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閑話 宣戦布告――あるいは、なぜウォーンライトは翌朝若林宅に電話をかけたか?
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『こんにちは。ヘンリー・ウォーンライトです』
受話器の向こうから流暢な日本語でそう挨拶され、若林修人は思わず返す言葉に詰まってしまった。
まったく知らない人間ではない。ウォーンライトはアメリカのデボラ社という美少女ものを得意としているロボットメーカーの中心人物で、工学博士号も持っている。確か、K大で〝桜〟を発表したときに一度だけ直接会った。身長一九一センチメートルの若林よりやや背が高く、俳優並みの整った容貌をしていた。
しかし、若林の中では、ウォーンライトは正木がアメリカの大学へ短期留学したときに知り合った人物として記憶されている。自分では気づいていないが、この男の中ではすべては正木を中心にして回っているのだった。
「こんにちは。お久しぶりですね。〝桜〟のとき以来ですか?」
とにかく、まずは無難にそう答えることにした。
『いや、覚えていていただけましたか? 嬉しいです。あのときは、ろくにお話できずに終わってしまいましたね。僕はぜひ、あなたとじっくりお話したかったのですが』
そう言われて、若林はそういえばそうだったと思い出した。
あのとき、そこには正木もいて、ウォーンライトのことを紹介はしてくれたのだが、すぐに別れてしまい、結局そのまま何も話さず終わってしまったのだった。
そんな正木の態度を、久しぶりに会ったにしては冷たいなと、当時若林は不思議に思った覚えがある。正木は本来、友情には厚い男なのだ。
「ああ、そうでしたね。ところで、私に何か用がおありなのでは……?」
『そうでした。そのほうが重要でしたね。実は、僕は今、日本に来ているんです』
「え?」
素で若林は驚いた。今、日本でロボット工学関連の学会や集まりはないはずだ。観光にしても、師走の日本など気ぜわしいだけで、あまり楽しくはないだろう。
このとき、何だかよくわからないが、若林に嫌な予感が走った。二度あることは三度あると言うし。
「お仕事で?」
それでも、何とかその予感を気のせいにしたくて、若林はそう言ってみた。
『いえ、まったくのプライベートです。それでですね、いきなりで申し訳ないんですが、もしお時間をいただけるなら、今から僕と会っていただけませんか?』
「は?」
またもや若林は意表を突かれた。正木にならともかく、なぜウォーンライトが自分に会いたがるのだ。何のかかわりもつながりもないはずなのに。
『いえ、お忙しいようでしたら、あなたのご都合に合わせます。……会っていただけませんか?』
「あの……先に用件のほうを伺ってもよろしいでしょうか?」
正直、若林は暇ではなかった。二度もスリー・アールのコンテストなどに参加してしまった――おまけに、先月はあの〝人間型ロボットの最高傑作〟に空手もどきなどさせてしまった――ため、教授会から大顰蹙を買ってしまい、若林がそんなことをするのも時間に余裕があるからだとばかりに、細々とした仕事を増やされてしまったのだ。
基本的に若林は機械いじりが好きな男だった。そんな彼にとって今のこの状況は、決して好ましいものではなかった。
『ああ、そうですね。これは失礼しました』
悪びれずにウォーンライトは言った。
『ガイのことです』
「……は?」
一瞬、本気で誰のことだかわからなかった。若林は一度だって、〝彼〟をその名前で呼んだことはなかったから。
実は、若林が唯一〝彼〟の中で気に入らないものはその名前だった。だって男くさくて、〝彼〟にはあまりにも不似合いではないか。
『ガイ――というより、正木と言ったほうがあなたには通じるのかな? 正木凱。あなたの元同僚の、正木凱についてですよ』
「――彼が何か?」
我知らず、若林の声は別人のように冷ややかになった。
あの嫌な予感が的中しそうだというのもあったが、それより今はウォーンライトに正木を呼び捨てにされたのが、ものすごーく気に食わなかったのである。自分だってそうしているのだが、第三者にそうされると腹が立つのだ。勝手な男である。
『いや、彼自身がどうこうというより、彼を僕らがどう考えるかの問題ですね。……こう言えばおわかりですか?』
「わかりました。今どちらにいらっしゃいますか?」
『実は……あなたの大学の前にある、喫茶店にいるんですよ』
白々しくウォーンライトは笑った。――見抜かれている。若林が正木の名前を出されれば、たとえ期末試験があろうがとりやめて、すぐに駆けつけてくるだろうことを。
「そうですか。それならわかります。すぐに行きます」
そう答えたが早いか、若林は受話器を叩きつけるようにして置き、ハンガーに掛けてあったコートを引っつかんで、それを持ったまま個人研究室を飛び出した。
