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第三話 若林博士、最後の挑戦!
第八章 Wの挑戦(1) 若林宅
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かすかな人の話し声で目が覚めた。
寝ぼけまなこで、ベッド横のカラーボックスの上に置いてある目覚まし時計を見ると、六時半を少し回ったところだった。窓の外はまだ暗い。
――コンテストの開会は午前十一時。受付開始が午前十時。ここから会場まで車で三十分。出かけるまでの準備に大目に二時間と見積もると、少なくとも七時半までは眠れるはずだ。
まだ半分頭が眠っていても、若林はそこまで冷静に計算した。さらに、これから一時間ばかり寝てもあまり足しにはならないなとまで考え、温かい布団の誘惑を振り切って一気に起き上がった。
椅子の背もたれに引っかけてあったカーディガンを羽織って部屋を出てみれば、一階のリビングのほうから話し声は聞こえてくる。若林はあくびをしながらゆっくりと階段を下りていき、リビングのドアを開けた。
「早いな」
「若ちゃんが遅いのよー。もう少し経ったら私が起こしにいこうと思ってたのよ」
黒いレザーのソファにふんぞり返っている美奈は、なぜかすこぶるご機嫌の様子である。
「ちきしょーめ。あと一時間は絶対眠れたぞ」
人一倍寝起きの悪い正木は、灰色の絨毯の上に直接あぐらをかいて、今日はまだ結んでいない長い髪を恨めしそうに垂らしていた。どうやら美奈に叩き起こされたようだ。ちなみに、正木の寝室は一階の客間である。
「だって私、遅刻したくないもん。せっかくドレス買ったのに」
「うぅー、こんなこったら夕べのうちに着せとくんだったぁー」
地を這うような声で正木が呻いたそのとき。
「はい、コーヒー入りましたよ。……あ、若林博士、おはようございます」
キッチンからマグカップを持った夕夜が現れて、若林に軽く頭を下げた。
今朝、若林に挨拶をしてくれたのは、この夕夜が最初で最後である。
「ほら、正木博士、しっかり持ってくださいよ」
「んぁー」
脱力しきっている正木に、夕夜はしゃがみこんでマグカップを持たせた。
正木は髪をかきあげながら、ズズーッとコーヒーをすする。
「起きるのが少し早かないか?」
立ち上がった夕夜に若林は言った。あとの二人は話になりそうもない。
「はあ……僕もそうは思うんですが、美奈に真っ先に起こされたので……」
困ったように夕夜は笑った。
なお、夕夜たちの〝眠り〟とは、すなわち〝充電〟である。
「何時に起こされた?」
「六時です」
若林は呆れて目を見張った。
「じゃあ、正木は?」
「――六時半」
若林の足元で正木がぼそっと言った。
少しはコーヒーの効果があったか、先ほどよりは声はしっかりしている。
「まーちゃん起こすの大変だったわ。六時くらいに起こしにいったのに、なかなか起きてくんなくて、三十分もかかっちゃった」
美奈は憤然として腕組みをした。
若林は感心して彼女を見た。たとえ三十分かかっても、こうして正木を起こしてこられるなんて奇跡に近い。
正木は自分で望まないかぎり、絶対起きようとしない人間で、己の眠りを妨げようとする者は容赦なく殴り蹴る。幸いにして若林はそういう目にあったことはないが、昔、正木を起こそうとした男が殴られて前歯を砕かれたのを目撃してしまったのだ。――あれは怖かった。本当に怖かった。
「何で若林は起こさねーんだよー。差別だぞー」
すだれのようにかかる髪の間から、正木は憎々しげに美奈を睨んだ。髪をほどいていると、彼は逆に男っぽく見える。
「だって、若ちゃん起こしたって、何の役にも立たないもん」
きっぱり美奈は言いきった。若林は少し傷ついた。
「気にするな、気にするな。夕夜のメンテの役には立つから」
正木は若林の足をぽんぽん叩いた。あまり慰めにはなっていない。
