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第三話 若林博士、最後の挑戦!
第五章 Mの古傷(2) 商店街(2)
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「びっくりしたかじゃねえ」
つい先ほどまでもう若林には会えない――〝会わない〟ではない――と落ちこんでいたくせに、正木はすっかりいつもの正木に立ち戻っていた。
「おまえこそ、何でこんな時間にこんなとこにいるんだよ」
「金曜は午前中で終わりだよ」
「でも、午後に研究会があるはずだ」
「う」
元同僚が相手だと、こういうときごまかしがきかない。
「サボったな」
冷ややかに正木が言うのに対して、
「休んだんだ」
ささやかながら、若林は訂正を訴えた。
「車は?」
「え?」
「車。おまえ、今日、車で大学行ったろ」
その瞬間、今朝一限の講義に遅れそうになり、電車ではなく車で大学まで行った記憶が若林の脳裏に甦った。
「……忘れてきた」
「え?」
「いや、いつも電車で通ってるもんだから、今日もそのつもりで……そうだよな、今日車に乗ってきたんだ」
自分に言い聞かせるようにそう呟く若林に、美奈は正木と無言で顔を見合わせた。若林の突然の登場で、正木もすっかり気が削がれてしまったらしい。
考えてみれば、ここは若林がいつも利用している駅の近くだから、時間さえ合えばこうしてばったり出くわす可能性もあったわけだ。
それにしても、すごい偶然である。これも正木の言う〝シンクロニシティ〟とかいうやつだろうか。正木のヤケ買いを止めてくれたのはいいが、一難去ってまた一難という気がする。
「でも、おまえたちは? そういや夕夜がいないな。一緒じゃないのか?」
ふと気がついて、若林が顔を上げた。
そう訊かれて、正木と美奈に緊張が走る。まさか、たった今までウォーンライトと会っていたなんて――若林には言えない。
「か……買い物だよ、買い物! 美奈に新しい服買ってやろうと思って。夕夜は別の物買ってるんだ。な、そうだよな、美奈!」
「うん、そー。今から買いにいこーとしてたのー」
本当はそれを止めようとしていたのだが、美奈は迷わず正木に調子を合わせた。正木がそうやってごまかすつもりなら、今はそうしておいたほうがいい。
「そうか? 俺には美奈が嫌がってるように見えたけどな」
「遠慮してたのよー。前にも買ってもらったからー」
「遠慮? おまえもずいぶん大人になったもんだな」
からかうようにそう言ったが、若林はそれで納得したようだ。勘のよすぎるウォーンライトと会った後だけに、今はこの単純さがたまらなく愛しい。
鈍感もよく言えば、細かいことは気にしないということだ。なんて男らしいんだろう。と正木は思っている。
「しかし、驚いたよ。どこかで聞いた声がすると思ったら、美奈がおまえの手を引っ張って喚いてるから」
「内容聞いたかっ!?」
はっと我に返って、正木は若林の襟元を右手でつかんだ。
確か、美奈は思いきって若林に好きだと言えとか何とか、そんなことを言っていなかったか。
「内容って……何か言ってるのはわかったけど、内容までは……何かまずいことでも言ってたのか?」
正木の気迫に多少ひるみはしたものの、若林はおっとりと答えた。
若林が苦手とするのはこういう荒っぽい正木ではなく、自分に特別な関心を抱いているように思える正木である。だから、第三者が聞いていたらかなりきつく思うだろう正木の罵りも、若林はわりと平然と受け流すことができる。こういうことをするから〝鈍感〟などと言われてしまうのだろうが、正木の言うことにいちいち傷ついていたらとても神経が持たない。
「いや……そんなことはない――けどよ」
正木は笑ってごまかして、若林から手を離した。
若林がそう言うのならそうなのだろう。この男は嘘をつくのがとても下手なのだ。と正木は思っている。
「でも、ここで会えてよかったよ。俺、おまえたちに訊きたいことがあって、さっき家に電話したんだ。でも、留守電になっててさ、誰も出ないんだよ。もしかしたら買い物行ったんじゃないかとは思ってたんだけど、やっぱりそうだったんだな」
内心、まだ正木が自分の手の届くところにいてくれたことに、若林はほっとしていた。
だが、正木は急に深刻そうな顔になると、自分より少し高い若林の肩に右手を置いた。
「スマホ」
「え?」
「夕夜と美奈はスマホ持ってる」
その一言で、若林は思い出した。
「忘れてた――」
「しっかりしろよー。そのためのスマホだろー?」
情けなさそうな声を出して、正木がぽんぽん若林の肩を叩く。
――割れ鍋に綴じ蓋。
そんな二人を見ながら、そんな慣用句を美奈は思い出した。
たとえ告白できなくても、案外彼らはうまくいっている。いや、実はすぐにくっついてしまったら面白くないから、ずっと片思いごっこをして遊んでいるのではないか。なんて傍迷惑な〝両親〟。〝子供〟の苦労も知らないで。
美奈がそんなことを思っていたとき、その携帯電話が電子音を発した。あわてて自分の白いコートのポケットを探り、赤いケースつきの携帯電話を取り出す。
正木は電子音がした時点で若林から離れ、脇から美奈の携帯電話を覗きこんでいた。画面を見て、冷たく若林に言い放つ。
「見ろ。夕夜のほうが頭がいいや」