それが若林最大の〝敵〟、ウォーンライトとの前哨戦の始まりだった。
受話器の向こうから流暢な日本語でそう挨拶され、若林修人は思わず返す言葉に詰まってしまった。
まったく知らない人間ではない。ウォーンライトはアメリカのデボラ社という美少女ものを得意としているロボットメーカーの中心人物で、工学博士号も持っている。確か、K大で〝桜〟を発表したときに一度だけ直接会った。身長一九一センチメートルの若林よりやや背が高く、俳優並みの整った容貌をしていた。
しかし、若林の中では、ウォーンライトは正木がアメリカの大学へ短期留学したときに知り合った人物として記憶されている。自分では気づいていないが、この男の中ではすべては正木を中心にして回っているのだった。
「こんにちは。お久しぶりですね。〝桜〟のとき以来ですか?」
とにかく、まずは無難にそう答えることにした。
『いや、覚えていていただけましたか? 嬉しいです。あのときは、ろくにお話できずに終わってしまいましたね。僕はぜひ、あなたとじっくりお話したかったのですが』
そう言われて、若林はそういえばそうだったと思い出した。
あのとき、そこには正木もいて、ウォーンライトのことを紹介はしてくれたのだが、すぐに別れてしまい、結局そのまま何も話さず終わってしまったのだった。
そんな正木の態度を、久しぶりに会ったにしては冷たいなと、当時若林は不思議に思った覚えがある。正木は本来、友情には厚い男なのだ。
「ああ、そうでしたね。ところで、私に何か用がおありなのでは……?」
『そうでした。そのほうが重要でしたね。実は、僕は今、日本に来ているんです』
「え?」
素で若林は驚いた。今、日本でロボット工学関連の学会や集まりはないはずだ。観光にしても、師走の日本など気ぜわしいだけで、あまり楽しくはないだろう。
このとき、何だかよくわからないが、若林に嫌な予感が走った。二度あることは三度あると言うし。
「お仕事で?」
それでも、何とかその予感を気のせいにしたくて、若林はそう言ってみた。
『いえ、まったくのプライベートです。それでですね、いきなりで申し訳ないんですが、もしお時間をいただけるなら、今から僕と会っていただけませんか?』
「は?」
またもや若林は意表を突かれた。正木にならともかく、なぜウォーンライトが自分に会いたがるのだ。何のかかわりもつながりもないはずなのに。
『いえ、お忙しいようでしたら、あなたのご都合に合わせます。……会っていただけませんか?』
「あの……先に用件のほうを伺ってもよろしいでしょうか?」
正直、若林は暇ではなかった。二度もスリー・アールのコンテストなどに参加してしまった――おまけに、先月はあの〝人間型ロボットの最高傑作〟に空手もどきなどさせてしまった――ため、教授会から大顰蹙を買ってしまい、若林がそんなことをするのも時間に余裕があるからだとばかりに、細々とした仕事を増やされてしまったのだ。
基本的に若林は機械いじりが好きな男だった。そんな彼にとって今のこの状況は、決して好ましいものではなかった。
『ああ、そうですね。これは失礼しました』
悪びれずにウォーンライトは言った。
『ガイのことです』
「……は?」
一瞬、本気で誰のことだかわからなかった。若林は一度だって、〝彼〟をその名前で呼んだことはなかったから。
実は、若林が唯一〝彼〟の中で気に入らないものはその名前だった。だって男くさくて、〝彼〟にはあまりにも不似合いではないか。
『ガイ――というより、正木と言ったほうがあなたには通じるのかな? 正木凱。あなたの元同僚の、正木凱についてですよ』
「――彼が何か?」
我知らず、若林の声は別人のように冷ややかになった。
あの嫌な予感が的中しそうだというのもあったが、それより今はウォーンライトに正木を呼び捨てにされたのが、ものすごーく気に食わなかったのである。自分だってそうしているのだが、第三者にそうされると腹が立つのだ。勝手な男である。
『いや、彼自身がどうこうというより、彼を僕らがどう考えるかの問題ですね。……こう言えばおわかりですか?』
「わかりました。今どちらにいらっしゃいますか?」
『実は……あなたの大学の前にある、喫茶店にいるんですよ』
白々しくウォーンライトは笑った。――見抜かれている。若林が正木の名前を出されれば、たとえ期末試験があろうがとりやめて、すぐに駆けつけてくるだろうことを。
「そうですか。それならわかります。すぐに行きます」
そう答えたが早いか、若林は受話器を叩きつけるようにして置き、ハンガーに掛けてあったコートを引っつかんで、それを持ったまま個人研究室を飛び出した。
それが若林最大の〝敵〟、ウォーンライトとの前哨戦の始まりだった。
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