「まあ、九時半に家を出るとして、あと二時間半。充分すぎるがしょうがねえ。もうやっちまうか。――美奈、おまえの部屋に行くぞ。夕夜は今のうちに若林にメンテしてもらえ。それが終わったらサンドイッチでも何でも軽いもん作っといてくれ。じゃあな」
一息にそう言って、正木はマグカップを持ったまま身軽に立ち上がる。
その腕を待ちきれない様子の美奈がぐいぐい引っ張っていって、二人はリビングを出ていった。
「何するんだ?」
あっけにとられて若林が夕夜に訊ねると、彼はくすっと笑い、ドレスアップだそうですよと答えた。
「もともと正木博士が言い出したことなんですけどね。イブなんだからせいぜい着飾っていこうって、美奈にわざわざドレスを買ってあげたんです。だから美奈がもう待ちきれなくて、僕たちを叩き起こしたんですよ」
「そりゃ俺は役に立たないな」
若林は納得した。それは正木の守備範囲である。
「じゃあ、俺が役に立つことをするか。――一応昨日もメンテやったんだけど、バッテリーだけでも見とこう。夕夜、おいで」
「あ、はい」
まだ眠そうに頭を掻きながらリビングを出て行く若林の後を、夕夜は小走りに追いかけた。
それから約一時間後。
メンテナンスを終わらせ、夕夜が作ってくれたサンドイッチをダイニングで食べていると、ようやく二人がゆっくり階段を下りてくる足音がした。
「ジャンジャカジャーン」
リビングのドアを開けるなり、もうすっかり目が覚めたらしい正木がふざけて言った。髪もいつものように一つに束ねられている。
「お待たせいたしました。美奈ちゃんクリスマスイブ仕様です。では、ご入場どうぞ!」
ドアの横に退きながら、正木が芝居がかった仕草で左手を差し出す。それを合図に人影がしずしずとリビングに入室してきた。
美奈は肩の出た黒いドレスを着ていた。腰には大輪の赤い薔薇が一輪あしらわれており、黒い長手袋とストッキングは、美奈の細い手足をことさらに誇張していた。
艶やかな長い黒髪は頭の高い位置で一つに結ばれ、その結び目を隠すように、やはり赤いが腰のものよりは小ぶりな薔薇が飾られている。
普段はスッピンの顔には、美奈の透けるような白い肌を生かした自然な化粧が施され、口紅でさらに赤く色づけされた唇は、照明の光を受けて艶かしく輝いていた。
〝白雪姫〟ならぬ〝黒蜥蜴〟。この美奈にはそんな感じがした。
「イブなので、ちょっとアダルトにしてみました」
呆けたような顔をしている若林と夕夜に、正木は得意げに笑ってみせた。さらに美奈にニッと笑いかける。
「今度はピ○クハウスでも着てみっか?」
「まーちゃん、妙にそれにこだわるわよね。ほんとは自分が着たいんじゃないのー?」
美奈が半眼で正木を見る。
しゃべるといつもの美奈だ。若林と夕夜は思わずほっとした。
「見違えました。最初、誰かと思いましたよ」
無邪気に夕夜がそう言うと、正木がにやりと口角を上げた。
「コンセプトは〝不良娘〟だ。最初は真っ白いドレス着せて〝お嬢様〟にしようと思ってたんだが、育ちの悪いのが顔に出ちまってるから〝不良娘〟にした。赤いドレスでもよかったが、黒のほうが肌の白さがよく映えるだろ。これで外歩くときは白い毛皮のコート着るんだ。はっはー、美奈ー、金かかってるぞー。嬉しいかー?」
「うん! ねーねー、私きれい? 私きれい?」
その昔、大きなマスクをかけて世間を騒がせた美女と同じセリフをにこにこしながら繰り返し、若林と夕夜に迫る。
「ああ、とっても綺麗だよ。あとで写真撮っとこうな」
言葉に詰まってしまった夕夜に対して、若林は悠然と答えた。彼は〝娘〟には余裕をもって対処できる。
美奈はにぱっと嬉しそうに笑うと、いきなりスキップしはじめた。
「美奈、セットが崩れる、おとなしくしてろ。服も汚したりシワつけたりすんなよ。おまえ結構ガサツなんだから」
叱りつけて、正木は若林の向かいの席にどすんと腰かけ、テーブルの上のサンドイッチを無造作に食べはじめた。その手元に、夕夜が入れたばかりのコーヒーを置く。
今日の勝負に〝気配り〟というチェック項目があったなら、きっと夕夜は圧勝だろう。――そんな項目、ありはしないだろうけれど。