わけがわからず、若林も覗いてみると、そこには某中華風ファミリーレストランの店名と一緒に、『お昼にしませんか? 夕夜』というメッセージが表示されていた。
つい先ほどまでもう若林には会えない――〝会わない〟ではない――と落ちこんでいたくせに、正木はすっかりいつもの正木に立ち戻っていた。
「おまえこそ、何でこんな時間にこんなとこにいるんだよ」
「金曜は午前中で終わりだよ」
「でも、午後に研究会があるはずだ」
「う」
元同僚が相手だと、こういうときごまかしがきかない。
「サボったな」
冷ややかに正木が言うのに対して、
「休んだんだ」
ささやかながら、若林は訂正を訴えた。
「車は?」
「え?」
「車。おまえ、今日、車で大学行ったろ」
その瞬間、今朝一限の講義に遅れそうになり、電車ではなく車で大学まで行った記憶が若林の脳裏に甦った。
「……忘れてきた」
「え?」
「いや、いつも電車で通ってるもんだから、今日もそのつもりで……そうだよな、今日車に乗ってきたんだ」
自分に言い聞かせるようにそう呟く若林に、美奈は正木と無言で顔を見合わせた。若林の突然の登場で、正木もすっかり気が削がれてしまったらしい。
考えてみれば、ここは若林がいつも利用している駅の近くだから、時間さえ合えばこうしてばったり出くわす可能性もあったわけだ。
それにしても、すごい偶然である。これも正木の言う〝シンクロニシティ〟とかいうやつだろうか。正木のヤケ買いを止めてくれたのはいいが、一難去ってまた一難という気がする。
「でも、おまえたちは? そういや夕夜がいないな。一緒じゃないのか?」
ふと気がついて、若林が顔を上げた。
そう訊かれて、正木と美奈に緊張が走る。まさか、たった今までウォーンライトと会っていたなんて――若林には言えない。
「か……買い物だよ、買い物! 美奈に新しい服買ってやろうと思って。夕夜は別の物買ってるんだ。な、そうだよな、美奈!」
「うん、そー。今から買いにいこーとしてたのー」
本当はそれを止めようとしていたのだが、美奈は迷わず正木に調子を合わせた。正木がそうやってごまかすつもりなら、今はそうしておいたほうがいい。
「そうか? 俺には美奈が嫌がってるように見えたけどな」
「遠慮してたのよー。前にも買ってもらったからー」
「遠慮? おまえもずいぶん大人になったもんだな」
からかうようにそう言ったが、若林はそれで納得したようだ。勘のよすぎるウォーンライトと会った後だけに、今はこの単純さがたまらなく愛しい。
鈍感もよく言えば、細かいことは気にしないということだ。なんて男らしいんだろう。と正木は思っている。
「しかし、驚いたよ。どこかで聞いた声がすると思ったら、美奈がおまえの手を引っ張って喚いてるから」
「内容聞いたかっ!?」
はっと我に返って、正木は若林の襟元を右手でつかんだ。
確か、美奈は思いきって若林に好きだと言えとか何とか、そんなことを言っていなかったか。
「内容って……何か言ってるのはわかったけど、内容までは……何かまずいことでも言ってたのか?」
正木の気迫に多少ひるみはしたものの、若林はおっとりと答えた。
若林が苦手とするのはこういう荒っぽい正木ではなく、自分に特別な関心を抱いているように思える正木である。だから、第三者が聞いていたらかなりきつく思うだろう正木の罵りも、若林はわりと平然と受け流すことができる。こういうことをするから〝鈍感〟などと言われてしまうのだろうが、正木の言うことにいちいち傷ついていたらとても神経が持たない。
「いや……そんなことはない――けどよ」
正木は笑ってごまかして、若林から手を離した。
若林がそう言うのならそうなのだろう。この男は嘘をつくのがとても下手なのだ。と正木は思っている。
「でも、ここで会えてよかったよ。俺、おまえたちに訊きたいことがあって、さっき家に電話したんだ。でも、留守電になっててさ、誰も出ないんだよ。もしかしたら買い物行ったんじゃないかとは思ってたんだけど、やっぱりそうだったんだな」
内心、まだ正木が自分の手の届くところにいてくれたことに、若林はほっとしていた。
だが、正木は急に深刻そうな顔になると、自分より少し高い若林の肩に右手を置いた。
「スマホ」
「え?」
「夕夜と美奈はスマホ持ってる」
その一言で、若林は思い出した。
「忘れてた――」
「しっかりしろよー。そのためのスマホだろー?」
情けなさそうな声を出して、正木がぽんぽん若林の肩を叩く。
――割れ鍋に綴じ蓋。
そんな二人を見ながら、そんな慣用句を美奈は思い出した。
たとえ告白できなくても、案外彼らはうまくいっている。いや、実はすぐにくっついてしまったら面白くないから、ずっと片思いごっこをして遊んでいるのではないか。なんて傍迷惑な〝両親〟。〝子供〟の苦労も知らないで。
美奈がそんなことを思っていたとき、その携帯電話が電子音を発した。あわてて自分の白いコートのポケットを探り、赤いケースつきの携帯電話を取り出す。
正木は電子音がした時点で若林から離れ、脇から美奈の携帯電話を覗きこんでいた。画面を見て、冷たく若林に言い放つ。
「見ろ。夕夜のほうが頭がいいや」
わけがわからず、若林も覗いてみると、そこには某中華風ファミリーレストランの店名と一緒に、『お昼にしませんか? 夕夜』というメッセージが表示されていた。
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