
「おー、すごいすごい」
恭司が大仰に手を叩く。少しだけ彼は気をよくしたが、この程度で満足してもらえるとは最初から思っていない。彼は表情を引き締めると、意を決して口を開いた。
「恭司。おまえ……」
「ん?」
「……今でも、現世へ帰りたいか?」
恭司はようやくまともに彼を見た。
驚いたような、信じられないような。
しかし、何を思いついたのか、突然にやにやと笑い出した。
「そうか」
「な、何だ?」
「やっと、俺に飽きてくれたのか」
「何を言う」
不気味に思ったのもつかのま、怒りを覚えて言い返す。
「私がおまえに飽きることなどあるものか。ただ……おまえがな。私の勝手で、これ以上ここに縛りつけるのも気の毒になってな。おまえが望むなら、少しの間だけでも、現世に帰してやろうかと……」
恭司は彼の真意を窺うように彼を見つめていたが、本気で言っているのがわかると、なぜか苦笑いした。
「悪い傾向だ。俺に同情するなんて」
「どうしてだ? ただし、先に言っておくが、帰るのはあくまでも一時だけだぞ? 私にはおまえを手放す気など、これっぽっちもないからな」
これまでがこれまでだけに、彼の危機感はひとしおだった。
恭司の命令には逆らえない彼は、恭司が夢の国に帰りたくないと言い出したら、もう連れ帰ることができなくなる。
そうとわかっていながら、自分からこんなことを言い出したのは、このまま退屈のために弱っていく恭司も見たくはなかったからだ。恭司を生き返らせるためならば、多少のことは我慢する。我慢できなくなるまでは。
「わかったわかった。俺もあっちが面倒になってきたら、すぐにこっちへ戻してもらうから」
彼は目を眇めて恭司を見すえた。
「本当に?」
「俺の言うことが信じられない?」
「いや! そうではなくて!」
恭司の眉がわずかにひそめられたのを見て、彼は大いにあわてた。彼も恭司が嘘をついているとは思わない。ただ、その〝面倒になってきたら〟がいつになるかわからないから、とても不安なのだ。
この城の中とは違い、現世には時の流れというものがある。彼が恭司をこの城へ留めておこうとするのも、恭司を永遠に失いたくないからだ。
一、二ヶ月くらいならさほど影響はないだろうが、一、二年ともなったら確実に老化は進行する。ゆくゆくはそんな心配をしなくても済むようにしたいと思っているが、今は人間である恭司をじっくり堪能したいのだ。
「じゃあ、ナイア。〝保険〟をかけておこうか?」
狼狽する彼を冷ややかに眺めてから、一転して恭司はにっこり笑った。
こういうとき、恭司はいつもろくなことを言わない。だが、それでも彼は微笑まずにはいられない。恭司が楽しそうに笑ってくれるなら、それで彼は幸福だ。たとえ後でどんな結果がついてきたとしても。
「保険?」
「そう。ここに〝人質〟を置いていくよ」
悪戯っぽく笑って、彼を覗きこむ。
この顔が凶悪だ。どんな反論も言えなくなってしまう。ただ彼にできるのは、澄んだ鳶色の瞳を見つめることのみ。
「その〝人質〟が『帰りたい』って言ったら、俺はすぐにこっちに戻ってくる。でも、無理やり『帰りたい』って言わせたのがわかったら、俺はもう二度とおまえと口はきかない。もし何かする気なら、それだけの覚悟はしとけよ?」
どこまでもにこやかに恭司は言う。その手の前科のありすぎる彼は、針の筵の上にいるような心地をしながらも、やはり恭司の笑顔の魔力には勝てなかったのだった。
「わ……わかった。それで、その〝人質〟というのは……?」
「そうだよな。まずは、その〝人質〟が承知してくれるかだよな」
恭司は真顔になって、細い顎に手を添えた。
「まあ、断ることはないと思うんだけどね……おまえが行けば」
「は?」
あっけにとられた彼に、恭司は人差指を突きつけた。
「期待してるぞ、〈大いなる使者〉。人を引っ張ってくるのは得意だろ?」
わけがわからない。
しかし、そこがまた恭司らしくて、彼は思わず笑ってしまった。
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