「あと二時間か……うーん……食い終わってからのほうがいいよな、やっぱり」
サンドイッチを頬張りながら、正木は若林の傍らに立っている夕夜を見上げた。
「そうですね。せっかくの一張羅が汚れてしまいますからね」
夕夜が微笑んで応じる。
「おいおい。まさか、おまえらも美奈みたいに着飾るつもりか?」
冗談で若林は言ったのだが、正木と夕夜は真顔でそろってうなずいた。
「おまえもだよ」
「え?」
「あ、もしかして、おまえ知んない? 今日のコンテスト、イブだから、参加者全員フォーマルな格好しないと、入場させてもらえないの」
「――聞いてないぞ」
若林の顔から一瞬にして笑みが引いた。
「そりゃ聞いてないだろうよ。これから飛び入り参加するんだからよ。俺はチケット買ったから知ってるもーん」
嫌味ったらしく言って、正木は悠々とコーヒーを飲む。
それならそうともっと早くに言ってくれればよかったのにと若林は思ったが、今までコンテストの話題を避けて通っていたのは自分のほうである。
「フォーマルって、スーツじゃ駄目なのか?」
仕方なく、若林は正木にそう訊ねてみた。
「そりゃ、それしかなけりゃそうするしかねえだろうけど、昼間でフォーマルっていったら、普通はモーニングじゃねえの? あ、でも今回はタキシードでもいいってさ。コンテスト終了後はクリスマス・パーティーやるから」
「くっそーッ、スリー・アールッ! どうしてイブにコンテストなんかするんだ!」
頭を抱えて叫ぶ若林を正木と夕夜は面白そうに眺めていたが、正木に目配せされて、夕夜がぽんぽんと若林の肩を叩いた。
「ありますよ」
「え?」
若林は顔を上げて夕夜を見た。
「タキシード。サイズも合うと思います。正木博士が買いました」
正木はおどけたように笑って、指をばらばらに動かしてみせた。
「イブだから」
「……おまえ、太っ腹だな」
「イブだから」
先ほどと同じセリフを、にっこり笑って繰り返す。
「まーとにかく、これ食い終わったら着替えて出かけようぜ。世界一馬鹿馬鹿しいお祭りにさ」
寝ぼけまなこで、ベッド横のカラーボックスの上に置いてある目覚まし時計を見ると、六時半を少し回ったところだった。窓の外はまだ暗い。
――コンテストの開会は午前十一時。受付開始が午前十時。ここから会場まで車で三十分。出かけるまでの準備に大目に二時間と見積もると、少なくとも七時半までは眠れるはずだ。
まだ半分頭が眠っていても、若林はそこまで冷静に計算した。さらに、これから一時間ばかり寝てもあまり足しにはならないなとまで考え、温かい布団の誘惑を振り切って一気に起き上がった。
椅子の背もたれに引っかけてあったカーディガンを羽織って部屋を出てみれば、一階のリビングのほうから話し声は聞こえてくる。若林はあくびをしながらゆっくりと階段を下りていき、リビングのドアを開けた。
「早いな」
「若ちゃんが遅いのよー。もう少し経ったら私が起こしにいこうと思ってたのよ」
黒いレザーのソファにふんぞり返っている美奈は、なぜかすこぶるご機嫌の様子である。
「ちきしょーめ。あと一時間は絶対眠れたぞ」
人一倍寝起きの悪い正木は、灰色の絨毯の上に直接あぐらをかいて、今日はまだ結んでいない長い髪を恨めしそうに垂らしていた。どうやら美奈に叩き起こされたようだ。ちなみに、正木の寝室は一階の客間である。
「だって私、遅刻したくないもん。せっかくドレス買ったのに」
「うぅー、こんなこったら夕べのうちに着せとくんだったぁー」
地を這うような声で正木が呻いたそのとき。
「はい、コーヒー入りましたよ。……あ、若林博士、おはようございます」
キッチンからマグカップを持った夕夜が現れて、若林に軽く頭を下げた。
今朝、若林に挨拶をしてくれたのは、この夕夜が最初で最後である。
「ほら、正木博士、しっかり持ってくださいよ」
「んぁー」
脱力しきっている正木に、夕夜はしゃがみこんでマグカップを持たせた。
正木は髪をかきあげながら、ズズーッとコーヒーをすする。
「起きるのが少し早かないか?」
立ち上がった夕夜に若林は言った。あとの二人は話になりそうもない。
「はあ……僕もそうは思うんですが、美奈に真っ先に起こされたので……」
困ったように夕夜は笑った。
なお、夕夜たちの〝眠り〟とは、すなわち〝充電〟である。
「何時に起こされた?」
「六時です」
若林は呆れて目を見張った。
「じゃあ、正木は?」
「――六時半」
若林の足元で正木がぼそっと言った。
少しはコーヒーの効果があったか、先ほどよりは声はしっかりしている。
「まーちゃん起こすの大変だったわ。六時くらいに起こしにいったのに、なかなか起きてくんなくて、三十分もかかっちゃった」
美奈は憤然として腕組みをした。
若林は感心して彼女を見た。たとえ三十分かかっても、こうして正木を起こしてこられるなんて奇跡に近い。
正木は自分で望まないかぎり、絶対起きようとしない人間で、己の眠りを妨げようとする者は容赦なく殴り蹴る。幸いにして若林はそういう目にあったことはないが、昔、正木を起こそうとした男が殴られて前歯を砕かれたのを目撃してしまったのだ。――あれは怖かった。本当に怖かった。
「何で若林は起こさねーんだよー。差別だぞー」
すだれのようにかかる髪の間から、正木は憎々しげに美奈を睨んだ。髪をほどいていると、彼は逆に男っぽく見える。
「だって、若ちゃん起こしたって、何の役にも立たないもん」
きっぱり美奈は言いきった。若林は少し傷ついた。
「気にするな、気にするな。夕夜のメンテの役には立つから」
正木は若林の足をぽんぽん叩いた。あまり慰めにはなっていない。
「まあ、九時半に家を出るとして、あと二時間半。充分すぎるがしょうがねえ。もうやっちまうか。――美奈、おまえの部屋に行くぞ。夕夜は今のうちに若林にメンテしてもらえ。それが終わったらサンドイッチでも何でも軽いもん作っといてくれ。じゃあな」
一息にそう言って、正木はマグカップを持ったまま身軽に立ち上がる。
その腕を待ちきれない様子の美奈がぐいぐい引っ張っていって、二人はリビングを出ていった。
「何するんだ?」
あっけにとられて若林が夕夜に訊ねると、彼はくすっと笑い、ドレスアップだそうですよと答えた。
「もともと正木博士が言い出したことなんですけどね。イブなんだからせいぜい着飾っていこうって、美奈にわざわざドレスを買ってあげたんです。だから美奈がもう待ちきれなくて、僕たちを叩き起こしたんですよ」
「そりゃ俺は役に立たないな」
若林は納得した。それは正木の守備範囲である。
「じゃあ、俺が役に立つことをするか。――一応昨日もメンテやったんだけど、バッテリーだけでも見とこう。夕夜、おいで」
「あ、はい」
まだ眠そうに頭を掻きながらリビングを出て行く若林の後を、夕夜は小走りに追いかけた。
それから約一時間後。
メンテナンスを終わらせ、夕夜が作ってくれたサンドイッチをダイニングで食べていると、ようやく二人がゆっくり階段を下りてくる足音がした。
「ジャンジャカジャーン」
リビングのドアを開けるなり、もうすっかり目が覚めたらしい正木がふざけて言った。髪もいつものように一つに束ねられている。
「お待たせいたしました。美奈ちゃんクリスマスイブ仕様です。では、ご入場どうぞ!」
ドアの横に退きながら、正木が芝居がかった仕草で左手を差し出す。それを合図に人影がしずしずとリビングに入室してきた。
美奈は肩の出た黒いドレスを着ていた。腰には大輪の赤い薔薇が一輪あしらわれており、黒い長手袋とストッキングは、美奈の細い手足をことさらに誇張していた。
艶やかな長い黒髪は頭の高い位置で一つに結ばれ、その結び目を隠すように、やはり赤いが腰のものよりは小ぶりな薔薇が飾られている。
普段はスッピンの顔には、美奈の透けるような白い肌を生かした自然な化粧が施され、口紅でさらに赤く色づけされた唇は、照明の光を受けて艶かしく輝いていた。
〝白雪姫〟ならぬ〝黒蜥蜴〟。この美奈にはそんな感じがした。
「イブなので、ちょっとアダルトにしてみました」
呆けたような顔をしている若林と夕夜に、正木は得意げに笑ってみせた。さらに美奈にニッと笑いかける。
「今度はピ○クハウスでも着てみっか?」
「まーちゃん、妙にそれにこだわるわよね。ほんとは自分が着たいんじゃないのー?」
美奈が半眼で正木を見る。
しゃべるといつもの美奈だ。若林と夕夜は思わずほっとした。
「見違えました。最初、誰かと思いましたよ」
無邪気に夕夜がそう言うと、正木がにやりと口角を上げた。
「コンセプトは〝不良娘〟だ。最初は真っ白いドレス着せて〝お嬢様〟にしようと思ってたんだが、育ちの悪いのが顔に出ちまってるから〝不良娘〟にした。赤いドレスでもよかったが、黒のほうが肌の白さがよく映えるだろ。これで外歩くときは白い毛皮のコート着るんだ。はっはー、美奈ー、金かかってるぞー。嬉しいかー?」
「うん! ねーねー、私きれい? 私きれい?」
その昔、大きなマスクをかけて世間を騒がせた美女と同じセリフをにこにこしながら繰り返し、若林と夕夜に迫る。
「ああ、とっても綺麗だよ。あとで写真撮っとこうな」
言葉に詰まってしまった夕夜に対して、若林は悠然と答えた。彼は〝娘〟には余裕をもって対処できる。
美奈はにぱっと嬉しそうに笑うと、いきなりスキップしはじめた。
「美奈、セットが崩れる、おとなしくしてろ。服も汚したりシワつけたりすんなよ。おまえ結構ガサツなんだから」
叱りつけて、正木は若林の向かいの席にどすんと腰かけ、テーブルの上のサンドイッチを無造作に食べはじめた。その手元に、夕夜が入れたばかりのコーヒーを置く。
今日の勝負に〝気配り〟というチェック項目があったなら、きっと夕夜は圧勝だろう。――そんな項目、ありはしないだろうけれど。
「あと二時間か……うーん……食い終わってからのほうがいいよな、やっぱり」
サンドイッチを頬張りながら、正木は若林の傍らに立っている夕夜を見上げた。
「そうですね。せっかくの一張羅が汚れてしまいますからね」
夕夜が微笑んで応じる。
「おいおい。まさか、おまえらも美奈みたいに着飾るつもりか?」
冗談で若林は言ったのだが、正木と夕夜は真顔でそろってうなずいた。
「おまえもだよ」
「え?」
「あ、もしかして、おまえ知んない? 今日のコンテスト、イブだから、参加者全員フォーマルな格好しないと、入場させてもらえないの」
「――聞いてないぞ」
若林の顔から一瞬にして笑みが引いた。
「そりゃ聞いてないだろうよ。これから飛び入り参加するんだからよ。俺はチケット買ったから知ってるもーん」
嫌味ったらしく言って、正木は悠々とコーヒーを飲む。
それならそうともっと早くに言ってくれればよかったのにと若林は思ったが、今までコンテストの話題を避けて通っていたのは自分のほうである。
「フォーマルって、スーツじゃ駄目なのか?」
仕方なく、若林は正木にそう訊ねてみた。
「そりゃ、それしかなけりゃそうするしかねえだろうけど、昼間でフォーマルっていったら、普通はモーニングじゃねえの? あ、でも今回はタキシードでもいいってさ。コンテスト終了後はクリスマス・パーティーやるから」
「くっそーッ、スリー・アールッ! どうしてイブにコンテストなんかするんだ!」
頭を抱えて叫ぶ若林を正木と夕夜は面白そうに眺めていたが、正木に目配せされて、夕夜がぽんぽんと若林の肩を叩いた。
「ありますよ」
「え?」
若林は顔を上げて夕夜を見た。
「タキシード。サイズも合うと思います。正木博士が買いました」
正木はおどけたように笑って、指をばらばらに動かしてみせた。
「イブだから」
「……おまえ、太っ腹だな」
「イブだから」
先ほどと同じセリフを、にっこり笑って繰り返す。
「まーとにかく、これ食い終わったら着替えて出かけようぜ。世界一馬鹿馬鹿しいお祭りにさ」
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